伝説のドS
馬鹿な小説ですがどうぞよろしくお願いします。
コメディーやらシリアスやらの混ぜ合わせです。
嘘です。コメディーです。
僕の住む町、十字町には都市伝説のように語り継がれる人物がいる。
あるところで少年がいじめられていれば助けに出向き、あるところで酔っぱらいが暴れ回っていれば止めに行く。
その姿は正にヒーロー。十字町の救世主である。
正義の味方。神出鬼没。天下無双。その上、女性だというのだから、噂も急速に広まるというものだ。
噂には尾ひれが付いているのだろうけど、彼女が実在するというのは確かだ。
いくつもの目撃証言があるし、信用のおける友人からもそれは得られた。
腰まで伸びる長い長い白髪。見る者を恐怖のどん底に突き落とすきつい目元。返り血を隠すためのものなのか、真っ赤でド派手なジャージ。
どの証言も、彼女の特徴は一致している。
これだけ聞けば、どうも悪魔のようにも思えるけど、正義の味方には違いない。外見なんて、その人物の中身には全く関係がないのだし。
外見とは別に、彼女は多くのものをその内に秘めている。
まず彼女が持つのはジャスティスハート。熱く燃える正義の心。大きくはそれだろう。
だけど、僕にとって、そんな事はどうでも良い。
僕が求めるのは、彼女の強さだ。
聞けば、彼女は無敗だという。
そのパンチは相手を10メートル先へと吹っ飛ばし、相手の腹を蹴り上げれば頭上高く跳ね上げられるという。
なんという暴力。それ程素晴らしい暴力は彼女を置いて他にない。
柔道だとか空手だとか、そんなものを超越したところに彼女はいるのだ。
素晴らしいじゃないか。良いね、暴力。
ぜひ僕を思い切りぶん殴って頂きたい。
だって、僕はドMだから。
彼女に全力で殴ってもらえれば、これ以上の至福はない。
だから僕は彼女を捜すんだ。
どこの誰だか未だわからないけど、彼女はこの町のどこかにいる。
十字町はそう広くもない。噂を辿っていけば、きっと不可能ではないはずだ。
僕はきっと、彼女を見つけてみせる。
さて、息巻いてみた僕なのだけれど、彼女の所在に関する情報は思っていたよりも早く手に入った。名前、在学校名、その他諸々の個人情報を売りさばく情報屋なる人物が我が校にはいたのである。便利便利。
彼女の名前は、諸星狼子。川向こうの高校に通う十七歳。スリーサイズは推定79・58・80。身長166センチ。体重47キロ。倍額を支払う事で顔写真も入手できた。なかなか可愛い。殴られたい。
これでいつでも彼女に会いに行けるかと思いきや、一つ問題が生じた。彼女の活動範囲は十字町全域。主な活動時間は夕方五時から七時の間と非常に短く、高校もサボりがちであるという。となると、高校へ向かっても、顔を見られる保証はない。
ではどうするかという事なのだけど、彼女に会うための策は初めから用意してある。じゃあ情報を集める必要はなかったじゃないか、という突っ込みももっともだ。でも、物事には順序ってのがあるだろう。この作戦は最終手段なんだ。
つまり。彼女はこの町の救世主なんだから、僕が危険に晒されれば助けに来てくれるんじゃないかって魂胆。
この作戦の良いところは、僕自身が危険に身を投げる事で快感を感じられるのだというところ。まさに一石二鳥だ。素晴らしい。
というわけで、裏路地にたむろしていた不良女子集団に声をかけてみる事にした。少しでも諸星さんとの遭遇率を上げるため、場所は彼女の通う高校のすぐ近くである。時間帯も夕方の六時と、これまた諸星さんの行動時間ぴったり。
ちなみに、校門の前で彼女を待ち伏せしてみたけど、やっぱり会えなかった。だからこそ渋々この策を選んだわけなのだし。
こほん。咳払い一つ。
「やあ、そんなところに座り込んじゃって何してるのアバズレ共。その薄汚い制服をこれ以上汚してどうする気?」
適当に暴言を吐いてみると、すぐさま彼女らは立ち上がる。
「…………は? てめえ今、なんてった?」
「調子こいてる的な話じゃね?」
「クソチビが。一回死なねえとわかんねえのかな。わかんねえのかな」
十字町は時代錯誤な不良が大勢うろついているから本当に助かるな。
まぁ、だからこそ諸星さんみたいな人がいるわけなんだけど。
「言葉遣いも顔も歩き方も何から何まで気持ち悪い女の人たちだなあ。おえっ。僕、吐き気がしちゃうよ」
さらに神経を逆撫でしてみる。
「てんめぇ…………」
彼女らの頭から蒸気が噴出しているかのようだ。人を怒らせるのがこんなに簡単だなんて。ちょっと感動してしまう。
惜しむらくは、彼女らが少々ブサイクである事だ。僕だって男であるので、ブサイクに殴られても不快感を覚えるだけだ。このレベルなら、まあ、許せるか、というぐらい。諸星さんが現れるまでの辛抱である。
と、視界を暗闇が覆った。直後に体が揺さぶられ、顔面に激痛を感じる。
鼻柱を殴られたらしい。地面に倒れると同時に、少し遅れて快感が立ち上る。
おっと。それも束の間、胸倉を掴まれた。
その場に立たされ、再度殴られ、地に転がる。
あぁ気持ち良い。
「おいてめぇ…………なんだよその顔は。まだ余裕かましてんのか」
あぁ、顔に出ていたようだ。彼女の怒りが増幅した様子。
そんなつもりで笑ってるわけではないんだけど、勘違いしているのなら、それに越した事はないな。
僕の希望通り、彼女らは僕の腹を蹴ったり、頭を踏んだりなどしてくれる。
うーん、しかし、気持ち良いには気持ち良いけど、やっぱり物足りない。どうにもパワー不足だ。だからって男に殴られたいとは思わないけどね。僕は男に殴られて悦ぶような変態じゃない。ホモじゃないんだから。
一向に悲鳴を上げない僕に愛想を尽かしたのか、彼女らの表情から怒りが消える。
何だ、もう終わりなのか。
結局、諸星さんは現れなかったな。作戦は失敗である。快感を得るという、片方の目的は達成されてるから構わないんだけど。
不良娘三人組の立ち去る足音を聞きながら、しばらく僕は地面に身を預ける事にした。
私の名は諸星狼子。
光の国からやって来た正義の狼だ。嘘だ。
どうやら私はこの町の有名人になっちまってるらしい。
高校でも、『正義の狼』だの『十字町の救世主』だの『白髪の戦乙女』だのふざけた通り名で呼ばれる始末だ。
こうなった今じゃ、染めた白髪を戻す気はないし、律儀に高校に通う気もない。留年しない程度にほどほどに足を運べば良い。騒がれるのも面倒だし。
そもそも。
何で私がこんなに知られる事になっちまったのか、て話だ。
理由は、いくつも並べられるだろう。
町の不良連中をぶちのめしてるから。目立った服装をしているから。それをしているのが女子高生だから。
私としてみれば、至って普通の事なんだが、周りの奴らにとってはそれが奇異に見えるらしい。十字町内で、私の存在は一気に広まった。
というか。
正義の味方だの何だのと騒ぎ立てるのは良いが、そもそも私は、そんな殊勝な心がけを持ち合わせてはいない。
だって。
私はただのドSだから。
ほら、男をぶん殴るのって興奮するだろ? しかもああいう調子に乗った奴らだとなおさらだ。何もしてねー奴ボコボコにするのは気が引けるから、ああいう連中を選んでるだけの話。正義なんて知ったこっちゃないさ。
元々、悪人に見られたいがために、白髪に染めて真っ赤なジャージを羽織ったのに、結局は逆効果になっちまった。今更、元に戻したところで意味はないだろうから戻す気はないけど。
とにかく。
私は私の欲求を満たせてればそれで満足だ。他はどうだって構わない。
もっと殴りたいしもっと蹴りたいし、ありとあらゆる方法で人を傷つけたい。
ぶちのめす対象は男の方が好みだが、別に女相手でも我慢できる。
ただ一つの条件さえクリアしていれば、の話だけど。
今日も私は十字町をうろつき、馬鹿共を探す。
悪い子はいねーがー。
やってきました。
十字町の中心。駅前通りのコンビニ脇。そこの小道の先の裏路地。
この場所が私のお気に入り。不良の溜まり場になってて標的を見つけやすいから。
ただ、ここだけに来てると敵も寄り付かなくなるだろうから、ローテーションを組んで十字町中をぶらついてなきゃならない。人を殴るのにも神経を使う。めんどくせー。
お。ちょうど良いところに悪そうな顔した三人組が現れた。
「あのカス。口だけだったな。どんだけ殴ってやっても抵抗しねえ」
「マジ気持ち悪い的な。他の獲物探そうぜ」
「そうだな。そうだな」
ほほう。この口ぶりは、どうやら善良な市民に暴行を働いたようだな。それなら天罰を下す必要があるよなぁ?
