静岡①
「流星の儀をおこなう」
厳かな声でクソ親父がいった。
迫力のある上がり眉を吊り上げ、一大決心をしたような面持ちで。
湧き上がる歓声が広間で大きな渦となる。部屋の端にたつ俺は渦に取り残されて、ただただ立ち尽くしていた。ばくばくと心臓が大きな音を上げた。指先が冷たかった。思わずきららの方を見るが、四方を囲まれた簾のせいで、姿を見ることは叶わなかった。
流星の儀。
10年前に地球を救った儀式の名前だ。星に選ばれたお星様が新月にその身を富士山火口に捧げる。そうすれば、星々が助けてくれる。
意味の分からない、馬鹿げた儀式。
「儀式は、20歳で行うはずじゃ」
思わず漏れ出した声に、歓声がぴたりとやんだ。信者たちが訝しむように俺を見る。
「この星は、そこまでもつまい」
「で、でも!きららはまだ10歳で!」
「お星様を呼び捨てにするな!」
クソ親父の叱責に、「なんてばち知らずな」「不敬なやつめ」と信者たちが口々に俺を罵った。
富士山の火口に子供を突き落とそうとしている連中に言われたくはない。
「付添人は辰星を任命する」
抗議を重ねようとする俺の声を遮るように、クソ親父が俺をまっすぐに見つめて言った。勿体ぶった言い草はここにいる馬鹿どもを騙すにはぴったりだ。立ち上がると、五芒星の坊主に取り押さえられ、地面におさえこまれた。にやけ面で俺を殴る坊主は、確かクソ親父の取り巻きの一人だ。
「やめて。たっちゃんに酷いことしないで」
簾の奥から、小さな声が漏れた。広間の連中が一斉に頭を下げる。坊主もわざとらしく頭を下げて俺の上から退いた。
「お星様。お言葉を」
クソ親父が恭しくきららに言った。
「……夢を叶えましょう」
舌足らずな声に、信者たちが割れんばかりの拍手をした。きららはどんな顔でこの拍手を聞いているのだろう。早々に退散したクソ親父を追いかけて、歓喜に沸く広間を後にした。
「おい!」
廊下を走り、やっと追いついた親父に声をかける。もちろん奴は俺を無視した。無理やり止めようと踏み込むと、にやけ坊主が拳を振りかぶった。俺も構えて臨戦体制に入る。
「呼ばれているぞ」
にやけ坊主の腕が横から掴まれる。整えられた髪の毛に綺麗に切り揃えられた髭、首元まできっちりと止められた軍服。五芒星の一人正義道だ。にやけ坊主が顔色を変えて睨みつけるが、正は顔色ひとつ変えなかった。
「……なんだ」
うんざりとため息をついて、クソ親父が振り返った。宗主である親父でも、正のことは無視できないらしい。正は何も言わず、すっと俺に道を開けた。本来はクソ親父の護衛も仕事のはずだが、よほど人望がないのだろう。
「きららは、姉さんが命をかけて産んだんだぞ」
姉さんの最後を思い浮かべて、クソ親父を睨みつける。クソ親父はうんざりとため息をはいて、「見ろ」と窓の外に視線を移した。しんしんと降り続ける雪を、忌々しげに見つめる。
「日本最北端である静岡も、年々雪の量が増え続けている。もうすぐ限界が来る」
「もっと南へ行けばいいだろ」
「儀式は富士山でしか行えない。富士山への火口への道が塞がれば、打開の策はなくなる」
「でも、でも! まだきららは」
「10才の子供と世界、天秤にかけるまでもない。大人になれ、ぐず」
「グズはお前だろ。なんの力もないくせに」
腕を握りしめ、睨みつけるとクソ親父の眉がピクリと動いた。すっと目が座る。
「力ならあるさ」
懐から愛銃を取り出して言った。日本にはもうほどんどない拳銃。これのおかげでクソ親父はこの教団のトップになった。
「お飾りだろ」
