後編
戦闘のうちに対処方法を模索する。それもまた合理的な判断だろう。
投擲したオレの獲物には触手が巻き付き、遠く距離を取っている。しかも天井へと。
触手はオレの獲物、ひいてはオレを脅威と判断し、対策を取るだけの知性を有している。ただの肉の塊だと思わない方が良さそうだ。
ーーだが、だからと言ってどうということはない。
向かってくる肉の触手を爪で切り裂き、引きちぎる。僅かに粘性を帯び、ぶよぶよとした肉の塊はやりづらいが、別に対処できない程ではない。触手は先端を鋭利にし、オレの身体を突き刺そうともしてくるが、目で追えない程の速度でないため、対応は可能だ。
顔に巻き付いてきた触手を噛みちぎり、地面へと吐き捨てる。今まで口にしたものの中で一番不味い。
胸糞悪い気分だ。
なによりムカつくのは、触手がリリックを即座に殺すようなことをせず、人質として持ち続けていることだ。時折、見せつけるようにこちらへとリリックを見せつけてくる姿は腹が立つ。
肉の塊如きが、一丁前に姑息な真似をよくもする。
「がっ……め。に……て……オヤブン」
「黙れ、偽善者が。喋れる余裕があるなら呼吸してろ」
『ええ、そうです。そろそろ毒も効いてきて辛いでしょう』
オレの背後。
唐突に発生した声に向け、魔力で強化した尻尾を振るう。肉の塊が斬れた感触がした。しかし、命を取った手応えはない。
『貴方にはまったく効いていないようですがね、獣の方』
「誰だ、お前は。何処にいやがる」
『何処に? ハッ、此処に、いるじゃないですか』
ハ、ハ、ハ、と気持ちの悪い笑い声が洞窟全体からせり上がる。それはもはや声というより、地震だ。身体が物理的に震えるほどの音圧。耳がやられる。
「まさかこの洞窟そのものが、お前だとでも?」
『サァ、どうでしょう。その狼頭で考えてみては』
「少なくとも目はあるみたいだな?」
『おや、冗談で口にしただけだったのですが。まさか本当に獣の頭をお持ちとは、いやはや。こわいこわい』
上下左右前後、ありとあらゆる方向から同量の声が響いてくる。声だけで位置を特定するのは不可能だ。ただ、あまりに均一な音量から相手がおそらく声帯以外の手段ーー魔力を用いた発声を行っていることだけは分かる。
襲い来る触手を引き裂きながら、舌打ちが漏れた。
「それより、さっき毒って言ってたな。何のことだ」
オレの質問に、また地面が気味悪く震える。どうやら笑っているらしい。体重を込めて地面を踏みしめるが、手応えはない。
「答えろッ!」
『いやいや。その通り、毒、ですよ。触手の粘液は麻痺性を有しています。普通の人間ならば触れた端から身体が動かなくなっていき、いずれ呼吸もままならず、死ぬのですがーー貴方には全く効いていないようだ、恐ろしいですね』
まァ……と、ねっとりとした調子で言葉が続く。
『人質となった方に関しては徐々に浸食しているようだ。常人よりも優れた再生能力を持っているようですが、貴方ほどではないらしい』
「そうか、ご丁寧な指導をありがとよ」
お返しに、より一層の力を込めて洞窟の地面を踏み込んだ。
クソったれ。
「詫びに、テメエを必ず殺してやる。リリックが生きていようが死んでいようが関係ねえ。どんな手段を使っても、殺す」
『おや、野蛮ですね。獣の頭は伊達ではないようだ。意思疎通が可能である以上、対話の選択肢はないのですか』
「テメエみたいなクズが応じるわけねえ。せいぜい時間を稼がれて終わりだ」
そもそも人質を持っている時点で相手が完全優位。建設的な対話など成立せず、無茶な要求をつきつけられるか、緩やかな敗北を突きつけられるか。まだ挑み続けている方がマシだ。
『そうかもしれませんねえ。しかし実際、対話をした方が良いのではないですか。貴方に勝ちの目は薄い』
「なんだと?」
『いえ、貴方の実力を疑っているわけではありません。戦闘を少し拝見しただけで確信しましたが、貴方ならばワタシを殺すことも可能でしょう。ただ、このままでは人質を救うことは敵わない。それは貴方にとって敗北では?』
「なに言ってやがる。オレは別にそこのヤツが生きようが、死のうがどうでもいい」
