短編小説 鶯屋敷殺人事件
ネタバレ注意、人が死にます。
一人の探偵としてこの謎を解き明かしてくれ!!
某県と某県の県境にある山道を抜けて、車を2時間走らせ、下車してさらに30分ほど歩いた先にその屋敷はあった。
叶恵望人がそこへ向かう理由は小学生のころからの幼馴染である見潟汐音が来月の12月に行う個人展覧会に出す絵画を特別に見せてくれると言う話をもらったからである。
助手席に座る望人の師匠、探偵の市図邀はいつもより血色の良い表情で車窓の外に映る森林を眺めていた。
「空気が美味しいわねミトくん。」
「市図さん、窓は閉まってますよ。」
最近毎日のように送られてくる禁煙動画。何日禁煙できたかという証明だと、送ってくれているようだが、なぜか毎日1日目から始まる。
「たばこをやめたからそう感じるのかしら。」
「やめる・・・?」
市図が物的証拠と明らかに矛盾するような発言をしたことに、思わず論破してやりたくなったがやめにした。
彼女はドリンクホルダーからブラックの缶コーヒーを一口飲むと、一言「甘い」とだけ言って、また車窓の外を眺め始めた。
***
車を山道の前に停車させる。少し開けた道路にはガードレールと2台の車だけがあった。
少しでも身を乗り出せば、簡単に落ちてしまいそうで、また地滑りでも起きようものなら簡単に崩れてしまいそうだった。
「市図さん、山道にいくと鶯屋敷に着くみたいですよ!」
望人はスマホに送られてきた画像と、風景を見比べ、地図をなん度も確認してそう伝える。
市図はその場でなん度も息を吸っては吐いてを繰り返しながらぼそりと「空気が綺麗ね」と呟いた。
まるで獣道のような山道を歩く。人が通っているはずなのにそこはまるで整備されていない。いうなればゴーストタウンのようなものだ。
辛うじて木の葉の少ない道を踏み締める。真冬に入る前であり、落葉樹は既に丸裸にされていた。
乾いた風が吹くたびに、隣を歩く市図がたぼこを吸っていなくて本当に良かったと心から安堵していた。
そんな望人の思考を知ってか知らずか、市図が話を振ってくる。
「ミトくんが私を、デートに誘ってくれるなんてね。」
「デートなんて仰々しい、オレはただ昔馴染みからの誘いに一人で行くのもなんか変だと思っただけですよ。」
「昔馴染みに会うのに共通の知人じゃなくて私を選んでくれてるってことは正式に考えてくれているってことでいいのよね?」
「何を言っているんですか。オレはもう事件は懲り懲りなんです。今探偵の助手やってるのだって、警察官をやめて次の仕事を探すまでのつなぎなんですよ。
コンニチワークとかリキナビとかで転職先見つけたら、跡は引き継ぎを終わらせて飛ぶように逃げてやるんだから。」
明後日の方角を向いて嘯く望人に、クスりと笑いながら、「まじめに引き継いでしまうところがミトくんらしいわね。普通に飛べばいいものを。」と茶化しながら寒空の下歩く。
そんな他愛もない話をしながら、だんだんと視線の先には大きな屋敷が見えてくる。
望人はスマホの画面のロックを解除して、送信された画像と見比べる。
写真で見た時よりも迫力のあるその鶯屋敷に若干気圧されながらも、正門の前で立っている女性に手を振る。
彼女もそれに気がついたのか望人たちに手を振りかえす。
「おーい、汐音。ひさしぶりー。」
「みーとー。ひさしぶりー。」
彼女、見潟汐音は駆け足で二人の元へと駆け寄ると、「元気にしてた?」と言いつつも、返事を待たずに市図を一瞥すると、望人に「嫁?」と訊ねる。
それに「NO」と答える。
「なーんだ、私を置いて先に結婚したのかと思っちゃったよ。」
少し落ち着いたようにそう呟く。
「なんだよ、お前はまだ結婚してないのか?」
「うん。まあね。」
「でもお前なら引く手数多だろ。なんてったって、作品最高価格2億6000万で落札させ、テレビにも取り上げられるようになった画家なんだから。」
励ますつもりでそう言ったが、生憎と彼女にはあまり響かなかった様子であった。
むしろ、少しだけ怪訝な顔をされた。
「こんなところで立ち話もなんだし、早く中に入ってよ。紅茶とコーヒーどっちにする?」
その質問に望人は「コーヒー、ブラックで。」と答える。見潟が市図に視線を向けると、「ミトくんと同じものをください。」と呟いた。
木彫り装飾の扉を開いて中に入ると、3階まで突き抜けの天井と、吊り下げられたシャンデリアが視界に入った。
足元にはアニマルラグがあり、腰ぼとの高さのドロワーボックスの上には価値のわからない花瓶と挿し花があった。
そして、画家の家らしく左右には嵐の中を進む船の絵と、旧式の戦闘機がドッグファイトしている絵が飾ってあった。
その絵を眺めていると、後ろから野太い声で話しかけられる。
「その絵、とてもいいですよね。」
歳の頃は50を過ぎたあたりだろうか。スーツ姿の男が穏やかな表情で望人を見つめていた。
「これは汐音・・・見潟さんが描いたのですか?」
「ええ。これは見潟様がまだ画家として、世間に名を馳せる前に描かれた物です。
なんとも荒々しい世界観ですが、きっと好きになれますよ。」
どちらもパイロットや乗組員の命は危機的であり、どうにも胸騒ぎがする一枚と一枚である。
「ッチ、どこがいーんだか。」
背後から、今度は若くてハリのある声が聞こえてくる。
目を向けると、望人や見潟と同年代と思われる若い男が立っていた。
手には赤や黄色の絵の具で汚れたベージュ色のエプロンを持っていた。
「これはこれは殻棲様。そちらを私に?」
「そうだ。洗濯頼んだぞ。」
それだけ言うと、彼はエプロンをスーツの男に手渡して立ち去ろうとする。
しかし、そんな彼の腕を掴む人がいた。
「こっらー! まーたアンタはそうやって、安佐間さんはアンタの召使じゃないんだからね。」
「うっせ! 俺は客人だ。ここの人間をどうやって使おうが関係ないだろ!!」
そう言い切ると、殻棲と呼ばれた男は強引に腕を振って、見潟を振り払い階段を登って行ってしまった。
そんな彼の後ろ姿をジッと睨みつけ、彼が見えなくなると見潟は安佐間に振り返り、「同期が本当迷惑ばかりですみません。」と頭を深く下げて謝っていた。
「安佐間さんですか・・・? あの、人は?」
「おっと、これは失礼を致しました。私、見潟様から叶恵様の話を聞いて、勝手に親近感を抱いてしまっておりました。
そのせいで、自己紹介を忘れるなどと。謹んでお詫び申し上げます。
私は鶯屋敷管理人の安佐間わくと申します。どうぞ、安佐間とお呼びください。」
恭しく自己紹介をする彼に、こちらも挨拶する。一緒に来ていた市図の紹介もする。
「先ほどの方はですね、見潟様の美術大学時代の同期生でいらっしゃった、同じく画家の殻棲武彦様です。
絵を描くための場所として、見潟様がこの屋敷の一室を使ってはどうかと、1ヶ月ほど前からこの屋敷で暮らしております。」
「そうなんですね。って汐音〜、男いそうじゃないか。」
「アレを結婚相手に? アリエナイ。私はもっと、1番辛い時に支えてくれそうな人がいいの。アイツとか絶対「ああ? 夢見てねーで仕事探せ!」とか言ってくるタイプだよ。絶対にアリエナイ。」
胸の前でバッテンを作って主張する。
「他にはどなたかここに来ていらっしゃるかしら? 私たちも無礼がないように挨拶しておきたく存じますわ。」
