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1話

モニターの光が、乾ききった目に突き刺さる。

俺、相田あいだ ゆずる、二十九歳。システム開発会社の末端で、来る日も来る日も意味不明な仕様変更と終わらないデバッグ作業に追われる、しがない社畜の一人だ。


(……帰りたい)


もう何徹目だろうか。窓の外はとっくに白んでいる。エナジードリンクの空き缶が積み上がり、不健康な甘い匂いがデスク周りにこびりついていた。

唯一の癒やしは、デスクの隅に置いた小さな多肉植物だけだ。こいつの世話をするときだけが、俺が人間らしさを取り戻せる瞬間だった。


(ああ、土が触りたい……。太陽の下で、野菜でも育てながらのんびり暮らしたい……)


そんな、あまりにも現実離れした願望を脳裏に浮かべた、その時だった。


ぐにゃり、と視界が歪む。

強烈な眠気が津波のように押し寄せ、俺の意識はキーボードの上でプツリと途絶えた。


次に目を開けた時、俺の目に飛び込んできたのは、見慣れた薄汚いオフィスではなかった。

高い天井。磨き上げられた石の床。そして、床に描かれた巨大で複雑な魔法陣のような模様。まるで映画のセットだ。


「おおっ! 成功だ! 勇者様と聖女様が、我らの呼び声にお応えくださったぞ!」


甲高い声に視線を向けると、やたらと豪華なローブをまとった老人たちが、歓喜の声を上げていた。

状況が全く理解できない。俺の隣には、同じように呆然とした顔の、見覚えのない高校生くらいの男女が立っている。


「――ステータスオープン!」


老人の一人がそう叫ぶと、俺たちの目の前に、半透明のウィンドウが現れた。ゲームのステータス画面そっくりだ。


田中タナカ イツキ

職業:勇者

スキル:【聖剣術 Lv.MAX】【光魔法 Lv.MAX】


鈴木スズキ 綾香アヤカ

職業:聖女

スキル:【聖女の祈り Lv.MAX】【回復魔法 Lv.MAX】


すげぇ。いかにもな勇者と聖女だ。周囲の老人たち――もとい、神官や魔術師らしき人々が、高校生二人に駆け寄り、ひれ伏している。どうやら俺は、異世界名物の「勇者召喚」に巻き込まれた、三人目のオマケらしい。


やがて、一人の神官が俺のステータスウィンドウに気づき、訝しげな顔でそれを読み上げた。


相田アイダ ユズル

職業:一般人

スキル:【土壌改良】


……どじょうかいりょう?


瞬間、広間の空気が凍った。

歓声がピタリと止み、全ての視線が俺に突き刺さる。なんだそのスキルは、と誰もが顔に書いてあった。勇者の高校生は憐れむような目で、聖女の女子高生に至っては、汚物でも見るかのような目で俺を見ている。


