第3話その1
「セオですか。おはようございます」
「おはよう。で、後ろの景色の質問をしたいんだが」
正午に差し掛かった頃。セオはイオンのマンションを訪ねていた。用事があったからなのだが、イオンの後ろに広がる光景に二の句が継げなかった。彼女の部屋には私物と言う物がほとんどない。生活していくに最低限必要な食器類や家具、衣類をしまうカラーボックス程度しかない。従って部屋が物で溢れかえると言う事態は起こらない……はずなのだが。
「……変わった所はないかと思いますが」
「下着を含めた衣類を出しっぱなしなのは普通なのか」
そう言うや否や彼女を押し退け上がる。足の踏み場がない、と言う程ではないが、下着が散乱しているのを見ると足を踏み入れる事に躊躇してしまう。
「使用済みとそうでないのに分けろ。で、使ってないのは少し雑でもいいから畳んできちんとしまえ。着たのは洗濯機に入れる」
床に座り込み分別を始めるイオン。しかし自分でもどちらだか分かっていないのか、作業は遅々として進んでいなかった。こればっかりは男のセオが手伝う訳にはいかず、結局作業が終わったのはそれから30分後の事だった。
「出掛けるから着替えろ」
「分かりました」
セオの用事とはデートの誘いだった。
*
その日の中心部を走るセンターストリートはいつもと雰囲気が異なっていた。車道は一部区間一部が閉鎖され、歩行者に開放されていた。車道の両端には露店が並び、食欲をそそる香ばしさが漂っていた。アルカディアの特徴の一つである多様な人種の混生はこうした祭でも見て取れた。店主の国柄が如実に出ており、同じ材料を使った料理でも大きな差異があり、見ていて飽きなかった。
普段とは全く異なる雰囲気にイオンも流石に疑問を抱いたのか、セオに質問した。
「何があるんですか?」
野菜と肉を交互に差した串焼きを二本購入し、一本をイオンに渡す。横側から食べるセオを真似るが上手くいかず、口端にべったりとたれを付けてしまう。チョイスを間違えたなと思いながらティッシュで拭う。
「終戦日だ」
アウターとの戦争が終わった事を祝う記念祭と、戦争で亡くなった者達を慰めるための鎮魂祭が、終戦日当日とその前日と翌日に世界規模で開かれるのだ。未だ復興したとは言い難い世界だが、5年と言う節目を祝う事で人々に活力を与えようと言う事で計画された行事だ。
執り行われる祭は地域や星により様々な形態がある。静かに祝福と鎮魂を行う所もあれば、アルカディアのように露店が立ち並んだり豪勢なパレードが行われる所もある。また有志によるスラム街へのボランティア活動も行われるようだったが、先日の事件があったため軍の護衛が付く事になっていた。
準備も念入りに行われており、人々の活気は十分に高まっていた。セオはイオンにこの活気を味わってもらいたかった。どんな受け止め方をしているのかは分からないが、少なくとも味わっている事は分かった。
しかし浮かれてばかりではいられない。2日目に月面都市シラカワで執り行われる、統一連合の首脳陣が参加する式典で警備を行う事になっているのだ。機構が統一連合直属の組織と言う事もあるが、実はテロ組織による殺害予告が出されているのだ。彼らは自らを〈Liberation Front from Mankind〉、〈人類からの解放戦線〉と名乗り、3年前から地球や植民惑星の主に民間人が大勢いる場所への攻撃を繰り返していた。
何故殲滅課があるにも拘らず未だ活動を続けているのか。理由は統一連合から指令が下らないからだ。では何故下らないのか。潜伏場所が判明出来ていないと言う事もあるが、最も大きな理由はLFMの構成員が全員Ⅱ型義体兵士と言う事だ。
人は異端を嫌う。何故嫌悪するのか分からずに排除していき、取り返しの付かない過ちが起こってから、自らの行為の意味を知る。そしてその過ちを繰り返さぬためにと、忘れぬためにと美談を作り上げる者達と、行為の正当化を叫ぶ者達とに分かれる。
祖国のため、家族のため、自らの信念のために肉体を鋼へと変えていった者達への差別はまさにその道筋を辿っていた。
Ⅱ型義体兵士に対し国は機械化された部位の復元を保証していた。しかし戦勝国のない戦争が終わり、国家は大小関係なく疲弊しきっており、その影響は経済に顕著に表れていた。食糧不足による物価上昇、都市崩壊による雇用数激減、更に賃金の低下。国は負担したくとも出せる予算がなかったのだ。それでも兵士のPTSD問題が露呈した事でそれ以上の後回しが出来なくなり、他へ回すはずの予算を削ると言う苦肉の策を行った。それにより兵士は復元手術を受けられるが、当然市民の生活は更に苦しくなる。
飢えはやがて憎悪へと変わっていき、ぶつける対象を探し始める。そしてその対象を見付ければ尤もらしい理由を声高に叫び、排斥していく。その憎悪は感染症のように人から人へと伝播し、拡大していく。いつしかⅡ型兵士に対する大規模な排除運動へと変わっていった。人々は何故自分達がその思いを抱いたかも忘れ、恐ろしいから、自分達とは異なるからと叫んだ。
しかし兵士がただ言われるがままでいられるだろうか。
――何故自らの肉体を犠牲にし戦った我らにこんな理不尽が許される!