望人と見潟の言い合いを切り、市図が安佐間に訊ねる。
安佐間は「お二人いらっしゃいます。見潟様の執事の者と、ご支援者様でございます。」と教えてくれた。
「それでは私はエプロンを洗濯するとします。」
と言う。それを止めるように見潟が「こっちでやっとくよ。」と言うが、
「いえいえ、管理人室にはシャワーやトイレの他ベットまでついてあり、さらには洗濯機まであるんですよ。手伝わせてください。」
と強引に押しのけて、ロビー横の管理人室に入って行った。
見潟は少しだけ寂しそうな表情をしたあと、「案内するね。」と言った。
それに促されるように探索する。
鶯屋敷は全三階建であり、一階はエントランスホールや応接室、客室や書斎、食堂やホビールームにバスルームなどがあった。
二階と三階は似た作りとなっており、ゲストルーム、南の角部屋はどちらもアトリエになっていた。
「女子は三階、男子は二階ね!」
「これだけたくさん部屋があったら、修学旅行みたいにフロアで分けるのも馬鹿馬鹿しいと思うな。」
そんな感想が出てくるくらいには大きな屋敷であった。たとえ立地が田舎で、街から離れているといえどもそれなりに値は張りそうなもの。
「二階のアトリエはアイツが使ってるから気をつけてね。あと、三階の北館には矢継さんがいるから。」
「言ってた執事の人?」
「そうそう。そして、二階の1番大きなスイートルームには千賀山さんがいるから。」
「そっちは支援者って人?」
「そ、あの人私に何百万も出資してくれてる筆頭の支援者だからくれぐれも失礼のないようにね!!」
いったいどんな人なんだと、あらかじめ言ってくれれば来なかったのにとぼやきたくなる。
隣で小首を傾げている探偵は、あまり遭遇させないようにしようと心の中で一人決心した。
「それじゃあ、私はそろそろ制作に戻るから、変なことしないでよ。」
「そんなことしないよ。って、汐音、まだ作品できてなかったのか?」
「そんなぽんぽんできてたら東京の一等地にこの家より大きな家が一括で買えるわよ。創作活動なめるな!!」
それだけ言うと、彼女は額から汗を流しながら足早に廊下を歩いて行った。
隣に立つ市図と二人、数秒見つめあったのちに、「とりあえず荷物だけでも案内された部屋に片付けようか。」と決めた。
***
少し探索してみようと部屋を出る。と言っても館内はすでに見潟に案内された後のため、屋敷周辺を歩いてまわっていた。
まだ日は傾いておらず、しかし冬に差し掛かる曇り空の下、肌寒く風が全身を包む。
「なんだあれ。」
屋敷の周りは石畳になっており、その上をぐるりと散歩していた。
手入れのされた花壇や切り揃えられた垣根の中に一際異質なオブジェクトがそこにはあった。
見たところ、石を削り出して作った石像。なんだかギリシャの神殿などにいそうな、高さだけならば屋敷の三階にまで届きそうな大きさである。
「そういえば、こっちは南側か。つまり、汐音のアトリエからならちょうどここは真下になるのか。」
石像は右手を掲げて左手を腰にしている。
まるで勇者のようだ。誰かモデルでもいるのかなんて考えていると、目の前から白髪のオシャレなおじいさんが声をかけてきた。
「君は見潟くんの言っていた幼馴染の叶恵くんかい?」
「はい。叶恵望人です。あなたはもしかして千賀山さんですか?」
「ええ、いかにも。私は千賀山登と申します。」
丁寧な所作で挨拶され、こちらの所作がまるで赤子のように感じられて、少しだけ頬が熱く感じた。
そんなこちらの内心を知ってか知らずか、心を解きほぐすように優しく話し始める。
「この石像は、見潟くんの大学の教授殿が、わざわざこの屋敷にまで足を運んで一から削り出して作ってくれたそうなんだ。
そういう人との関わりを大切にする彼女の人柄が作品にも現れていて、私は作品も、画家としても彼女が大好きなんだよ。」
「私も、彼女の絵は好きでしたよ。それはもう昔からたくさん見てきましたから。」
絵以外はなかなかにガサツで、食事や睡眠すらも忘れるような奴だったと覚えているが。
そんな彼女も一度だけ弱音を吐いていたことを思い出した。
「見潟も大学入って2年目くらいの時でしたかね、一度だけ私に電話をかけてきて。「もう絵は描きたくない!!」って泣きながら言われたことがあるんですよ。
私もその時は驚きました。でも、彼女にかける言葉も見つからなくて、結局彼女は一人で立ち直ったのですけれど。」
「きっといい人が支えてくれたんでしょうね。」
千賀山は望人の話をただジッと聞いていて、一言優しくそう言ってくれた。
「そう思いますかね? 私は彼女のことだし、数日もすればけろっといつもの調子に戻ったのだろうって、思ってますけど。」
「ははっ。それも彼女らしい。今度、私の口から聞いてみようと思います。」
「はい。私が言っても、彼女は見栄を張ると思いますので、千賀山さんから聞いてみてほしいです。」
それからしばらく寒い中話し込んでいたはずなのに、自然と胸はあったかかった。
***
日が傾く前に屋敷に戻り、階段を登ると途中の踊り場で見潟と殻棲が口論をしていた。
彼女たち二人は望人の存在に気がつくと、殻棲が大きく舌打ちしたのちに離れて行った。
階段を降りる前、わざと望人にショルダータックルをしてきて、少しだけムッとした。
「なにがあったんだよ。」
できる限り穏やかに見潟に問いかける。
正直我慢するのがやっとで、話を聞いてもムカつくだけだと思う。
ただ、話してスッキリするかもしれない。しないだろうが。
「アイツほんと訳わかんない!!」
「だよね。それで、なにがあったんだよ。」
「もうありえないよね。信じられない。」
「ああ、そうだ。で、何があったんだよ。」
「聞いてよ、アイツ意味わからないの。」
「うん。」
この、まるで話が進まない感じは、久しく感じていなかった。
めづらしくもないのに。
「私は、アトリエには来ないでって言ってたの。まだ作品見せれないから。全部終わってから見せたいから。だから、来ないでって言ってたの。」
「へー、それで。」
「それでね、それなのにね、アイツ、「赤いインクはどこだ!」ってわざわば文句言ってきたの。
それでね、それは私が使ってるからないって言ったらね、この家は画家の家のくせに予備もないのかよって。本当嫌味な奴だよね。」
「そうだったんだな。それで言い合いになってたのか。」
「ううん、違う。」
「違うのかよ!!」
思わず突っ込んでしまった。
「私は、来てほしくないってあらかじめ言ってたの。それでね、私に用があるなら執事の矢継さんに言ってって、伝えてたの。」
「そうだったんだ。」
「うん。私、絵を描いてる時は集中したいから、連絡はメッセージを送ってもらうようにしてるの。
なのに直接来るなんてどうかしてるよね!!」
「うーん。」
もっと怒るところが別にあるだろうに。しかし、彼女は少しだけスッキリしたのかさっきまでのような苛立ちは薄れているように感じた。
ただ、少しだけ目の下のクマが気になった。
「寒くなるから暖かくして寝ろよ。」
「アンタよりこの屋敷に詳しいもん。アンタこそ部屋の壁の厚さにかまけて寒さ対策怠らないようにね。
それじゃ、私は制作に戻らなくちゃ!!
