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6.団地の三人

 バスが団地に着くと、飛び降りるようにバスを離れた湊を、茜と優斗は追った。


 近道なのか、駐車場を通り抜ける。

 冷たい風に吹かれた枯れ葉枝から離れて舞い落ち、アスファルトに積み重なっている。


(落ち葉も死体みたいなものだね)


 そう思いながら、枯れ葉を踏み散らすようにして走った。 


「エレベーターないから、階段で行くよ」


 そう二人に叫んで、湊は階段を一気に駆け上がる。

 冷たいコンクリートの塊は、子どもたちの声や音をすべて飲み込んでいくようだった。


 「今野」と書かれた表札のドアをあけ、飛び込んだ湊に続き、茜も優斗もなだれ込むようにして入り、ドアを閉めた。

 四階まで駆け上がると、息が上がる。

 しばらくは、三人とも、靴を履いたまま玄関に倒れ込んでいた。


 ようやくノロノロと湊が起き上がり、家の固定電話に向かって行った。

 タクシーを呼んでいるのだろう。


(そっか。そういえば、湊のお父さんとお母さん、離婚していたんだっけ)


 古い団地だったが、部屋の中はすっきりと片付いている。


「十五分ぐらいかかるらしいから、とりあえず上がって待っていようよ」


 そう湊に言われ、茜も優斗も起き上がって靴を脱いだ。


「あれ、ジグソーパズルがある」


 茜は思わず声をあげた。

 茜は、ジグソーパズルが大好きだった。

 湊のやりかけのパズルは、箱を見る限り完成すると、南国のビーチの風景が広がるようだった。

 バラバラとピースが机の上に広がっている。


「ああそれ」


 湊はため息をつく。


「父さんにもらったんだ」

「それさ、ずいぶん前からあるよな。ひょっとして飽きたのか?」


 家に何度か遊びに来たことがあるのだろう。

 優斗はそんなことを言いながら、パズルをのぞき込む。


「いや、それさ。ピースをなくしちゃったんだ」

「なくした?」

「机の裏側にいくつか落ちちゃったみたいで」

「うわあ、もったいない。それじゃあ、完成しないじゃない」


 なにげなくそういった茜だったが、鋭い目で湊に見つめられていることに気がつき慌てた。


(お父さんとの思い出のパズルだから、ごちゃごちゃ言われたくなかったかな?)


「茜——」

「ゴメン、湊——」


 二人が言いかけた瞬間だった。


——とん。


 何かが、窓にぶつかる音がした。

 音が続く。


——とんとんとん。

——とんとんとん。


 ぞわりと鳥肌が立った。

 三人の顔からみるみる血の気が引いていくのがわかった。


「嘘だろ。ここ四階だぞ」


——びたん。

——びたんびたんびたん。


 音が少し大きくなる。

 優斗の家のリビングには、ベランダ側に一つと、ソファの後ろに一つ、採光用の窓がある。

 ソファの方の小さな窓に何かがぶつかっているようだが、カーテンが掛かっていて、その姿は見えない。

 三人は、少しずつ後ずさった。


(やだ、嘘でしょ。やめてよ)


 重なるようにして、三人は倒れ込んだ。

 脚に力が入らないのだ。

 身体ががくがくと震える。

 お互いつかまり合って、身を寄せた。


 突然、電話が鳴った。


 三人の身体がびくりと跳ね上がった。

 湊の家の固定電話だ。

 何度かベルが鳴り、留守番電話に切り替わった。


「どうも、神奈川交通のものです。到着致しましたので、お電話しました」


 テープが回った。

 どうやら、先ほど呼んだタクシーが来たようだ。

 それを聞いて、優斗が起き上がった。


「優斗、どうしたの?」

「おい優斗」


 優斗がベランダを開けた瞬間、茜は跳ね起きた。


「ちょっと優斗、何してるの」

「下に降りるんだよ」

「降りるってお前、ここから落ちたら死ぬぞ」

「呪いで死ぬなんてまっぴらだ」


 茜と湊で必死に優斗にしがみつく。


「今死ぬわけにはいかないんだ。だって、だってオレ、()()()()()()()


