妖精使いの熊さん
用語解説:Ai財団
現在主流となっているトリニティAiシステムの研究、管理、運営を担う。
Ai全般の研究を行っており、Aiの医療分野への応用は長く研究されているカテゴリーの一つ。
その為の専門の病院も併設されている。
「夏鈴さんは鎮静剤で眠っています」
蒼井さんは言った。
ここはAi財団の付属病院。
意識を失った夏鈴はスフィアの判断でこの病院に搬送された。
Ai財団はAiの研究だけではなく、脳科学においても最先端の医療技術があるらしい。
スフィアの体を作ったのもAi財団らしいから、その説明には説得力があった。
「夏鈴は一体どうなったんですか?」
病室のベッドに眠る夏鈴を見つめて涼花は言った。
「現在はブレインハッキングの後遺症で脳自体が混乱状態にある、と言って良いでしょう」
夏鈴につながれた医療機器の表示を確認しながら蒼井さんは言った。
この人はAi研究だけでなく、医師免許も持っているらしい。相当に優秀なのだろう。
「治り‥ますよね?」
「もちろんこのままということは無く、しばらくで意識を取り戻すでしょう。ただ‥」
「ただ?」
「一部に意識障害や記憶の欠落が起こる可能性が高い‥です」
「そ‥んな」
我々の人格というのは過去の経験、つまりは記憶の積み重ねによって形作られている。
その一部が失われるということは、多少なりとも夏鈴という人格が破壊される事を意味していた。
「ブレインハッキングにより脳内のニューロンネットワークを無理矢理書き換えられたのです。そのダメージはしばらく残ります」
「しばらくすれば、回復しますか?」
「そうですね。書き換えと言っても表面的な物ですし、記憶というものは常に再構成されています。それにより矛盾や異常があっても時間とともに修復されてゆくのです」
「そうなんですね‥」
さすがにそこまでは涼花には理解が及ばない。
そこへ夏鈴の母親が入室してきた。
「夏鈴っ!」
呼びながらベッドを覗く。
涼花は母親に何度か会ったことがある。
入院先が決まった時点で涼花が母親に連絡をいれたのだ。
「夏鈴‥どうして?」
母親はベッドで眠る夏鈴を見てショックを受けたようだ。
そうはそうだろう。
朝、元気よく登校していった娘が、夕方に渋谷で倒れて意識がないなんてこと、事前に予想できる訳もない。
「夏鈴ちゃんのお母さん‥」
「あ、涼花ちゃん。連絡くれてありがとうね」
「いえ‥」
言葉が続かない。こう言う時に励ましの言葉も思いつかないのが歯痒い。
そこへ蒼井さんが話しかける。
「意識が回復したらお知らせしますので、それまではカフェテリアでお待ちください」
言われ、涼花たちはカフェテリアに移動する。
母親だけは病室前で状態の説明を聞いている。そのままここで待機するという。少しでも近くにいたいのだろうと、涼花は思った。
カフェテリアの隅の席に涼花ら四人で座った。
元々、外来患者が来る病院ではないので、他にはほとんど人が居ない。
「蒼井さんに任せておけば大丈夫だと思うよ」
明日香が励ます。
ここに来るまでの途中で色々な話を聞いた。
このAi財団の前身となる研究所を作ったのが事故で亡くなった明日香の父親であること。
蒼井さんがここの主任であり、その父親の元助手であった事など。
「それは‥信頼してます」
暗い声で涼花は答えた。
いずれにせよ今自分達に出来るのは、回復を祈る事だけだ。
「犯人が気になりますか?」
かすみが訊ねた。
「犯人と言うより‥」
「恐らく、狙われているのは涼花さんだと思います」
スフィアがきっぱりと言った。
「最初から涼花さんをあそこに誘い出すのが目的だったのでは」
「しかも、イタズラとかのレベルでは無いよね‥」
明日香も頷く。
自動機械を5台も投入するのはとても個人のレベルではない。
しかもキッチリ所有者情報等は消去してあった。
「でも‥そんな心当たり無いです」
涼花は戸惑う。
目前の七尾かすみの様に、資産家を身代金目当てに狙うなら分かる。
自分の家は取り立てて特徴の無い普通の家庭だ。
「それですけど、もしかすると理由が分かるかも知れません‥」
スフィアは言いながら鞄の中から茶色い熊のぬいぐるみを取り出し、テーブルの上に置いた。
更に折りたたみ式のヘッドフォンの様な物を取り出すと、涼花に装着するよう促した。
「え、なにこれ‥?」
「ちょっとしたテストです。それでそのぬいぐるみが動く様に考えてみて下さい」
「え? なになに?」
「スフィアちゃんの言う事、試してみて?」
明日香が真剣な顔で言う。
「わ、分かったわよ‥」
促され、涼花が目を閉じた途端、熊のぬいぐるみは立ち上がり辺りを歩き始めた。
「あっ」
「凄い凄い」
「やはり‥」
3者3様の声を漏らす明日香達。
一方、涼花は何のことか理解できずにいた。
ただ、目を閉じているのにVAでヘッドギアを付けている時の様に、ぬいぐるみの視点で周囲が見えるのが不思議だった。
「ちょ、何これ‥」
戸惑う涼花。
ヘッドギアを外して目を開いた涼花の顔を覗き込み、スフィアは言った。
「これは特別製の‥妖精使いの熊さんなんです」
さて、遂にあの、“熊さん”も登場しました。
熊さんの細かい内容や三人の反応の理由は前作を読んでいただくと理解が深まると思います