もう私の時間奪わないでね!!」
それだけ言うと彼女も足早に階段を駆け上がって行った。
***
昨日は夕食を千賀山と市図と3人で食べた。
見潟と殻棲は食堂には訪れず、また執事の矢継や管理人の安佐間も見なかった。
その結果、望人は千賀山と話を多くし、また以外にもビリヤードをお互いすることなどで盛り上がった。
今日の夜に、二人でホビールームにて遊ぶ約束もした。
「おはようミトくん。ここの絵はどれもすごいわね。」
「おはよう市図さん。オレも正直褒めるのはむず痒いけど驚嘆してる。まさか幼馴染がって思ってたけど、実力を見るにちゃんと天才だったよ。」
「にしても、あなたの幼馴染さんは昆虫が大変好きなようね。」
「え? そうなの?」
そう言われてふと思い出してみる。
「ほら〜カブトムシの裏側〜!」「ぎゃーキモい見せるな!!」「見てみて、ダンゴムシの裏側〜!」「やめてよ、まじでキモい!!」「じゃ〜ん、セミの裏側〜!」「ああああああああ!」
「いや、虫は好きじゃなかったと思うけど。」
「そうなのかしら。」
「うん。むしろ嫌いよりじゃないかな。市図さんは?」
「ふふ、そんなの、無理に決まってるでしょ〜!!」
「無理なんですか。」
「うん。まあでも、ここの絵は昆虫の絵が多いじゃない? それで少しだけ興味を持ってね。
生物学の本が書斎に何冊かあったから、昨日はそれを読んでいたわ。」
「さすがだね。こんな時くらい休めばいいのに。」
少し慰安という意味も含めて今回誘ったのに、と内心で毒づく。
ただ、本人が望んで行動している以上は、止めるのも野暮なことである。
「でも、苦手なら虫の絵なんて見なきゃいいのに。」
「んー。私の価値観がひっくり返されたっていうか。
彼女の絵の昆虫って、生物の神秘というか、ある種のフェロモンのようなものを感じるのよね。
無意識に引き寄せられて、そのまま引き寄せられて骨の髄まで吸い上げられそうな。」
「食虫植物に似てますね。」
「本当よね。」
「昨日、どこにコーヒー置いてあるか聞いておいたんで淹れますよ。食堂には行きましょうか。」
「ええ。」
こうして、望人は紅茶を、市図はコーヒーを飲んで朝を過ごした。
***
朝食を終えて、することもなく暇を持て余していると、エントランスにいる矢継の姿を発見した。
彼女と目が合う。望人たちよりも歳は上、40代ほどの女性。
目が合った手前なにも話さないと言うことも変だと思い話しかける。
「おはようございます。今日はどのようなご用件で?」
「おはようございます叶恵様、実はこれを。」
そう言ってポケットからメモを取り出す。
《青のインクが切れているので、街まで買ってきてください
インクはエントランスに置いておいてください》
そう書かれたメモ。それを一度ポケットにしまうと、
「朝起きたら部屋の前にこのメモと空の瓶が置かれていまして、今から買い出しに行こうかなと。」
わざわざ空の瓶を置いておくなんて、無言の圧力のようなものを感じる。
気弱そうな彼女は、億単位を稼ぐ女を怖がりはしないのだろうか。
いや、むしろ怖くて即日買いに行くのだろう。
「そう言うことでしたら、私が車を出しましょうか? ひもすがら暇でしたので。それに、矢継さんともっと話したいと思ってたので。」
「そう言ってくれるなら。申し訳ないけれど、頼める?」
「ええ、もちろんですとも。」
執事である以上こき使われるのは仕方ないのかもしれない。
しかし、同情するのもまた人である。これくらいは怒られはしないだろう。
「アンタには給料ださないからね!」って言葉が脳内で簡単に再生できる。
「それでは、行きましょうか。」
千賀山、安佐間にことを伝えると、山道を抜け、車に乗って街まで向かうのだった。
市図に伝えると、「本にも飽きたしついていくよ」といい、二人と共に街へ向かった。
***
行きは晴れていたのに、帰りは土砂降りで安全運転をしているとすっかり遅くなってしまった。
ただでさえ移動距離が長いのに、後少しでも時間が遅ければ事故を恐れて帰れなくなるところであった。
時刻は19時を回っていた。
矢継は急いで調理場に駆け込んで行った。
買い物袋から青いインクを取り出してエントランスの机に置く。
そのまま少し濡れたままで戻るのもどうかと思い、先にバスルームに向かった。
バスルームから出ると、すでに食堂には人が揃っていた。今日は珍しく、屋敷の誰一人としてかけることなく集まっていた。
誰とも話さない殻棲を除いて、6人は楽しく食事ができた。
その後、千賀山と約束通りホビールームで楽しいひと時を過ごした。
***
時刻はすでに23時を回っていた。ビリヤード、チェス、テーブルサッカーにエアホッケーと遊び、次はダーツをしようと言う話になった。
負けた方が食堂からテキーラを持ってきて一気飲みするというかけを始めて少しした頃のことであった。
バタン!!と勢いよく扉が開けられると少し汗ばんだ寝巻き姿の市図が駆け込んできた。
望人たち二人は少し驚いたような表情になる。
市図は肩で息をしながら、その後息を整えると、「二人とも、早くきて!! 見潟さんが殺された。」と言った。
***
市図から場所を聞いて、二人を置いて急いで向かった。
現場には胸部から血を流す見潟が仰向けになって倒れていた。
現場は三階南の部屋の奥、見潟のアトリエで、部屋中にはあらゆる絵画用具が散乱し、床にはインクが撒き散らされていた。
「・・・は?」
部屋に立ち込める鉄の匂い。横には腰を抜かして倒れている矢継や顔面蒼白の安佐間、こめかみを抑えている殻棲がいた。
すぐに現状を把握し直す。
「みなさん、一度部屋を出て・・・」
「うるせぇ、お前目の前で人が死んでるんだぞ。どうしてそんなに冷静でいられるんだよ!!」
そう怒鳴り声を上げたのは、普段から見潟と言い争っている殻棲であった。
「オレだって動揺してるよ!! ただ、オレは前職が警察官だ。誰か、警察には連絡したのか? 救急車は?」
そう呼びかけるが、か細い声で安佐間が答える。
「今日は悪天候で、まったく受信しないんです。何度かけても。」
「クソっ。こんな時に限って。みなさん、一度部屋を出てエントランスに!!」
そう言いかけた時に、廊下の方から信じられないような悲鳴が聞こえてきた。
「あああああああ私の見潟汐音ええええええ!!!」
そう言いながら顔を涙でぐちゃぐちゃにして駆け寄っていく。
それを強引に羽交締めにすると恨めしそうな目で望人を睨みつける。
「行かせてくれよ叶恵くん。」
「ダメですよ!! 汐音が残した証拠を、奪うつもりですか!!!!!!」
そう伝えると、腕の中で暴れていた男は身動き一つ取らなくなった。そして、自身の手で両目を拭いながら、嗚咽を堪えて、それでも漏れながら泣き崩れた。
「ミトくん、わかっているね。」
「はい、オレたちで・・・」
そこまで言いかけて、市図は手を望人の口の前に出す。
「私の部屋は見潟さんのアトリエの隣なんだ。それに、私はずっと一人だった。立派な容疑者なんだよ。」
「そんな・・・」
その言葉を聞いて絶句する。呆然と立ち尽くしていると、藁にもすがるように腰を引きずって矢継が服の裾を掴んで、
「あなた、警察官だったんでしょ! だったらこの事件、解決してよ!!」
「でも・・・」
それは業務執行妨害に当たる。それに、もう警察でもない自分の出る幕ではない。
そうだ、これ以上なにかして盤面を引っ掻き回すなんて。明日雨が止んで、それから警察に・・・
「わかりました。私が必ず犯人を突き止めます。」
そういうと矢継は少しだけ表情が明るくなった。
なぜそんなことを言ったのか。幼馴染を殺されて、犯人に苛立っていたからなのか。あるいは勢い任せに行ってしまったのか。どんな理由で言ったかなんて結局わからなかった。
***
「まずは第一発見者から話を聞かせてください。」
そういうと、矢継と安佐間が手を挙げて話し出す。
「私は普段、見潟様があまりにも休まず絵を熱心に描くものだから、定期的にその様子を見にいくんです。
それが21時、22時、23時、24時。
普段から、一声かければ返事が返ってくるんです。それなのに、返事が返ってこなかったんです。怖くなって、管理人室にいって安佐間さんに話したら一緒についてきてくれるって言って。
それで、もう一度声をかけたのですが全く応答する気配がなかったんです。」
言葉を引き継ぐように安佐間が語り出す。
「それで、いよいよおかしいなって思ったんですよ。それで、勢いをつけて扉に三回体当たりをしたら中に入れたんです。
その時には、既に。」
「そうでしたか。ありがとうございます。では、一度市図の部屋に。」
《死体発見時刻は23:00〜23:15頃。》
後ろの千賀山に振り返る。
彼は引退した医師であった。
「本当にざっくりしたことしかわかりませんが。死亡推定時刻は22:00〜22:30ごろだと思います。」
《死亡推定時刻は22:00〜22:30頃。》
「死因は背後からアレを一突きされたことが原因だと思います。背中から胸にかけて貫通していました。おそらく、即死していたかと。」
地面に転がる一本の剣を指差す。柄の部分がガラスでできており、さらに剣の部分は銀色で金属製。
壁には同じものと思われる剣が二本飾られている。
地面に転がった剣を観察する。剣の刃には血がついて固まっている。しかし、柄の部分がガラスであるにもかかわらず指紋がまるで見当たらない。
《おそらく見潟を殺した凶器である剣。しかし柄には指紋がない。》
「もう一つ、何度も胸部をナイフで刺されています。見つけただけで15箇所ほど。」
そう言われて部屋を見渡すと、片隅に血のついたペティナイフが転がっていた。
《血のついたナイフ。隠すように部屋の隅に捨てられていた。刃渡りは8センチほど。》
次は部屋を観察する。イーゼルの上にはキャンパスは置かれておらず、地面に転がっていた。さらに、気になることがあった。
《血の上に撒き散らされた赤のインク。その周囲には割れた瓶が、転がっていた。》