地を駆け、三人の前に立つ。
「やあそこいく三人娘。いじめはいけないぞ。ちょーっと待ってくれるかな」
私を目にし、顔を歪ませる三人。
この町の学生で私の事を知らねえ奴はモグリだからな。その反応は当然のもの。
「おーおージャスティスババアじゃねえか。うちらに何の用だよ。特に迷惑はかけてねえはずだけど」
「ババア? おいババアってどういう意味だ」
「その白髪だよ。老けて見えるぜ。実際、結構年いってんのかもしんねえけど」
そこで仲良く汚い笑い声を上げる不良共。
よし、こいつら殺そう。殺害だ殺害。
今日も快楽の時間の始まりだ。
「ぐぬらあああああああああっ!!」
叫び声に乗せて不良娘Aの顔面に握り拳を届ける。
「ぐぶっ」
うは。気持ち良い! ぞくぞくする!
娘Aの体は数メートル程吹っ飛び、地面に転がる。ぴくりとも動かない。なーんだ一撃かよつまんねぇー。起き上がってくるのを何度も何度も蹂躙するのが楽しいのに。
おっと。
私の最強っぷりに気付いたらしい残る二人が、仲間を置いて逃走を計る。そうはさせないさ。
「ふっはー! メガウルトラ狼子キィイイイイイイック!」
片方の背中に跳び蹴りをかまし、その体をもう片方へと飛ばす。……うは。ナイスコントロール。二人仲良くもつれ倒れた。
その背中を踏みつけ一言。
「おい。私の事が気にくわないんなら何度だってかかってくるが良いさ。その度に私はお前らをボコボコにしてやる」
一丁前に鬼のような表情で私を見上げる不良娘だったが、何発か腹に蹴りを入れると観念したようだ、首を傾けその顔を隠した。
「はっはっは。一件落着!」
私が宣言すると、それに呼応するかのように、周囲から拍手と歓声が起こる。
うわ、写メは止めろ写メは。恥ずかしいだろ。こっちが顔を隠しても、ちっとも止める気ないし。
警察だの何だのうるさい連中が到着する前に、さっさと逃げるか。裏路地の方から抜けるとしよう。
そして。
小道へ入り、奥へ進む私の目に飛び込んできたのは、先程、不良娘三人組がシメたとかいうチビの姿だった。
おや、こちらへ誰かが近づいてきているようだ。不良娘達が物足りずに戻ってきたのかな? もしそうなら僕としては大喜びするところだけれど。
「そこのチビ。歩行の邪魔だから、ちょっとどいてくれると助かる」
初めて耳にする声だ。少なくとも僕の知り合いではない。その割に、妙に荒々しい口調である。さっきの三人でもないし、誰だろう。
顔を上げてみると、白いパンツと髪の毛が見えた。
「どかねーってんなら蹴り飛ばすぞ」
その顔。確かに僕の知り合いではない、が、僕はその顔を知っていた。というか、白い髪の毛。そんな物を有するのは、十字町では一人だけ。
「あの」
あ、まずいまずい。寝転んだまま話を進めるのは失礼だ。ひとまず体を起こし、彼女の正面に立つ。
「何だよ、私は忙しいんだ。用件があるならさっさとよろしく」
「あの、あなたは…………十字町の救世主、諸星狼子さんですよね!?」
僕の言葉を聞くと、彼女は小さく歯を噛み鳴らした後、呟いた。
「あぁ確かに私は諸星狼子という名だが。それがどうした」
聞いた。聞いたぞ僕は。
『確かに私は諸星狼子という名だが』。
言質は取ったぞ! 目の前にいるこの人が諸星狼子!
「ワンダホー! やった! では諸星さん、お願いがあります! 僕をあなたの奴隷にして下さい!」
「…………は?」
人間、本当に気が抜けると、こんな声が出るんだな。上ずった高音で、諸星さんは小さくそう口にした。
「うふふ。驚かれるのも無理はありませんね諸星さん。良いでしょうご説明しましょう。そう、何を隠そう僕はドMなんですよ。マゾヒスト中のマゾヒスト。わかりますよねマゾヒスト。殴られてこそ蹴られてこそ踏みつぶされてこそ僕は至高の喜びを感じるんです。見返りは一切必要としません。僕はこれより、あなたの奴隷としての人生を歩みます」
「……おい、ちょっと待てこら変態野郎。私がそれを了承するわけないだろ」
否定。まさかの否定。
「いえいえいえいえ諸星さん。何故ですか。得はあっても損はありません。ストレス解消の道具にでも僕をお使い下さい。日々、十字町のために力を振るって苛々も限界なのではありませんか」
予想していたよりもかなり荒々しい口調なのはそのためだろう。正義の味方がこんな言葉遣いをするはずがない。
「私は十字町のために何かをした覚えはないぞ。お前の勘違いだろ。人の気持ちを勝手に推測した気になってんじゃねー」
ん? おかしいな?
「ではどうして町の不良をボコボコに? それならそれで理由が知りたいんですけど」
諸星さんは視線をついと左に逸らし、
「私はドSだから。人を殴るのが大好きなんだ」
頬を僅かに赤らめた。
――――――こんなに都合の良い話ってあるものなのか。ドMとドS。悦楽の究極形態じゃないか。これ以上の状態を求めるのは人間には不可能、神にしか許されない禁断の所行だ。
「最高です。諸星さん。再度、お聞き下さい。よーく聞いて。はい。僕はドMです。もう一度。僕はドMです。怖い怖い不良なんて殴らなくても、こんなにちょうど良い所に僕という逸材が転がっているんですよ。もう、町を徘徊する必要なんてない。あなたに呼ばれさえすれば僕は馬車馬のようにすぐさま駆けつけます」
僕はその場に跪き、彼女に向かって右手を差し出した。
ふふふ。決まった。今日、僕はここに奴隷の誓いをたてるんだ。
――――がしかし、一向にその手に触れるものがない。
ふと諸星さんの顔を見ようと頭を持ち上げると、彼女の目は冷徹に光り輝いていた。
え、どういう事さこれ。
「おいお前、名前」
ああ何だ。いつになっても僕が名乗らないから苛々してたのか、何だそんな事。
「山田八乃助と申します。どうぞ山田とでも八乃助とでも奴隷とでも何とでもお好きなようにお呼び下さい」
「山田こら。ドSを舐めてるだろお前」
え?
「ドSはな! ドM殴ったって面白くも何ともないんだよ! ドSはドSを殴ってこそだろうがこのカスが!」
おふ! 素晴らしい罵倒をありがとうございます! ありがたく頂戴します!
…………いや、でも結果的には断られてる。快感に身を任せてる場合じゃない。
「あの、諸星さん。そんな事言わずに」
「ドMなんて殴ったって悦ぶだけなんだろ!? ああちくしょう! それのどこが楽しいんだ! 私が欲するのは蹂躙から逃れようとする悲鳴と泣き顔なんだよ! とっととどっかへ消えちまえドM野郎!」
聞く耳持たず。
愕然とする。
何だ、本当に、彼女は僕を殴ってはくれないのか。ただの、僕の、骨折り損のくたびれ儲け。
「せめてもの慈悲だよ、どけ!」
彼女の鋭い蹴りが僕の腹に刺さる。ビルの外壁へと吹っ飛ぶ僕。
「あ、ありがとうございまぁあああす!!」
「ち。気持ち悪いだけで、ちっとも快感が押し寄せねー」
そう言葉を残し、彼女は曲がり角の先へと消えていった。
オー、カムバック諸星狼子。
コンティニュー僕プリーズプリーズ。
諦めきれず、僕は諸星さんを尾行してみた。
結果、自宅が判明。平凡な一軒家だった。なかなか裕福な家庭に彼女は生まれたようである。正義の使者などではないと判明した今、どうして彼女がああまでグレてしまったのかは疑問に思う限りだ。
さて、自宅がわかれば、こっちのもの。
朝、彼女が家を出る瞬間に待ち伏せるのである。そのまま一日中彼女に付きまとい、拝み倒せば、ゆくゆくは彼女も僕を召し使えてくれるだろう。ちょろいね。
思い立ったが吉日。現在、諸星宅前。
ふぅ、冬の朝は寒いな。これも諸星さんから課せられた刑罰かと考えれば、すごく心震えるけど。
腕時計を見ると、すでに九時。彼女の通う高校では一限目も始まっているだろう。三時間前からここで待っているのだけど、彼女はいまだ現れない。
今日は外出の予定がないのだろうか。もう一時間待って現れなければ、今日のところは諦めて他の場所へ移ろう。僕がここに来るよりも前に、駅前の方へ行ってしまったという可能性も残っている。
「…………お前、何してんの」
噂をすれば、影!