『そうですか』
瞬間、リリックの拘束が完全に解かれた。
直線距離にして、約五歩分。
明らかな罠。
罠だが、ヤツの身柄を確保することができれば状況はこちらに圧倒的に優位になる。それは間違いない。
ゆえに全力を持って、駆けだした。ヤツの予想を上回る動きで加速する。
張り詰められた五感は、腹を貫かれるリリックの姿を捉えた。
「…………ッ」
リリックの腹を突き破り、こちらへと向かってくる触手に対処しようとしてーーオレも背後から胸を貫かれた。
「が……はっ」
何故。
周囲には常に気を配っていた。罠だと分かっていたからこそ、油断からは最も遠い状態にいたはずだ。しかしそれでも奇襲を受けたのは、結局のところ自身の視野が狭まっていたからに他ならない。
触手の主が仮に『洞窟そのもの』だとするならば、その可能性にも思い当たるべきだった。あるいは最悪ゆえに考えたくなかったのかもしれない。
触手は小部屋にいた男女だけではない、と。
「最悪だな……」
オレの胸を貫いた、大木のような血まみれの触手は、小部屋の入り口からやってきた。
その肉塊に混じったどろりとした瞳と目が合う。
確信する。この洞窟にいた全てーーあるいは、全ての死体が触手になり得るということだ。
ハ、ハ、ハ、洞窟全体が気色悪い高笑いで震える。
傷口に酷く響く。
『いやいや、まさかこんなに綺麗に引っかかってくれるとは思いませんでしたよ。まったく素直じゃない方だ』
「ああ、テメエほど性格が悪くなるのは無理だろうな」
『お褒めに預かり光栄です』
「…………ば…………か」
その声は洞窟の主のものよりも、よっぽど小さかった。しかし、オレの獣耳は聞き逃すこと無くしっかりと音を捉えた。
「罵倒の暇があるのなら、息を吸って、吐け。オレにここまでさせておいて、自分から死ぬなんざ許さねえぞ」
リリックはもはや拘束すらされておらず、地面に倒れ伏したまま。深く染み込んだ麻痺毒で指先すら動かせないようだ。身体が小刻みに震えていることから反抗はしているようだが、回復にはまだまだ時間がかかりそうだ。
『おや、まだ人質の心配ですか。貴方ももう命が危ないというのに』
こちらをあざ笑うように、胸を貫いた触手が蠢く。さらに器用なことに、オレを貫いた触手から小さな触手が無数に生え、オレの身体の内部をぐちゃぐちゃにかき回していく。
「ごほ……ぉえ……」大量の血液が喉から吹き上がり、耐えることもままならず吐き出す。その血液の一部に触手の赤ん坊のようなものが混じり、うぞうぞと動いているのが全くもって最悪だった。
「よく喋るな。口も無いくせによ」
『罵倒にキレがありませんね。限界が近いのですか? ……ああ、しかし安心してください。貴方は殺しませんよ』
別の方向から伸びてきた触手がオレの頬を慈しむように撫でてきた。噛みちぎり、咀嚼する。
「でも解放はしないってか……? なら死んでいるのと同じだな」
別の触手に向けて吐き出す。
『生きていれるだけ有り難い、と思って頂きたいですね。貴方は私の検体として余生を過ごすのです』
検体。つまりは実験に使う素材か、なにかか。
「随分と倦怠しそうだな、そりゃ」
『いえいえ、退屈させませんよ。実験は毎日行います。貴方の身体は非常に興味深い。毒が全く効かず、狼の頭部と手足、尻尾を持ちーーそれでいて鱗が生えた人間の胴体をお持ちだ』
どこからともなく降り注ぐ視線を無数に感じる。
身体を貫かれたため、身に纏うものはほとんど剥がれ落ちていた。ゆえに鎧の下にあったものもほとんどが洞窟の主の目に晒されている。
ヤツの言うとおりオレは狼の頭や手足、尻尾を持ちながら、胸と腹部は人間のものを有している。傷が多くあることと、ところどころに鱗のようなものがあることを除けば、他の人のそれと大して見分けはつかないだろう。
『そのツギハギだらけの身体、非常に興味があります。ああ、あと貴方ほどではありませんがそちらの彼も。インキュバスというのは非常に珍しいですから、殺しませんよ』
「そりゃあ涙が出るほどに嬉しいな。礼がしたいんだが、この拘束解いてもらってもいいか」