「なぜ赤いインクが撒き散らされているんだ?」
そう呟く叶恵に隣で青くなっていた千賀山がボソリと、
「わからない。でも、この殺人を一つの作品とでも思うなら・・・」
その先のことを考えると身震いがしたので、一度捜索に戻ることにした。
キャンパス以外に周囲に転がっている白い点々を見つける。それを一粒取り上げて観察する。
「薬か?」
「それは睡眠薬ですよ。最近見潟くんは寝つきが悪いようでしたので、矢継くんが街で買ってきて定期的に送っていたようなんです。」
《床に散乱する睡眠薬。小瓶の中には残り僅かとなっている。机にはレシートが置いてあり、日付は今日になっていた。》
さらに周りを見る。
《壁には破かれた絵画の破片があった。地面にはその絵の一部が転がっていた。きっとキャンパスの絵も完成していたらこれら全てが個人展覧会に並んだのだろう。》
望人は部屋を観察する。二人の証言を思い出し、違和感を感じる。
『勢いをつけて扉に三回体当たりをしたら中に入れたんです。』
その言葉を思い出して窓を確認する。
《窓ははめ殺しであった。》
「どうかしたんですか?」
窓を確認する望人に千賀山が訊ねる。
「いえ、もし二人の証言が本当ならこれは自殺かもしれないと思って。」
それを聞いた彼は絶望を色で塗った顔をして、すぐに怒りに満ちていく。
「そんなわけ、ないだろ。」
「ですよね、軽率でした。」
一度事件現場を後にして、今度は集まっている市図の部屋に向かった。
それぞれ呼び出し、22:00〜22:30の間に何をしていたのかを聞き出した。
「市図さんが犯人だと思わないのですが・・・」
そう、申し訳なさそうに呟く望人の手をぎゅっと握ると市図は、
「バカなこと言ってないで。そうやって先入観を持って捜査していては真犯人には辿り着けないぞ。」
《市図の証言。事件の起きた時刻、市図は自室で読書をしていた。雨の音で意識を削がれるのを嫌がり、イヤホンをして音楽を聴いていた。》
市図の部屋には書斎から借りてきたであろう生物の生態、体の構造。昆虫の図鑑。昆虫記。人体の仕組み。などがあった。
一度市図を部屋に戻し、今度は殻棲を呼び出す。
「けっ、どうせ俺を疑っているんだろ?」
そう敵意ぶつけながら望人に凄む。その視線を無視して、いいから話を聞かせてくれと頼んだ。
「その時間は部屋で飯食ってたんだよ。」
「ん? 夕食なら一緒に食べたじゃないか。」
「ああん? お前らと一緒なら飯も不味くてロクに食えなかったんだよ。だから一人部屋で食ってたんだ。」
その言葉を聞き、殻棲の部屋とアトリエに向かった。部屋には食べ残しのある食器があった。アトリエには赤や黄色を基調とした暖かみのある絵が描いてあった。
「ん?」
部屋をよく調べると泥のついた靴と水滴のついた雨具が乱雑に机の下にしまわれていた。
扉の金具には青い何かが付着していた。
再度戻って殻棲に話を聞く。
「確かに食べかけだか食器の上には今晩の夕食があった。ただ、机の下にあった靴と雨具はなんだ?」
それを聞くと、殻棲は血相を青くして──
「はぁ? なんだそれ。知らないな。」
そういう殻棲の右手の人差し指には青いなにかが付着している。妙な違和感が心の中でざわめつく。
《殻棲の証言。事件時刻では部屋で食事を摂っていたという。しかし、部屋にはインクと思われる青い何かや、殻棲自身にも付着していた。さらには、泥のついた靴や水滴のついた雨具などもあった。》
殻棲を部屋に戻して、今度は矢継に話を聞くことにした。事件発生時刻には何をしていたのか。
「その頃ですと三階の自室でハーブティーを飲んで事務作業をこなしていました。見潟様の個人展覧会まで日も迫っていましたので、そのための。
しかし、このようなことになってしまい・・・。
いえ、今のは不躾でしたね。」
望人は今の証言を下に三階北館の矢継の部屋に向かった。
矢継の部屋は整理整頓されていた。机の上にはリラックス効果があるとされているハーブティーと、先ほど話していた書類が山のように並んでいた。
その部屋に、気になるものを発見した。
「これは。」
今日昼に矢継と買い出しに行った時に買ったあの青いインクの空瓶が、矢継の部屋のゴミ箱の中から出てきた。
部屋を再度確認して、あとにする。
部屋で見たことについて、素直に矢継に伝えると、幸薄そうな顔を白くさせて──
「あれは・・・そうそう。これを見てください!!!!!!」
そう早口で捲し立てるようにスマホを取り出すと、メッセージ履歴を見せる。
それはどうやら見潟とのやりとりのようだ。
やりとりというにはあまりにもひどい、見潟が一方的に贈るメッセージなのだが。
{青のインクの瓶を部屋まで持ってきて欲しい-20:48}
{茶を入れて持ってきてくれ-22:32}
「私は言われた通りに青いインクの瓶を持っていったんです。エントランスに置いてあるのを、夕食後に持っていくのを忘れたみたいで。それで、一階まで降りて取りに行って渡したんです。
もちろん、部屋の前に置いてですよ。直接ではないです。
そのあと、またメッセージが来て、今度は瓶が空のまま部屋の前に置かれていたんです。
その下にはこんな紙のメモが置かれていたんです。」
《たすかったありがとう》
「お茶を届けた帰りに、空になった瓶を持って返って処分しただけなんです。本当です。本当なんですよ!!」
震える声でそういう彼女の言葉が真実のように聞こえる。演技のようには見えない。
《矢継の証言。事件発生頃、自身の部屋でハーブティーを飲みながら事務仕事をしていた。部屋には飲みかけのハーブティーと空になった青のインク瓶が捨てられていた。自身のメールに書かれた文章(20:48)には{青のインクの瓶を部屋まで持ってきて欲しい}と書かれた文章があった。その言いつけ通り部屋まで瓶を持って行き、その後部屋に戻ってしばらくすると、今度は{茶を入れて持ってきてくれ}と言うメッセージ(22:32)があった。そのまま茶を渡そうとしたが、鍵が閉まっており、廊下に出されていた空の瓶と茶を交換して部屋に戻った。》
最後に、まだ詳しく話を聞けていない安佐間と話をすることにした。
「事件発生時、あなたは何をしていましたか。」
「その頃でしたら、一階の管理人室のシャワールームでシャワーを浴びていたところです。ですから何か手がかりになるようなものなんて・・・あ!」
何かを思い出したように安佐間は声を出す。
「何の役に立つかはわかりませんが、管理人室には監視カメラの映像が見れて、その記録くらいですかね。ただ、その記録は館内を記録したものではなく、外部の人間、とりわけ正門の出入り口を監視していて事件とは関係があるのか・・・。」
「何かの手がかりにはなるかもしれない。一度その映像を見せてもらうことはできるか?」
「それはもちろん。捜査の役に立つのなら、喜んでお受けします!!」
安佐間と二人で一階の管理人室に向かった。部屋を見ると確かに湿ったシャワールームがあり、洗濯機の中には服やバスタオルなどがあった。
すでに乾いているのを見るに、乾燥機付きのいいやつのようだ。
「叶恵様、この時間ですよね?」
そう言われてモニターを確認する。時刻は22:00。
そこから倍速で見ていると、22:09に、黒い被り物をした人物が外へ出ていくのが目撃できた。
しかしその人物の顔まではよくわからなかった。男であるのか女であるのかな判別もつかない。
その後、22:21に再度モニターに黒い被り物をした人物が帰ってきた。
「これは・・・」
その映像を見て、安佐間は目を大きくぱちくりとさせ、血の気が引いていくのがまじまじとわかった。
望人自身もその様子を見て全身の産毛が逆立ち、さらに血管が膨張していくのを感じた。
《安佐間の証言。事件発生時刻、安佐間は警備室でシャワーを浴びていたと言う。監視カメラには黒い被り物ををした人影が正面玄関を抜けていった映像があった。》
安佐間に傘を借りた望人は、一度安佐間を部屋に帰すと、豪雨の中外に出るのだった。
外はとても寒く、もっと厚着してから早かったと若干後悔した。
当然周囲一体を隈なく探すつもりだが、最初にいくのは──
「南館のある、石像の場所だ。」
石像の前までくると、望人は傘を畳んで石畳の上に置く、そしてジッパーに入れたスマホのライトをつけて周辺を隈なく捜索する。
地面に歪な窪みを見つける。
4箇所、同じサイズの窪みが土を抉っていた。
さらに周囲を探すと、森の中からアルミ製の脚立が出てきた。
脚立を穴の近くに置くがそこで驚愕する。
「これって長さ足らなくないか!?」
脚立を登った先、高さは十分三階に届くが、窪みの位置からではどう足掻いても壁にたどり着けない。
《石像の証拠。南館前の石像の近くには不自然な4箇所の窪みと脚立が置いてあった。しかし、窪みと壁には違和感があった。》
さらに周囲を確認しても、手がかりになりそうなものはなかった。
現状、ホビールームにいた望人と千賀山しかアリバイがない。
誰が犯人なんだ? 情報が開示されればされるほど混乱する脳を掻き回しながら皆が待つエントランスに戻った。
***
ここまで本作を読んでくださった読者の皆様、誠にありがとうございます。
ここからはいわゆる"推理パート"というものに移ります。
普段から推理小説を愛読している読者様方には既に犯人の目星がついていることと存じます。
しかし、まだ犯人がわからない。そういう方もいらっしゃると思います。
そういう方の中には、自分で事件の真相に辿り着きたいという人も多くいるでしょう。
ということで、もし自分なりに答えが出したい人はここで一度読む手を止めることをお勧めします。
しかし、もちろん犯人だって必死でバレないように努力しています。
中には、「嘘の証言」や「偽装工作」が行われているかもしれません。
また、「証拠隠蔽」に走ったりしている可能性も排除できませんよね。
ですから、今手元にある情報が全てだと思わないこと、これは大切だと思います。
ここまで読んだ上で問います。ここから先の推理パートに進みますか?
