第2話その6
アウターに再び遭遇する可能性を考慮すれば、ケイタを連れての移動は彼自身にもセオ達にも危険な事だった。しかし奥に行くにつれ通路の破損は酷くなっており、それだけでなくスラム街の住人の手が加えられており迷路染みているのだ。それ故に彼の案内なしに進む事は非常に困難だった。
前方をゴアとバートが、後方にセオとイオンがそれぞれ警戒を最大限に走る。曲がり角が多い上に遮蔽物や崩落で出来た壁の穴などの死角が多く、どこから現れるか分からない敵にケイタの精神は悲鳴を挙げていた。それに加えて戦闘終了から走りっぱなしで肉体的疲労も蓄積していた。彼の挙動に疲労を感じたセオは一旦止まれとゴアに言う。
「休憩…しなくても、大丈夫です」
「素人がこんな環境で走り続けて平気な訳がない」
腰に備え付けられているポーチから小さなボトルを取り出す。長時間の任務でもなければ装備しないが、彼の事を考慮して装備していた。
「ふう……。ありがとうございます。もう大丈夫です」
「もうって……少ししか休んでないじゃない」
「アキラがこの先にいるんです! 俺のせいで助けられなかったら……」
「焦るのは分かるけど、少し落ち着くんだ。上でも言ったけどメンスなら君の妹を無下に扱うような事は絶対にしない」
落ち着かせるためにバイザーを開け、目を合わせながら言う。焦燥と恐怖と疲労が見える。
「セオ、貴方今回の首謀者の事知ってるの?」
「ああ、知ってる。ここなら国連の眼はないから言えるが、あの兄弟は人体に対するアウターの移植実験を行ってたんだ。お前達も大戦の末期で噂になっていた不死身の部隊の事は知ってるだろう?」
「それってジンクス部隊の事っすか?」
従軍していた者ならば誰でも知っている伝説のチーム。数々の作戦に参加し多くの戦果を残し、最終作戦でもその人類の勝利に貢献、その名を永久のものとした。伝説的な活躍が多かったせいで、戦意向上のための架空部隊なのでは、とすら言われるほどだ。
「いやジンクスじゃない。生体実験の成果を示すための実験部隊だ。で、オレはその部隊にいた」
「あらー、そうだったの。だから知ってるのね」
事もなげに言うセオとゴア。あまりに自然になされたカミングアウトに、バートとケイタは驚くタイミングを逸していた。イオンは話の内容を理解した上で当然のようにノーリアクション。驚きがないのではない。胸中で起こった揺れを驚きと認識する事が出来ず、またそれの表現の仕方が分かっていないだけなのだ。
「て言うか知ってたなら言いなさいよ」
「数の限られたアウターならそこまで脅威じゃないと思ってたんだ。まあサプライズのせいで苦戦したが」
ジャイアントキリングの異名を持つ、20ミリ機関銃。強力過ぎる破壊力を持つため、その管理は厳重に行われているはずだった。製造過程から全てにナンバーが振られ、使用時にもいつ・どこで・使用した部隊名を全て記録し確実な返却を行わせていた。戦後も軍のA級AIの監視の下に厳重に保管されていた。
『そうよ、私としてはアウターがまだ存在していた事より20ミリがこんな所にある方が驚きだわ。ちょっと潜ってみるわ』
「止めろ、万一にもバレたら反対派に攻撃の口実を作る。それに態々潜らなくとも刻印があるかどうかを見ればいい」
記憶を掘り起こしながら20ミリを回転させ、ナンバーが刻印されているか調べる。ナンバーはどこにもなかった。つまりこれは正規製造されたものではない、と言う事だ。相手側にA級を凌ぐAIがいなかった事に感謝すべきなのか、それとも兵器工場を持っている事を嘆くべきなのか。どちらにせよ、面倒な事に変わりはなさそうだった。
顔を上げると所在無さげな表情をしているケイタと目が合った。そう言えば元々は彼を安心させるための話だった事を思い出す。
