3年後の今
15歳だった青年は18歳に、9歳だった少女は12歳になった。
春の出会い以来、紅蓮はだんだんと大蛇の根城に頻繁に顔を出すようになり、櫻は仕事終わりの紅蓮から言葉や字の書き方、簡単な料理を教わりながら過ごしていた。
大蛇は洞窟の場所を変え、水場に近く広い洞窟を見つけて、そこで暮らしていた。櫻は火の起こし方も覚えたし、簡単な料理──紅蓮直伝の適当鍋──なら自分で作れるようになった。
胃が受け付ける量はまだ少ないが、細かった腕には少し肉が付いたように思う。まだまだ細くて、少し力を入れるだけで折れそうなことに変わりはないが。
今日も紅蓮は、依頼を終えて村に帰る道中、大蛇の根城に顔を出し、櫻と一緒に作った適当鍋を食べながら近況の話をしていた。
「──でね、ぷうじいちゃんのところに生まれた赤ちゃんがほんとに可愛くて! ちっちゃいのにちゃあんと猪なんだなぁって思ったの!」
「そうか、小さい猪って言っても、やっぱり普通の猪より大きいんだよな?」
「うん。赤ちゃんだって言われたけど、普通の猪の成体くらいの大きさだったよ」
「不思議だよなぁ、なんでこんな大きさなんだか。というか何食って生きてるんだか」
「……おじいちゃんは? 1500年も生きてるんでしょう? 何食べてたらそんなに長生きになったの?」
櫻が鍋を作っている間に捕まえたらしい野ウサギをごくりと丸のみにしてから、大蛇は記憶を辿るように上を向く。
「生まれはこの山じゃないんだが、生まれた山に飽きてな。いろんな場所を巡りたいと思って、童のように国中をまわっていただけだな。その土地その土地の餌を捕まえて食べて、居心地のいい場所には留まって、また出かけたくなったら旅に出て、の繰り返しだ」
「じゃあ何か特別なことをした、というわけじゃないのか」
「しいて言えば旅をしたことくらいだが、そうだな。何か特別なことをしたつもりはない」
そっかぁ、と言いながら、櫻は3年前よりも普通の味付けに近づいた鍋の汁をすする。紅蓮からしたらまだ少し薄いが、最近はこの味に慣れてきて、自分好みの味付けが薄くなったと師匠に言われた。
と、師匠のことを考えたところで、ふと思い出す。
「そういえば、櫻。俺、近いうちに一度村に帰るよ」
「え?今までも戻っていたよね?それとは違うの?」
「今までは依頼を終えたっていう報告と、新しい依頼を受けるために帰っていたからその日のうちに村を出ていたんだ。今回は、こいつがちょっとな」
そう言って紅蓮は、洞窟の奥に立てかけている大太刀を視線で示す。
「今回の戦いで鈍らになったから、研ぎなおしてもらうか、新しいのを作ってもらうことになるかもしれない」
「この大太刀、初めて会った時からずっと使ってる子だよね?」
「そう。だんだん俺に合わなくなってきてる感じはしてたんだ」
15歳のころよりも確実に力が付いた紅蓮に、太刀のほうが合わなくなっているのだ。成長途中の青年に合わせて作った太刀では、成熟した青年に近づきつつある今の紅蓮の力量には耐えきれなかったのかもしれない。新しくするか、合わせるか。村の職人たちに聞きに行くのが目的だった。
「そんなわけで、しばらくは村に留まるよ。どのくらいかかるかも……目途はちょっと立たないな」
「……そ、っかぁ……」
櫻がしゅんとしてしまったのを見て、言い表せない罪悪感が募る。けれど自身の武器をどうにかしないことには仕事もままならない。こればかりは、仕方がないのだ。
「武器がないと仕事もできないし、食料も買えないからさ。ちょっと待っててくれ」
「うん、わかってる。ごめんね」
「櫻は何も悪くないだろ。なるべく早く済まして、依頼を貰ってくるから」
くしゃりと頭を撫でれば、心地よさそうに目を閉じて櫻が擦り寄ってくる。この姿を見ると、紅蓮はいつも『猫みたいだ』と思ってしまう。ゴロゴロ喉を鳴らしながら頭を押し付けて、撫でを要求してくる猫。
獣狩の村にある米を保管しておく倉庫の周囲には、ネズミ狩りのために猫が何匹もいる。大型で暮らしに被害をもたらす獣ならともかく、手のひらと大して変わらない大きさの、しかもいつ何時やって来るのかわらないネズミを狩るのは獣狩にも難しいのだ。
「…………私も行ってみたいなぁ」
「……もう少し体力がついたらな。ここから最低でも一週間は歩きっぱなしだから」
「い、一週間!? ……まだ難しいかも……」
「もうちょっと体力が付いたら、一緒に行こう。櫻がそうしたいなら、俺たちの村に住んだって良いんだから」
「……うん」
少し俯いてしまった櫻の頬を撫でる。すぐに顔を上げたから、落ち込んでいたわけではないらしい。