その思いを誰が悪だと断じられようか。いつか状況が変わると耐え忍び、理不尽に晒され続けた彼らは終ぞ報われなかった。そして起こったデモ行進爆破事件。この事件により排除運動は暴力も辞さぬより過激なものに、そしてそれに対する報復も同様に過激になっていった。運動に関わらぬ者達であっても、兵士に対する見方が変わっていった。
――テロ行為を許すな!
――殲滅課の出番だろ!
――殺せ!
もし統一連合の議員達が大声だけに耳を傾ける者達だけだったら攻撃出来たかもしれない。AIに感情がなく、早急な事態収束だけを目指していたら攻撃出来たかもしれない。
だがそうではないのだ。彼らの中には退役軍人や元Ⅱ型兵士がおり攻撃決定が出来なかった。またもしただのテロリストだと断じ攻撃すれば、復元手術を待つ兵士にまで危害が及ぶ可能性が高かった。早急な保護が出来ていれば話は違ったが、世間に嫌気が差したせいなのか消息の掴めない者が多かった。
もし兵士達が身勝手な主張ばかりを繰り返し、理不尽な破壊活動を行っていたのならば排除は簡単だったかもしれない。
だがそうではないのだ。彼らの願いは有り触れたものだった。ただ安寧な生活を送りたい。それだけだった。しかしその願いは叶わなかった。そして彼らは変貌していった。
複雑に絡み合い、捩れてしまった紐を戻す事は容易ではない。その上非常に細く、いつ切れてもおかしくなかった。
誰もがその事実に気付いているはずなのに、誰もが動こうとしなかった。とっくに道は繋がっているのに、大多数の人間は対岸の火事だと思っているのだ。
*
2人は軽いパトロールも兼ねて歩いていた。やはりイオンは露店が珍しいのかキョロキョロと忙しなく周囲を見ていた。何か気になるものがあれば買ってみるといい、と言ったが彼女の普段の食生活は合成食と言う文字通り味気ないものであり、外見から味を想像出来ない彼女は自ら買おうとは思えないようだった。仕方なくセオは自分好みの甘食を買う事にした。相変わらず表情に大きな変化はないが、水あめの時だけその食べ辛さで過小だが眉間に皺を寄せてセオに渡した事を鑑みるに、他の甘食は気に入ったのだろう。
「どうだった?」
「甘かったです」
それはそうだろう、と求めていた感想とは違う事に苦笑しながらそう言った。
しばらくすると歩行制限が掛けられ、周囲が俄かに騒がしくなり始めた。警備員が車道を空けるように拡声器で誘導している所を見るに、これからパレードが行われるのだろう。周囲の動きに困惑しているイオンの手を取り歩道へ向かう。上手く最前列を確保する事が出来た。
「何があるんです?」
「見てれば分かるさ」
周囲の喧騒ですぐには聞こえなかったが、徐々に腹に響く音楽が聞こえ始める。すると周囲の纏まりのなかった喧騒は歓声へと変わっていった。
煌びやかな衣装に身を包んだ女性ダンサーが蠱惑的な踊りで男を魅了し、見事な大道芸を披露する男が子供を手招きし共に見物客の笑顔を誘う。雰囲気に酔った男が車道へと踊り出で下手なダンスを披露し、野次と歓声を浴びる。それを見て我も我も、と次々と見物客が宴会でも罵倒されそうな踊りを見せ始める。
まだ世界は復興していない。5年と言う歳月は傷を癒すには短過ぎる。それでもそこには笑顔が溢れていた。初めて見る光景なのだろう。イオンは目を丸くしながら周囲を見ていた。
「セ、セオさん」
彼女の方に目を向けるとダンサーの女性に手を引かれており、とても困惑した表情になっていた。行って来い、と促すと更に困惑した表情になってしまう。流石に気の毒になってきたため、自分も一緒に行くと伝えると安心したのか素直に車道に出た。もちろん2人とも踊りなど出来るはずもなく、イオンはともかくセオは早々に後悔し始めていた。
『2人ともお楽しみ中の所悪いけど、幼児を誘拐したⅡ型兵士が目撃されたそうよ。警察の職質を振り切ったみたい』
