8.湊の手紙
——ぴちょん。
台所から水滴の音がする。
茜は、部屋に座り込んで、手紙を読んでいた。
湊からの手紙だ。
学校帰りに、湊から受け取ったものだ。
後で読んでほしいと手紙をおしつけるやいなや、湊はそのまま足早に下校してしまった。
いぶかしげに思いながらも、茜は、その手紙を封を開けずに家まで持ち帰ってきた。
手紙を開くと、横から、アオイがのぞき込んでくる。
「ふん。茶封筒にレポート用紙か。まあ、湊くんらしいっちゃ、らしいね」
「ちょっとアオイ姉ちゃん。マナー違反」
「今時の子が手紙だなんて、最高ね。ちょっと私にも見せなさいよ」
アオイには、優斗が病院に運ばれるまでの騒動を、すべて説明してある。
思った通り、とても心配したし、とても怒っていた。
湊の手紙は、几帳面な字で丁寧に書かれていた。
『茜へ
ぼくは今日、これから優斗のお見舞いに行ってくる』
「何だ誘ってくれれば良かったのに」
『病院では、優斗にはぼくのたどり着いた真実を言わないつもりだ。優斗が回復したら茜の口から伝えてほしい。いや、伝えなくても良い。そこの判断は茜にまかせるよ』
「なんだろうね、真実だって」
「茜ちゃん。続きを読んだ方が良いわ」
アオイがいやに真剣に言うので、茜は黙って従った。
『ぼくなりに、あの男が何をしたかったのか、考えてみたんだ。
ぼくの考えでは、あの肉は、人魚の肉なんかじゃない。
もちろん、鳥でも牛でも豚でもない。
あれは、バラバラ殺人事件の被害者の肉なんだ。
そしてあの男は、殺人事件の犯人そのものなんだ。
突然こんな話をして驚くと思う。
いくつか根拠があるから、順番に説明していく。
まず、あの男は自分の事を『犯罪者』だと言っていた。
女を捨てた罪だ、とも。
ぼくはあれが、良心の呵責からでた懺悔みたいなものだったんじゃないかと思う。
ニュースでやっているだろう。
バラバラ殺人で一部を捨てられた被害者は、身元が判明した。
女性だったことがわかっている。
そう。
犯人は女性を海に捨てたんだ。
あの男は言っていたんだ。
「女は、いつまでもどこまでも追っかけてくる」って。
呪われていたのは、あの屋台の男自身なんじゃないか?
自分が殺してバラバラにして捨てた肉片に、呪われて追いかけられていたのは、あの男なんじゃないだろうか。
あの男は、被害者の女の人に呪われていたんだ。
あの時、ぼくの家で、茜は言っていたね。
パズルのピースをなくしたぼくに「それじゃあ完成しない」て。
あの時、ぼくは、男の狙いに気がついたんだ。
あの男は、呪いが完成されないように、ぼくらに肉を食べさせたんだ。
ちょうど、パズルのピースを机の裏に落とすみたいに、呪われた肉片を、ぼくらの胃袋におさめたんだ。
ピースが欠けていれば、完成することはない。
たぶん、ただの思いつきなんだろう。
肉片を遠くに捨ててみたり、埋めてみたり、燃やしてみたり。
そういう、証拠隠滅みたいな感覚で、ぼくらに食べさせたんだ。
だからあの肉片は、まずは優斗のところに行ったんだ。
優斗の食べた肉片を迎えに行った。
身体を完成させるために。
いいかい茜。
なぜ、優斗が助かったか。
これは、ぼくの想像なんだけれど。
殺された女の人は、あの屋台の男の恋人だったんじゃないかな。
どうして、殺してしまったのかわからないけれど。
少なくとも、女の人は、あの男の事が好きだったと思うし、あの男も、それをわかっていたはずだ。
だからあの男、恋に破れた人魚姫の肉、なんて言ったんだ。
あの時のこと——ぼくの家でのことを思い出してほしい。
優斗が肉を吐き出す前、茜は優斗の事を抱きしめていただろう。
優斗は、涙がしょっぱいって言ってた。
髪が口に入ったと言っていた。
恋する女性の肉片が、他の女の子の髪や涙を拒絶したんだとしても、ぼくは驚かない。
あの肉は逃げ出したんだよ。
茜の、優斗への想いから。
茜の涙が、人魚の呪いから優斗を救ったんだ。
最後に、ぼくの話をしよう。
優斗に何度も話そうと思った。
だけど、言えなかった。
ぼくは、最低だ。
裏切り者なんだ。
実は、ぼくは、あの肉を食べていない。
