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2.茜の食事

「ダイエット?」

「そう。給食、食べないの。男子が」

「ふん。時代ねぇ」

「優斗も湊もおかしいって。やせる必要ないのに」


 茜はそう言って、買ってきたチキンを頬張った。

 やけどしないように歯で肉を食いちぎると、衣の隙間から、肉の脂があふれ出す。歯ごたえを楽しみながら、肉汁が口の端からはみ出したのを指で拭う。出来たてのチキンと、パックのコールスロー、おにぎり。


 塾帰りは、いつも夕食をスーパーのお総菜コーナーで買って来て、家で食べる。

 両親は共働きで帰りは遅い。

 その間、話し相手になってくれるのが、アオイだった。


「野菜スープはちょっとだけ食べていたけど、ハンバーグはまったく。優斗の大好物だったはずなのに」

「優斗くんって、あのかわいい感じの子ね?」

「かわいいかなあ」

「で、湊くんは、きれいな感じの子」

「えぇ? アオイ姉ちゃん、ちょっと目、変なんじゃない?」

「そんなことないわよ。で、茜ちゃんはどっちが好み?」

「やめてよ、そんな」


 茜がそう言って振り上げた手は、当たることなくそのまま空振りした。

 アオイが、(こらこら、わかっているでしょ)と目だけで笑ってみせ、茜は肩をすくめて応えた。


 優斗も湊も、茜のクラスメートだ。

 小学六年生にもなると、男子は男子、女子は女子で群れ、両者の間には、目に見えない牽制のようなものが生まれる。

 しかし、優斗と湊とは、同じスイミングスクールに通っていたことがあり、比較的仲良しなのだ。


 スクールをやめてしまった今も、学校では良く話す方だろう。

 茜は、二人の事を、名字ではなく名前で呼んでいる。

 これは、茜の学年では割と珍しい。

 小学六年生ともなると、今まで名前で呼び合っていた異性でも、周りの目を気にしてか、名字で呼ぶようになる。

 そうやって名字で呼び出した途端、どことなくよそよそしくなり、女子と男子には距離が出来始める。


 そうなるのが、茜はとても嫌だった。


(アオイ姉ちゃんのアドバイスに従っただけなんだけどね)


 仲良しの二人と距離が出来てしまうのは悲しいと、アオイに相談したところ、「絶対名前で呼び続けなさい」というありがたいご神託を賜ったのだ。

 だから、茜は、優斗と湊をそれぞれ名前で呼ぶことを貫いている。


 そんな二人の口から、「ダイエット」などという言葉が飛び出した時は、それはもう、ずいぶんと驚いた。


 給食の時間、あまり箸の進んでない様子の二人をみつけ、からかい半分、心配半分に聞いてみたら、「ちょっと減量中なんだ」ときた。


 最初は冗談かと思ったが、優斗が大好きなハンバーグを、茜の友だちの「よっちゃん」にあげているのを見て、彼らが大まじめであることを思い知った。

 吉野ことよっちゃんは「優斗、ウチに気があるんかな?」と冗談交じりにハンバーグをほおばっていたが、茜は気が気ではなかった。

 優斗も湊も、茜と身長は変わらないぐらいだが、減量が必要などとは、到底思えない。


「あのね、茜ちゃん。拒食症って知っている?」


 アオイが、ふと真剣な口調になった。昆布おにぎりを口に運ぼうとしていた茜は、思わず手を止めた。


「えっと、保健の授業でやったかも。でも、あの二人って、そんなおおげさなことじゃないと思うけど。だってさ。そういうのって、やせてきれいになりたいっていう、うちら女子がなるものでしょ」

「うーん。そうとも言えないのよ」


 アオイは音も立てずに長い髪をかき上げて言った。アオイの髪に、茜は密かにあこがれている。


(いつかあんな風に、髪を長く伸ばすんだ。海風にたなびかせて、サラサラ、なんてね)


「茜ちゃんから見て、二人共、やせる必要はなさそうなんだよね」

「うん。全然。むしろ、あたしの方が必要なくらい」

「ふん、それよ」


 アオイは、鼻を鳴らして言った。


「私たち大人からみたら、茜ちゃんだって、まったくやせる必要はないの。でもね、この時代、テレビをつけても、雑誌を読んでも、ネットにだって、ダイエットだとか、スリムアップだとか、そんな特集ばかりでしょう。そうすると、まるで、やせていないと幸せになれないみたいに思い込まされちゃうのよね」


(また始まっちゃった)


 茜は、こっそりと心の中でため息をついた。

 茜はアオイの事が大好きだし、絶大な信頼を置いているが、やっかいなのが、この熱い演説グセだ。

 アオイの演説好きはたとえ死んでも直らない。

 ネットで知った内容をそのまましゃべっているようにも思えるのだが、ここは大人しく、相づちを打っておくに限る。


「だから、やせたくてダイエットをするんじゃなくて、幸せになりたくてダイエットをする人が出てくる。でも、幸せの定義って何かしら? 曖昧よね。たとえば、三キロ減ったら成功、それが減量を目的にしたダイエット。でも、幸せになることを目的にしたダイエットって、ゴールが曖昧。数値じゃはかれないじゃない? だから、まだ足りない、もっとやせないと幸せになれない、そんなループにはまってしまうの」