「ど、土壌改良……だと? 戦闘には全く役に立たんではないか……」

「なんと……勇者様と聖女様をお呼びする神聖な儀式に、このような役立たずが紛れ込むとは……」


ひそひそと交わされる声が、やけにクリアに聞こえる。

やがて、玉座にふんぞり返っていた王様らしき人物が、冷たく言い放った。


「――聞け、異世界人よ。我がアストリア王国は今、魔王軍の脅威に晒されている。勇者と聖女には、魔王討伐の一翼を担っていただく」


王は勇者と聖女にだけ慈悲深い視線を向け、すぐに俺へと向き直る。その目は、道端の石ころを見る目だった。


「だが、貴様は不要だ。戦闘にも使えぬスキルを持つ者を、王宮に置いておくわけにはいかん」


まあ、そうだろうな。俺だってそう思う。戦いなんて、ブラック企業のパワハラ上司とのレスバトルだけで十分だ。


「つきましては、貴様を追放する。ただし、我が慈悲だ。住む場所くらいは与えてやろう」

「は、はあ……」

「『果ての荒野』だ。魔境に隣接する、誰も住みたがらぬ不毛の土地。そこを貴様に与える。そこで朽ちるなり、魔物に食われるなり、好きにするがいい」


果ての荒野。その名が出た瞬間、周囲の貴族たちからクスクスと嘲笑が漏れた。どうやら、とんでもない厄介払いの土地らしい。事実上の、死刑宣告と変わらないのだろう。


「連れて行け。二度と、我らの前にその姿を現すな」


有無を言わさぬ王の言葉に、兵士たちが俺の両腕を掴む。

引きずられていく俺の背中に、聖女の女子高生の「同じ日本人として恥ずかしい……」という呟きが突き刺さった。


うるせえ。こっちだって、お前らみたいなキラキラした若者と一緒にいる方が恥ずかしいんだよ。


                  ◇


粗末な馬車に揺られること、半日。

俺は、文字通り荒野のど真ん中に、ぽつんと降ろされた。

手渡されたのは、一袋の干し肉と、一本の水筒だけ。


「達者でな」


兵士はそれだけ言うと、さっさと馬車をUターンさせ、砂埃を上げて去っていった。

一人、荒野に取り残される。


遮るもののない空。乾いた風。どこまでも続く、ひび割れた赤茶けた大地。草の一本すらまともに生えていない。

なるほど、これが『果ての荒野』か。確かに、ここに住めと言われたら絶望するしかないだろう。普通の人間なら。


だが、俺は違った。

俺の胸に去来したのは、絶望ではなかった。


「――最高じゃないか」


ぽつりと、心の底からの言葉が漏れた。

誰にも邪魔されない。上司もいない。鳴りやまない電話も、積み上がるタスクもない。

あるのは、どこまでも広がる自分だけの土地。


(これ、全部俺の畑にできるってことか……?)


ブラック企業で働き詰めの俺にとって、それは天国に等しい環境だった。

会社を辞めたら、いつか小さな土地を買って、家庭菜園をやるのが夢だったんだ。その夢が、思いがけない形で、しかもとんでもないスケールで叶ってしまった。


俺は自分のステータスウィンドウを再び開く。


スキル:【土壌改良】


役立たずと罵られた、俺唯一のスキル。

俺はひび割れた大地に、そっと手を触れてみた。そして、スキルを発動させるイメージを頭に思い描く。


(この乾いた土に、水と、栄養を――)


その瞬間だった。

俺の手のひらを中心に、淡い緑色の光が波紋のように広がっていく。

カチカチに固まっていた赤茶けた土が、まるで意思を持ったかのように、みるみるうちに黒々とした、フカフカの土へと変わっていくではないか!


「うお、まじか……!」


光が広がった範囲は、半径五メートルほど。

その一角だけ、明らかに周囲とは違う、生命力に満ちた土壌へと生まれ変わっていた。試しに土を手に取ってみると、しっとりと水分を含み、ミミズでもいそうな良い匂いがする。


「……は、ははっ」


笑いがこみ上げてきた。


「ははははは! なんだこれ、最高すぎるだろ!」


役立たず? 冗談じゃない。

これは、俺にとって最高のスキルだ。ガーデニングが趣味の俺にとって、これ以上の神スキルはない。


父上、母上。息子は異世界で、広大な土地を手に入れました。

パワハラ上司に、理不尽なクライアント。お前らの顔はもう見なくていいんだ。


俺は、自由だ。


顔を上げる。

地平線の彼方まで続く、広大な俺だけの土地。

俺だけの、巨大な家庭菜園。


「さて、と……」


腕まくりをして、黒々とした土をもう一度見つめる。

まずは水だ。井戸を掘らないと。それから、寝床の確保。やることは山積みだ。


胸が高鳴るのを止められない。

これは絶望の追放なんかじゃない。


俺の、夢にまで見た理想のスローライフが、今、この瞬間から始まるんだ。



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