声の主は間違いなく諸星さんだ。振り返りそれを確認、僕は彼女の言葉への返答を口にした。
「貴女を待っていたのです諸星さん。僕を奴隷にして下さい」
口を大きく開き、諸星さんは顔に右手をやる。
「あのさー、山田ー。ストーカーだぞこれ。それに学校はどうしたんだよ。お前は中学生じゃないの? それともその背丈で高校生?」
「中学生です僕。今日は当然ブッチですよ。でも聞くところによると、諸星さんもサボりがちのようじゃないですか。人の事言えませんよ。あ、すいません。もしかして『諸星さん』って呼び方が気に入らないとか、じゃあ『諸星様』に変えた方が……もしくは『狼子様』ですか」
「あー、うっるさいな。じゃあ、今日は私も真面目に高校に行くから。お前も中学に行くんだぞ。それで良いな」
「え。良くないです」
「おいそれはどういう道理だよ!」
声を荒げる諸星さん。どうせならもっと汚い言葉で僕をなじって欲しい。
「うーん……だって諸星さん。もう高校では授業始まってますよ。今更行かれても真面目だとはとてもとても」
右手を小さく横に振る。
頭が痛い、と諸星さんは呟き、僕に背を向けた。
「あ、ちょっとちょっと、どこ行くんですか!」
「駅前だよ。今日も不良いじめに興じなきゃならないから」
「んー! んー! んー!」
顔を指さし主張する僕を無視し、諸星さんはさらに歩を進める。
どうやら一筋縄にはいかなさそうだ。
けれど、彼女が折れてくれるまで僕は諦めない。何日間でも地獄の果てまでもつきまとってやる。
十字町は、十字駅前を中心として円状に発展する都市である。
円状といっても、十字駅より北は全て海になっているため、半円状に発展する、と言ってしまった方が正しいのかもしれない。
町の名の元となった十字川を境に、北と南、二つに分断されており、駅はその北側の地区に位置している。結果、川の北側と南側とでは、雰囲気ががらりと変わっており、北は商業都市、南は田園地帯といった様子だ。
僕の中学はそんな田園地帯のド真ん中に、諸星さんの高校は駅から徒歩十分の所に立地している。僕と諸星さんそれぞれの自宅も位置関係はほぼ同じ。大きな社会格差を感じてならない。
ビルの建ち並ぶ十字駅前は、僕の通う中学とは比べ物にならない程のスケールだ。中学では、川向こうに行った事のある奴だけが真の十字町民、それ以外はただのゴミとまで言われている。
諸星さんは、そんな川向こうの人気者だった。一緒に町を歩くとそれを実感する。
若者は皆、彼女を目にすると決まって声を上げ、携帯電話を取り出し、その姿を撮影する。『十字町の救世主』に関する噂を知らない大人も、ひとたび彼女を見てしまうと気になって仕方のない様子だ。特徴的な白髪や赤ジャージを抜きにしても、整った顔立ちを持つ彼女である。目立つのも無理はない。
しかし、当の本人は写真を撮られるのが嫌なようで、右手で顔を隠している。
「諸星さん。そんなに嫌がらなくても。みんな諸星さんの事が好きなんですよ」
「ち。好きかどうかなんてわかったもんじゃねー。噂の大元が見れたから、記念に撮っとこうってだけだろ。大体、私は写真が嫌いなんだよ。肖像権って言葉知らないのか山田」
「一応、知ってますけど。だったらその目立つ髪の色とか服装とか、変えれば良いんじゃないですか」
「私は私だ。他人に影響されて変わったりなんかしないさ。あー、たく。お前ももう付いてくるなよ」
「え、嫌ですよ」
諸星さんは不満そうな表情を浮かべると、交差点を右に曲がった。あちらは確か例の裏路地へと繋がっているはず。
どうやら彼女は人通りを避けて歩きたいらしい。
僕も後に続き、裏路地へと入る。
そこでは、昨日会ったばかりの不良娘三人組が、今日もまた同じ場所で煙草をすぱすぱと吹かせていた。
ただ、昨日と違うのは、さらに不良男子が二人追加されている事。
「おっやおやー。懲りもせずに今日も来てんのかー。いやー、未成年の癖に煙草ふかしてるような奴らはこの私が制裁を加えてやんなきゃだよなー」
僕と話をする時とは打って変わって、諸星さんはとても楽しそうな口調だ。成る程、確かにドSなんだろう。僕が誰かに殴ってもらってる時と同じ顔をしている。
「はははババア。そっちこそ、昨日とおんなじようになると思うなよ。おら、今日はこいつらがいるんだ。五対一ならさすがのてめえでも勝てるはずがねえだろ」
「余裕的な? ボコボコじゃね」
「まぁ、死んどけ、大人しく死んどけ」
彼女らの言葉に呼応するように、不良男子二人は煙草を地面に投げ捨て、口元に笑みを浮かべた。なんかこの人達、三人娘の召還獣みたいだ。もしくはペット。
「はいポイ捨てポイ捨て。いーけないんだ。罪状に追加だぞクズ共」
挑発する諸星さんは実に楽しそうだ。
しかし、その言葉に逆上した召還獣たちが、拳を握りしめこちらへ駆けてきた。
諸星さんも同じく拳を握りしめ、大きく振りかぶる。
不良男子Aが諸星さんまで残り1メートルという距離まで近づいた時、だん、と彼女は地面を右足で踏みしめ、拳を突き出した。
「おら吹っ飛べー!!」
拳は不良男子Aの顔面に直撃し、その哀れな体躯は棒きれのように転がっていく。
不良男子Aの体はBの右足に当たり、Bもまたその場に転倒した。
諸星さんはBの背中を蹴飛ばすと、二人の体を並列に並べ、その上に直立した。片足ずつ二人の体に乗せている。勝利の証のつもりだろう。僕とあの不良男子の立場を入れ替えて欲しい。
「そっちの三人、早くかかってこいよ」
諸星さんがそう挑発するが、彼女らはその場に留まったまま、硬直状態が続く。そりゃそうだ。目の前で自分の召還獣がボコボコにされれば、尻込みもする。
やがて、うぅ、と、諸星さんの足下から呻き声が聞こえてきた。不良男子A&Bが復活したらしい。
「お。いーね。男はこれだから好きだ。根性がある。何度だって相手するよ私は」
Aの方が諸星さんの足を掴もうと左手をそり上げるが、彼女が直前で体の上から飛び降りたため、空振りに終わる。
体が解放されたA&Bはよろよろと立ち上がり、こちらを強く睨んだ。
「あぁ最高だ。最高だよ。なあ山田。あの顔を今から苦痛に歪ませられるかと思うと心高鳴るよなぁ?」
「え、いやぁどうでしょう。僕、Mなのでわかりません」
「駄目だなMは」
そう言葉を紡ぎ、襲い来る不良男子をボコボコと殴り飛ばす。
「ひゃっはっはー!」
懲りずに二人はこちらへと向かってくるが、その度に諸星さんの手によって弾き返される。いい加減諦めたらどうなのだろう。
諸星さんも、どうせ殴るのなら殴られたくない人より殴られたい人を殴るべきだと思う。隣に僕がいるんだしさ。
あ。Bの方、ちょっと涙ぐんでる。
「あーらあら。泣いちゃったなー。かわいそーによーちよちプラチナ狼子パンチ!」
涙ぐんだその顔を諸星さんの拳が貫く。この上なく気持ちよさそうだ。
しかし、さすがにBの体も限界を迎えたようで、その場に倒れて動かなくなってしまった。
それを目にし、不良男子A、それに三人娘は慌てて後ずさる。
「ぐ、て、てめえ…………覚えてやがれ白髪ババア!」
漫画のような捨て台詞を残し、四人は路地の奥へと消えていった。後に残されるは不良男子B。せめてこれは拾っていったらどうなのだろう。
「あぁあああーすっきりした! よし、警官が来る前にずらかるぞ山田」
「まるっきり悪役の台詞ですね」
「そりゃそうだ。喧嘩してたわけだしさ。私は正義の味方じゃないんだから」
「うーん、そうですか? 諸星さん、割と正義の味方してると思うんですけど」
今日はただの喫煙を止めただけだから例外として、普段はいじめられてる学生とか助けてるらしいし。
僕の言葉に、諸星さんはため息をつく。
「あのなー山田。よく聞け。昨日も言っただろ? 私は、ただ、自分の快楽のために殴り飛ばしてるだけなの。外からどれだけ正義の味方に見えたとしても、それはただの偽善だから。ただのドSなの私」
「いや、偽善って言いますけど、偽善も善の内でしょう。心の中でどう思ってようと、別に大して変わらないんじゃないですか」
「う、お、そうなのか。面白い事言うな山田は」
「まぁでも、危険は冒さないに越した事はないですからね。不良なんかよりも僕を殴って下さいよ僕を」
諸星さんは僕の言葉を聞くと、顔を伏せた。
白髪を振るわせている。
「こんのくそドM野郎…………ぜったい殴ってやんねー」
そうして彼女は髪を振り乱し、身を翻すと足早にすたすたと歩き出した。