本当に進みますか?
考え直しませんか?
いいんですね?
それでは、そこまでいいというなら。
名探偵の皆々様、どうか犯人を暴いちゃってください!!!!!!
《最終警告:コノ先、危険、注意シロ!!》
***
エントランスに戻ると、頭から雨で濡れている望人を見て皆愕然としていた。
ただ、すぐに表情を戻し、その中の一人、矢継が話しかけてくる。
「あの、叶恵様、見潟様を殺した犯人は、・・・見つかったのですか?」
怯えるような視線と声音でそう尋ねてくる。
その言葉に、正面から立てず、見つめ帰すこともできず、力強く拳を握り締め、歯軋りする。
「すみません・・・今の状態では・・・」
望人は地面を睨みつけながら謝罪の言葉を口にすることしかできなかった。
だが、そんなことを許せない人がいる。
「ざけんじゃねぇ。」
「ざけんじゃねぇぞゴラァ!!
お前はさっき犯人を見つけ出すっておおみえ切ってそれで俺たちはお前の捜査に協力してたんだ!!」
望人の胸ぐらを掴み、ゼロ距離で怒鳴りつける。
「なのにその結果が何もわからないダァ!?
テメェ舐めたこと言ってんじゃねぇぞゴラァ!
汐音は、汐音はなんで殺されたんだよ。誰に殺されたんだよ。なんでそれがわからないんだよ!!」
掴んでいた手を離して拳を作り望人の頬を殴り飛ばす。
体育会系でもかければ大柄でもないパンチはさほど痛いものではない。
なのに、それなのに望人は鋼鉄のハンマーでぶっ叩かれたような衝撃が脳に走った。
「そうやって呆然としてれば解決したと思ってんのかよぉ!
人が死んでるんだぞ。それも、あれだけ夢に必死で努力して、それで目指してた個展も目の前にして、そんで命奪われたやつに、テメェのこと殺した犯人はのうのうと行きますよなんて言えんのかよぉ!」
「やめんか!!」
千賀山の制止も無視してまたしても拳を握りしめて望人の頬をぶん殴る。
たいして痛くもないはずなんだ。なのにどうして金属バットでフルスイングされたいな衝撃が魂を突き抜けていくのか。
「なあ、マジで言ってんのか。だったらいいぜ。俺が、アイツのためにも犯人を見つけ出してやる。」
そういうと、殻棲は振り返り、外の雨音に負けないくらいの大声を張り上げる。
いいのか、本当に、それでいいのか?
「まずは凶器からだ。お前ら全員見ただろ。あの部屋の惨状を。そして、床に転がっていたあの剣を。」
「ええ、あの剣には血がついていましたね。」
安佐間が同調する。
「だったら、見潟様はあのようなもので殺されてしまったのですね。」
「でも変なんです。あの剣の柄には指紋もなにも残っていなかった。」
悲壮的な矢継の後に、被せるようにして焦った声で千賀山がつぶやく。そして千賀山は──
「彼女の胸部には15箇所もの刺し傷があったんですよ。」
「はぁ!? それは本当なのか!?」
「ええ、それに、部屋の隅には肉用ナイフが転がっていました。」
「だったら、そのナイフが凶器なのか! クソ、犯人め、偽装工作しやがったな。」
なんだなんだ、知らないところで議論が始まってしまった。
なのに、望人はついていけていなかった。
「ミトくん!!」
「市図さん・・・?」
「あなたが諦めてどうするの? それでも私の助手?」
そんなこと言われても、オレだって、やりたくてやってるわけじゃないのに。
そう弱音を吐きたかった。逃げたかった。
ただ、目の前で見つめる女性が、後ろで死んでいった女性が見つめてくる限りはそんなこと言えない。
そんな気がした。
考えるんど。叶恵望人。なにか、手がかりがあるはずなんだ・・・。──
「待ってくれ!! 千賀山さん、思い出してくれ!!」
「ああ?」
望人の話を遮ろうとする殻棲を、「待てって言ったんだよミトくんは。」と冷静に声をかける市図。
望人は市図に少しだけ微笑むと、彼女は「がんばれ」と言ってくれているような気がした。
「思い出してくれ。千賀山さん。オレたちが一緒に捜査した時のことを。」
「思い出す?」
〜「死因は背後からアレを一突きされたことが原因だと思います。背中から胸にかけて貫通していました。おそらく、即死していたかと。」〜
「あの時死因を特定したのは他でもない千賀山さんじゃないですか。」
「でも、そうじゃないと・・・」
「犯人はガラスの剣で見潟を一突きして、証拠になるものを拭き取る。その後、犯人はペティナイフであたかも連続刺突によるショック死に見せかけた。
あなたは今、見潟が自殺したかもしれないという可能性のせいで、確実な証拠を信じれていない。
医師であるあなたが、医学的な死因を信じれなくてどうするんだ。」
「ざけんなやぁ!!」
怒声をあげて望人を睨み上げる。唾を飛ばしながら糾弾するように声を上げる。
「それならその拭き取った証拠を出せやゴラァ。だせねんならそれは穴のある推理ってことになるぜ?」
確実に凶器はガラス剣で決まりだ。ただ、それを裏付ける根拠が千賀山の証言だけだと厳しい。
というよりも、殻棲は単純に望人の推論に噛みつきたいだけのように映る。
攻めあぐねている望人に、思わぬ助っ人が参上した。
「いーや殻棲くん、凶器はガラス剣だ。」
「・・・はぁ?」
千賀山である。
「ペティナイフで殺すために15回刺したとしよう、それだけの回数を刺すのに時間もかかる。間違いなく。それに、何度も刺されている人間の出血量じゃないんだ。
人は死ぬと心臓が止まり、血が流れなくなる。もしペティナイフが死因になるならもっと多く血が流れていないとおかしいんだ。」
それを聞いていた矢継が、思い出したようにつぶやく。
「そうだ。それですよ。千賀山先生、あれって血じゃなくてインクだったんですよね?