「さて、話が盛大に逸れたな。あの兄弟は肉体的に強かろうが軸を持ってない奴を徹底的に嫌い、どんなに虚弱であろうともブレない軸を持つ者には敬意を払う。ケイタ君を逃がすために囮になるような根性のある子なら、あいつの好みにストライクだろう。そう言う相手には相手が望まない限り被験体にはしないんだ」
「貴方がその事実に全く頓着してないのは分かったけど、カミングアウトにはもう少し配慮なさい。もしこの中でアウターに強い憎しみを抱いてる人がいたらトラブルになるでしょう。イオンちゃん、ケイちゃん2人とも平気?」
「アウターは怖いですけど……セオさんは怖くないです」
憎悪、嫌悪、恐怖。人を殺し、街を焼き、国を滅ぼし、星を壊していったアウターに良い感情などまともな人間では持てるはずがない。
彼の父は兵士として戦いの中で命を落とし、母もまた戦火に巻き込まれ兄妹を庇い亡くなっている。肉親を殺したアウターが憎くないはずがない、恐ろしくない訳がない。幼い妹が暗い道へ堕ちそうになっていた彼を止めたのだ。もちろん全く抱いていない訳ではない。恐怖も憎悪もある。しかしそれにすでに薄くなり、彼の行動をどうこうする事はない。
そしてセオは彼の話をまともに聞いてくれた大人なのだ。隙あらば他人の食料を奪い、まだ少女の妹を襲おうとする大人しかいない中にいた彼にそれがどれほどの救いだったか。不安を抱く彼に声を掛け、疲れを察してくれ、戦闘に巻き込まれた時も全力で守っていた。
当たり前の行動を当たり前のようにしてくれたセオを、彼は強く信頼しているのだ。
「私はアウターは人類の敵だと学習しましたが、セオが敵だと学習してません」
彼女の非常にらしい返答にゴアはメットの中で苦笑していた。
「……これが信頼関係によるものなのか、杓子定規なだけなのか判断出来ないけど、まあ問題ないのは分かったわ。と、言う訳でまあ凄いサプライズもあったけど、少しは落ち着いたでしょ?」
その言葉に頷いたケイタを見て、ゴアの鼻から満足そうな音が鳴る。
ケイタの息が整うまで待ち、行軍を再開。
しばらく走ると、開けた空間に出た。水路が幾つかに別れており、旅の岐路のようだった。天井にある地上と繋がっている金網の蓋から光が差し込んでいるが、照らすべきものなどここには何一つない。あるのはゴミとゴキブリや鼠の死骸、そして人骨。戦火を逃れるためにここで生活していた者達の成れの果て。死ぬ事が日常茶飯事のここでは誰も気に咎めず、誰も魂の救済を祈らない。ここで死んだ者はこの場所が復興されない限りずっとここに縛られる。
すぐ横には階段があるが、段数があり上は死角になっており何も見えない。しかし生体反応が1つあった。
「フローネ、ここの地図を」
『もう用意してあるわ』
「助かる。反対側にも階段があるな。ゴア、オレ達は反対側へ回る」
『分かったわ』
光学迷彩起動。足音を殺し反対側へ向かう。
「配置に着いた。行くぞ」
射線が被らない位置から階段をゆっくりと上る。接近に気付いていないアンノウンは動かない。視界を占めていた階段が終わり床が入り込む。もう一段上ると何かが見えた。更に一段上り、それが何なのかが分かり警戒を解く。そこにいたのは、床に座り込む少女だった。見え隠れしていたのは、彼女の頭部だったようだ。周囲を走査。火器の類はない。
光学迷彩解除。
突然自分を囲うように現れた鋼鉄の人型に少女が悲鳴を上げる。慌ててバイザーを上げ、自分が敵でない事を告げる。しかし彼女からすれば味方だと断定出来る材料は何一つなく、信用どころか逃げ出そうとしていた。
「アキラ!」
「兄貴?!」
通路まで悲鳴が聞こえていたのだろう、ケイタが彼女の名を叫びながら姿を現した。無事な姿に抑え切れなかったのか、転びそうになりながら彼女の元に駆け付けその体を折らんばかり強さで抱きしめた。
「よがっだよがっだ……無事だったんだな」