うーん、これだけ断られるという事は、どうやらストレートに頼むのは駄目らしい。外堀からちょっとずつ攻めていくしかないか。
ま、長い闘いになるだろうな。うふふ。それこそ、持久戦はドMにとって望む所だ。快感以外の何物でもない。
ドSの諸星さんにとって持久戦は苦手分野なはず。この勝負、負けるはずがない。
私、諸星狼子はドSだ。
だから人を殴る。
目的は自分の快楽だけ。人からどれだけ褒められたって持ち上げられたって私はただのドSでしかない。
正義なんて言われて舞い上がってるわけじゃない。
だからって、見せかけだけの正義に釣られた連中を滑稽に思ったりもしてない。
ただただ。
私は、心が痛む。
だってそうだろ。助けるつもりなんかさらさらなかったのにいじめられてた奴らからは礼を言われ、その面をぶん殴りたいとさえ思っちまってるんだ私は。
どこが正義だよ。悪だよ悪。悪だよこれ。
行為は正義かもしれないが、内情まで照らし合わせるとただの悪だ。
そんで、根っからの悪ではないらしい私は、そんな自分に心が痛む。
全く。
私は快楽を満たしたいだけだってのに。
この山田とかいうチビを殴ったところでそれは叶わない。
だから私は結局、悪の象徴である不良を殴るしかないんだ。
そこらへん歩いてる奴殴るような図太い心持ってもいないし、大体、そんな事をすれば交番へ連れていかれちまう。
親孝行をするつもりはないが、せめて高校ぐらいは卒業しときたい。
こんな性癖持ってると、まともに社会人やれる気もしないしな。
これまでの人生もそれなりに下手くそだったし。
子供の頃は、身近な友達を殴りつけちまった事もある。当然、段々と友達は減っていった。不良を殴るのが一番だと気付いたのは中学に入ってからだった。転機は転機。友達がいないのは変わらなかったが、周りの評判は『よくわからない不良娘』から『十字町の救世主』へと逆転した。
元々、小学生時代に空手で鍛えていたのもあったが、あれから数年、随分と喧嘩も強くなっちまった。
――――――ついでに、欲望も加速したけど。
最悪の成長を遂げたってわけだ。
心の痛みも、強まっていく。
つまり。
「あのなー山田。よく聞け。昨日も言っただろ? 私は、ただ、自分の快楽のために殴り飛ばしてるだけなの。外からどれだけ正義の味方に見えたとしても、それはただの偽善だから。ただのドSなの私」
こう言うのには、それなりの理由があるんだよ山田。
お前を追い払うために思いつきで喋ってるわけじゃない。
「いや、偽善って言いますけど、偽善も善の内でしょう。心の中でどう思ってようと、別に大して変わらないんじゃないですか」
だが。
山田の野郎はそんな言葉を口にした。
偽善も善の内って。ふざけた事を言うなよ山田。私の性癖わかってる癖に。
――――でもなんか、おかしい。どくんと心臓が揺れた。
どういう事だ。顔の方へと血が上ってくるのを感じる。
ひとまず、山田に背を向け咄嗟に顔を隠した。
うわー、なんだこれ。感動? 感動してるのかこれ。
悔しい。
山田が適当に言った台詞なんかに。どう考えても真剣な気持ちで言った言葉じゃないってのに。
そういえばこいつ、ドMのくせして、悩みなんて全くなさそうな顔してるよな。私とは真逆だが、すごく似た存在のはずなのに。
あぁもう。
でも私は、そんな奴の言葉にこそ影響されちまう。のかも。
そんなこんなで、ボクが諸星さんと出会ってから二週間が過ぎた。
僕は彼女について回るだけで、相変わらずというか、諸星さんの日常は何も変わっていない。朝、駅前へ出掛け不良を叩きのめすと、そのまま町内をぶらつき、ふらふらと家へ戻る。そして、三日に一度は必ず高校へ行く。出席日数が足りなくならないため、らしい。すでにアウトな気もするけど。彼女にとっては、高卒という経歴すら必要ないのかもしれない。
最近では、『お付きの山田』なんていう通り名が僕に付けられていた。諸星さんが事ある毎に「山田、山田」と呼ぶので、周囲の人間に名前を覚えられてしまったのだろう。
『十字町の救世主』と『お付きの山田』。コントみたいだ。
「おーい山田ー。飯行くぞー」
おっと、お呼びがかかった。もうそんな時間か。学校帰りの寄り道をする生徒達もすっかり姿を消し、空にはうっすらと月が見えていた。
「はいはい諸星さん。今日はどこへ?」
「そうだな。たまには南にでも行くか。山田、一軒ぐらいうまい店知ってるだろ」
ここでいう“南”とは川を隔てた南側、つまり僕の家のある田園地帯の事だ。
「えーっと、とんこつがメインのラーメン屋なんですけど、そこで構いませんか」
「あぁ、じゃ、そこで」
決まりだ。
件のラーメン屋は自宅から徒歩十五分程度の所にある。ちょうど中学との中間地点だ。ミニサイズのラーメンを安価で提供している事もあり、おやつ代わりにちょうど良いためよく食べて帰っている。
――――――と、そういえば財布を家に忘れてきたんだった。僕らしくもない。今日は珍しく中学へ行ってから諸星さんと合流したので、いつもより早く起きる必要があったんだ。中学へ行かない日は八時起きだし。
諸星さんには、あまり中学へ通っていない事を咎められているけど、同じく本人も高校へ通っていないので説得力が感じられない。
「すいません諸星さん。財布を家に置いてきたので僕は一旦取りに戻ります」
「あぁ? 私はどうすれば良いんだよ。南の事なんてわからないぞ」
「ラーメン屋への道を少しだけ離れた所にあるので、僕の家。すぐに戻れます」
「仕方ないな。じゃあ近くなったら言えよ」
まだ川の北側だし、もうしばらくは道を案内していれば良い。
――――そういえば、僕が先導して歩くのなんて、これが初めてだな。
うーん、ドMの僕としては、あまり居心地の良い位置じゃないな。そわそわする。やっぱり僕は人の後ろを犬のように付いていく方がしっくりくるね。
いつものように母親から罵倒され家を出た僕を待ち受けていたのは、後頭部で長い金髪を縛った不良娘だった。背後には何人もの手下を従えている。見ない顔だ。
場所は、家を出た先のT字路を曲がったところ。諸星さんとの合流地点にはまだ遠い。
「よぉ『お付きの山田』っつったっけねぇ。ちょっときてもらうよ」
ん、その名前で呼ばれるという事は諸星さん絡みかな。
きてくれと言われれば、そりゃあ付いていくさ。だって、どう考えてもリンチフラグだしこれ。諸星さんに付きまとうようになってから、随分とご無沙汰だ。
なにより僕にとって嬉しいのは、金髪娘がなかなか綺麗な顔をしている事だ。やっぱりこういう人に苛められるのが一番だよね。ドMに生まれて良かったな僕。
「えぇ、喜んで。あ、諸星さんにはこの事伝えた方が良いのかな?」
「…………ん?」
「いやいや。だって諸星さん僕の事待ってるはずだし。黙っていなくなるのは彼女に悪いよね」
「何言ってんだよあんたは。あんたは諸星狼子相手の人質なんだよ。そこら辺わかってんのかね」
人質? 僕が? ははん、さては『お付きの山田』なんて呼ばれてるものだから、僕と諸星さんが信頼し合ってるとでも勘違いしてるんだな。
「やー。悪いんですけど、僕は人質にはなりえませんよ。諸星さんにとって僕は単なるお邪魔キャラだから」
「ははは、何を馬鹿な。ま、その辺りはやってみりゃわかるんじゃないのかい。とりあえず、とっととこっちへ来るが良いさ」
むんずと腕を乱暴に掴まれ、手下の肩に担がれる。
どこにもバイク等見当たらないし、どうやら徒歩での移動らしい。なんとも昔ながらの不良の皆さんだな。
この金髪のお嬢さん、スカジャンの下にサラシなんて巻いちゃってるし。もしかしてヨーヨーとか取り出したりするんじゃなかろうか。
「ねえ金髪さん」
「なんだよ。あたしには銀島乱子って名前があんだよ」
「銀島さん。このまま徒歩でどこまで向かうんですか?」
「北の廃工場までさ」
予想以上に遠い。おそらくどこの事を言っているのかは見当がつくけど、ここから十キロ以上はゆうに離れてるはずだ。
「あの、何でバイクとか使わないんですか」
「あたしが免許を持ってないからさ。まだ十五だからね。来年までの辛抱さ」
え、何で変なとこで常識あるんだろうこの人。確かに犯罪はいけないけど、まずはその服装を直そうよ。……うーん、そう考えると諸星さんと似てるな。
「ま、精々いきがっておくと良いさ。あっちに着いたら覚悟してなよあんた。ふふふふふ」
悪役らしいにやついた笑みを浮かべる銀島さん。
あぁ! 僕はこれからどんなひどい目にあわされるんだろう! わくわく!