だったら、もしかして、出血量を誤魔化すために撒いたって可能性も・・・」
《血の上に撒き散らされた赤のインク。その周囲には割れた瓶の蓋が転がっていた。》
「くそっ!! 犯人の罠だったのかよ!!」
どうやら矢継の指摘が確信となって、意見を呑んでくれたようだ。言葉を引き継いで市図が続ける。
「じゃあ、凶器はガラスの剣で決まりだね。次は、具体的にどういう経路で犯人が殺したかを特定しようか。」
その言葉を皮切りに議論が進んでいく。
「そんなの議論するまでもねぇ。犯人は扉をぶち破って突入して、そのままぶっ殺して逃走したんだ!!」
「いえ、扉を壊したのは私なんです。鍵が閉まっていて、それで強引に開けたんですよ。」
「そうです。確かに、私も見ました。この目で見たんです!!」
「はぁ!? だったらどうやって犯人は殺したんだよ!!」
焦りを隠せないでいる殻棲に、千賀山がつぶやく。
「窓ですよ。あの窓から入ってきたんだ!!」
「んな訳あるかよく考えてみろ!! 事件現場は三階だったんぞ! どうやって部屋に入るんだよ。」
それは現実的に不可能だという殻棲に、安佐間が続ける。
「登れるものがあれば話は違わないですか?」
今の話の流れ、そこで思い出す手がかりがあるはずだ。
「そうだよ安佐間さん。あの時一緒に監視カメラの映像を見ましたよね。」
《安佐間の証言。事件発生時刻、安佐間は警備室でシャワーを浴びていたと言う。監視カメラには黒い被り物ををした人影が正面玄関を抜けていった映像があった。》
「ええ、まあ。」
「あの後黒い被り物をした人物の手がかりを探して外に出たら、南館の石像近くに脚立とその足の跡と思われるものが見たかった。」
その時の写真をジッパーから取り出したスマホで見せる。
すると、それをみた全員がなにか得心がいった顔つきになった。
望人の言葉を引き継ぎ矢継が語る。
「だったらその監視カメラに映る人物が、この事件の犯人なんじゃないですか?」
犯人の一端に触れたと湧き上がる中、望人は一つの証拠を提示した。
映像に映る人物は、アイツしかいない。
「・・・」
「殻棲、お前が黒い被り物の人物の正体じゃないのか?」
「はぁ?」
眉をひそませて、顔を真っ赤にして殻棲が激昂する。しかし、周囲は殻棲を責める聞いた満々であり、今もなお罵声が飛び交っていた。
そんな罵声を大声をあげて振り切る人物もいた。
「るせぇなぁ!! 俺じゃねぇよ!
だいたい、証拠でもあんのかよ!! 出せるもんなら出してみやがれや!!」
そういう殻棲に熱をぶつけるでもなくただ淡々とした言葉で返す。
「みんな、今から殻棲の部屋に向かう。」
「なっ、・・・おい、待てよ!!!」
殻棲の制止も無視して、望人は無慈悲な足取りで向かう。その背を5人は追っていた。
部屋につき、殻棲の机の下からあるものを引き出す。
「これは、あの監視カメラに映ってた被り物じゃないのか?」
出てきたのは水に濡れた雨具と、土のついた靴だった。
《殻棲の証言。部屋には泥のついた靴や水滴のついた雨具などもあった。》
みるみる血相が悪くなる殻棲を見ていた矢継が避難の言葉を投げかける。
「あなた、、、、いえ、あんたは最低だよ。」
「そうです。私だって、口は悪いが見潟くんを認めている、そういう画家だと思っていたのに。」
「さっきまでのは全て演技・・・あなたという人は。」
数々浴びせられる罵倒の中、小さく「違う」と呟く声があった。
「違うっつってんだろうがあああああああ!!!!」
その声は殻棲の部屋を反響していつにも増して強く鼓膜を揺らした。
「お前ら、俺は犯人じゃねぇ!」
「今更何をいうかね!!」
「そうだ、君の机の下から動かぬ証拠が出てきたではないか。」
「違う、これは濡れ衣だ!!」
「レインコートだから濡れ衣だなんて、うまく言ったつもりなのかな。どう思うミトくん。」
そんなこと冗談言ってる場合じゃないだろウチの師匠さん。
しかし、あの映像に映っているのは殻棲で間違いない。
それを認めてくれなければ・・・
しばらくの喧騒ののち、殻棲は一つため息をつくと。
「はぁー、そうだよ。あの映像に映ってるのは俺だよ。」
ついに認めた殻棲に対して皆の糾弾がより一層勢いを増す。
「この野郎・・・それが人を殺したやつの怠惰か!!」
「ふざけないで、アンタなんか今すぐ取り押さえてやる!!」
「見潟くんへの謝罪を聞けていない、それを聞くまでは喋れるようにしておいてやる。」
「どいつもこいつも勝手言ってんじゃねぇぞ!!」
「ちゃんと一から説明するから耳の穴かっぽじってよく聞け!!」
「俺はある噂を耳にしたんだ。「見潟が石像の右指にサファイアの指輪をはめている」って話をな。
それは莫大な富を得たアイツが資産を隠す算段だったんだろうぜ。
でもな、いくらなんでも不用心にもほどがあるだろ!!
だから俺は言ってやったんだ。そんなバカな真似はやめろって。
なのにアイツ、ぜんぶ否定しやがった!!
俺はこの目で石像の右指が青く光るのを見てるんだ。
誰かに取られちまったらそれこそダメだと思って、申し訳ないと判っていながら抜け出して、脚立をかけて手を伸ばしたんだ。
なのに、そこには指はなんてなかった。
あったのは雨で溶けた青いインクだけだった!!
俺はそこで初めて見潟は嘘なんてついてなくて、ただ俺がガセネタ掴まされただけだって気がついたんだ。
そん時に一度見潟の部屋覗いてみれば、キャンパスのないイーゼルだけが立ってて、アイツはもう部屋でたのかって思ったが、今考えりゃあの時には既に殺されてたんだろうな。ひとつ引っかかるとすりゃ青いインクが滴るのを見たくらいで、でもそんなのどうでもいい。
それで帰ってきたら見潟は死んでてよぉ。本当のこと言ったら真っ先に疑われると思ったんだよ。だから、嘘をついたんだ。」
吐き捨てるようにそう呟くと、殻棲は深く椅子に腰掛けた。
しかし、舌鋒鋭く切り掛かるものもいる。
「何言ってるのよ。見潟様をやったのはあなたなんでしょう! どうせその指につけているのも偽装工作なんでしょう! 私にはわかるんだから。」
「うーむ、確かに。そうなのかな?」
矢継の糾弾に、少し殻棲の主張を信じかけていた安佐間が小首をかしげる。
「そうに決まってるわ。どうせ脚立で窓から侵入したのを誤魔化すために、用意してただけなんでしょう。」
「どうなんだね殻棲くん、本当のところは?」
何も言えないで、目を瞑っている殻棲。しかし、本当にそうだろうか?
