「真実の愛のために、君の嫉妬を魔法で消そう」と言われたので、婚約者の性欲もついでに消してやりました
「ジェラード。君の嫉妬を、魔法で消してもらえないだろうか」
ニックの屋敷の応接室で、三人分の茶が出された直後だった。
向かいの長椅子には、婚約者のニックと、ローラが並んで座っている。ジェラードが訪ねてきたときには二人の間にわずかな隙間があったが、今はローラの広がったスカートが、ニックの膝にまでかかっていた。
二人が付き合っていることは、もう知っていた。今日こそ婚約をどうするか決められると思って来たのに、よく分からない提案を出されたものだ。
「ローラとは真実の愛で結ばれている。でも、そのために君を捨てるのは間違っているだろう?」
ニックは真剣な顔で続けた。
「君との婚約は守るよ。ローラにもこの家へ来てもらえばいい。ただ、君が彼女に嫉妬したままだと、暮らしにくくなると思うんだ」
妻としてこの家に入り、夫と恋人が仲よくするところを毎日見て暮らす。その暮らしがうまくいくかどうかを、自分の気持ち一つに任せられても困る。
そもそもローラがいなくなれば元に戻れる、という気もしない。別の女性を好きになったあとも、こちらとの結婚はそのまま進められると思っているらしい。
「それで、私の嫉妬を消すという話でしょうか?」
「感情を消せる魔女がいるんだ。君も苦しまずに済むし、僕たちも君の前で気を遣わなくてよくなる」
ああ、そちらも大事なのね。今でも十分、気兼ねなく過ごしているように見えるけれど、これからはそれを見て不愉快になることまでやめてほしいらしい。
「私も、その方がいいと思います」
ローラが口を添えた。
「好きな人の幸せを喜べないのは、つらいでしょう? そんな気持ちだけなくせるなら、ジェラード様も楽になれると思うんです」
言いながら、ローラはニックの腕に両手を添えて身を寄せた。ニックは当然のようにその肩を抱き、近くへ引き寄せる。ローラは彼を見上げて笑ってから、またこちらへ顔を向けた。
もう結婚したいとは思わない。それでも、目の前でローラばかり大事にされるのは悔しかった。
ジェラードは膝の上で組んでいた手をほどいた。
「その魔女は、嫉妬以外のものも消せるの?」
「できると聞いているよ。消したい感情や欲求を伝えればいいそうだ」
「他の欲求もってことですわね」
「うん。詳しいことは本人から聞こう。心配なら、僕たちも一緒に行くから」
ニックは安心させるように言った。ジェラードは、彼の腕の中にいるローラを見た。
真実の愛で結ばれているのなら、ニックにも手放して困らない欲求はあるはずだ。三人で幸せになるために何かを消すという話なら、彼にも同じことを頼めるだろう。まずは、その魔女に会ってみたい。
「分かったわ。私の嫉妬を消してもらいましょう」
ニックの顔が明るくなった。
「よかった。君なら分かってくれると思っていたよ」
ローラも嬉しそうに彼の腕を抱き直した。
「これで、誰も我慢しなくてよくなるのね」
ニックが頷き、早速、馬車を出させようと呼び鈴へ手を伸ばした。
結婚するとは言っていないのだけれど。
ジェラードは訂正せず、魔女の屋敷には自分の馬車で向かうと告げた。二人はもう、ローラがこの家へ来るときの話を始めている。彼らの中では、話はすべて片づいたらしかった。
*
魔女は三人の話を聞き終えると、ジェラードに向き直った。
「消すのは嫉妬だけでいいんだね。記憶や、ほかの感情はそのまま残る。消したものが自然に戻ることはないよ」
ニックは隣で頷いているが、魔女は彼の方を見なかった。
「戻すこともできる。ただし、施術を受けた本人が戻したいと望んだ場合だけだ。周りの人間に頼まれても戻せない。それでいいかい」
「ええ。私の嫉妬を消してください」
ジェラードが答えてから、魔女は額に指を添えた。そこが少し温かくなった。何かが抜けていく感覚も、胸が軽くなるような変化もない。指が離れると、魔女はもう終わったと言った。
これで、なくなったのだろうか。自分の気持ちを確かめるより先に、ニックがローラを引き寄せた。彼女も嬉しそうに身を預ける。
「どうだい。僕たちがこうしていても、平気かな」
あの腕の中にいるのが自分だったら、とは思わなかった。ただ、施術が終わった途端に目の前で試されるのは、やはり好きになれない。少し待ってくれてもいいのに、とも思う。嫉妬がなくなれば何でも快く受け入れられるわけではないらしい。