『貴方の口が一年ほど閉じたら、構いませんよ』
全身に入り込んだ触手が動きを加速させる。
「ぐっ……」内側からの痛みというのは存外にキツい。頭の頂点から、足の爪先に至るまで入り込んだ触手が暴れ回っている。視界に時折、見たくも無いミミズ状の影すら映り込み始めていた。
ーーああ、本当に絶望だな。
どれほどの世辞を重ねても、良い人生を送ってきたとは思えない。
バケモノとして生まれ、バケモノとして蔑まれ、自身もバケモノであろうと努めてきた。
被害者ぶりたくはないが、しかしもう一度同じ人生を送りたいかと言えば否と答える。
もし、死んだのならば。転生でもしたいところだ。
などと、ふと想う。
『さて、そろそろお喋りは止めましょうか』
「アァ、そうだな。オレもいい加減。テメエとのやりとりに飽きてきたよ」
ーーだが、今は死ぬときではない。
死にたいとは常々思ってきたが、しかしミミズ状の生き物に全身を冒されてのたれ死ぬのは勘弁だ。
クソみたいな人生だが、クソみたいな最期を送りたくはない。
なによりーーこちらを見上げる深紅の瞳が諦念を拒絶させた。
「…………きろ」
隙間風のような声量だ。もはや声と呼べるのかも怪しい。しかし、その眼光だけは炯々と光を放ったままだ。
なにを言っているのか、なにを思っているのか、それが手に取るように分かってしまった。
リリック。腐れ縁の仲介人。
その想いに触れ、死ぬ気が完全に失ってしまった辺りーーオレはまだ本物のバケモノではないのだろうか。
全身に力を込める。特に胸と腹の奥、触手ももうすっかりと入り込んでいる辺りに灼熱を集めるイメージ。
気張れば気張るほど、全身が沸騰するほど熱くなっていく。
『なんですか、この熱は』
「……悪いが、お前が思っている以上にオレはバケモノだ」
洞窟の主はオレを、人と狼の魔物のハーフ程度に思っているようだが、実際は違う。
それだけならば、こんなに気色の悪い見た目、体質になってはいない。オレのなかを巡る血液はもっとドロドロと、混沌としている。それこそ毒を持つ触手よりよっぽど気持ち悪い。
体内に入り込んでいた触手が、熱で溶けていく。
同時に、オレの身体は全身に無数の鱗を重ねていく。
ーー条件は満たした。
血を大量に流すことで、普段は抑えられている特性が発揮される。
呼び覚まされるのは、覇者だ。
爪や牙はより鋭利に、両肩からは肉を突き破って不格好な翼が生える。なにより全身が熱くて熱くて仕方がない。
動いていなければ死んでしまいそうだ。
羽ばたき、溶けた触手の残滓を吹き飛ばす。そのまま、今までとは一線を画す速度で直線運動を行い、リリックの身体を確保。片手で掴み上げる。
驚きながらも、笑った端正な顔が目に映った。
なんだよ、顔を動かす余裕はあるのかよ。
羽ばたきまでしたオレが馬鹿のようだな。
『まさか、こんな事が。これは龍種の……』
「うるせえ死ね」
叫びながら、苛立ちをぶつけるために大口を開ける。
狼の口からオレは灼熱の炎を吐き出した。襲い来る触手を全て焼き払う。
喉と胸に凄まじい痛みが走るが、しかしとてつもない爽快感だった。何度切り飛ばし、引きちぎっても再生を繰り返した触手を全て燃やし、灰にしていく。
後に残ったのは静寂と、余塵。
喉を突き刺すジンジンとした痺れと痛みすら誉れのようだ。
しかし、核心の手応えはない。
『ーー素晴らしい。実に、素晴らしいです』
「……チッ」
触手は全て焼き払ったはずだ。しかし、洞窟全体は未だに震え、むかつく声を届けてくる。声の調子からしても『本体』には些かもダメージを与えていないようなのが腹正しい。
『想像以上でした。貴方のような個体は見たことがない。嗚呼、私の検体として是が非でもお迎えしたい』
「そウかョ……クソが」
『声が掠れていますね。炎を吐いたことによる後遺症でしょうか。やはり龍種の力となると代償無しに使うことはできないのですかね』
「黙れ」
リリックを離さないように持ちつつ、地面へと転がっていた自身の装備を拾う。
「何処に居るのか、教えろ」