櫻を【冬の山】の麓の村に連れて行こうかと、大蛇に相談したことがある。人里で暮らしたほうが櫻にもいいんじゃないかと思ったが、大蛇は首を横に振った。
『櫻を捨てた人間の生き残りがいる村だ。あの子をそんな人間の居る場所に連れて行きたくない』
その言葉を聞いた瞬間、何も言えなくなった。大蛇の目が届く範囲で自由に山の中を移動している櫻だ。麓に行くくらいの体力はあるだろう。
だがそれができているのは、ここが【冬の山】で神域だからだ。良識のある者は神域に足を踏み入れようとは思わないし、誰かが神域の中にいるなんて考えもしない。
社守の人間か、かつての紅蓮のような迷い人くらいなものだ。
もし、かつて人身御供として捨てたはずの人間が生きていて、神域の中で生き続けていたら。
かつての社守の村が滅びたのは、人身御供の櫻がちゃんと死ななかったからだと言われてしまったら。怒りの矛先を櫻に向けてしまったら。
紅蓮は櫻を連れて逃げるしかない。獣狩は人間を傷つけてはならないという戒律があるから、逃げる以外に櫻を守ることができない。
神域で生きていたことを知られてしまえば、どこの村に行ったってお尋ね者になってしまう。
この山から離れるのならば、神域で生きてきたことを言わないまま、【冬の山】の社守の一族から離れた場所に行かなければならない。
手っ取り早いのが、紅蓮の育った獣狩の村だ。
しかし、【冬の山】から獣狩の村に行くためには、山の中を進めば最短1週間、街道を進むと3週間かかる。連日歩き続けるには櫻の体力が持たない。
だから今は、体力をつけるための準備期間。もう少し櫻の体力が付くまでは、食料や衣類は紅蓮が依頼の合間を縫って届けることになっている。
「頑張って体力つけるね」
「ああ。……そうだ、そろそろ新しい着物も貰ってくるよ」
「……ねぇお兄ちゃん、山の中で着てるんだから、そんなに頻繁に買って来なくても良いんだからね?いつもきれいな着物を買ってきてくれるけど……」
少し丈が短くなった櫻の着物を見ていた紅蓮は、櫻の言葉に顔を上げて微笑んだ。
「気にしなくて良いんだよ?」
「でも……」
「大丈夫。ぜんぶ村の女衆から譲ってもらった、丈の合わなくなった着物だから。丈が合わなくなったらどうしようもないから、押し入れにしまってる人が多くてさ。どうせもう着ないからあげるって、譲ってくれたんだよ。だから気にしなくていい。俺が買ったわけじゃないから」
「そう、なんだ…………そっかぁ」
えへへ、と安心したように笑う。話を黙って聞いていた大蛇が、洞窟の奥の、櫻の着替えや食料を入れている籠をちらりと見て言った。
「この3年間で何枚か櫻に贈っていたが、あれらも全部そうなのか?」
「まぁね。大まかな事情を話したら、『あれもこれもあるわよ、持って行きなさい』って渡されたんだ。櫻の丈に合うものは持ってきて、まだ合わないものは俺の自宅に置いてあるよ」
「その歳で自宅があるのか」
「獣狩は村にある住人がいなくなった一軒家を貰えるんだ。……獣狩の仕事は、時には命懸けだから」
「……そうだな」
「お兄ちゃんは、大きな怪我はしてないんだよね?」
うーん、と言いながら紅蓮は視線を上に向ける。大きな怪我はしていない、それは確かにそうだ。瀕死になるような怪我を負ったことはない。
が、骨折した回数は片手じゃ足りないくらいだし、何日間か昏睡したこともある。
村には薬師がいるし、西洋で医学を学んだ医者の弟子もいる。学んだ本人は医者を引退したが、今でも体調不良の相談には乗ってくれるし、簡単な治療ならしてくれる。技術や腕は問題ないのだが、手の震えと視力はどうしたって衰えるから引退したのだ、とは本人の談である。
「してない、と言ったら嘘になるけど……生死の境を彷徨うような怪我はしていない、かな」
「蛇に嚙まれてぶっ倒れたか」
「いや、そもそも蛇には近づかないから」
「ぷぅじいちゃんみたいな猪に突進されて骨折とか?」
「……絶妙に現実的な例えだな……まぁ、似たようなことはあったよ? 獣狩の師匠と一緒に行った任務で、でっかい熊みたいな獣に投げ飛ばされて、何本か背骨を折ったことがあって。あの時は師匠に背負って帰ってもらったなぁ……」
「──そう、なんだ。……ぁ……ぇと、危ないことはしないでね?」
櫻が何かを言おうと口を開きかけて、やめた。そのことは紅蓮にも分かったが、追及はしないでおいた。
「俺は結構、この戦いに勝てるか否かの状況判断が上手いんだ。勝てないと思ったら退くし、そもそも戦うことをやめることもある。一人で勝てないと思ったら複数人で戦うことにすればいいからね。だから最近は大きな怪我もなく、おおよそ予定通りに櫻のところに帰ってきてるだろ?」