そうでないと言える証拠なら──
「矢継さん、その主張は間違っている。」
そう切り返した望人を見て、その場の全員が顎を大きく開いていた。その中でも一際大きく口を開いていたのが殻棲だった。
「はっ、はぁ? おい、それはどういうことですか。殻棲様・・・いえ、アイツを追い詰めたのはあなたなのに。」
「いや、殻棲は不可能犯なんだよ。まず、あの石像での写真を引きで見て欲しい。」
今度は別の写真を取り出してそれを見せる。
《脚立を登った先、高さは十分三階に届くが、窪みの位置からではどう足掻いても壁にたどり着けない。》
「壁に向けて脚立を向けても、まるで届かないんだ。頑張って飛びかかっても、あの雨の中、足場の悪さじゃ到底できっこない。
だから、脚立を逆向きにしてみたんだ。」
そこで、新たに写真を見せる。
そこには、脚立の先に石像の右手が成人した人間であれば届く距離に置かれていた。
「なぜこの向きに置かれているのかわからなかったんだ。でも、漸くわかった。殻棲の証言は嘘じゃない。証拠があるんだ。それに、あの窓は開かないんだ。」
《窓ははめ殺しであった。》
「あの部屋の窓は全てはめ殺し。つまり、窓を開くことができない。あのアトリエの部屋は風が入ることを想定していない作りになっている。それは、画家が、自分の創作領域を侵されないための最善の努力の結果だったんだよ。」
「な、なるほど。」
「あちゃー、これで殻棲くんはアリバイができたね。監視カメラに映ってるのが殻棲くんで、犯行時刻から逆算すると、うん。これで容疑者は3人になった訳だ。」
「まだ市図さんも容疑者ですけどね。」
「テメェ、判っててわざと追い込みやがったな・・・」
恨めしそうな目で望人を見つめてくるが、最初から正直に証言しなかった殻棲が悪い。
「だったら、何もわからないに逆戻りですか。」
「犯行経路も何もかも・・・」
「何言ってんだオメェら!!」
空気がまた沈みかけたところで、殻棲が稲妻のような語気で叫ぶ。
「これで判ったろ!? 犯人は、あの石像に青いインクを塗ったやつが犯人だ!!」
その言葉が部屋全体に響き渡ると安佐間が──
「なるほど、そういうことなのですか。」
それに続くように千賀山が──
「だったらその証拠となりそうなものを探せば良い!!」
彼らの言葉を聞いていた中で、殻棲はある人物が明らかに動揺しているのに気がついた。
「おいおい、なにを縮こまってんだよ矢継!!」
殻棲の怒号が矢継の耳元で響く。
「私は知りません。そんな、物知りません!!」
「テメェもなんか隠してることがあるんだろう!?」
「そうなのですか矢継さん。」
「どういう理屈で殻棲くんが矢継さんを疑ってるのかわからないけれど・・・。」
「うっせぇ女は黙ってろ。」
「・・・」
「例え怪しくとも、そんな言い方はないよ殻棲くん。」
「アンタらが俺によくそんなこと言えたな。」
さっきの話、違和感があった。青いインクの手がかりがないなんてあり得るのか?
「いや、今のことは過去の自分に矛盾するぞ矢継さん!!」
《矢継の証言。事件発生頃、自身の部屋でハーブティーを飲みながら事務仕事をしていた。部屋には飲みかけのハーブティーと空になった青のインク瓶が捨てられていた。》
一同で矢継の部屋に向かうと、そこには案の定というべきか。
彼女の部屋のゴミ箱には青いインクのついた空の瓶と糸くずのようなものが捨てられていた。
「ちょっとまって」
焦る彼女に殻棲は止まらない。
「よくもさっきは嵌めようとしてくれたなぁ矢継!!
もう絶対ぇゆるさねぇ。お前だけは絶対ぇだ。
見潟、俺がムショ行く羽目になっても止めんじゃねぇぞ!!」
「それは私たちが流石に止めますけど!!」
「るせぇなくそジジイどもが。ゴミみたいな推理で騙されかけてたんだから大人しくすっこんでろ!!」
「私はやってない私はやってない私はやってない私はやってない・・・」
「真犯人は殻棲くんではなく矢継さんだった。これでいいんだねミトくん。」
殻棲のアリバイから、青いインクを犯人が使ったのは間違いない。
だったら、矢継が犯人で間違いない・・・。
「いや、やっぱりそれはおかしいぞ!!!」
「あの、さっきから叶恵様はなにを・・・」
「テメェ犯行全部わかっててそうやってんなら後で殺すからな!!」
望人の待ったに目を輝かせるように見つめてくる。
「そもそも、犯人が自室にそんな物的証拠を残すようなことをするのか?
それに、矢継さんがその青いインクを犯行に使ってないって証拠があるんだよ。」
《矢継の証言。自身のメールに書かれた文章(20:48)には{青のインクの瓶を部屋まで持ってきて欲しい}と書かれた文章があった。その言いつけ通り部屋まで瓶を持って行き、その後部屋に戻ってしばらくすると、今度は{茶を入れて持ってきてくれ}と言うメッセージ(22:32)があった。そのまま茶を渡そうとしたが、鍵が閉まっており、廊下に出されていた空の瓶と茶を交換して部屋に戻った。》
「これは矢継さんと汐音のメッセージのやりとりだ。もちろん、矢継さんの自作自演なら破綻する話だ。
でも、自作自演なのか?
それはありえない。そもそも青いインクがなぜ石像に塗られてたかって話になるが。」
「そんなの、ソイツが俺に罪をなすりつけようとするために・・・」
「そうだ。犯人は、偽の犯人として殻棲をでっちあげようとした。
そのためには、石像に青いインクを塗る必要があるだろう?
思い出してくれ殻棲、お前が外に出る時には何が必要だったんだ。」
「・・・そうか、雨具が。」
「そうだ、だがそれらしいものは見つかっていないんだ。これが夜の間に青いインクを塗るために必要な条件だ。
問題は、雨の降っていない時間なら青いインクが雨具がなくても塗れるってことなんだ。
千賀山さん、昨日オレたちで話をしてた時は、石像にインクなんてあったか?」
しばしの沈黙の後、千賀山はゆっくりと唇を動かす。
「なかった。なかったよ。あれだけ深く細部まで語ったんだ。見てない訳ないんだよ。」
「だから、石像の指に青いインクをなるなんてことができるのは今日の昼にこの屋敷にいた人間だけなんだ。」
そう、矢継にはアリバイがあった。
偽装工作をする時間がないというアリバイが。
「それは、汐音の机の上にあるレシートが証明している。」
《床に散乱する睡眠薬。小瓶の中には残り僅かとなっている。机にはレシートが置いてあり、日付は今日になっていた。》
「この時間、オレと市図さんと矢継さんは街まで買い出しに行っていたんだ。」
「まてよ、犯行時間に監視カメラでアリバイが証明されているのが俺で・・・」
「叶恵くんと犯行時間にアリバイがあるのが私・・・」
「そうだ。犯行時間にも、偽装工作可能時間にもアリバイがない人間が、汐音以外に一人だけいるんだ。
安佐間わく、お前が犯人なんじゃないのか!?」
しばらくの沈黙ののち、彼が口火を切る。
「確かにアリバイがないのは認めます。ですが、肝心の犯行経路についても教えていただけますか?」
「なっ!?」
「あなた、まさか開き直るの!?」
今までの恭しい態度からは一変、相手を嘲り、見下すような態度をとる。
その姿は初めて見た時の紳士的な男はどこにもいない。
「矢継さん、あなたは見ているはずですよ。私が鍵の閉まった部屋の扉を突き破るのを。」
「そ、それは。」
「それに、先ほど言いましたよね叶恵望人。あの部屋ははめ殺し窓だと。」
「っく。」
「だったら、犯人は、どうやって見潟さんを殺して逃走したんでしょうか。
考えられることは一つ。これは、見潟さんの盛大な自殺だったんですよ。
先ほどのメッセージから見ても明らかですよね。自殺の準備が整って、殻棲さんや矢継さんをハマる算段が整って。
それで逝ったんですよ。
どうせあとで指紋検査でもすれば、ナイフから見潟さんの指紋が出てきますって。」
それはまるで、全てを自白しているような口ぶりであった。
本当に彼が犯人なのか?
「これって密室殺人ですよねー?
自殺じゃなきゃ密室殺人ですよねーえ!?
殺してから逃走して、死体だけの部屋に鍵を閉める手段がない限りは不可能ですよねー?