『んん、想像以上だった報酬として教えてあげたいですが……しかし、教えたところで貴方にはどうにもできないのでは?』
「答えろ」
全身に力が滾る。手に持った装備が軋んでいた。
『……仕方のない方ですね。では答えましょう。『今この洞窟で最も安全な場所』ですよ』
何故かうきうきとした様子で、洞窟の主は呟く。
オレが正解に辿り着くことを待ち望んでいるようだ。
しかし、『今この洞窟で最も安全な場所』。
そんな言葉だけで分かるはずが、
「ーーなるほど」
掠れた、しかしよく通る声が響く。
傍らに抱えていたリリックが得心した様子で呟いた。麻痺毒が少しづつ抜けてきたのか、動くのは難しいものの、喋ることはできるようだ。
「僕には分かったよ」
『おやおや、それはそれは。優秀ですね。ちなみに答えをお聞きしてもよろしいですか』
「ああ。僕の心臓だろう。それが今、この洞窟で最も安全な場所の筈だ」
冷静に呟かれた言葉。リリックに動揺は見られない。
むしろ、それが当然と言わんばかりで。
それ以外、考えられないと言わんばかりで。
「おい、リリック。いつもみたいに冗談を言っている場合じゃ」
『せいかい!!』
その声が聞こえた瞬間、オレは自身の装備を握り潰していた。
「ーーテメエ、冗談も大概にしろよ」
怒りで視界が赤くなる。口の端が漏れ出た炎の吐息で焼けていた。握りこんだ拳に食い込んだ爪から血が滲む。
「でなけりゃ」
『ーー殺す、ですか? ああ、恐いですねえ』
グルルルルルルルル…………と喉が鳴る。
『私は此処がもっとも安全だと思っているんですが、しかし……ああ、貴方は別にこの方が死んでも構わないのでしたか。どうしましょう?』
耳障りな声は神経をあまりに暴走させる。
いますぐにでも殺す。今すぐにでも消し去る。
全身の血が滾り、より戦闘へと適した姿に全身が変貌を遂げようとしてーーそっと手を握られた。
「落ち着いて、オヤブン」
「あ? 心臓にクズが張ってるってのに、随分と余裕だな」
「僕のために怒ってくれるのは嬉しいけど、抑えて。それじゃ、そのクズの思う壺だよ」
だったらどうしろというのだ。
この怒りを、憎しみを、殺意を、何処に向ければ良いのか。
自分自身にぶつければいいのか。やはり、一瞬でも気を逸らしたオレが駄目なのか。捕縛を助けに行こうというリリックを強引にでも止めるべきだったのか。
そもそも、依頼を受けるなどしなければ良かったのか。
『ほう、随分と余裕ですね。あまり言いたくはありませんが、私は次の瞬間にも貴方を殺せるのですよ』
「そうだな。心臓を虫に食われて死ぬなんてゾッとする話だ。だが、お前は舐めすぎだ。僕を」
そこからのリリックの行動は速かった。躊躇無く、自身の左胸ーー心臓がある辺りに自身の指を突き刺し、かき回す。
そのまま微笑みを向けてきた。
「オヤブンもね、心配しすぎだよ」
『これはこれは……いやはや、まさか……!』
数秒もすれば、抜き取られたリリックの指先には血液とともにうねうねと動く触手が握られていた。それは体外へと飛び出すなり機敏な動きをして、リリックの指を離れ、逃走しようともがいたが、オレが即座につかみ取る、
『……計算外でした。そうも躊躇無く、自身の心臓をまさぐるとは』
「怒りに震えるオヤブンを見るのは耐えきれなかった。自分の心臓を弄るぐらいどうということはないよ。這い回るしかできない糞虫には分からないだろうけどね」
『ほう。愛、ですか。生憎と苦手分野です』
「死ね」
リリックの冷徹な声音が耳に届く。深紅の目がオレの方を向いた。後は任せる、ということだろう。しかしオレも全く同じ気持ちだ。同情の余地もなにもない。右手の中にある邪悪を、即座に握りつぶして殺す。リリックの一言そのままだ。
しかし、一瞬だけ躊躇する。
力を全く緩めないままに、問うた。
「お前の目的はなんだったんだ」
「ん、目的、ですか? そんなものありませんよ」
「なに?」
「人を殺し、弄ぶのに理由がいるのですか」
「…………」
「貴方、可愛いですねえ。見た目に寄らず」
「そうか。……そうだな、聞いたオレが馬鹿だった」
オレは次の瞬間、強く強く拳を握りしめた。