「それでその話、優斗たちとどうつながるの?」

「幸せになりたいのは、女も男も同じってこと」


 アオイは、うんうんと自分の言葉に頷いている。


「男の子の場合、多いケースが、運動が出来るようになりたい、とか、もっと注目されたい、とかね。そういう願望が、やせれば叶うって思い込んじゃうの。いえ、思い込まされているって言ってもいいわね。そういう考えは、大人に限らず、茜ちゃんたち小学生にも、もちろん浸透しているし、家庭によっては、親が子どもにダイエットを強要する場合もある。ふん。肥満でもないのにね」


 だんだんと、アオイの声が熱を帯びてきた。まずいなあ、と茜は手をそっと拭いてテーブルを離れる。


「もし、私が小学校の教員になれていたら、そんな親とは断固戦うわ。絶対に許さない。ふん。そもそも——」

「あ、そうだ。今ね、ちょうど国語で、宮沢賢治やっているんだよ」


 だいぶ強引だったが、話を変えるため、ランドセルから教科書を引っ張り出してきた。


「アオイ姉ちゃん、宮沢賢治を教えたくて、先生になりたかったんでしょ」


 教科書をパラパラとめくっていると、気をそがれたアオイが身を乗り出してきた。


「まあね。卒論も賢治についてだったしねぇ」


 思惑通り、話に乗っかって、どれどれ、とアオイは教科書をのぞき込んだ。


「ああ『注文の多い料理店』ね」


 アオイは、寂しそうな顔をして、ため息をついた。


(アオイ姉ちゃん、やっぱり悔しいんだろうな。夢半ばでこんなことに——)


「ねえアオイ姉ちゃん。あたし、よくわからないんだけど、どうして、犬がまた出てくるの?」

「犬?」


 話をそらすための話題だったが、ふと、疑問が茜の口をついた。


「主人公たちが、犬を連れているんだけど、最初に、泡を吐いて死んじゃうの。それなのに、最後のシーンでその犬が主人公たちを助けに来るの。おかしいな、と思って」

「ああ、復活ね」

「復活? 幽霊になって復活したってこと?」

「いや、うーん。厳密には自然主義の復活っていう——」


 アオイの話が途中だったが、茜は嬉しそうに叫んだ。


「そっかあ。それなら納得だね。飼い主のピンチに、犬が幽霊になってかけつけて、山猫を撃退したんだね」


 アオイはまだ何か言いたそうだったが、ニコニコしている茜を困ったように見てから、「そうかもね」と笑った。


「あのね、班で話合いをして発表するんだけどね、よっちゃんが、この話は怖いって言ってたの。きっとこの料理店は、人間に殺された山猫の呪いだって言ってた」

「呪いかあ」


 アオイは明るく笑う。


「よっちゃんって、この前話してくれた、面白い女の子?」


 茜は毎日、食事をしながら、学校での出来事をアオイに話す。


「うんそう。吉野のよっちゃん。同じ班なんだ。それでね。そこから、怖いものの話になったの」

「怖いもの?」

「よっちゃんは、霊が怖いんだって。塾で帰りが遅いときとか、夜中にお墓のそばは絶対通らないんだって」


 怖い怖いと言いながらも、茜のクラスメートは目を輝かせて霊だの呪いだのの話をする。


「でもね、あたしは、幽霊は怖くないよ」


 茜は、ふと、かみしめるように、ゆっくりと言った。


「大切な人と、会えなくなっちゃう事の方がよっぽど怖い。幽霊でもいいから、会いたいと思うよ」

「茜ちゃん」


 同い年の子どもたちがどう思っているのかはわからないが、茜は、独りきりの食事が苦手だった。しんとした部屋に自分の咀嚼音だけが聞こえるのは、我慢が出来ないほど寂しかった。

 アオイの存在は、茜の支えだ。


「茜ちゃんは優しいね」


 アオイは、微笑んで茜に手をのばした。その手が茜に触れることはない。


「ねえ。優斗くんや、湊くん。話だけでも聞いてあげたらどうかな」

「え?」


 急に話が戻ったので、茜は驚いてアオイを見る。


「誰かが、相談に乗ってあげるだけでも、違うと思うんだよね。私が話すわけには行かないじゃない? 二人共、びっくりしちゃうし」

「あはは。そうだね」


 確かに、アオイを二人に紹介するのは難しいだろう。二人はきっと腰を抜かすに違いない。

 茜は頷いた。


「わかった。明日、話を聞いてみるよ」

「ねえ、優斗くんたちも茜ちゃんと同じ班だよね?」

「うん。そうだよ」

「じゃあ、なにか言ってた? 怖いものについて」


 茜は、教科書をしまいながら、考え込んだ。


「えっと確か、湊は、わからないことが怖いって言ってた」

「ふん。湊くんらしいね」


 アオイはにっこりと笑った。


「優斗くんは?」

「優斗はね」


 そう言って、茜はぷっと吹き出した。


「優斗ったら、面白いんだ。みんなで笑っちゃったもん」


 茜たちは、みんな優斗がふざけているとばかり思っていたのだ。

 彼の心中など、誰も知らない。


「あのね、優斗。お母さんが怖いんだって」

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