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4.海辺の食事

「買っていくかい」


 二日前のことだ。

 海に来ていた二人に声をかけてきた屋台の男は、なんとも怪しげな風貌だった。


 まず、年齢は不詳である。

 目はぎょろりと大きく、ぶしょうひげをはやしている。

 頭には紺のタオルを巻きつけ、十一月だというのに、シャツを一枚とあせたジーンズをエプロンの下に着ているだけだった。

 大きな胸まであるエンジ色のエプロンには、泣き顔のワニがプリントされている。


 涙を浮かべているワニの顔をよく見れば、口をにんまりと歪ませ、舌なめずりをしていた。

 にたりと笑ったワニの口からは、人の脚が飛び出している。


(趣味悪いな)


 湊は、ちらりとそう思って行き過ぎようとした。

 しかし。


「お行儀の良いぼっちゃんは、肉なんて食わねぇか」


 そんな風に挑発されたものだから「腹減ったし、ちょっと食ってこうぜ」と優斗がムキになり、結局二人で買い食いをすることとなった。



 そもそも、学校帰りに二人で海までやってきたのは、図工の時間に使う材料を探すためだった。 


「自然の物をつかって、工作をします。草や石など、自然の物なら何でもよいので、次の図工の時間までに持ってきて下さい」


 そんな事を教師から言われたのだ。


「みんな落ち葉とかありふれた物を使うだろうから、僕らは貝とか流木とかにしようよ」


 湊がそう提案し、二人で何か変わった物がないか探しに来たのだ。


 夏は賑わう海も、この季節は閑散としている。

 釣り人と犬の散歩をする人がぽつりぽつりといる以外は、波間にサーファーがちらほら浮かんで見えるぐらいだ。


 学校から海までは、歩いて十五分程だ。

 国道沿いの防砂林が途切れたところを入っていくと、鼠色の海と空が目の前に広がる。

 生臭く、冷たい磯の風が吹き付ける中、砂浜に降りてしばらく歩き、収穫品を袋につめて顔を上げると、浜辺を上がったところに、見慣れない屋台が建っていた。


 見た目は焼き鳥の屋台のようだった。

 ただ、湊はどうにも胡散臭く感じた。

 屋台には派手なのぼりも看板もないのだ。

 ベニヤ板で作られた屋台の前に、椅子が二脚用意されている。

 どうやら一応お客を相手にすることが前提なのは見て取れるが、駅前ならともかく、人影もまばらなこんな海で、はたして売り上げはたつのだろうか。


「おじさん、なんでこんなところでやってるんですか?」

「そりゃあ、海が好きだからよ。海を眺めながら商売したかったのよ」

「ちゃんと許可とってんの?」

「うるせえガキだなあ。とってるわけねえだろう。そんなの知ったことか。おじさんはな、実は犯罪者なんだ。だから法律なんざ関係ねえのさ」


 おそらく冗談なのだろうが、『犯罪者』という言葉に優斗が反応した。


「本当に? ウソだろ? 何したの?」

「ああ?」


 男はめんどくさそうに、肉を焼きながら、ふとにんまりと笑った。


「そりゃあお前、女を捨てた罪、かな」


 優斗と湊は顔を見合わせ鼻で笑ったが、男はにやけながら続けた。


「女はなあ、気をつけないといけないぞ。いつまでもどこまでも追っかけてくるからなあ」

「おっさんみたいな男に引っかかる女なんているのかよ」


 優斗が、さっきのお返しとばかりに憎まれ口を叩くと「元気なガキだなあ」と男はつぶやいた。


「じゃあ、お前らには特別に、こっちの肉をやろう」


と、なにやらゴソゴソと別の肉を取り出した。


「何? 何の肉?」

「ま、いいからいいから」


 男は慣れた手つきでタレをつけていく。


「ガキにわかりやすく話してやるとなあ。お前ら、赤頭巾ちゃんって知ってるだろう」

「オオカミに食べられちゃうやつでしょ」

「そうそう。お前らの知ってる話は、オオカミの腹を切って助け出される赤頭巾だろうけどな。あれ、もともとのラストシーンは、そんなんじゃなかったんだぜ」

「なんだよ。違うのかよ」


 湊は、その話を知っていたが、そのまま黙って男の話を聞いていた。


「そうさ。あの話のオチはなあ、本当は、食われた所でおしまいだったんだよ。そもそもな、金持ちのレディたちへ聞かせるための教訓話だったのさ。『赤頭巾は、オオカミに食べられてしまいましたとさ、おしまい。あなたたちも、ベッドの中の甘い言葉をささやくオオカミには、食べられないよう気をつけなさい』てな」

