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4.ソフォクレス伯爵邸へ

 ヴァネッサお姉様のお古のドレスを着て、女性の使用人に少し手直しをしてもらってから、生まれて初めて外に出てみれば。そこには、見たことのない一台の馬車が停まっていました。

 二頭のペガサスが、両脇から果敢(かかん)に炎に立ち向かっているように見えるこの紋章は。間違いなく、ソフォクレス伯爵家のもの。


 けれど。


(あまり、実感がありません)


 貴族として生まれはしましたが、男爵家どころか部屋からもまともに出たことのない私にとって、それは当然のことだったのだと思います。


「本当に、お嬢様は何一つ持たずにご実家を出てしまわれて、よろしいのですか?」

「お嬢様が、必要ない、と。見ての通り、スコターディ家はあまり裕福ではありませんので。供もお付けにならないそうです」


 御者の方と女性の使用人とのやり取りさえ、なんだか遠いところで交わされているよう。

 現実味が、あまりにもなさすぎるのです。


「そう、ですか」


 御者の方は納得したように、馬車の扉を開けてくださいました。

 これが仮に現実だったとしても、彼女の言う通り私には何も必要なものなどありませんから。この身以外、私が持ち得るものなど存在しないのです。


「お嬢様、お手をどうぞ」


 御者の方が、帽子を脱いでそれを胸に当てて。反対の手を、私へと差し出してくださいました。

 きっとこれは、いくらステップがついていてもドレスでは馬車に乗り込みにくいだろうという、この方なりの配慮なのでしょう。


「ありがとうございます」


 そのご好意を素直に受け取って。私は御者の方の手を借りて、馬車へと乗り込みました。

 そうして、扉が閉じられた瞬間。


「……」


 開かれているカーテンの向こう側。ガラス一枚隔てたそこは、先ほどまで私が十六年間過ごしてきたお屋敷だというのに。

 今日初めてその外観を目にした私にとって、その光景は哀愁を呼び起こすようなものではありませんでした。


(だからこそ、でしょうね)


 嬉しいとも悲しいとも思えないのは。

 むしろ部屋を出る時のほうが、よっぽど非日常的な気分になりましたから。


(それに……)


 当然のようにお父様やお母様、そしてお姉様もお見送りに来てくださらないことを。私は、寂しいとは思わないのです。

 ずっと、スコターディ男爵家を出るためだけに、育てられてきたのですから。


「お嬢様。出発しても、よろしいですか?」

「はい。お願いします」

「承知いたしました」


 そのままゆっくりと、馬車は動き出します。


「……さようなら」


 使用人が屋敷の中に入っていくのを眺めながら、ただその一言だけを呟きました。

 誰にも聞こえないと、分かっていながら。


 そうして私は一人、ソフォクレス伯爵邸へと向かったのです。



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