だったら自殺なんじゃないですかー?」
「なんなんだよお前。自分で自分が犯人ですって言ってるようなものだぞ。」
「そ、そうですよ。それなのにあなたという人は。」
「最低です。殻棲さんだけでなく私まで嵌めようとするなんて・・・」
「刑事訴訟法319条2項、被告人の自白が唯一の証拠であるとかは、有罪とすることができない。」
勝ち誇ったように望人たちを一瞥する様子から、犯人で間違いない。
だが、本当に逃げ場のない部屋で鍵を閉めて逃走なんてできるのか・・・
「証拠ならあるぞ!!!」
「は、はぁ!?」
目玉が飛び出してきそうなほど驚くその男に、望人は順序立てて話す。
「みんなあの部屋の鍵のことを思い出してくれ。
あの部屋は、外から開けるための鍵穴が存在しない。
あるのは内側にあるサムターン式の鍵だけなんだ。」
「サムターン?」
小首を傾げる矢継に市図が説明する。
「ドアの内側にツマミがついていて、それを指で回すだけで施錠や解錠ができる鍵のことだよ。
ただ、普通は外側にシリンダー・・・鍵穴があるんだけど、設計者の好みなのか、あとから外したのか。どちらにせよ、見潟さんの部屋にはシリンダーがついていなかったんだよね。」
「ああ、犯人はそこに目をつけたんだ。」
《ひとつ引っかかるとすりゃ青いインクが滴るのを見たくらいで、でもそんなのどうでもいい。》
《彼女の部屋のゴミ箱には青いインクのついた空の瓶と糸くずのようなものが捨てられていた。》
「犯人は、汐音を殺した後、鍵を閉めずに逃げた。いや、言い換えるなら、鍵が自動で閉まる仕掛けを作って逃げたんだ。
汐音に部屋を開けさせて中に入った犯人は、壁にかけられていたガラスの剣をとった。
そのまま背中から汐音を刺して即死させた。
その後ガラスの剣から証拠を消した犯人は、自重の変化で鍵が閉まる仕掛けを作る。
それが、インク入りの瓶と糸だ。
時間経過で中身のインクが排出されると、最初は自重が釣り合っていた重しがその均衡を保てなくなり、勢いよく落下する。
その勢いを利用して鍵を閉めたんだ。
おそらく、殻棲が見た青いインクの正体はこの時間差を利用したトリックだったんだ。」
望人の推理に、みるみる顔が赤くなっていく安佐間。
肩で呼吸し、鼻息を荒くして──
「だったら、だったらなぜその瓶が、空の瓶が矢継の部屋のゴミ箱にあるのだ!!
それに、落下したなら割れてるのが道理であろうが!!」
「甘い!!!!!!」
《矢継の証言。事件発生頃、自身の部屋でハーブティーを飲みながら事務仕事をしていた。部屋には飲みかけのハーブティーと空になった青のインク瓶が捨てられていた。》
「オレが最初に捜査に来た時には、矢継さんの部屋には糸くずはなかったんだ。なのに、今来た時にはあった。
これは、犯人が第一発見者であれば出来る芸当なんだ。
死体を見た犯人以外の人間が、初めに死体でなく部屋の状態に目を見張ることなんてできない。
そこを利用して、地面に散乱した糸くずを回収した犯人は、完全に矢継さんに犯行をなすりつけるため、部屋に来たタイミングで処理しようとした。」
「そ、それだと、割れたことには説明が・・・」
「2度も言わせるな、甘い!!!!!!」
《血の上に撒き散らされた赤のインク。その周囲には割れた瓶の蓋が転がっていた。》
「犯人は、汐音を殺した後に赤いインクを撒き散らしていたよな。
あれの目的は出血量の偽装工作ではない。赤いインクを外に出すことで、青いインクの中身を空にすることだったんだ。
中身ながらになった赤のインクの瓶に、青いインクを流し込むことでトリックを作り外に出る。
そのままメモと共に空になった青いインクの瓶を部屋の前に置く。
これが、見潟汐音密室時間のタネで真相だ!!!!!!」
全てを突きつけられた安佐間は
抵抗するわけでもなく、ポツリポツリと語り出した。
「俺には息子が居たんだよ。いたんだ。
そいつにはろくでなしの彼女がいたんだ。どこがいいのかさっぱりわからないガサツで夢ばかり見ていて、それでいて支えてくれている男を見向きもしない女が。」
「俺は何度も止めたんだ。あんなゴミとは早く手を切れって。でもなぁ、それのせいか、あいつはあの女じゃなくて俺との縁を切りやがった。
育ての親ではなく、自己中な女を選びやがったんだ。」
「それからしばらくしてのことだ。息子の訃報を耳にした。死因は自殺だ。何度も何度も自分の胸部を刺して死んだんだ。
遺書にはこう書いていた。」
「大量の借金を抱えた。信じていた人に裏切られた。支えてきたのに金を出してやってきたのに、世間に認知され出した頃から、金のある男とばかり関わるようになった。
自分には山のような借金と、金のある人間への劣等感だけが残った。」
「そんな時だ。あの女がテレビに出ているのを見かけたんだ。そいつは億単位の額を稼ぐ有名な画家として紹介されていた。
そいつを取り巻く人間がたくさんいることも知った。
そして、そいつらが俺の息子を追い詰めたんだってことにも気がついたんだ。」
「最初は殺すつもりなんてなかった。ただ、一眼だけでもどんなやつか見てやろうと、あの時捨てた男の父親だぞって匂わせて終わらせるつもりだったんだ。
なのに、あいつは過去の男のことを、息子のことを忘れていたなかったことにしていたそれが許せなかった。」
「息子の無念を晴らせるのは俺しかいない。その時から殺害を目論んだ。言い訳なんてもうしない。
見潟汐見は俺が殺したんだよ。この手で殺したんだ。
返り血は洗濯してシャワー浴びて流したんだ。そんなもん、見りゃわかるだろ。」
「どんな理由であれ、殺人は許されない。」
望人の言葉が、大切な人を失っていない人間の言葉が安佐間には、空の瓶よりも軽く感じた。
だから、心になんて響かない。
「安佐間さん、それは違うんじゃないかな。」
「・・・?」
今まで静観していた市図が口を開く。
それは目に入れない方が、耳に入れない方がよっぽど安佐間にとって楽だったろう事実。
「見潟さんはあなたの息子さんのことを捨ててなんていないよ。ただ少しだけ忙しくて構ってあげられなかったんだと思う。
それでね、きっとそのことについてずっと後悔してたと思うの。」
「あのね、見潟さんと二人で話したことがあるの。その時彼女は、あなたが、安佐間直茂のお父さんだってわかってたって言ってたんだ。」
「っなあ。」
望人はその時、具体的な名前まで出したことでこの話は本当なんだと確信した。
それは他の誰もがそうであり、安佐間わくも同様であった。
彼の瞳から大粒の涙が滝のように落涙する。
それは止めどなく溢れてくる。
「初めてあなたに会った時、好きな人の親に会ってびっくりしちゃったんだって。
それとね、直茂さんから聞いたいたお父さん像からかけ離れていて動揺してたとも言ってたんだ。
音信不通になった直茂さんのことを父親である安佐間さんなら知ってるんじゃないかなって思ってたけれど、音信不通にさせちゃった原因が自分にあるんだって素直にならなかったみたいなの。」
「だからね、少しでも自分に勇気が欲しかったんだよ。彼の隣にいてもいいって。
1番辛い時に支えてくれた心優しい直茂さんの隣に立ってもいいですかって、堂々と言うために、安佐間さんに1番近くにいて欲しかったんだって。」
「・・・・・・」
「ならば、私は・・・・どうすればよかったのだ。」
膝から崩れて嘆き悲しむ安佐間に、市図は二の句を告げることはなかった。
***
日が昇り、雨が止んだ。電波も復旧して、時期に警察が来る。
今回の事件について、全てまとめ上げて、また安佐間についても身柄を引き渡した。
二日間の事情聴取と拘留の末釈放。
まだ重要参考人として呼び出されることはあるかもしれないが、とりあえずの事件の幕切れとしたい。
「あー、正直にいって市図さんは最初から安佐間さんだってわかってましたよね。」
市図は少し唸ると、ホルダーに手を飛ばしてブラックコーヒーを一口含む。
「まあ、動機にはなるかもくらいかな?」
「その動機でも教えてくれやせんですか。一応容疑者の中でもトップクラスに怪しい立ち位置だったんだから。」
そんな自分の危険を理解しているだろうに、にへらと笑いながら彼女は──
「ま、ウチの助手くんなら解決してくれると信じてましたから?」
とふざけたことをぬかしてくれる。
「俺がどれだけ心配したと思ってるんですか・・・」
「探偵というのは、常に事件に居合わせるものなのだよ。」
「探偵、一人でいてくれ〜」
この人の隣にいればこれからも平穏な生活は来ないのかもしれない。
早いところ次の転職先を探さないとな。
ミステリー小説を愛読する皆様。
私の稚拙な小説を最後まで読み上げてくれたことを、始めに感謝申し上げます。
誠にありがとうございました。
聡明なる皆様なら、推理パートに入る前から手品や犯人まで突き止めていたことと存じます。
もしよければどこで気がついたよとか、ここは筋が通らないんじゃない?
などご意見ドシドシください!
これからの執筆活動の糧としたいと思っております。
また誤字脱字など等々ございましたらご指摘願えればと存じます。
25000字を超える文章をご一読頂き、重ねて御礼申し上げます。
ありがとうミステリー愛好家ども、愛してるぜベイベー!




