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静岡③

「たっちゃん……」


小さく呟いて、お星様こときららはようやく静かになった。

噛まれた手がヒリヒリと痛む。逃げ回った雪の上には二人分の足跡が所狭しとついていた。雪の中を走り回ったせいで、靴も服もびしょぬれだ。

2,3発殴ってやっと大人しくなったきららの腕をひきながら、大きく舌打ちをした。


くそったれ。

初めから、こいつはなにもかもが気味が悪かった。


10年前のとある朝、起きると娘の腹が大きく膨らんでいた。


腹水でもたまったか、何らかの腫瘍ができたか、目星をつけようと症状を聞くと娘は愛おしそうにお腹を撫でた。


「私、子供ができたの」


うれしそうに笑う娘に、とうとうこいつもイカれたかとため息をついた。子宮がない人間は逆立ちしたって妊娠できないのだから当たり前だ。その言葉をそのまま信じたバカ息子をどけて、腹に手を当てた。


その瞬間、ドン、と手のひらに小さな衝撃がきた。


「あ、蹴った」


蹴った? 


にこりと微笑んだ娘から、勢いよく離れた。心臓が嫌な音をたてる。

背中に冷たい汗が流れた。冷たい風がびゅうびゅうと吹いて、回る思考の邪魔をする。

私の動揺を置き去りにして、「怖がりなおじいちゃんだねえ」と膨らんだお腹に話しかけている。


娘が妊娠した。


子宮のない娘が、孕んでいる。


ナニを?


ふーっと吐いた息が白く染まった。こんな世界になって散々な目にあってはきたが、これほど恐怖を感じたことはなかった。得体の知れないナニカを孕んだ娘をどうしていいかも分からない。呑気なバカ息子は「相手は誰?」だなんて首を傾げて腹を撫でている。

誰もくそもあるか。こいつの世代は避妊処置をされているんだ。どんな生物が相手でも妊娠するはずはないんだよ。

叫びだしたい衝動に、目の前がクラクラと揺れた。


「お星様」


娘の声は、ひどく穏やかだった。思わず空を見上げたが、朝日に照らされた青空が広がっていて、星は一つも見えない。


――静岡の軍の施設では、子供を使って雪を止まそうとしているらしい。


恐怖と動揺に満たされた脳内に浮かんだのは、除隊前に聞いた噂話だった。聞いたときは、この国も終わったなとしか思わなかったが、日本軍が解体された今でも”星導教団”と名前を変えて研究を続けている。星導教にはまだ食料と資金が残っているという話もある。

娘の腹をじっと見つめる。

星導教団への入団の条件は7歳以下の女児がいること。

娘の腹に何が宿っているかは分からない。だが、これはより良い環境を手に入れる絶好のチャンスだ。


「星導教団へ向かう」


そしてきららが生まれ、私は教団のトップへと躍り出た。


きららを火口に突き落としたとて、世界が救われるなんて世迷言だ。追い詰められた人間たちが縋る対象を探しているだけ。

だが、ここで儀式を完遂すれば、私の地位は盤石だ。いつまで持つかは分からないが、他の環境よりはずいぶんと良い。手放すのは惜しい。

きららは未来のために死ぬ。


私の、未来のために。


ようやく見えてきた祭壇に、ほっと息を吐いた。新月の夜に行うこの儀式を何時までにすれば有効なのかはあいまいだが、教団が始まった2000年代の夜の時間に合わせたほうがいいだろ。結構ぎりぎりだ。そこまで考えて、はた、と動きを止めた。


誰かいる。


祭壇の上に、誰かが立っていた。男だ。坊主はバカ息子に殴られてまだ気絶していたから違う。正とは背格好が違いすぎる。もちろん、愛星でもない。

じゃあ誰だ? 教団のほうから誰か来たのか? 何のために?

懐にしまった愛銃をそっと取り出した。急に立ち止まった私にきららが不安そうに眉を下げて、私の視線の先へと視線を移した。


「……たっちゃん?」


きららが呟いた。祭壇の上にいる男が、振り返った。


バカ息子が、そこに立っていた。


血まみれの服を着たバカ息子が、愛しいものを見るように、目を細めた。

「たっちゃん!」と走り出しそうになったきららの腕を強く引く。睨まれたが知ったことではない。愛銃の標準をバカ息子に合わせる。慌てたように、きららが体当たりをしてきた。


「やめて! たっちゃんを傷つけないで!」


「あれは辰じゃない!!!」


そうだ。あれはバカ息子なんかじゃない。


私は頭を撃ったんだ。


間違いなくしんだはずだ。そうだ。こんな荒廃した世界で、頭を撃たれた人間が生き残れるはずがない。そもそも、いつ私たちを追い越した? バカ息子を撃った場所から火口までは一本道だ。手負いの人間がこの積雪の中を歩いてきたというのか?


なにもかもが常軌を逸している。人間にできる所業ではない。


危険だ。


暴れるきららを押さえつけて、引き金を引いた。


1発目、足に弾が吸い込まれた。


バカ息子は倒れない。


2発目。胸に命中した。


バカ息子は笑顔のままだ。


3発目、脳天を撃ちぬいた。


「きらら」


バカ息子が、きららの名前を呼んだ。


かちかちと空になった愛銃が空虚な音をたてる。手が震える。呼吸が荒くなる。


今すぐこの場を離れるべきか? 

こいつに背中を見せても安全か? 

こいつはなんだ? 

目的は?