工場跡地はなかなか風情があって面白い場所だった。
リサイクルのため金属の加工をしていたのだろう、あちらこちらに不燃ゴミの山が積み上がっている。どれもこれも、年季が入ってボロボロになった物ばかりだ。ゴミの状態になってから相当の時間が経っているのだとわかる。僕が小学生の頃から、この辺りの工場群は活動してなかったような気がする。数年もの間、これらのゴミはここに放置され続けているのだろう。
それに目をつけた銀島さんが、それいけやれいけとチームのアジトに作り替えてしまったわけか。
ゴミ以外の物に目を向けると、漫画本の束や空き缶など、生活をしている様子が見て取れる。
何はともあれ。
「さて、銀島さん。それでは僕をひどい目にあわせてください」
「ん? また何を言ってんだあんたは。それじゃ人質にならないだろうよ。諸星狼子をおびき寄せて、奴があたしらに楯突くようなら、まあ、ひどい目に遭ってもらうとするけどねぇ」
「話が違う! 帰らせてもらいます!」
あれだけ拷問を臭わせた発言をしておいて! 覚えてないとは言わせない!
「おっとそうはいかないさ」
銀島さんが合図すると、背後の部下が僕の腕を担ぎ上げ、荒縄で縛り上げた。ちくちくと縄が腕に食い込んで気持ちいい。
「…………ふん。まぁ、それならそれで別に問題ないですよ。どうせ諸星さんは僕を助けないし。嬉々として攻撃の姿勢に入ると思いますよ」
「さぁて、それはどうかね。今、あたしの仲間が諸星狼子を呼びに向かったからね。もう少しすればわかる事だ。大人しく待ってな」
む。全てを理解してるような口調が癇にさわるな。
「銀島さん。どうして僕が人質として成立すると思うんです? 僕からすれば、諸星さんはそんな人に見えません」
「……あたしはね、かわいい仲間があいつにやられて、散々あいつの事を調べたんだよ。そのあたしからみて、あんたは人質に成りえると判断したんだ。ごちゃごちゃ言ってんじゃないよ」
「仲間?」
「あんたもその場にいたんだろ? 駅前の裏路地で煙草を吸ってた三人組だよ」
あぁ、例の不良三人娘。この人、あの三人のボスなのか。道理で似たような古臭さだと思った。さすがボスだけあってレベルアップはしてるけど。
「えっと銀島さん。こっちはご存じでないかと思うんですけど、僕ドMなんです。諸星さんもそれを知ってるから、本当に意味ないですよ」
「は。諸星狼子を守るため、またそんな嘘を。泣かせるね」
信じてもらえない。
まぁ、銀島さんの言う通り、諸星さんが到着するまで待ってれば良いだけの事か。
荒縄の痛みに集中してゆっくり待ってるとしようかな。
しばらくして、諸星さんが例の三人組に連れられてやって来た。
苦い顔をしており、どうやら不甲斐なく捕まってしまった僕に苛立っているようだ。
「おい山田ぁ。何捕まってんだよ。面倒くせーな」
やっぱり。
「すいません。じゃあどうぞ。ここにいる全員をボコボコにしちゃってください諸星さん。なんなら僕も巻き込んでくれて構わないんですよ」
むしろ、巻き込んでくれた方がありがたい。ようやく諸星さんに快感を与えてもらえるのだ。
「ちょっと待った“お付きの山田”。主人を想うのは結構だが――――――おい、諸星狼子よ。それをやれば、こいつがどんな目にあうか、わかってるんだろうな?」
「…………ち」
ん? 舌打ち?
いつもの諸星さんなら、銀島さんの言葉になんて従わず、すぐさま奇声を上げながら彼女を殴りつけているところなのに。
「あの、諸星さん? 知ってますよね? 僕ドMですよ? むしろ諸星さんが抵抗してくれれば殴られるのですごく嬉しいんです」
「“お付きの山田”。泣かせるね。嘘はもう良いんだよ。作戦はもう成功してるんだから」
いやいやちょっと待てちょっと待て。
何で諸星さんはじっと黙って突っ立ってるんだ。彼女が暴れてくれれば万々歳じゃないか。僕も諸星さんもハッピー。二人の快感が満たされるっていうのに。
「諸星狼子。部下想いのあんたと主人想いの山田に免じて、四発で勘弁してやるよ。おい、お前ら。一人一発ずつ殴りな」
「えぇわかりました乱子さん。へへ、二回分の恨みだ。喰らいな」
振りかぶる不良娘A。
ちょっとちょっと諸星さん。
結局、その場を動かなかった諸星さんの頬に、不良娘Aの拳が叩き込まれた。
「諸星さん!」
「黙ってろ山田」
諸星さんの頬は徐々に赤くなっていき、鼻の穴から僅かに血が垂れてきた。
何でだ諸星さん。意味がないよこんなのは。
「精々痛がると良い的な。おらぁ!」
二発目。
不良娘Bの拳が反対側の頬に当たる。
少し、諸星さんの足下がふらついた。
「正義のためだとか、そういうのは良いんですよ! 正義のためにやってるわけじゃないって前に言ってたじゃないですか! もしそういうつもりなんだとしたら、何でこんな時だけ自分の快感に走ろうとしないんですか!」
「違うんだよ山田。そうじゃない」
「だったら何でですか」
諸星さんは、僕の言葉に答えない。
「くらえよくらえ諸星狼子」
三発目。
不良娘Cの拳によって、ついに諸星さんの体はバランスを崩したのかぐらりと揺れる。その場に倒れる一歩手前で、地に右手をつき、なんとか踏みとどまった。
そんな諸星さんの姿を目にして、僕の胸に、徐々に何かが湧き上がってきていた。
「さ、最後はあたしだよ諸星狼子。くらっときな」
「銀島さん」
「あぁ、あんたはもう用済みだ。とっとと家に帰りな」
その言葉を耳にし、ようやく僕は立ち上がった。
縛られているのは両手だけだ。口はいくらでも動かせる。
だから、僕は――――――――。
山田が捕まったとかいう阿呆な話を聞かされた。
どっかで見た三人組が私にそう声をかけてきたのだ。『お付きの山田』を捕まえたから奴を守りたいならついてこい、だと。
こいつらの話を信じるわけではないが、確かに遅いな山田。二十分も掛からないとか言っておきながら、もうあれから半時は経過している。三倍だ。
一時間も道路で突っ立っててちょうど暇を持て余してたところだし、もしその話が本当だったらここで待っている意味もないし、とりあえず付いていくか。
嫌みたらしい笑みでこちらを挑発してくる三人をシカトし、歩く事数十分、私は川の北側へ戻ってきていた。
場所は私が小学生の頃に潰れた廃工場跡である。なんだ、不良の溜まり場になっちまってたのか。
中へ入ると、数名の不良共と、その中心には見知った顔。
両手を背中で縛られた山田の姿を目にした瞬間、何故か、胸に動悸が走った。
「…………おい山田ぁ。何捕まってんだよ。面倒くせーな」
なんとか口を動かし、言葉を捻り出す。
「すいません。じゃあどうぞ。ここにいる全員をボコボコにしちゃってください諸星さん。なんなら僕も巻き込んでくれて構わないんですよ」
山田の声が聞こえる。
確かに、こいつの言う通りだ。どうやらこいつらは山田を人質に私をぶちのめそうという魂胆らしいが、山田はドM。人質の役割を果たさない。
だが、どうして。
拳が動かない。
「…………ち」
無理だ。暴れられない。
何故なら、私がこいつらを殴ればそれに比例して山田も殴られるから。