「なんだそりゃ。そこで終わったら赤頭巾が可哀想だろう。助けてやらなきゃ」

「お前は人が良いなあ」


 優斗の言葉に、男は喉の奥で笑い、話を続けた。


「それだと、子どもに聞かせるのにふさわしくない、という理由でラストが変わった……と思うだろう?」

「そうじゃないの?」

「オレの持論じゃあ違うなあ」


 肉の焼き加減を確認して、男は串を差し出す。

 優斗と湊はそれを受け取り、代金を払った。


「当初はいたいけな、かわいいお嬢ちゃんへの教訓だった物語が、世の中のオオカミ達への教訓に変わったのさ」


 男は「熱いうちに食えよ」と二人を促し、話を続ける。


「よく知りもしない女の子を食べちゃうと、ろくな事にはならないぞ。そんな教訓さ」


 差し出された肉は、てらてらと光り、香ばしい香りが鼻をくすぐる。


 屋台の周りは、火のおかげで少し暖かかったが、それでも十一月の潮風が吹き付けてくることには変わりはない。

 熱い肉への誘惑は強かった。

 串に刺さった肉を歯で食いちぎると、焼きたての肉の脂が口の中を満たす。

 優斗は、やけどしないように、肉を口の中で転がしながら、ゆっくりと飲み込んだ。

 まずまずのおいしさだった。


「いい食べっぷりだ。だが気をつけろよ。正体を見極めないで食べると、とんでもないことになる。現に、おれがそうだったからな」

「わかったわかった。もう行くよ、おっさん」


 串を片手に立ち去ろうとすると、ニヤニヤした男が呼び止めた。


「おまえら、いいのか。その肉がなんなのか聞かなくて」

「なんだよ。鶏肉だろう」

「実はな、その肉、人魚の肉なんだよ」


 優斗も湊も、きょとんとして、それから笑い出した。


「オレら子どもだけど、おっさんが思ってるほどガキじゃないって」

「人魚って、確か食べると不老不死になれるんだよね。そんなラッキーアイテム、僕たちにくれてよかったんですか」


 二人が、「まさか人魚だ、なんて予想外だよな」だとか、「おっさん、顔に似合わずロマンチストだよな」と笑っていると、


「実はなあ、その肉、特殊なんだ」


 よどんだ目で男はそう言った。


「気をつけろよ。なにせ人魚の肉だからな。ものすごい力を持っている」

「どうなるんですか」


 まだにやにやして尋ねる子どもたちに、男は真顔で答えた。


「まずは、自分の身体にコバエがわく」


 無精髭をなでながら、男は言葉を続けた。


「胃の中の肉にわくんだ。それが胃から口を通って出てくる。口から虫が飛び出したら、それが第一段階の合図だ」


 飲食業らしからぬ気味の悪い話に、優斗と湊は顔を見合わせた。優斗は目線で(こいつ、やばくないか)と合図を送る。


「第二段階は、鬼ごっこさ。もともとその肉は、一つの身体だったわけだからな。離ればなれになった肉片同士が集まりたがる。お前らの食べた肉は、呼ぶんだよ。残りの肉片(パーツ)をな」


 生臭い潮の香りが強まった気がした。


「他の肉片(パーツ)がお前らめがけて集まってくるぞ」

「そんなでたらめ、信じるわけないだろう」

「信じなくても、別にいいさ。お前らの問題だからな」

「じゃあ、第三段階はどうなるんですか?」

「湊、こんなやつほっておこうよ」

「集まったとしても、小さな肉片なんて、なにも出来ないじゃないですか」


 男は、にたにたと笑みを浮かべて言った。


「第三段階? それはな、完成して初めてわかるぞ」

「完成?」

「そうさ。集まってきた肉片がくっついて、一つになるんだ。ジグソーパズルみたいにな。それで、おまえのおうちをのドアをノックするんだ。トントントン、何の音? お化けの音!ってな」


 男は「あぁぶくたった、煮え立ったぁ」と節をつけて唄いだした。

 聞いたことある童謡だ。

 湊も幼い頃、その唄を口ずさみながら、近所の子どもたちと遊んだことがある。



   あぶくたった 煮え立った

   煮えたかどうだか食べてみよう。

   むしゃむしゃむしゃ

   まだ煮えない



「もう行こうぜ、湊」


 優斗は湊の分の串を奪うと、屋台の横のゴミ箱に、自分の食べかけの肉と一緒に投げ捨てた。


「もったいねえなあ。近頃のガキは、食べ物のありがたみをしらねえ」

「おっさんが、気持ち悪い話をするからだろ」

「感謝してほしいねえ。おまえらに、忠告してやったんだからよ」


 エプロンにプリントされたワニにそっくりの笑顔をにたりと浮かべて男は言った。


「お前ら、普段食べている肉が、一体何の肉だかわかってるのか。これは豚だ、牛だ、と言われれば、すっかり信じて安心して食べているんだろう。だがな、気をつけろ。人魚の肉は賢いからな。お前らが食べる肉になりすまして、どうにか胃袋の肉と合流しようとするはずだぜ」

「信じるわけないだろ」

「そりゃ自由さ」


 男はわざとらしく肩をすくめた。


「じゃあお客さん。恋に破れた人魚姫の肉、どうぞよろしく。毎度ありがとうございましたぁ。またどうぞ」


 二人は、半ば逃げるように、海を後にした。

 男の話など、信じていなかった。

 生意気な子どもを怖がらせようと、適当な事をならべただけなのだと思っていた。


 しかし、その日の夜。

 湊も、優斗も、自分の口からハエが飛び出すのをしっかりと見た。


 電話で状況を伝え合ったが、あきらかに男の言った通りになった。

 呪いをとく方法について、男は何も言ってなかった。

 ただ、男の妄言は呪いの言葉のように二人の心にしっかりと爪をたてた。

 給食で出される肉料理に、もしかしたら人魚の肉がまぎれているかもしれない、そんな妄想が二人を苦しめた。

 他人に言ったところで、誰も信じないだろう。

 二人は苦しまぎれにダイエットだと言い張った。


 面白いことに、どう見てもダイエットが必要ない二人の言葉を、クラスメートはおろか、担任教師まで信じたのだ。


「自分はどちらかというと太り気味」という幻想が蔓延しているおかげだった。

 ダイエットに積極的でない自身に罪悪感を感じるのか、だれも不審に思わなかったのだ。


 茜以外は。


 茜だけはごまかすことが出来なかった。

 結局、優斗と湊は、茜に洗いざらい話すことになったのだった。

 それは男と会ったちょうど二日後の事だった。

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