村のみんなの息子、紅蓮
「あら、紅蓮くん?」
村の入り口の目前で紅蓮に声をかけたのは、村に住む女性、三原だった。
梅雨が明けて急に暖かくなってきたからか、着物の袖を肩のあたりまで捲り上げている。長い髪も髪紐でひとつに纏め上げているので、紅蓮は一瞬誰だか分らなかった。
「ああ、三原さん」
「おかえりなさい。依頼は達成できた?」
「はい、問題なく」
そう答えると、三原はにっこりと笑って紅蓮の頭を撫でた。紅蓮は捨て子だったから、村のみんなが親代わりになって、交代で紅蓮を育ててくれた。紅蓮にとっては村のみんなが親で、村人たちにとって紅蓮はみんなの息子だった。三十路間近の三原にとっても、紅蓮は息子か年の離れた弟のような存在だった。
「そう、ならよかった。お疲れ様。ちゃんと長に……ぁ」
「???」
三原の表情が暗くなる。何かあったのだろうかと、紅蓮は三原に一歩近づいた。
「三原さん?」
「……一週間くらい前にね、長、老衰で亡くなったの」
「……ぇ」
一週間前といえば、ちょうどこの村に向かうために大蛇の根城を発った頃だ。
「そう、なんですか」
「紅蓮くんが最後に会ったのって、どのくらい前だった?」
「今回終わらせた依頼に出発する、その前に会いました。次の依頼はこれだから行って来いって。だから……三週間くらい前になる、かな」
「そう。ちょうどそのころからだわ、長の食が細くなったの。食べる量が減ったから、村のみんなで『そろそろかもね』って、話はしていたのよ。ほら、食べられるうちは大丈夫って、言うじゃない?」
「そうですね、聞きます」
「だから、ご自分でも死期を悟ったのかもしれないわ。次の長を指名して、引継ぎをして……そう日を空けずに、ね」
「そうでしたか……」
長と呼ばれていた朝倉景清殿は、紅蓮も散々世話になったし、村中から尊敬されていた人だった。
紅蓮が幼いころは、保護者代わりだった師匠が任務に向かう際、長に預けられたものだ。膝に乗せられて、縁側で日向ぼっこをよくしていた記憶がある。
昔は腕のいい獣狩だったそうだが、足を悪くして以降は村の長となり、獣狩や村全体をまとめてくれていた。
「すみません、そんな時に村にいなくて」
「気にしなくていいのよ。獣狩の男衆は大半が任務でいなかったもの。帰ってきた人には、順にこの話をしているの。長が亡くなってから帰ってきたのは、紅蓮くんで6人目よ。みんな任務で村を留守にしていたのだから、気にしないで」
「……はい」
「次の任務はあるの?」
「いえ、その相談もしつつ、こいつがちょっと」
そう言って視線で示したのは、紅蓮の腰に下がっている大太刀だ。
「あら、そう。久しぶりにゆっくり休みなさい。新しい長は、息子の幹也さんよ。ちゃんと挨拶してらっしゃいね。──今なら、長のお屋敷にいると思うわ」
「わかりました」
お礼を言って頭を下げ、村に足を踏み入れた。村人たちは笑顔で紅蓮を迎えてくれて、野菜はいるかとか、今年の酒は美味いぞとか、いろいろと気遣ってくれる。
まずは村の少し奥まったところにある自宅に荷物を置いて、装備を外して外へ。汗を流すより先に新たな長の元へ向かった。
村で一番大きな屋敷の戸を叩けば、お手伝いさんが出迎えてくれる。軽い挨拶をして、新たな長に会いに来た旨を伝えれば、すぐに奥の広間に通された。
紅蓮を出迎えた幹也はゆったりとした笑顔で茶を差し出す。
「紅蓮、戻りました」
「おかえり。怪我がなさそうで何よりだよ」
「長が亡くなったと」
「ああ。みんなに囲まれて、ゆっくりとね。病で苦しみながら死ぬより、ずっといい」
「村を留守にしていて、すみません」
「気にしないでおくれ。仕事があったんだ、そのことくらい父だってわかっているさ」
好きかな?という言葉とともに皿に盛られた羊羹が出てきた。なんでこんな高級品が?とは思ったが、出された菓子を食べないのも失礼かと思って、食べてみる。
濃厚な甘さが口の中を占拠した。
「父と昔付き合いのあった、中央の商人がやってきてね。父の死を聞いてわざわざ足を運んでくれたそうだ。その方が手土産にと、こんな高級な菓子をくれたんだ。それも何個もね」
「そうでしたか」
気の利いた言葉が浮かばない。こんな時なんて言えばいいのか、師匠に聞いてから来るべきだった。