だが、山田が殴られたところで何の問題もないはず。
ドSな私もドMな山田も得をするはずだ。
なのに。
「諸星狼子。部下想いのあんたと主人想いの山田に免じて、四発で勘弁してやるよ。おい、お前ら。一人一発ずつ殴りな」
そんな言葉を聞いても、一向に私の体は動こうとしない。
ぶん殴れば良いだろうが、こんな奴ら。どいつもこいつも一発でノックダウンだ。
動け拳。動けよ、何でだよ。おかしいだろ。意味がわからない。
突然、頭が揺さぶられた。
右頬に衝撃を感じた。どうやら殴られたらしい。久しぶりの感触だ。近頃じゃ、喧嘩は負け無しだったからな。殴られた事すらそうそうない。
さっきの不良娘が恍惚の笑みを浮かべて立っていた。何だ、お前もSなのかよ。まぁ不良になる奴なんて大概Sか。Mの不良なんて聞いた事ない。
「諸星さん!」
「黙ってろ山田」
山田の声を聞き、無意識の内にそう口に出していた。
なるほど…………無理らしいな。もう、こいつらに抵抗するのは不可能らしい。私が私自身でそう決めちまってるんだな。
あーあー、だったら、仕方がない。せめてもの意地だ。雑魚の攻撃になんざ、耐えきってやる。絶対に倒れてなんかやらない。
私は、垂れた鼻血をジャージの袖で拭いそう決意した。
「精々痛がると良い的な。おらぁ!」
今度は左側の頬を殴られる。一発目のダメージが残ってるようだな。少し足下がふらついた。が、まだ大丈夫だ。
「正義のためだとか、そういうのは良いんですよ! 正義のためにやってるわけじゃないって前に言ってたじゃないですか! もしそういうつもりなんだとしたら、何でこんな時だけ自分の快感に走ろうとしないんですか!」
偽善は善の内。そう口にした男が何を言う。ま、ともかく、そんな事は今、一切関係していない。
「違うんだよ山田。そうじゃない」
「だったら何でですか……」
答えられない。答えがわからないから、答えられない。
そんな理由、私が知るか。
ただ、山田が殴られないように踏ん張ってんだよ私は。
「くらえよくらえ諸星狼子」
三発目を、右頬にくらう。
衝撃が今までとは段違いだ。単純にパワーのせいもあるだろうが、私が割とダメージを引きずってるってのが大きな理由だろう。
一瞬、意識が飛び、体が前のめりに倒れそうになる。
はっと気づき、左足で地を踏みしめ右掌をつき、なんとか転倒だけは免れた。
舌べろが苦い。鉄分の味だ。さすがにこれだけ殴られれば口の中も切れるか。口内炎が後々辛いな。
と、山田が立ち上がっている。何だ。黙ってろって言ったのに。
「諸星さん」
なんだよ。
「僕は失望しました」
…………あ?
「もっと貴方は頭の良い人だと思っていた。自分がドSなんだから、逆にドMの性質も理解できているものと思っていたんですよ。で、それがこの結果ですか。どういう事です。何故、自分の快感を犠牲にしてまで僕の快感を奪おうとするんです。もしかして僕に恨みでもあるんですか。こんなものは偽善ですらありません」
おい。
何を言ってんだこいつは。
「あぁ、もう、とにかく失望です。それ以外にこの感情を説明できる言葉はありません。もうお会いする事はないでしょう諸星狼子さん。ではさようなら」
そのまま、私の隣を通り過ぎていく山田。
―――――――どうなってんだよ。
私を殴りつけた三人も、そのボスだとかいう銀島も、ぽかんと口を開けて山田の後ろ姿を見送っている。
私がいけないのかよ。
確かに、普段の私ならこうはならなかったさ。
何で私がこんな行動を取っちまったのか、私自身も理解できてない。
だが、しかしだ。
正義がどうとか言うつもりはないが、もし仮に正義が存在するんならこれこそが正義だろう。何で、何でそこまで私に辛くあたるんだ。
山田がドMだとか、私がドSだとか、関係ないだろ。
私は山田を守りたかっただけだってのに。何で、お前は私から逃げるんだよ。
長く、忘れていた感覚。
ほろりと右目から水滴が流れた。
ぉお、泣いているのか私は。何で。どうして。
「あー、なんというか、お気の毒にね諸星狼子。あたしらはもうあんたからは手を引いてやるよ」
銀島の手が肩に触れる。突然、掌を返しやがって、ふざけた女だ。
それを振り払い、気力を振り絞って私は口を開く。
「…………おい、何がどうなってるんだ。どうして私はお前らの攻撃を黙って受けた。何で山田は私にあんな言葉を吐いたんだ」
銀島は目を丸くする。
まるで私が不思議な事を言っているかのようだ。
「ふん。“お付きの山田”の方は何が何やらあたしにも見当がつかないが、あんたの方に関しちゃ、決まりきってるじゃないか」
そして、ふざけた女はさらに言葉を続ける。
目線は上空を指し、唇の端には笑みを浮かべつつ、
「愛だろ、愛」
はるか昔に使われた、某アルコール飲料のキャッチコピーを口にした。
私は銀島を問い詰め――――中略――――銀島は私の友人となった。
頭が混乱したままの私に、山田との関係について色々と指南してくれると約束したのだ。
聞けば、こいつはまだ十五才だという。私よりも年下だ。そんな奴に教えを請うとは私も落ちたもんだ、とふと思いはしたが、よくよく考えてみれば、それもこれも全て山田のせいだ。ひとまずはあの野郎を呪う事で矜持を保っておこう。
ついさっきの私に対する暴力も今は目を瞑ろうじゃねーか。
というわけで、今までの山田とのやり取りについて、私は銀島に洗いざらい話した。
ドSとドM。そんな性癖も含めて、だ。
「諸星狼子…………あんたさ、ひとまずは山田んとこ行って話を聞いてみた方が良いんじゃないかい? あたしから言うのも何だけどね、確かに山田の主張も一理あるよ」
あらかた私が話し終えると、銀島はそう切り出した。
「私が間違ってるってのか」
「そういうんじゃないんだけどね。ま、聞いた限りじゃお互いそれぞれが正しいわけだからさ、どっちの主張を優先させるのかはあんたらが話し合って決めなって事」
お互い正しい?
「そりゃどういう意味だ」
「そのままの意味さ。考えすぎる事はないよ。言ってしまえば、あんたらのそれはただの痴話喧嘩みたいなもんだからね。話し合いで解決できる領域さ」
どうも、はぐらかされてるような気がする。
「お前の話わかりにくいな。分かり易く喋ったらどうなんだよ。つまりどういう事」
「ふん。まぁ、これ以上言うのは野暮ってもんだね。あたしらはそろそろ失礼するとするよ。もう日付も変わる頃合いだしね」
話がかみ合わない。こいつはそういう性格なんだとして納得しておくしかないか。
そういえば、山田とラーメンを食いに行く途中だったな。随分と腹も減った。
――――いろいろあって、肉体的にも精神的にも疲れたな。
「銀島ぁ」
「ん? なんだい?」
仲間と共にこの場を去ろうとした銀島の背中へ向け、そう呼びかける。
「あのさ、私ちょっとお腹が減ったし。どうせだから、これからラーメン食べに行くとかどう?」
誰かと友人関係になるなんて、久しぶりだ。飯の誘い方が不自然になるのも仕方ないだろう。
というか、こいつは私の友達だって認識で良いんだよな? さっきこいつからそんな事を言い出してたような気がするし。合ってるよな?