「ええ、大丈夫よ」
「よかった。これで安心だ」
ニックはローラと顔を見合わせた。
「こんなにすぐ済むなら、もっと早く来ればよかったね」
ジェラードは、額に残っていた温もりが消えるのを待った。
「では、次はあなたの性欲を消していただきましょう」
ニックの笑みが止まった。
「待ってくれ。なぜ僕まで施術を受けるんだ?」
「三人のために、邪魔になる感情や欲をなくすのですよね。私だけでなく、あなたにもできることがあると思うの」
予想外の提案に、ニックはローラの肩に置いた手を離し、魔女を見た。
「性欲をなくしたら、今までどおりにはいかなくなるんじゃないですか」
「性的なことをしたいという欲はなくなるよ。それ以外の気持ちを消す施術ではない」
「でも、実際にどうなるかは……」
ニックはそこで口を閉じた。ジェラードにも、受ける前は分からなかった。なくしてよいかどうかを考える時間さえ、彼の中では必要なかったようなのに。
今になって慎重に考え始めた彼を、ローラがのぞき込んだ。
「ニック、私たちなら大丈夫よ。真実の愛に、性欲なんて必要ないでしょう?」
彼女はためらわず、ニックの手に自分の手を重ねた。
「あなたが私を愛してくれる気持ちまで、なくなるわけではないんだもの」
「もちろん、僕は君をそういう目的で好きになったんじゃない」
ニックはすぐに答えた。それから魔女の前の椅子を見て、しばらく黙った。ローラは手を重ねたまま待っている。
「……分かった。受けるよ」
ジェラードが席を譲ると、ニックはそこへ腰を下ろした。魔女は急かさず、本人に確かめた。
「あんた自身が、性欲を消してほしいんだね」
「はい。消してください」
魔女の指が、今度はニックの額に触れた。ジェラードのときと同じくらいの間を置いて、指が離れる。ニックは一度目をしばたたき、自分の手元を見た。
「もう終わりですか」
「ああ」
「そうですか。思っていたより、何も変わらないものですね」
声も、話し方も、いつもどおりだった。隣に立つローラも、ほっとしたように笑っている。これから二人がどう付き合っていくかは、二人で確かめればいい。
ジェラードには、帰る前に済ませる話が一つ残っていた。
「それでは、私たちの婚約は解消しましょう。正式な手続きは、家を通して進めてもらいます」
立ちかけていたニックが、椅子に座り直した。
「どうしてそうなるんだ。君はもう嫉妬しないんだろう?」
「ええ。でも、あなたと結婚したいわけではないの」
口にしても、惜しいとは思わなかった。これは魔法のせいではない。今日、彼の屋敷へ向かったときから、結婚の準備より、婚約を終える相談をしたかった。ようやく、その話ができただけだ。
「三人で幸せになるという話に、納得してくれたんじゃなかったのか?」
「私の嫉妬を消すことには同意したわ。あなたとローラと暮らすことには、同意していませんわ」
ニックは何か言いかけ、ローラを見た。彼女も戸惑った顔をしていたが、ジェラードを引き止めようとはしなかった。妻がいなくなるのなら、むしろ二人には都合がいいはずだ。自分が残って気を遣う理由を、こちらから探してあげるつもりはない。
ジェラードは魔女に礼を言い、部屋を出た。外では、自分の馬車が待っていた。
帰ったら、まず家族に婚約を解消したいと伝えよう。理由を話すのは気が重いけれど、結婚したいふりをして準備を続けるより、ずっといい。行き先を尋ねた御者に、自分の家を告げた。
*
これからは、ニックを独り占めできる。
魔女が席を外すと、ローラは彼の隣へ寄った。三人で仲よく暮らせればと思っていたけれど、ジェラードが自分から離れてくれるなら、その方がいい。彼と過ごす時間を、妻になる人に分けなくても済むのだから。
いつものように腕へ抱きつき、肩に頬を寄せた。
「ちょっと、重たいから離れて」
ニックが腕を振りほどいた。ローラは手を離し、彼を見た。
こんなふうに離されたことはなかった。思いがけず婚約を解消する話になって、疲れてもいるのだろう。ニックは腕を動かしてから、椅子に深く腰を下ろした。
「帰ったら、家にも説明しないとな。三人でうまくやっていけるはずだったのに」
やはり、ジェラードのことが気にかかっていたのだ。ローラには、そこまで残念がることとは思えなかった。自分がいる。無理に婚約を続けなくても、これから二人で幸せになればいい。
「私は、あなたといられれば嬉しいわ」
そう伝えると、ニックは顔を上げた。