フロネシスの通信と同時に、防犯カメラなどから推定された逃走経路がポップアップされる。思考を即座に切り替え、人混みを掻き分け歩道へ向かう。
『幼児誘拐? ここに高名な人物でも来てるのか?』
『入国管理局を見てみたけど、確認出来なかったわ。誘拐の通報もないし、これ早く見付けた方が良いかも』
通りはどこもかしこも混雑していた。発泡すればモーゼの十戒の如く人の海は割れるだろうが、今日この日だけは心情的に出来なかった。幸いな事にこの辺りは住宅街ではなく、通り抜けても問題はあまりないオフィス街だった。正面玄関から入り受付をスルーして裏口から出る、はたまた裏口から入り正面玄関から出る、裏口が開いていなければトイレの窓から進入。
――男子トイレで良かった……
通報されそうな事を何度もやらかしながら走る。
距離は縮まりつつあった。歓迎すべき事だが、やはり違和感があった。Ⅱ型兵士相手に走って追い付くなど普通は出来ない。全力疾走すれば追っ手を撒く事など簡単な事なのだ。
路地を抜ける直前に、目の前をコートと帽子を目深に被ったソフトハットを押さえながら走る人影が過ぎった。
一瞬の邂逅。しかしセオの鍛え抜かれた動体視力は人影がⅡ型兵士である事、そしてそれ以上に重大な事も見逃さなかった。
「アルカトラズ?!」
何故警察に追われているのかは分からないが、誤解を解くためにはまずアルカトラズを止める必要があった。路地を抜け出し走る。しかしフロネシスの連絡から走りっぱなしで流石に疲労が強くなっており、遅くなっていた。横を並走するイオンにはまだ余裕が感じられた。
「イオン、あいつに追い付いて止めてくれ。オレの名前を出せば分かるはずだ。オレは後ろを走ってる警官達を止める」
「分かりました」
そう言うが否や、息を止めた彼女は速度を上げ簡単にセオを置き去りにしていった。微かな羨望を感じながら足を止め、振り返る。警官は全員私服で、男性が4人に女性が1人の計5人だった。
セオは警官達は二手に分かれ対応しようとしている事に気付く。気付かれるとは思っていなかったのだろう、バディ同士で固まっていたのだ。脇を抜けようとした警官の腕を掴む。セオの眼前での分散したため抜けると思っていたのだろう、腕を掴まれた男性警官は動揺の表情を露わにした。しかしバディの女性警官の反応は素早かった。一筋縄ではいかないと判断し、即座に掴んでいる腕の方に移動しながら懐のハンドガンを抜きにいった。それを見たセオの反応もまた素早かった。自由な方の腕を懐に差し込み、抜き放つ。
互いに抜き取った得物を至近距離で向け合う。警官はハンドガンを、セオは手帳を。
「は?」
「広域平和維持機構アルカディア支部所属、殲滅課のセオ・インダーフィルだ。今お前達が追っている男の身分は保証されている」
「奴は今も逃走してい……ないな」
警官が怒鳴りながら視線を動かすと、幼児を背負ったⅡ型がイオンと共にこちらに向かって歩いていた。
腕を放し手帳をしまう。警官も予想とは違う展開に腑に落ちない表情をしながらハンドガンをしまう。
「あの男は職質されただけで逃げるような後ろ暗い事はやっていない。大方このタイミングでⅡ型が現れたもんだから、テロリストと断定してたんだろう」
「……その通りだ。申し訳ない」
「だ、そうだ。許してやれアルカトラズ」
「私の方こそ誤解されるような事をしていて申し訳なかった」
「いや、Ⅱ型と言うだけで色眼鏡で見てしまった私の責任です。すみませんでした」
「ふむ、では許そう」
「お前も誤解されるような抱え方するなよ」
「鬼ごっこの仕方が悪かったのだろうな」
「……どんな設定でやったんだ」
その質問に答えたのは、アルカトラズに背負われていた子供だった。知らない人に囲まれていても物怖じしないのは子供の持つ最大の武器だ。
「誘拐犯と逃げる人!」
どうやら警官達の対処は間違っていなかったらしい。後で謝罪しておこう、とセオは微かな頭痛を感じながらそう思った。