「……そう、だね。そっか、なら安心できる、かな」
「今回は任務で村に戻るわけじゃないから、心配しなくていいよ」
食べ終わった二人分の椀を、空になった鍋の中にまとめて入れて持ち上げる。櫻が「私が洗うよ」と声をかけてくれたが、夕方が近くなり、だんだんと暗くなっている洞窟の外に櫻を出したくなかった。「気にするな」と言って、近くの小川で食器類を洗う。水量は少ないが水が綺麗な小川だ。
流石は山の主。大蛇はいい場所を選んだなぁとつくづく思う。
「──そういえば」
最初のころは、紅蓮が洞窟を訪れると、櫻は喜んで胡坐の上に乗っていたものだが、近頃は全く乗ってこなくなった。帰ってくると笑顔で出迎えて抱き着いてくるのは変わらないが、いつからか乗りたがらなくなった。
────いつからだっけ?ここ数か月は無かった気がするけど……明確にいつからかはわからないな。
毎日のように櫻に会っているわけでもないし、任務のために移動している時間のほうが圧倒的に長い。合わない間に、何か心境の変化があってもおかしくない。
そう思うと、なんだか──
「なんか、寂しい? というか、虚しい? な」
今まであったはずのものが無くなったような。
捨ててしまった大切なものを思い出すような。
そんな、失った何かを思う、心地。
「やべ、本格的に暗くなってきた」
周囲がだいぶ暗くなってきた。まだ足元が見えなくなるほどではないが、あと一時間もすれば明かり無しでは出歩けなくなるだろう。
適当に水気を切って、二人の待つ洞窟に戻った。明日には村に戻るためここを発たないといけない。早く寝るに越したことはないだろう。
「お兄ちゃん遅い!どうしたの?」
「悪い、考え事してて」
「暗いんだから、明日の朝でもいいのに」
「汚れは残したくないだろ?」
「そうだけど……心配だったから」
「ごめんな。ほら、もう寝よう」
櫻の背を軽く押して、洞窟の中に行くよう誘導する。もー、と言いつつ、櫻は素直に洞窟に入っていった。
鍋やら食器やらを乾かすために並べて、洞窟の中へ。中では櫻が、随分前に贈った毛布を広げていたところだった。
大蛇は櫻の隣にとぐろを巻いて、櫻はそのとぐろに寄り添うように横になる。
この二人は距離が近い。眠るときにはお互いが隣にいないと眠れないんじゃないかと思うくらい。
「…………」
「おにいちゃん?」
すでに若干眠いのか、呂律が甘くなっている。
「ん。ちょっと待って」
自分の分の毛布を広げて櫻の隣に横になれば、櫻がぽふ、と抱き着いてくる。大蛇の尻尾がしゅるりと紅蓮の背中まで伸びてきて、紅蓮と櫻を抱えるように包み込む。
────こういうところだよな。ジイさんの隣で眠ると、安心できるのって。
「おにいちゃん」
「んー?」
腕の中の櫻が、ふわふわした口調で紅蓮を呼ぶ。
「ふふ、おにーちゃん」
「なんだよ?」
「えへへ。…………おにいちゃんのにおいがする」
紅蓮の胸に顔を埋めて、櫻がすぅー、と息を吸い込む。げ、と思いながら紅蓮は櫻から距離を取ろうとした。櫻に抱き着かれているうえに背後には大蛇の尻尾があるので、見事に失敗したのだが。
「……臭かったか」
「??? くさくないよ?」
「……ならいいけど」
「ハッ、若いな、童」
「うるさいぞ、ジイさん」
尻尾で背中をペシンと叩かれた。何故だ。
「おにいちゃんのにおい、おちつくからだいすき」
「……そ、っか。──ほら寝るぞ」
櫻の背中に腕を回してぽんぽん、と軽く叩けば、嬉しそうに頭をぐりぐりと擦り寄せてくる。眠くてぽかぽかしている櫻の背を撫でながら、紅蓮も目を閉じた。
──翌朝。
「じゃあ行ってくる」
「うん、気を付けてね」
「怪我するんじゃないぞ」
「わかってるよジイさん。櫻もあまり遠くまで出歩かないようにな。──行ってきます」
最後に櫻の頭を撫でて、紅蓮は獣狩の村目指して歩き出した。
武器が大太刀1つではこういう時に苦労するから、何か新しい護身用の武器を手に入れて、身体に慣らしたほうがいいかもしれない。普段太刀を使っているから、使うとしたら何がいいだろうか? 弓か、槍か……師匠に相談するのが一番いいだろう。
そう心に決めて、紅蓮は村への道を進んでいった。
【登場人物まとめ】
紅蓮くん 18歳
櫻ちゃん 12歳
大蛇 1500歳以上
ぷぃじいちゃん 800歳くらい
【次話投稿予定】
4月30日(本日)21時を予定しています。
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