「うん。君が残ってくれてよかったよ」
ほら、何も変わっていない。さっき腕を離されたことなど、気にしなくてよかったのだ。彼の口から聞けて安心したら、今度はちゃんと触れたくなった。
ローラは椅子の背に手を添え、彼の顔へ自分の顔を近づけた。
唇が触れる前に、ニックが顔を背けた。
頬のすぐそばで動きを止める。彼がこちらを向き直るのを待ったが、ニックは上体を引いて距離を空けた。
「今は、そういう気分じゃないんだ」
ローラはゆっくり身を起こした。今は、ということは、帰ってからならいいのだろう。まだ魔女の家だ。落ち着かないだけかもしれない。
「ねえ、今夜はあなたの家に泊まってもいい?」
いつもなら、彼の方から帰らないでほしいと言ってくれる。でも、今夜は自分から誘ってもいい。
ニックは首を振った。
「いや、今日は一人で休みたいんだ。君も家に帰るといい」
微笑んだまま、次の言葉を待った。また今度、とも言ってくれない。ローラが泊まりたいと口にしたのは、寝る場所がなかったからではないのに。
今までは、帰る時刻を気にする自分に、もう少しだけいてほしいと頼むのは彼だった。あの頃は、残ってあげるような顔もできた。自分の方こそ帰りたくないのだと、わざわざ打ち明けなくてもよかったのだ。
今、同じように引き止めてほしいと頼んだら、どうなるのだろう。
これ以上、自分だけが一緒にいたがっていると知られたくなかった。少しは彼にも、離れてしまうかもしれないと思ってほしい。いつでも隣にいると思うから、こんなに簡単に帰れと言えるのだ。
「あなたがその調子なら、ほかの男性のところへ泊まりに行くわ」
ローラは口元に笑みを浮かべ、長椅子の背に身体を預ける。
「わたしを誘ってくださる殿方は、あなたのほかにもいるのよ。この前も、ぜひ二人で会いたいとおっしゃってくださったわ」
「そうなのか」
「ええ。あなたにはお話ししていなかったけれど、とても熱心な方なの」
「そうしたいなら、馬車で送らせようか」
ローラは背もたれから身体を離した。
「送るって、その方のお屋敷へ?」
「ああ。遠くなければ、途中で寄れるだろう」
「わたしがそこで、ほかの男性と過ごすことになるのよ」
「そう言ったじゃないか」
ローラは言葉を継がずに待った。ニックはしばらく彼女を見ていたが、やがて窓の外で砂利を踏む音がすると、そちらへ顔を向けた。
「ちょうど来た。御者に送るよう頼もうか」
ニックが立ち上がった。ローラも長椅子から立ち、彼が扉へ手を掛ける前にその前へ回り込んだ。
「呼ばなくていいわ」
「どうして?」
「会いに行くつもりはないの」
「でも、今――」
「行かないと言っているでしょう!」
ニックは扉へ伸ばしかけた手を下ろした。ローラはその手と顔を交互に見てから、声を落とした。
「わたしがほかの男性に誘われたら、嫌ではないの?」
「今は、別に」
「わたしがその方を好きになっても?」
ニックはすぐには答えなかった。ローラが一歩近づくと、ようやく口を開いた。
「僕に妬いてほしいんだね」
「当たり前でしょう。いつもなら、ほかの男の話なんかするなって言うじゃない」
ローラは彼の胸元に手を置いた。
「誰にも渡したくないって。あなた、そう言ってくれたでしょう?」
ニックはその手を見下ろした。
「言ったよ。でも、今はそういう気分にならないんだ」
「送ってほしいんじゃないわ。私は、あなたと一緒にいたいの」
ニックは分かっていて、引き止めなかったのだ。怒ってくれたなら、意地悪を言ってごめんなさいと謝って、抱きつくこともできた。行かないでほしいと言われれば、あなたが好きだから行かないと答えたかった。
さっきまでのニックなら、こんなことにはならなかったはずだ。ここへ来る前は、ローラが寄り添うだけで抱き寄せてくれた。あのときの自分は、彼に触れていいかなど考えてもいなかった。
もう一度、ああしてほしい。
性欲などなくても大丈夫だと、自分で言った。その言葉を取り消すのは恥ずかしいけれど、このまま帰される方が嫌だった。
ローラは隣室へ向かい、魔女を呼ぶために扉を叩いた。扉を開けた魔女に、ローラはすぐに頼んだ。
「ニックの施術を、元に戻してください」
魔女は部屋へ戻り、椅子に座り直していたニックを見た。
「戻すには、本人の希望が必要だよ。あんたも戻したいのかい」
「いいえ。僕はこのままでいいです。特に困っていませんから」
好きな人の幸せを喜べないのは、つらいでしょう?