言葉を吐き捨てると、右頬に衝撃がきてよろめいた。銃で殴られたようだ。頬がじんじんと痛む。また殴ろうと銃を振り上げた親父の腕を正がつかんだ。
「やめろ。これ以上は親子喧嘩とは言わない」
淡々と言い放たれた言葉に、クソ親父の顔がぐしゃりと嫌悪に歪んだ。
「親子喧嘩ですよ。あなたにはこれぐらいの年齢の子の扱いは解らんでしょう。お子さんの享年はおいくつでしたかね?」
何が面白いのかヘラりと笑ったクソ親父に賛同するように坊主がにやにやと笑った。人の心ないドクズめ。こいつの血が流れているのが心底憎い。
「子供に手を挙げる人間は親とは呼ばない。クズだ」
苛立ちも怒りも含まない淡々とした声だった。クソ親父が苦い顔をして正を睨みつけたが、正は一歩も引かなかった。
睨みあいのおかげで、俺から注意がそれた。そのすきに、思い切り拳銃を蹴り上げた。
「なっ」
宙を舞う拳銃に気を取られたクソ親父の顎に膝を叩き込む。「ぐっ」とうめいて倒れ込むクソに覆いかぶさろうとして、目の前にきらりと何かが光った。
ナイフだ。
クソ親父の構えたナイフを寸前で避けて床に転がると、にやけ坊主が俺に馬乗りになった。さっと顔を庇うと、パン!と乾いた音が響いた。
「やめろと言った」
正が銃を天井に向けて発砲していた。クソ親父が慌てて立ち上がる。
「人のものを勝手に!」
「全部撃ち切ってしまってもいいんだぞ?」
正の冷たい目線にクソ親父はちっと舌打ちをして、にやけ坊主に退くように視線を送った。正から拳銃を奪うように受け取り、クソ親父が俺を見下ろした。
「正義心はご立派だが、お前たちも私たちと同じ、救われる側の人間なんだからな」
どんっと正の胸を押して、クソ親父が踵を返した。にやけ坊主が後ろに続く。正は座り込んだ俺に手を差し伸べたが、俺は手を取らなかった。不甲斐なくて、情けなくて、力が出なかった。
「気持ちはわかるよ」
割れたメガネをかけた女が、俺の前にしゃがみ込んだ。前の付添人で五芒星の一人、愛星 百合だ。殴られた頬に手を添えられたが、振り払った。百合さんは何を言うでもなく隣に座り込み、そのまま優しい声色で続ける。
「私も同じ気持ちだった。どうしてこんな意味の分からない祈りの為に、彼女が死ななければならないのか、ってね。でも、儀式は効果があった」
「たった10年ぽっちだろ」
思わず鋭い言葉がこぼれ出た。百合さんは怒ることもなく「そうだね」と頷く。
「その10年ぽっちのおかげで、次のお星様が育つことができた」
フレームの曲がったメガネの奥で、薄い色素の目が細められた。前のお星様のこと思い出しているのかもしれない。歪んだレンズのせいで笑っているようにも泣いているようにも見えた。百合さんのとても落ち着いた態度に己の幼稚な言葉が急に恥ずかしくなった。「ごめん」と絞り出すと「うん」と優しく肩を抱かれる。
「富士山の火口までついていけるのは、付添人ただ一人だ。私たちは恵まれているんだよ。最後まで、一緒にいれるんだからね」
なんだか泣きそうになって、グッと唇を噛み締めた。百合さんは黙って、俺の肩をポンポンと優しく叩いた。その手先は子供をあやす仕草そのもので、余計に情けなくなる。
「今夜はお星様の部屋で過ごしていいと許可が出ている」
黙ったままの俺たちに、正が言った。
「今日が最後の夜だ。悔いなく過ごしなさい」
さあ、と促され、俺はようやく立ち上がった。
「たっちゃん!!」
簾をくぐった途端、きららが飛び込んできた。
「たっちゃんが付添人なんだね! 富士山までずっと一緒なんだよね! すごく嬉しい!」
きららは俺に抱きついたままぴょんぴょんとはねた。
死ななければいけないのに?