大量の疑問符が脳内を駆け巡る。


「確かに、俺は姉さんと一緒にいたかった」


迷っている私を無視して、バカ息子が歩き出した。さく、さく、と雪を踏みしめながら、近づいてくる。きららから手を離し、後ずさりして距離をとる。バカ息子は私に見向きもせず、きららの前に立った。

一体何の話をしているのか、皆目見当がつかない。恐怖のせいか体が動かず、不思議と目の前の二人に釘付けになっていた。


「それが、たっちゃんの願い?」


きららの目から涙が零れ落ちた。きらきらと輝くそれは流星のようだった。ぽたり、ぽたりと涙をこぼすきららの頬をなでて、バカ息子がしゃがみこむ。視線をまっすぐに合わせ、バカ息子が「それだけじゃない」と続ける。


「きららとも一緒にいたい」


「え?」


きららが呆けたような声をあげる。


「姉さんと、きららと三人で、美味しいもの食べて、おいしいなって笑いたい。毎日、毎日、ずっと、ずーっと。……それが、俺の願いだ。」


泣きそうな顔でバカ息子が首を傾げた。


何を言っているんだこいつは。


あまりに荒唐無稽な願望に、思わず嘲笑が漏れた。娘はとっくの昔に死んだし、きららももうすぐ死ぬ。風前の灯火のわが国では食料は馬鹿みたいに高いし、そう食べられるものではない。

誰もがあきらめ手放した、子供の夢。

こいつはまだ、そんな馬鹿みたいなことを願っているのか。


「……お母さんは、もういないよ」


「でも、きららはまだいる。だから、きらら。




一緒に、シロクマを食べよう」


バカ息子がきららへと手を差し出した。きららはじっとその手を見つめて、バカ息子を見上げた。その目はきらきらと輝きを放っている。



「うん!」


きららがはじけるような大声をあげて、バカ息子に抱き着いた。能天気に笑いあう二人は、まるで美しい絵画のように輝いていた。呆れて乾いた笑い声があふれ出る。


「どいつもこいつも馬鹿ばかりだ」


ははは、と笑いかけると、ぐりん、とバカ息子が勢いよく俺を見た。

二つの目がぎらぎらと激しい光を放っている。

バカ息子がゆっくりと人差し指で俺を指さした。手で拳銃の形を真似しているようだ。指先がまっすぐ俺に向けられる。

なんだ? 何をしようとしている?

ぐっと身構えると同時に、指先がきらりと光った。


次の瞬間、体から血が噴き出した。


「はっ」


あふれ出た血が雪を溶かす。まるで撃たれたような感覚だった。

仰向けになった視線の先で、ギラギラと星が笑っていた。


「くそったれ」


苦し紛れに吐いた言葉は血となり、消えた。



************


雲の隙間から差し込む弱々しい日の光が、赤く染まった雪を照らす。冷たくなった宗主顔が日光に照らされて柔らかく光った。

日が昇っても儀式完了の合図はなかったため、火口へ向かったわたしの目に映ったのは物言わぬ宗主ただ1人だけだった。同じように登ってきた頬を腫らした坊主の証言から、お星様と辰星くんが逃げたことを知った。

まさか、と驚く気持ちと、やっぱりな、と納得する気持ちがせめぎあっていた。辰星くんの目は最後まで死んでいなかったし、実際抵抗の意思も堅かった。だが、まさか父親を殺してまで逃げるほどだとは思わなかった。最後の時が来れば、わたしのように覚悟が決まると、そう、信じていたのだ。


「銃を奪われている。足跡から見るに、二人は西道から逃げた」


正さんが感情の乗っていない、淡々とした声で言った。虚ろな目で、道の先を見つめている。坊主は遺体の横に座り込み、わざとらしく泣き声をあげていた。

ふぅと短く息を吐くと、白い息が西へと流れた。西道へと伸びる足跡の先の二人の姿を思い浮かべると、なんとも言えない心地になった。


「追いましょう。儀式を完遂しなくては……。正さん、指揮をお願いできますか」


眼鏡をかけ直し、正さんに向き直る。戸惑っている場合ではない。二人が逃げ、宗主が死んだ今、暫定の指揮官を置かなければいけない。元軍人の正さんが適任だろう。責任感の強い人だから、頼りになる。


「……いや、私は先遣隊として、先に後を追おう」


逡巡の後、正さんが言った。予想外の言葉に「え」と声をあげるが、正さんはこちらを見なかった。


「見失うのは避けたほうがいい。指揮はそこの坊主がとる。いいな?」


有無を言わさぬ言い草に、思わずうなずいた。


「やつらを絶対に捕まえる! 絶対にだ!!」


坊主か咆哮をあげた。まるで敵討のような物言いに、眉をしかめた。少なくともお星様は儀式に参加してもらわなければいけないのを分かっているのだろうか。不安が胸を掠める。祈るように正さんを見たが、正さんは静かに遠くを見つめていた。西道のずっと先、二人の姿を思い浮かべているように見えた。


「では、一度教団に戻り、建て直しましょう」


不安を振り払うように眼鏡を再度掛け直した。歪んだフレームの奥で、二人が歩き始める。


火口を振り返る。

彼女の飛び込んだ大きな穴。世界を救う命綱。


あなたの死を無駄にしたりしない。

必ず儀式は完遂させる。


記憶の中の彼女に約束して、わたしも歩き始めた。

雪を溶かすこともできない貧弱な光が、わたしたちを照らしていた。

5/5 スパコミでコピー本だします。

東5ぬ12aです。

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