ジェラードに、そう言ったばかりだった。
「私は困るわ」
思っていたより強い声が出た。ニックがこちらを見たので、ローラは続けた。
「あなたに触れたいの。一緒に過ごしたいし、前みたいに抱きしめてほしい。私だけがそう思っているなんて、嫌よ」
「でも、君も性欲なんて必要ないと言っていただろう?」
言った。つい先ほど、自分で彼の手を取って、大丈夫だと勧めた。あのときは、愛しているなら当然そうしてくれると思っていた。彼が自分に触れたがることまで、なくなるとは考えていなかったのだ。
「ええ、言ったわ。なくなっても、あなたは私を求めてくれると思っていたの」
ニックは黙っている。
「私が間違っていたの。だからお願い、戻してもらって」
自分から認めれば、彼も考え直してくれるかもしれない。必要ないと言ったことを責めたいのなら、謝る。それでまた彼の腕の中へ戻れるなら、さっきまでの強がりなど捨ててよかった。
ニックは少し考えてから、口を開いた。
「君がつらいのは分かったよ。でも、僕は今のままでいたいんだ。それなら、君も性欲を消してもらえばいいんじゃないか?」
ニックは立ち上がり、そばにあった椅子を引いた。
「君が苦しいと言うから、楽になる方法を考えたんだよ。少し座ったらどうだい」
ローラは座らなかった。
つらいと打ち明けたのだから、抱きしめてほしかった。そんなことをさせてごめんと、以前のように触れてくれればよかったのだ。
「私がこんなに頼んでも、戻したくないのね」
「うん。戻す必要を感じないんだ」
ニックは困ったように答えた。怒っているわけではなさそうだった。謝り方が足りないのでも、誘い方が悪かったのでもない。それなら、もう何を言えばいいのだろう。
彼の手が、椅子の背にかかっている。その手を取って、自分の頬に当ててもらいたかった。少しだけでも以前のようにしてくれれば、今日はそれで我慢できる気がした。
けれど、それも頼まなければならない。応じてもらえたとして、明日はどうするのだろう。また自分からお願いして、彼の気が変わっていないか確かめるのか。
「……私、明日になっても、あなたに触れてほしいと思うわ」
ニックは何も言わなかった。明日には戻るかもしれないと、期待させてもくれない。
今日だけ一人で帰れば済むのなら、そうしたかった。しばらく離れて、彼の方から会いたいと言ってくれるのを待てばいい。でも、会えたところで、また同じように腕を離されたら。
今はもう、その場面を思い浮かべるだけで苦しかった。
ローラは、引かれた椅子に腰を下ろした。消したいと思ってここへ来たわけではない。彼に求めてもらえるなら、こんな気持ちは一つも手放したくなかった。
それでも、目の前にいる彼へ手を伸ばしたくなる自分を、このまま抱えて帰りたくなかった。
「お願いします。私の性欲も、消してください」
魔女はローラの前に立った。
「あんた自身が、それを望んでいるんだね」
頷こうとして、一度だけニックを見た。彼は魔女の邪魔にならないよう、椅子から手を離していた。
「はい」
ローラが答えると、魔女の指が額に触れた。
少し温かい。
その指は、ほどなく離れた。
「終わったよ」
魔女に言われ、ローラはニックを見た。本当に消えたのだろうか。自分では、あまり変わった気がしない。ただ、今夜は彼の家に泊まりたいとは思わなくなっていた。そういうことなのかもしれない。
「私、今日は帰るわ」
「分かった。家まで送らせるよ」
「ええ、ありがとう」
ローラは立ち上がり、魔女に礼を言った。外へ出ると、ニックが御者にローラを家まで送るよう伝えてくれた。馬車に乗り込み、窓から彼へ顔を向ける。
「それじゃあね」
「ああ、気をつけて」
御者が戸を閉め、馬車が走り出した。
*
ジェラードはニックとの婚約が正式に解消され、式のために空けていた予定を埋め直していた。これからは、誘いを受けるたびに彼の都合を確かめなくていい。
施術後の様子を尋ねに来た魔女を自宅の応接室へ通すと、思いがけない話を聞かされた。
「あんたが帰ったあと、ローラも性欲を消していったよ。この間、その後の様子を知らせる手紙が来たんだが、ニックとは別れたそうだ」
「あらま」
ジェラードは、持ち上げかけたカップを受け皿へ戻した。あれほど堂々と、真実の愛だと言っていたのに。
「消したのは、性欲だけなのよね?」
「そうだよ。ほかの気持ちには触ってない」
「必要ないものを消したはずなのに、一緒にいる理由がなくなってしまったのね」
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
面白かったと思っていただけましたら、下の☆☆☆☆☆から評価していただけると嬉しいです。
感想などもいただけると、今後の励みになります!