喉まででかかった言葉をぐっと飲み込みきららの頭を力強く撫でた。柔らかな黒髪がぐしゃぐしゃに広がる。顔をくしゃりとさせたきららが「う〜」と小さく唸り声を上げた。
「きらら」
目線を合わせるためにしゃがみ込む。きららが髪を整えながら俺を見た。キラキラと輝くその目にひどい顔をした俺が映る。
「俺たちはずっと一緒だ」
「うん!」
驚いた様に目を丸くした後、きららが笑った。花が咲くような笑顔だった。
「今日は夜更かししてもいいんだって! 天体観測しよう!」
「とかいって、すぐに眠っちゃうんじゃないのか?」
「眠らないもん!」
「どうだかなあ」
「意地悪!!」
きららが俺の足を殴った。痛くも痒くもない攻撃を続けるきららを抱き上げる。軽い。疑いなく己に身を任せる小さな体に長いため息をついた。
ああ、こいつは明日死ぬのか。こんなに馬鹿なただの子供なのに。
泣きそうになってグッと唇を噛んだ。
その夜は星がよく見えた。
凍てつく寒さの中、俺の腕の中できららが「見て見て」と星を指差す。
「あれがベガで、あれがデネブ!あっちがアルタイル!綺麗だね」
無邪気に笑うきららに「そうだな」と頷く。
「昔は夏の大三角って言われたらしいぞ」
「夏ってなに?」
「雪が降らない季節のこと」
「嘘だあ。そんなのあるわけないじゃん」
「あったんだよ」
「じゃあたっちゃん見たことあるの?」
「ない。けど姉さんが言ってたから間違いない」
「……そっか、お母さんは見たことあったのかな」
きららが白い息と一緒に吐き出した。「さあな」と返事をして、きららを抱き直す。初めて抱き上げた日から10年。随分と重くなったものだ。
「わたしがお星様になったらさ」
きららが空を見上げたまま口を開いた。
「夏の大三角の真ん中ぐらいに行くから、その星を見たら、その時はちゃんとわたしのことを思い出してね」
きららの瞳が俺に向けられる。眉は下がり、その目は不安に揺れている。
本当に馬鹿だな。星なんか見なくたって、いつだって思い出すだろうに。
俺が頷くと、きららが頬を真っ赤にして笑った。首に思い切り抱きついてきた暖かい体を抱きしめて、俺も白い息を吐いた。
しばらくするときららは静かに寝息を立て始めた。最後の方はだいぶ抵抗していたが、睡魔には勝てなかったらしい。
部屋に戻って布団に横たわらせると、俺の服を掴んでいることに気づいた。離そうとして起こすのも悪い気がして、ベッド脇に座り込む。姉さんによく似た顔を優しくなでる。
きららが生まれたのも、こんな夜だった。
姉さんが妊娠したのは、俺が10歳の春のことだ。こんな荒廃した世界のどこで子供なんて作ってきたのか。クソ親父も珍しく動揺していた。俺はといえば、ただ太ったように見える姉の体に別の生命が宿っていることに不思議な心地になっていた。促されて触ったお腹からわずかな振動を感じて思い切り後ずさると、姉さんが優しく笑った。
「星導教団へ向かう」
一通り喚いた後、クソ親父が思い出したのは日本最北端の地、静岡にあるカルト宗教だった。このくそみたいな世界で唯一子供を育ててくれる酔狂な場所。ここよりもうんといい場所と、あいつは言った。
「それならどうして今まで行かなかったんだよ」
「7つまでの女の子がいることが入団の条件だ。お前じゃなんの役にもたたん」
こちらを見もせずに言うクソ親父に舌打ちを返す。俺たちに挟まれた姉さんは困ったように眉を下げ、優しくお腹を撫でた。
道なき道を歩き、命からがらついた施設は、話に聞いていた何倍もぼろかった。旧日本軍の施設だったとかなんとか、説明は難しくてよく分からなかったが、臨月の姉さんはもうどこにも行けなかった。
姉さんは助からないかもしれない。そんな思いが日に日に強くなっていった。
「相手はどんなやつなんだ?」
「……お星様。お願いして子供をもらったの」
「はあ?」