「兄貴こそ、ちゃんと、逃げて、助け、連れて来てくれたんだな」
涙も鼻水も拭わずに互いの無事をその身で確かめる2人。何の救いもないこの場所で、その光景は何よりも尊いものだった。
そしてその光景に堪え切れなくなった筋髪コンビが、感泣の声を上げながら2人を更に抱きしめた。鋼鉄の抱擁に驚き固まる兄妹を余所に、大の大人が雄叫びの如く叫んでいた。
「いやはや、感動的な場面だねぇ。年甲斐もなく涙が出て来ちゃったよ。いやー、やっぱりアキラ君をアウターにしなくてよかったよ」
コンマのレスポンス。ゴアとバートが素早く2人の前に立ち、20ミリを構える。
暗闇のはずなのに、その男は鮮明に見えていた。リアルタイムホログラム。
「メンス……」
「ん? その声聞いた覚えがあるぞ。確か兄の所にいた……あ! セオ君だね!」
「覚えてもらってるとは光栄だ『フローネ、追えるか?』」
『…………』
『フローネ?』
『何、これ……ナノセンコンドでルートが変わってる。ランダムな訳ないのに、アルゴリズムが全く分からない……」
周囲一帯に蜘蛛の巣のように張り巡らされたネットワークの全てを使用して信号は送信されていた。プログラムされた動きではない。もっと人為的、しかし人に可能な事ではない。
『……これAIの仕業よ』
A級である自分を易々と超えるAI。予想だにしなかった事態にフロネシスは動揺を露わにしていた。20ミリを調達していた事からメンスの背後に組織がある事は推測出来ていた。しかし厳しい規制法がある中で、現行のA級を超えるAIなど製造出来る訳がないのだ。隠し通して製造出など、並大抵の企業に出来る事ではない。
その事実にセオの胸中にも動揺が走る。
「実験に志願してくれた君達の事はよーく覚えているとも。顔を見せてくれないかな?」
まるで久しぶりにあった親戚のような気安さ。どんな気狂いかと想像していたゴアとバートは、あまりの普通っぷりに逆に恐ろしさを感じていた。
メンスの言葉にセオは素直に応じた。
「……老けたねぇ。最後に会ったのいつだっけ?」
「10年近く前だ。……何故今頃になって姿を現した?」
「僕はずっと活動してたよ?」
「今回のこれは杜撰過ぎる。途中のアウターも基になったのは軍人崩れのチンピラのはずだ。だからケイタ君を逃がし、この事態の露呈を早めた。いや、早めさせたのか? そもそもお前の性格なら、統一連合に感付かれる事もなかったはずだ」
セオの言葉を否定するでもなく、無視するでもなく、ただ笑っただけ。それは紛れもなく、肯定の意味。
「しかししかししかししかし、まだ時期尚早だ。まだ種明かしは早い。まだまだこれからだ。いろんな苦労が君達に降りかかるだろう。だがその過程もまた試練。君達が見事生き残る事を切に願っているよ。じゃあまたね」
メンスの後ろで投影機が自壊し映像が消える。最後まで笑顔のままだった。
喜びを分かち合っていた空間は、未知の恐怖への静寂に満ちていた。
あくまで気安げに、あくまで友好的にメンスの口から放たれた世界への宣戦布告。復興への道を歩み始めたばかりの、この傷だらけの世界で何を起こそうと言うのか。
「何をしようってのよ、あの男は……」
「分からない。あの兄弟は読み切れないんだ。誰にも憚る事なく、自分の価値観に正直に生きている。性質が悪いのは、それをやってのけてしまう能力を持っている事だ。……ともかく帰還だ。この事は我々だけで判断出来る事じゃない。今はこの兄妹が再会出来た事を素直に喜ぼうじゃないか」
*
「働き口を紹介してくれ?」
「お願いします!」
トレーラーへと戻り、AERASを脱いだセオにケイタが唾を飛ばしかねない勢いで言った。その勢いに驚きこそしたが、その内容に意外性は感じなかった。