ぶちり、と音がする。
爪が肌に突き刺さり、いくら血が流れ出ても構わない。
そのままに、しばらく立ち尽くした。
手の中の邪悪はそれきり、沈黙した。
◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆◆◇◆◇◆
「もう下ろしてよ。大丈夫だってば」
「まだ駄目だ。街に着くまでは大人しくしていろ」
洞窟からの帰路。
アジトに到達した頃には真上にあった太陽もすっかり傾き、夕焼けとなっている。背中には麻痺毒から未だ回復しきっていないリリックを背負っていた。
「いや、どう見ても負傷してるのは僕よりオヤブンだって」
「明日には完全に直っている。どうということはない」
「生傷の酷い身体で言われてもな」
「文句を言うな。大人しくしていろ」
まったく、口がよく回るヤツだ。麻痺毒が口にだけ残れば良かったものを。
「……それに、恥ずかしいんだよ。いい年しておんぶとか、死ぬって」
「お前に羞恥心があったとは驚きだ」
「あるに決まってんだろ」
おーろーせー、と暴れているが、しかしその力は弱々しい。やはり力が戻りきっていないのだろう。
「今の身体で勝手に動かれると足手纏いだ。黙って背負われていろ。その方がまだ戦いやすい」
「……つまり、僕を心配してるってこと?」
「合理的な判断だ」
「感情的な判断だと思う」
尻尾でリリックの背中を叩いた。
「いったあああああ! ちょっと、ぜったい痕付いたからね、今の攻撃!」
「耳元で騒ぐな。冗談抜きで、鼓膜が破ける」
「…………じゃあ、これぐらいの声量ならどう?」
「痒い」
全身に鳥肌が立つ。
「ぁ……耳弱いんだ。囁かれるのとか、結構好きなタイプ?」
オレはおんぶを止めた。リリックに背を向けて歩き出す。
「お前は放置が好きなタイプだったか?」
「ちょ、ちょっと待って。ごめん、ごめんってば!」
びええええええ、と叫ぶリリックにどこからか湧いてきたゴブリンが弓矢を向けていた。ナイフを投擲し、攻撃を防ぐ。アジトに向かうときもしたような流れだった。
「……まったく。大人しくしていろよ」
「はい、パパ」
「誰がパパだ」
もう一度、その身体を背負う。ずしり、とした重みが身体へと伝わってきた。移動するうえで特に疲れるような重量ではないが、戦闘の名残を抱える肉体では少し堪えるな。
ただ、不思議と不快感はなかった。
橙色の光に照らされた森の中をゆっくりと歩いていく。流石にリリックの方も疲れが溜まっていたのか、ふざけるのを一旦止め、ただオレに背負われるに任せている。
「……ありがとね」
「なにがだ」
街並が見えてきた頃になって、ぽつりとリリックが呟いた。
「おかげで助かった。君は命の恩人だよ」
「そうか。なら金を払え」
「ああ、依頼料は全額、オヤブンのものだし、詫びとしてさらに倍払うよ」
「…………そうか」
「なに、不満そうだね。やっぱり身体の方が良いの?」
ギュッと身体をさらに密着させてきたので、オレは背中へと回していた手を解いた。
「また地面に叩き付けられたいか?」
「さっきは下ろされただけなんですが。叩き付けられるとかあるんですかオヤブン。ねえ、答えてオヤブン!」
「うるさい」
ゆっさゆっさと頭を揺らされる。追加で慰謝料金を請求しようか、仄暗い考えが浮かんだ。
しかし、
「ははっ」
夕焼けに照らされ、風になびく桃色の髪、あまりにも眩しい笑顔を見ているとそんな考えは吹き飛んだ。
オレはやはり未だ、怪物にはほど遠いのか。
「ーーだいじょうぶだよ」
「なにがだ」
「君は今、笑っているから」
完全に虚をつかれた。ほら、と誘われるままに口の周りを触ってみると。たしかに端の方はつり上がっているようで。
「…………いや、威嚇だな。これは」
「いや、デレですね。これは」
オレは今度こそ、喚き散らすリリックを置いて街へと歩き出す。
色々と荷が下りたような、悪くない気分だった。
今夜の酒はきっと美味い。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。どうか貴方に、幸よあれ。