気を紛らわそうと聞いた質問に、姉さんはまともな返事を返してはくれなかった。
「この子は、私の夢なの」
姉さんは目をキラキラと輝かせて言った。慈愛に満ちた微笑みを浮かべて。
そして教団到着から1週間後、きららは生まれた。
姉さんが、自らの腹を引き裂いて。
生まれたきららを取り合うように抱き上げ、大人たちはどこかへと消えていった。溢れ出した血は止まらず、姉さんの息はどんどん小さくなっていく。涙があふれて止まらなかった。
「約束よ、たつ」
死の間際、姉さんが口を開いた。死にかけているとは思えない、強い眼差しが俺を射抜いた。
「あの子を、守って」
有無を言わせぬ言葉に、俺は黙って頷いた。姉の言うことには四の五のいわず従う。弟とはそういうものだ。姉さんは安心したように笑い、そのまま死んだ。
「姉さん、どうして」
どうして俺を置いて行くの。嗚咽にまぎれて吐き出した言葉に、返事はなかった。
「……ごめん、姉さん」
きららの頭をなでながら呟いた。柔らかな髪がはらはらと布団に流れ落ちる。きららの手はいつの間にか俺から離れていた。
――翌夕方。富士山火口。
「流星の儀式は辰星を付添人とし、ここ、富士山火口で行う。夜の間に、お星様が流星となり、祭壇から火口へ飛び込むことで、日本は命の灯をつなぐことができるだろう! 我々五芒星はこれよりそれぞれが富士山への道へと立ち、部外者の立ち入りがないように見張ることとする! 世界のために、失敗は許されない!」
クソ親父の仰々しい言葉に、きららがぐっと息をのんだ。緊張に染まった小さな頭をぽんぽんと優しくたたく。
「……祭壇は結構高いから、後ろ向きに飛んだ方がいい。彼女もそうした」
下山の少し前、が耳打ちをしてきた。火口のそばに建てられた祭壇を見上げ、小さく頷いた。
五芒星は火口へつながる4つの道の入口に立つ。一番険しい北道に正。教団施設のある西道にクソ親父。教団施設から一番遠い東道に百合さん。あまりの南道ににやけ坊主。部外者の立ち入りのないように、とは言ってはいるが、実際は俺たちの見張りだ。
「夜まではけっこうあるんだね」
五芒星の姿が見えなくなったころ、きららが緊張で上ずった声をあげた。「そうだな」と、まだ青い空を眺めて大きく息を吐きだす。
夜なんて来なければいいのに。
どうしようもないことを考えて、繋いだ小さな手のひらをぎゅっと握りしめる。
『約束よ、たつ』
記憶の中の姉さんの目が、ぎらぎらと光を放っていた。
「……なあ、きらら」
祭壇へと向かっていた足を止める。きららが不思議そうに俺をみた。きらきらと輝く目をまっすぐに見つめる。
「焼きそばって、知ってるか?」
「……やき、そば?」
きららが首を傾げた。咳ばらいをし、「富士焼きそばだ」と大きな声をだした。
「焼きそばは美味いぞ。コッテリとした甘辛のソースが絡んで、麺はもちもち。口に入れたら香ばしいソースがじわりと広がって、それは、それは美味しいんだ! どうやら南道の闇市にあるらしいんだが……食べに行きたいと思わないか?」
大きく手をひろげて言うと、きららが「焼きそば」と小さく呟いた。教団ではまず食べられないジャンクフードだ。「美味いぞ」と後押しをすると、きららがごくりと喉を鳴らした。
「でも……儀式が」
きららが眉をさげて祭壇を見た。瞳が揺れる。しゃがみこみ、きららの両肩に手を置く。
「焼きそばを食べるのは、俺の夢なんだ」
「……夢」
「そうだ。きらら……いや、お星様」
手を膝におき、姿勢を正す。きららもつられてピンっと姿勢を正した。
「俺の夢をかなえてください」
きららが目をきらきらと輝かせた。夢を叶えるのがお星さまの仕事。物心ついたころから言い聞かせられていた言葉だ。きららはわざとらしく咳ばらいをして、
「夢を叶えましょう!」
とはにかんだ。
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