優斗がすぐに取り上げて、捨ててしまったんだ。
少しかじったけど、あの男に呪いの話をされた後、ぼくはこっそり吐き出したんだ。
食べたものを吐き出すのは、結構得意なんだ。
慣れてるんだ。
夜ご飯はいつも、そうしていたから。
うちの母さんは、作り置きしたおかずが減っていないと、心配する。
食器に使った跡がないと、どうしたのか聞いてくる。
だから、食欲がない時は、食べた跡、いつも吐いていたんだ。
もったいないけどさ。
ぼくはぼくが肉を食べなかった事を優斗に言えなかった。
優斗は呪いに苦しんでいるのに、ぼくだけ呪いを逃れるなんて、そんなことは許されない。
だから、ぼくも呪いに苦しんでいる振りをした。
優斗と一緒に、肉を食べないように決めた。
自分の口から飛び出したコバエは、確かに見えたんだ。
それは嘘じゃない。
ぼくの願望だったのかもしれないと思うよ。
あの虫は、身近に起こった「事件」にたかりたがる、ぼくのエゴの虫だ。
肉を吐き出した今も、ぼくはその虫に苦しめられている。
ねえ、茜。
ぼくは、責任をとらなくちゃ行けないと思う。
呪いを受けなかった責任だ。
優斗のお見舞いが済んだら、あの殺人者のところへ、ぼくは行こうと思う。
あいつは今も海で店をかまえ、また他の誰かに、呪いの肉を食べさせようとしているはずだ。
あいつが生きていたら、また優斗みたいな被害者がでる。
殺された女の人も報われない。
解決しない事件に、町の人はずっと怯えていないといけない。
ぼくが、あいつを退治する。
こんな話、警察に言っても信じてくれないだろう。
だから、茜だけには、話しておこうと思う。
茜が、ぼくらの話を信じてくれたとき、本当はすごく嬉しかったんだ。
だから茜、後のことは頼むよ。
優斗のこと、よろしく。
湊 より
手紙を読み終わった後、座り込んだ茜は震えが止まらなかった。
(どういうこと? 湊——)
——ぴちょん。
蛇口から水滴が垂れる音が聞こえる。
「アオイ姉ちゃん」
震えながら、茜は、アオイに手をさしのべた。
触れられないことは、わかっている。
それでも、すがりたかった。
茜には重たすぎる手紙だった。
「ねえ、どう思う」
アオイは、「うん」と頷いた。
「良く書けているね」
「え?」
「難しい漢字は調べたんだろうね。懺悔、とか、呵責なんて小学生はまだ習わないだろうし」
「アオイ姉ちゃん?」
「エゴの虫だってさ。こんな言い回し、どこで覚えたんだろうね。ご両親かな?」
「ねえ、お姉ちゃん」
「湊くんは、小説を良く読むんだね」
「アオイ姉ちゃん、何を言ってるの?」
「こういう傍点を横につけると、衝撃的な事実を言っているようで、効果的だよね」
「アオイ姉ちゃん!」
——ぴちょん。
部屋に一人でいると、いろんな音が大きく聞こえるものだ。
冷蔵庫などの電化製品の音。
物を食べる時の咀嚼音。
近所の犬の遠吠え。
水道の水漏れの音。
「何でそんな言い方するの?」
「何で?」
アオイは冷たく笑った。
「荒唐無稽だからだよ、茜ちゃん」
まるで幽霊みたいな冷たい笑顔だ。
「屋台の男が、殺人事件の犯人だなんて。呪いを避けるために、死体の肉を見知らぬ子どもに食べさせるなんて。呪いから助かったのが、愛の力のおかげだなんて。本当に、荒唐無稽だよ、茜ちゃん」
アオイは、音もなく立ち上がって言った。
「ふん。本当に。幽霊話みたいに荒唐無稽よね」
「アオイ姉ちゃん?」
「行くよ、茜ちゃん」
「行くって? どこへ?」
「どこって」アオイは鼻を鳴らして言った。
「海よ」
「何をしに?」
茜は、アオイが急に怖くなった。
(アオイ姉ちゃん、いったいどうしようっていうの)
「注文の多い料理店」
アオイはぽつりと言った。
「え?」
「死んだはずの犬が助けに来るでしょう」
「うん」と茜はおそるおそる頷く。
「赤頭巾も、猟師が助けにきて、話のオチが変わった」
「めでたし、めでたしになったんだよね」
「そうよ」
「でもそれが――」
「助けに行くわよ。湊くんを」
アオイは、鋭い視線で茜を射貫く。
「茜ちゃんが、荒唐無稽な物語の、ラストシーンを変えるんだよ」