私の顔をしばし眺め、銀島は続けて言葉を放った。
「あぁ、良いね。ちょうどあたしも腹の虫が鳴いてた頃だ」
…………あぁ、杞憂だったみたいだな。じゃ、ひとまず、ラーメン屋でこいつを巻き込んで作戦会議といくか。
翌日。
いざ山田との決戦へ臨もうと強く意気込んだものの、そういえば私は山田について何も知らなかったのだと改めて思い知らされた。すなわち、私は奴との連絡方法を何一つ持っていない。
唯一、山田の通う学校の名だけは知らされていたので、微かな望みを賭けてその中学へと向かった。
校門をくぐった途端――――――いや、その前からも登校中の生徒から、『十字町の救世主』が川向こうからやって来た、と声に出して騒がれた。
その中の一人に山田について質問をすると、便利なもんがあったもんだ、情報屋なる男子生徒がこの中学にはいるのだと聞かされた。そいつの元へ行き再度問いかけると、多少の出費はあったが、山田の個人情報はすぐさま手に入った。
学年、所属クラス、成績、果ては電話番号から住所まで。犯罪ではないのかと思うが、それを言うなら、利用する私も共犯だ。
今日も登校してきているようなので、クラスまで押しかけるのも手っちゃ手だが、ただでさえ目立っちまってるんだ、これ以上騒ぎを大きくするのは良くない。教師に目を付けられても困る。
山田が帰宅するのを待って、自宅で待ち伏せるとしよう。
日が暮れ始めた。
山田の帰りを待つ数時間、あまり皺が多いとも言えない私の脳みそをフルに使って考えてみた。
私は、山田を殴れない。
ドMを殴るのがつまらないからじゃない、単純に、ただただ殴るのが嫌なんだ。それが何を意味するのか――――銀島は愛だとかふざけた事を抜かしてたが――――今の私にはわからない。
だが。
あの変態野郎の機嫌を直すには殴るしか方法がないような気も、私はしてる。これまで私に付き従うだけだった野郎が、あそこまで冷たい口をきいたんだ、生半可な事ではよしとしないだろう。
じゃあどうする。
銀島は話し合う事が重要だと言った。
…………今は、奴を信じて山田へ告げる台詞の内容を考えるしかないのかもな。
ぐるぐると思考はループし続け、あっという間に中学の下校時刻となった。
柄にもなく、心臓が締め付けられる。体が硬直する。緊張してるんだな。信じられない。まるで自分が自分じゃない別の人間にでもなったようだ。
ふと、私は何であの野郎のご機嫌取りなんかする必要があるんだ、と思い当たった。
元々、あいつは勝手に私に付いてきてただけだ。それがいなくなっただけ。元の状態に戻っただけだろ。私はあいつを疎ましく思ってたはずじゃないのか。
――――愛だの何だの、そんな感情で説明付けるつもりはないが、少なくとも私は、あの野郎に感謝しちまってるのかもな。あんなくだらない台詞一つで、私は感動しちまったんだから。
頬が熱くなるのを感じる。
あぁくだらねー。
そして、山田八乃助は、唐突に私の視界に現れた。
久方ぶりに、まともに中学へ行ったような気がする。
諸星さんと会わない日でも、登校が昼からだったりと怠惰な生活を送っていたから。
母親は目元に涙を浮かべていた。僕が不良になったと勘違いしてたみたいだ。そんな事はないのに。
川向こうと違ってごくごく平和な我が中学はやはり今日も何も変わりなく、平凡な日常そのものだった。つい昨日までほとんどの時間を諸星狼子と過ごしていた僕には、それが新鮮に感じる。
登校時刻から下校時刻まで、きっちりと教師の話に耳を傾け授業を受け終えると、僕は鞄を手に校門を出た。
無気力に帰路を行き、自宅へと辿り着くと、その前に見知った人影があった。
諸星狼子。
すでに幻滅をした彼女ではあるが、やはり圧倒的な存在感である。彼女の姿は、到底、住宅街とは釣り合わない。
僕を待ち構えていたのは百も承知。とはいっても、僕から彼女へ言う事は何一つないので、黙ってその横を通り過ぎようとする。が、
「お、おい山田。ちょっと待て」
諸星さんは僕の肩に手を置いた。
「何ですか。僕にご用ですか」
「お前に話がある。聞いてけよ」
今更だ。すでに僕と諸星さんはわかり合えないのだという結論に至ってる。話をする意味なんてない。
「私と会話するのが嫌だってんなら、聞いてるだけで良い。お前は喋らず、黙って私の話に付き合ってろ」
「乱暴ですね」
「悪いかよ」
「いえ。嫌いじゃないですよ。なにしろ僕はドMなので」
でも、だからって諸星さんを肯定するわけじゃない。彼女のした事はドMへの侮辱だ。そうそう許せるはずがないだろう。
「は。なら構わないよな。こんな私は滅多に見れねーぜ。一言たりとも聞き逃さないよう、耳掃除してしっかり聞いてろよ」
「…………まぁ、本当に聞くだけですけどね」
ドSでくだらない諸星狼子は、そうしてくだらない話を切り出した。
ごねる山田をどうにかその場に引き留める事には成功した。
第一ステップはクリアだ。
次に、私がきちんと本音を伝えられるかどうか。
私自身、私を理解しきれていないのに、できるはずがないだろ。と思う。
楽天家の銀島乱子は「大丈夫、大丈夫」と笑っていたが、大丈夫なわけがあるか。
ともかく。
すぅ、と息を吸い込み、何とか一言目を私は口にする。
「山田。まず、昨日は、悪かった。あれは、どう考えても私は反撃すべきだった。あの時のお前の言う通り、それがお互いのためだった」
『聞いているだけ』と前置きした事もあって、山田は無言でこちらに冷たい視線を送っている。まるで、つまらない物を見るかのような目だ。
それに負けて、私は続けてこう言ってしまう。
「…………でも、山田も少しは大目に見てくれても良いだろ、と思うんだけどな。一般的に考えれば私の行動が正解なわけなんだからさ」
「黙って聞いているだけと言いましたが、それには口を挟まずにはいられませんね。諸星さん。一般的な視点などをどうして気にするんです。僕はドM。あなたはドS。特殊な性癖を持つ、同じ穴のムジナでしょう。一般的な常識と我々の常識とが違うのは当然じゃないですか」
「そりゃそうだが」
「言いたい事は以上です。さっさと話を続けて下さい」
――――数日前と立場が逆転しちまってるな。
いや、というか、こいつ本当にMなのか? 実はSだったりするんじゃないのか? ここまで執拗に私を責めるなんて。
吐き出したくなる感情をぐっと堪える。
衝動に身を任せたら負けだ。落ち着け。
「でもな山田。私が抵抗しなかったのは、何もお前を不快にさせたかったからじゃない。私なりに理由があっての事だ」
「理由? なんですか理由って」
言葉に詰まる。
さすがに、これを口にするには尋常ではない勇気がいる。
――――散々、不良相手に暴れてきた私が、中学生との会話すらまともにできないなんて、数日前の私じゃ信じられないだろうな。
両頬を叩き、気合いを入れる。
よし。
「つまり、だな、私が、お前が殴られる姿を見たくなかったからだ」
…………言った。
言ったぞ。これで山田も少しは折れてくれるだろう。
山田の表情を確認する。
しかしその顔に塗られていた感情は。
「はぁ……よくわかりませんが、だから何ですか?」
私の言葉に一切の興味を持っていなかった。
「諸星さん。基本的に僕は自分勝手な人が好きです。ドMとしては、それらの人物に振り回されるだけで快感を得られるからです。でも、その快感の邪魔をするような私欲は大嫌いです。消えてしまえば良い」
刺々しい山田の台詞は、いちいち私に突き刺さる。
「あ、あのだな。私が、お前の殴られるところを見たくないってのにも理由があって」
「それも僕にとっては関係のない事です。だって、それを聞いたところで僕は殴られも蹴られもしないんですから。それとも何ですか? 諸星さん、殴ってくれるんですか?」
「……いや、殴れない」
「だったら、これ以上、僕は諸星さんの話を聞く意味はありませんね。悪いですけど、そこをどいてもらえますか。そろそろ足も痛くなってきたし、ソファーでくつろぎたいので」
山田はどこまでも無表情で私の言葉に反論する。
何でこいつはそんな事が平気で言えるんだよ。私がどれだけの覚悟で口を開いてると思ってるんだよ。
恨むぞ銀島。お前の言った事なんて全て嘘っぱちだったじゃねーか。
動悸が激しくなるのを感じる。
だが、私はまだ諦めない。
「おい、山田!」
「もう終わりです。いつまでもここに居られても邪魔ですし、あなたも自宅へ帰って下さいよ諸星さん」
山田のその言葉は、私の心の、最後の防波堤を易々と突破した。
面倒くさい。
諸星さんとの関係はもう自分の中で切り捨てた。
今更、昨日の話などされても、感情は全く揺り動かされない。
「あ、あのだな。私が、お前の殴られるところを見たくないってのにも理由があって」
まだわからないのかな諸星さんは。
「それも僕にとっては関係のない事です。だって、それを聞いたところで僕は殴られも蹴られもしないんですから。それとも何ですか? 諸星さん、殴ってくれるんですか?」
「……いや、殴れない」
僕が殴られるところを見たくないって言ってるのに、自分で殴れるはずがないよね。そりゃそうさ。