スラム街で暮らす事など、常時綱渡りしているようなものだ。しかも妹を背負っての綱渡りだ。そんな1秒先にも破綻してしまいそうな生活から抜け出せるかもしれないのだ。ケイタは足に噛り付いてでも働き口を紹介してもらうつもりだった。
セオとしても後ろ盾のない孤児の惨状は知っている。どうにかしてあげたいとも思う。しかし彼には肝心の伝手がなかった。
「え?」
「働き口ですって?」
だから他の2人に尋ねた。少なくとも自分より交友関係が広い、と言うのがセオの見立てだった。特にルックス、コミュニケーション能力共に優れているバートならばいい伝手があるのではないか、と考えていた。
「まず2人が求める条件としては未成年可と住み込みよね。そうなるとチェーン店よりも個人経営みたいな所がいいわねぇ……」
「それでいて優し過ぎず厳し過ぎずの所がいいっすねぇ……」
腕を組み思案顔の2人。
「あ、私の行きつけのバーなら大丈夫かも。昼間もやってるし」
「……お、お願いします!」
自分の望んでいた返事を貰い、ここ数年で味わった事のない高揚感がケイタの胸を占める。しかしそうして興奮している自分とは裏腹に酷く冷静になっている部分もあった。
自分達だけが助かっていいのか、と。
だが彼はそれを自分の傲慢だと思い込んだ。助かるかもしれない者の傲慢。いくら心を痛めようと、他者に縋るしか出来ない自分に自分以外を助けられる訳がない。だから僅かに感じた痛みを心の奥底にしまい込んだ。
しかしその考えは傲慢であると同時に力のない優しさでもあった。その力のない優しさを、真の優しさに出来るかは、彼のこれからに期待するしかない。
「じゃあ早速面接準備に行きましょうか」
「今からですか?」
「善は急げ、よ。じゃあ私はこの子達の世話するから、報告よろしくねぇん」
ケイタと怒涛の展開に頭が追い付いていないアキラを脇に抱え走り去るゴア。警官に目撃されれば職質を通り越して逮捕されてもおかしくない光景だった。
「……あれで家まで行くつもりじゃないだろうな」
「姐さん、結構直情型ですからね」
バタン、と言う音に2人が振り返る。イオンが助手席のドアを閉じた音だった。相も変わらず周囲への興味が薄いようだった。顔を見合わせ肩を竦めた2人はそれぞれ自分達が乗って来たトレーラーに向かった。
運転席に乗り込んだセオは、イオンの表情から何かを考え込んでいる事に気付く。
「何を考えてる?」
エンジンを掛けながら問う。
「ケイタ・オーリックの行動についてです。何故あんな行動に出たのかと」
彼女の言う行動とは、アウターと遭遇した際の道案内の事だろう。何故あんな危険を冒したのか。答えは1つしかない。
「そりゃ家族だからだ」
「家族……ですか?」
トレーラーを旋回させアルカディア支部へと発進させる。程なくしてバリケードを撤去している職員が見えて来る。手を挙げ通り抜ける。
「家族ってのはコミュニティの一種だ。杓子定規な言い方をすれば血の繋がった者達の集団だな」
「血が繋がっているだけであんな行動に出られるんですか?」
「いや世の中にゃ家族を殺す、なんて事件がざらにある。オレが思う家族ってのは、どんな事をしでかしても見捨てられない相手の事だ。どんな非道な事をしても、どんな姿になっても生きていて欲しいと願う相手。逆にそう思えなくなったら、例え血が繋がっていようがもう家族じゃなくなる」
「……私には生きて欲しいと思う人も、死んで欲しいと思う人もいません。だからセオの言っている事が理解出来ません」
「お前はかなり特殊な例さ。これからそう言う相手を作っていくのさ」
「欲しいと思えません」
「それを気変わりさせるのがお前を助けたオレの義務だ。そしてお前には幸せを享受する義務がある」
この世界で幸福になる事は困難な事だ。だがそれでも幸福になろうとする歩みを止めてはいけない。それは即ち生きようとする意志なのだから。