静岡②
闇市は洞窟の中にあった。雪に埋もれた廃墟から発掘されたものや、教団のごみから再利用されたものが並んでいる。
子供は珍しいので視線を感じたが、声をかけられることはなかった。みんな面倒事はさけたいのだろう。
焼きそばを売っていた店主に金を渡すと、凍ったままの焼きそばをとりだした。
じゅうっと音がして、湯気が立ち上る。凍てつく空気にこわばっていた頬にじんわりと熱が伝わる。香ばしいかおりが鼻をくすぐった。
「いい匂い」
きららがうっとりと目を細める。
出来立ての焼きそばを受け取ると、湯気が頬をなでた。ごくり、と思わず喉が鳴る。
「早く早く!」と急かすきららの目は、焼きそばに釘付けだ。
きららを連れ立って、洞窟の外に出る。中で食べるには視線が痛いからだ。冷たい空気に肩をすくめた。
一際大きな木のむき出しの根っこに腰かける。樹海の木は昔すべて刈り取られたとクソ親父が言っていたが、大きすぎて切られなかったのだろう。クソ親父の顔を思い出すなんて最悪だ。小さく頭を振って気分を入れ替える。
きららを隣に座らせて、二人そろって手を合わせた。
「「いただきます」」
焼きそばを口に含むと、じゅわっと濃いソースの味が口に広がった。具はなかったが、もちもちとした麺にソースがよく絡まっている。少し焦げていて、それがまた香ばしくて箸が進む。
「おいしい!!!」
きららが顔を輝かせた。口にソースがついている。
「うまい!」
俺も呟くと、きららが大きく頷いた。その顔には満面の笑みが浮かんでいた。きららは何度も「おいしいね、おいしいね」と俺を見て笑った。俺もその度に「うまいな」と笑い返した。雪の冷たさなど忘れるほど温かい時間が過ぎた。
「「ごちそうさまでした」」
あっという間に食べ終わってしまった。からになった皿に、一抹の寂しさを覚えて、ふーっと白い息を吐いた。
「おいしかったねえ」
きららが満足げにお腹をなでた。口の周りはソースだらけだ。箸がわりの枝がいびつだったせいで食べ辛かったのだろう。拭ってやると、きららはくすぐったそうに身をよじった。
「そろそろ行かないと」
星が見え始めた空を見上げて、きららが白い息を吐いた。その顔は穏やかだ。
「きらら」
覚悟をきめて呼びかけると、きららがこちらを見た。きららの大きな目に、真剣な顔をした俺が映る。小さく息を吐いて、きららを見つめ返した。
「俺とシロクマを食べに行かないか?」
「……クマ?」
きららが戸惑った声をあげた。
「鹿児島銘菓の大きなかき氷だ。練乳っていう甘い蜜がかかってて、それはそれは美味しいんだ。焼きそばみたいに、味を知りたいと思わないか?」
矢継ぎ早に言葉を紡ぐと、きららが「でも、儀式が」と言い淀む。
「俺は、きららとシロクマを食べたい。このままじゃ嫌だ」
話しながら立ちあがり、きららの正面に立つ。きららは眉を八の字にして俺を見上げている。ゆっくりとひざまずき、片手を差し出した。
「一緒に行こう、きらら」
……
きららは、俺の手を取らなかった。
「……行かない」
静かな声が、二人の間に落ちる。
「どうして?」
と、思わず声が漏れる。きららは何も言わず、じっと足先を見つめた。
「……このままじゃ死ぬんだぞ。そしたら」
「お母さんとの約束を守れない?」
俺の言葉を遮って、きららが大きな声を上げた。こちらを向いた瞳には涙が浮かんでいる。予想外の言葉に「は?」と乾いた声が出た。
「何を言って」
「おじいちゃんが言ってた」
ぽつりときららが呟いた。
「たっちゃんはお母さんが大好きだから、わたしに優しくしてくれるんだって。たっちゃんが本当に一緒に居たいのはわたしじゃなくて、お母さんだって。きららを守ってくれるのは、お母さんと約束したからだって!」
ぐずぐずと鼻を啜って、きららが言った。きららの目から次々に涙がこぼれ落ちる。キラキラ光る涙は流星のようだった。
あのクソ野郎。
言葉の源が分かり、奥歯をかみしめた。自分よりも俺に懐くきららに危機感を覚えたクソ親父が妙なことを吹き込んだのだ。その最悪な内容に頭がくらくらして額を抑える。
確かに姉さんのことは大好きだ。
きららとの間に何か特別な思い出があるわけでもない。
でも大切に思っている。
そんなものだろう、家族なんて。
指を握りしめる小さな手の温かみとか、俺をよぶ舌足らずな声とか、目が合うたびにコロコロ笑う真っ赤な頬とか。眠れなくてぐずるブサイクな顔とか。喧嘩して俺を睨みあげる目とか。背中で眠る暖かい温度とか。
それぐらいの小さな思い出が一滴一滴溜まっていって、気づいた時には心にきららの海ができていた。真っ暗な世界で、姉さんの海と混ざり合って、俺の心に穏やかな波をたてる。その海に船を出せば、俺も穏やかな眠りにつける。
ただそれだけの、普通の大切な家族だ。
ゆっくりと息を吸う。俺が穏やかに眠る中、きららは何度不安な夜を過ごしていたのだろうか。想像することしかできないが、この小さな体にはさぞ辛かったことだろう。
荒っぽく服の端で涙を拭ったせいで、きららの目は赤くなってしまっていた。今すぐ撫でて冷やしてやりたいが、誤解を解くのが先だ。
不安を取り除けるように、前を向けるように。言葉を選んで、向き合わなければ。
一度目を閉じて、思考をまとめる。そして、今度はしっかりときららの目を見つめた。
「きらら、あのな」
ぱんっ。
乾いた音が空間を切り裂いた。
「ごほっ」
熟慮の末選んだ言葉が血に変わった。
体がゆっくりと後ろに倒れる。力がまるで入らず、そのまま雪に倒れ込んだ。
「ひゅっ」
息を吸おうとして、失敗した。
体が燃えるように熱い。
思考がほつれてまとまらない。
頭が溶けそうだ。
きららの悲鳴が聞こえる。泣き声も。
起きようとしたが、全く力が入らない。
「バカ息子め」
仰向けに倒れる俺のもとに落ちてきたのは、クソ親父の声だった。
ああ、そうか、撃たれたのか。
ぼんやりとした頭で考える。熱くて痛くて苦しくて、どこを撃たれたのかは分からない。
「いくぞ」
「たっちゃん! やだ! やだあ!! たっちゃん! ああああ!」
泣き叫ぶきららの声が遠くなっていく。追いかけなくては。そう思うのに、指一本動かせなかった。
焦る気持ちと裏腹に、脳裏には生まれたばかりのきららの姿が流れていた。
姉さんの血で濡れた、温かくて小さくて愛おしい、俺の希望。
「き、ら、ら……」
ぼやけた視界の先で、ぎらりと星が輝いた。
2024/5/5 スパコミ 東5ぬ12aにてコピー本だします。