 優斗は泣いていた。


「オレが死んでも、母ちゃんはきっと悲しんでなんてくれない。この忙しい時にって。だめね優斗はって言われる。当番じゃないときに死なないとダメなんだ。今はダメなんだ」


 泣きじゃくりながら、優斗はベランダに出ようとする。

 湊と二人がかりで引っ張った。

 リビングのドアのところまでひきずり、ようやく優斗は身体の力を抜いた。

 湊が急いでベランダのドアをしめる。


 茜はふつふつと怒りがわいてきた。

 そしてそのまま、ぽかり、と優斗を殴りつけた。

 ぐったりしたまま、優斗は「いてえ」と言う。


「痛いのは生きてる証拠だよ。じゃあこれは」


 そして今度は、冷えた手で、優斗の頬をつまんだ。


「つめてえ」

「冷たいのは、生きてる証拠だよ。じゃあこれは」


 今度は首をぐいとしめた。後ろで、湊が「茜」と声をかける。

 優斗はかすれた声で


「くる、しい」と言った。

「苦しいのは、生きてる証拠だよ。じゃあこれは」


 茜は、優斗の身体を力一杯抱きしめた。

 骨を折る気で、腕に力をこめた。

 涙だか、鼻水だかが、顔を流れ落ちる。

 怖いのか、悲しいのか、怒っているのか、茜にはわからなかった。


「やめてよ。今じゃなくても、死んじゃやだよ。友だちや家族が死んじゃうのって、そごく悲しいんだよ。簡単に言わないでよ。違う時に死にたいなんて、言わないでよ」


 茜は、孤独が怖い。

 とても恐ろしい。

 それなのに、優斗は軽々しく茜を独りにさせようとする。

 自分の恐怖を軽々しく扱われている気がして、茜は悲しかったし、情けなかった。


 そのまま茜は声を上げて泣いた。

 優斗を抱きしめて、顔に顔をこすりつけて、わんわんと泣いていた。


 しばらくして、優斗の方から茜を押しやった。


「離せよ、いい加減」


 しかし、その声は、思ったより優しげだった。


「悪かったよ。もう言わないよ」


 そう言って、茜の肩をぽんぽんと叩いた。


「お前の涙、しょっぱいんだよ。髪の毛も口入ったし」


 きったねえ、と吐き出すマネをして、優斗はちょっと笑ってみせた。

 茜は鼻水をすすりながら「髪は毎日洗ってるもん」と小さくつぶやいた。

 リビングから聞こえる禍々しい音は、まだ続いている。


——とんとんとん。何の音?


 こんな時なのに、茜はふと、昔やった遊びを思い出す。


   とんとんとん、なんの音?

   風の音

   ああよかった

   とんとんとん、なんの音?

   猫の音

   ああよかった


 そうだ。

 どうせなら、確かめてみればいいのだ。

 わからないから、余計怖いのだ。

 見に行って、怖い原因をしっかり確認して、それから、「ああよかった」と三人で笑えばいい。

 それなのに茜は、冷たい床に座り込んだまま、起き上がれないでいる。

 あれは一体何の音?


   あぶくたった煮え立った

   煮えたかどうだか食べてみよう

   むしゃむしゃむしゃ


 幼いとき、何の気もなしに歌っていた童謡。

 あれは一体、何を食べる歌だったのだろう。


「なあ、優斗」


 湊の声に、茜はひやりとした。

 静かな声だった。

 茜の位置からは、湊の表情をうかがい知ることは出来ない。

 だが、まるで何か覚悟を決めたかのような声にこちらが不安になる。 


「優斗。ぼく、言わなきゃいけないことがあるんだ」



 ガラスの震える音。

 打ち付けられている何かべちゃべちゃとする物。

 音が鳴り止まない。


「優斗。あのな」


 湊は、何をしゃべる気なのだろう。

 茜は怖くなって、何か言葉をかけようとした。

 その瞬間だった。


 優斗が、顔をゆがませ、目を見開いた。

 そして、みるみるうちに血の気がひいていく。

 その変化に、茜は声を失った。


(優斗が、変だ)


 ぐぅ、とのどから変な声を出し始めた優斗は、ふらふらと立ち上がった。


「どこに行くんだ。優斗」


 歩き出した優斗を慌てて湊が支える。

 優斗は倒れるように一番近くの扉を開けた。

 そこは洗面所だった。

 優斗は流し台に掴まって、身体を折り曲げる。

 ぐぅ、げぅ、と、優斗の喉が鳴る。

 そして。


 流しに向かって優斗は何かを吐き出し、そしてそのまま卒倒した。


「優斗、大丈夫? 優斗」


 茜はあわてて駆け寄る。

 優斗は顔だけでなく、服から覗く手足も真っ白にして、ぐったりしてる。


「どうしよう。ねえ、湊。どうしたらいい」


 湊に助けを求めたが、その湊も、白い顔をして、洗面台の排水溝をのぞき込んでいる。


「あいつ、吐き出したんだ。人魚の肉」

「え?」


 思わず洗面台に目を向けてしまったが、そこには何もなかった。


「もう、いない。一緒に、出て行ったんだ。外にいたやつと一緒に」


 そう言われて、茜はようやく気がついた。

 あれだけ続いていた窓の音が、もう聞こえないことに。 

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