「だから、無事に帰ってきてくれた獣狩たちに出しているんだ。私や女衆は、葬儀の時に食事をいただいたからね」
「……ありがとう、ございます。美味しいです、羊羹」
「なによりだよ。なんでも、父はその商人の護衛のために、外国までついて行ったらしくてね。取引に向かう道中、取引の最中、取引からの帰り道。獣は海にも空にもいるからね。何度か命の危機になったそうだが、父や父に同行していた獣狩に救われたそうなんだ。中央での仕事が忙しくてなかなか顔を出せなかったことを、ひどく後悔していたよ。でも、死に際の話をしたら、安心したような顔をしていた。『家族に囲まれて死ねたのなら何よりだ』ってね」
「…………」
「紅蓮。いつも父が口癖のように言っていたからわかっているとは思うが、『獣を殺めるのは常に誰かのため』でありなさい。自分の欲のために獣を狩ってはならないよ。自分の身を守るか、誰かの依頼だからか。そのどちらかでなければ、いかに獣であろうともそれは殺戮と変わらない。わかっているね」
「はい。もちろんです」
紅蓮は背筋を伸ばして即答した。
獣狩は常に他人のために。毛皮欲しさ、爪欲しさで獣を狩ってはならない。
自分の身を守るか、人々の暮らしを守るために狩った獣だけ、肉を食んだり毛皮を加工したりすることが許される。
それらは獣狩になる時に、口酸っぱく何度も何度も教えられたことだ。
「君も、私の大切な息子の一人だ。治る怪我ならばともかく、戦いのなかで死ぬようなことにならないように、自己の研鑽を怠らないようにね。私の目の届かない場所で、我が子に死なれることほどつらいことはないよ」
「はい、長」
「風早が新しい薬湯を入れたそうだ。入って疲れを癒していきなさい」
「ありがとうございます、そうします」
挨拶をして屋敷を後にした。
長の言うとおり、薬湯に入って汗や道中の泥を落としに行こう、と川沿いの湯屋に向かう。道すがらに会った村人に挨拶と他愛ない話をして、のんびりとした雰囲気のまま湯屋の暖簾をくぐる。
そこには。
「よぉ。来たな」
「……どうも、風早さん」
長の格好に暖色系の羽織を羽織っただけの、先ほど屋敷で会った新たな長・朝倉幹也がそこにいた。
薬師をしている幹也は、村人の疲れを癒すため薬師の知識を生かして湯屋をしている。
湯屋の主をしている時の幹也は『風早』と名乗っており、誤って『幹也』と呼ぼうものなら額に湯桶が飛んでくる。──紅蓮はすでに経験済みである。
「件の商人からいい薬草の調合法を教わったんだ。早速試してみたんで、紅蓮も入ってみてくれ」
これが本来の幹也の喋り方である。
──否。どちらも彼の喋り方ではあるのだが。
今の彼が村の長ではないというだけで、別に別人になったわけではない。長として村人に接するときは真面目で落ち着きのある人だし、湯屋の主として接するときは気安い隣人のような人だ。
長の時は長としてあるべき姿や性格を前面に出しているだけ。
「実験台ですか」
「まさか、既に村のみんなが入っているよ」
「評判は?」
「効果は実感してもらっているよ。湯から上がってもしばらくは温かいから、心地がいいってね。ただまぁ、あれだ。薬湯ってだけあって、色が少し……な」
「……なるほど」
「ごゆっくり~あとで君の感想も聞かせてくれ」
その日薬湯に浸かった18歳の青年はこう語る。
────薬湯と聞いて想像するとおりの色だった。風早は何を混ぜたんだろう。本当に夜まで温かかったし、長旅の疲れもすっかり取れた。匂いがきついわけでもないし効能は評判どおりだ。
でもあまりに温かさが持続しすぎて、夜中に寝汗で起きてしまったから、もう少し効果を下げてもいいのかもしれないな。寝巻の着物がびっしょり濡れてたんだよ、汗だけで。 喉が渇きすぎて風邪ひくかと思った。
【登場人物まとめ】
紅蓮くん 18歳
三原信乃さん 29歳 子持ち
朝倉景清殿 享年78歳 先代長
朝倉幹也さん 51歳 新しい長 子持ち
風早 幹也と同一人物 湯屋の店主で薬師
【次話投稿予定】
5月1日(明日)0時を予定しています。
評価やいいねなどしていただけると跳んで喜びます。
次の更新をお待ちくださいませ!