今にも泣き出しそうな顔しちゃって。諸星さんらしくもない。
「だったら、これ以上、僕は諸星さんの話を聞く意味はありませんね。悪いですけど、そこをどいてもらえますか。そろそろ足も痛くなってきたし、ソファーでくつろぎたいので」
もう、諸星さんの方を見る必要もない。僕は諸星さんを背に、自宅の敷地内へと入る。
この調子じゃ、諸星さんはしばらくここで待ち伏せてそうだし、今日は家の中に篭もるしかないかな。本当は駅前へ出て不良娘にボロ雑巾のように扱われたかったのに。
「おい、山田!」
まだ食い下がるのか諸星さん。いい加減にして欲しい。
「もう終わりです。いつまでもここに居られても邪魔ですし、あなたも自宅へ帰って下さいよ諸星さん」
そう吐き捨て、今度こそ僕は彼女との会話を終わらせようと思った。
が、
「山田ぁ……」
地獄の底から昇ってきたかのような、低い声が背後から聞こえてきた。
思わず身を翻すと、
鬼神の如き表情をその顔に貼り付けた諸星さんが、そこに立っていた。
「邪魔……だと?」
まさしく豹変である。いつの間に、感情が逆転したんだ。
僕の言葉を聞き終えてから数秒も経過してないのに。
諸星さんのここまでの怒りは見た事がない。というか、あんなにまで暴力で生きる諸星さんの怒りという感情を、僕はまだ一度も目にした事がなかったんじゃないかと思ってしまったぐらいだ。
いつもは笑いながら拳を振り上げる諸星さんが、今は怒りの表情で身を震わせていた。
「元々はお前が私に寄ってきたんだろ…………ひたすらうざいだけで、私のS心をこれっぽっちも満たしやがらねー癖に」
「も、諸星さん?」
いや、それはもっともだけど。お互いの性癖上、仕方の無い事だと思う。
「そのくせ、あんな言葉をかけやがって。柄にもなく、中学生の言葉なんぞに感動しちまったんだぞ私は!」
言葉? 僕は特に何も言った覚えはないけど。
「諸星さん、何かの間違いじゃないんですか? 僕は諸星さんに感動的な言葉なんて投げかけてませんよ」
「お前は忘れてるかもしれねーが言ったんだよ! 『偽善も善の内』ってな! その一言を思い返すだけで私は救われてるんだよ!」
…………思い出せない。
「そんな事言いましたっけ」
「言ったんだよこの野郎! そのせいで私はお前を意識するようになったんだぞ!」
「はぁ……そうなんですか。諸星さんでも他人に興味持つ事あるんですね」
び た り。
瞬間、諸星さんの怒声が止まった。
突然静かになったもんだから、諸星さんも憔悴しきったのかと思った。僕の説得を諦めてもう家にでも帰ろうと心変わりしたのかと思った。
でも違った。
「…………んだと」
一歩。
諸星さんが僕に近づく。
「おい、お前は私を何だと思ってたんだ、おい山田」
二歩。
「ふざけた事抜かしてんじゃねーぞ」
三歩。
「返事しろよこら山田ぁああああああっ!!」
四歩。近づき、ついに諸星さんは右手を大きく後方へ振り上げて、
僕の顔面に拳をめり込ませた。
体中に衝撃を感じる。
地面を転がる僕の体は数秒も経たない内に停止した。家の外壁にぶつかったからだ。
徐々に、僕の頬にじんわりじんわりと痛みが広がる。
あぁあああこれだ。これなんだ。これこそが僕の求めていた物。
ついに、僕は諸星さんから痛みを授かった。
黙り込む諸星さんの表情からは怒りが消えている。それに、口を開こうとしない。
諸星さんの事は気になるが、ひとまず、僕は頬に残る痛みを存分に堪能する事にした。
怒りに我を忘れ、つい私は山田を殴ってしまっていた。
その体は後方に吹っ飛び、山田家の外壁にぶち当たる。
聞けば両親共働きとの事だったから、今は家の中には誰もいないはずだが、多少の不安と罪悪感が私の中に生まれる。
しかし。
それ以上に私が感じてしまったのは。
気持ち良い。
気持ち良いのだ。山田は嬉しそうな顔をしてるのに。私は苦痛に歪んだ顔が見たくて人を殴ってたはずだろ。ドSはドSを殴ってこそなんじゃなかったのか諸星狼子。ドMを殴っても楽しくなんかないはずだったのに。なのに何だこの快感は。ドSの心を忘れちまったのか私は。いや、それならそもそも快感を感じないはず。だったら何なんだこれ。
「諸星さん、あ、ありがとうございます。やっぱり諸星さんは最高です。こんな力強い痛みは、今までに味わった事がありません。凄まじいパワーですね。いやー、感動しました。一発パンチをもらっただけなのに、もう満足できる程ですよ。頬の痛みが全身に電流のように広がるのを感じます」
手の平を返したように、山田は笑顔でまくし立てる。
それを見て私の快感は一層強まった。
何だ。
…………もしかして、山田だから?
私は山田が殴られるのを見たくなかった。何故か。
他人に殴られて喜ぶ山田を見て、嫉妬したくなかったからなんじゃないのか、私は。
独占欲。
それか。私は山田を独り占めしたくて。だから山田が殴られるのを見てられなかったのか。私とした事が。そんな女みたいな理由で。
「山田」
「何でしょう諸星さん」
一昨日までのような。私の下僕としての顔で、山田は返事をする。
それが今の私には堪らなく嬉しい。
だから、覚悟を決めて、切り出した。
「えっと、わ、私は、お前が好きなのかもしれない。だから。なんだ。その、殴って欲しい時は私に言え。他の奴になんか殴られたら駄目だからな」
この言葉はドSとしての言葉なんかじゃない。諸星狼子という一人の女子高生としての言葉だ。
ようやく気付いた。
こいつを殴ったから気持ち良いんじゃない。こいつを殴って、喜んでるこいつを見るのが気持ち良かったんだな。
「えぇ諸星さん。当然じゃないですか。これ以上の事をしてくれる人なんて、他に探しても見つかりませんよ。一度は貴女の元を離れましたが、やっぱり僕は貴女の奴隷です」
私の足元に跪き、顔を伏せて山田は私の言葉に応える。
うざいだけだった申し出も、今なら喜んで受けよう。山田は私の奴隷だ。
「奴隷は、奴隷らしく私の言う事を聞けよ。私から離れるなよ。浮気すんじゃねーぞ」
「もちろんです諸星さん」
二転三転、ここまで長かった。
山田の一言一言が全て私には嬉しい。心に染み入るのを感じる。
ようやく、ドS諸星狼子とドM山田八乃助は、主従関係を結ぶ事ができたのだ。
私の拳は、こいつを殴るためだけに存在する。
諸星さんの正式な奴隷となってから数週間が過ぎた。
僕は中学へ真面目に通うようになり、諸星さんもまた、真面目に高校へ通うようになった。あのまま欠席を積み重ねていればやはり卒業はできなかったようで、更生して本当に良かったと心から言える。
更生と言えば、諸星さんはあれ以来不良を求めて町を彷徨う事をしなくなった。僕の周りでも『十字町の救世主』という単語はあまり聞かなくなったし。
代わりに有名になってきたのは。
『十字町最後のスケバン』。言うまでもなく銀島さんの事である。
活発的な活動を控えるようになった諸星さんの代わりに、十字町の不良を取り締まっているのだという。なんともスケバンらしくもない人だ。
自主的に動きはしない諸星さんだが、友人である銀島さんのために、大きな闘いがある際は助っ人として協力へ向かうらしい。諸星さんがいれば当然負け無しに決まってる。有名ではなくなっても、諸星さんが『十字町の救世主』である事に変化はない。
ドSとしての欲望を満たすため、諸星さんは嬉々として闘いに参加しているようだ。僕を殴っても、ドS心を満足させる事はできないって言ってたし。…………嬉々として他人を殴る諸星さんを想像すると、若干嫌な思いがするのは何故だろう。
閑話休題。
僕と諸星さんは毎日、放課後に会っている。
場所は定まっていない。十字町をぶらぶらと二人で歩くだけだ。別れ際には、諸星さんからパンチをお見舞いしてもらってる。時にはキックになったりエルボーになったりするけど。とにかく、痛みをもらってる。諸星さんとは違い、僕のドM欲は毎日満たされている。そう考えると、諸星さんのストレス発散先は必要かな。仕方ない仕方ない。
「山田ぁ。今日はどこ行く?」
おっと。ご主人様からお呼びがかかった。
「駅前のゲームセンターで時間を潰して、ラーメン屋にでも行きましょうか」
「良いなそれ。じゃあそれでいこう」
笑う諸星さんは、以前の赤ジャージを着てはいない。彼女の通う高校、そこの制服を着ている。セーラー服だ。恐ろしく似合っていない。可愛いけど。
あぁ、今日はその姿で、僕をどんな方法で痛めつけてくれるんだろう。
僕はドM。諸星さんはドSだ。
以前勘違いしていたように、ドMとドSの相性は決して良いものじゃない。ドSにとってはドMなんて邪魔でしかないはずだ。
でも僕は――――――いや、諸星さんは、僕と主従関係を結んだ。
そこにはもしかしたらドMだとかドSだとかなんて関係ないのかもしれない。
『十字町の救世主』の『お付きの山田』である事を僕は誇りに思う。
文章稚拙で申し訳ありません。
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