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1.湊の食事

 悪夢から逃げるように、(みなと)は飛び起きた。

 どんな夢だったか覚えていないが、不快感がじっとりと身体にまとわりついている。

 ソファから降りてため息をつく。いつの間にか部屋は暗くなっていた。


 窓の外は赤黒い夕焼けだ。

 帰ってからランドセルを放りだし、そのままソファに横になったが、思ったより、長く眠り込んでいたようだった。

 スマートフォンに手を伸ばし母親からの連絡を確認する。

 


『今日も遅くなりそうです。夕飯は、冷蔵庫の酢豚を温めて食べて下さい。寝る前に、戸締まりは確認してね』



 クラスメイトでスマートフォンを持っているのはだいたい半数ぐらいだ。

 湊も母親から緊急連絡用にと持たされている。

 今日のように連絡がある時、母親の帰りはたいてい深夜になる。

 彼の両親が離婚してからもう二年がたち、母親の作り置きした夕飯を温め、一人で食べるのにも慣れた。


 のろのろと台所に向かう。

 冷蔵庫をあけてタッパを取り出した。

 暗い台所に光りが差し込み、しゃがみ込んでいる少年のまだあどけない顔を照らす。

 電子レンジのうなり声を聞きながら、湊は今日のことを思い出す。


(あんな変な男の話なんか、気にすることないんだ)

(からかわれたんだ)

()()()()だなんて、ウソに決まっている)


 電子レンジの甲高い電子音に、体がびくりと反応する。

 温め終わった酢豚の匂いが、台所に満ちる。


(でも、気のせいだとして……)

(どうしてこんなに胃がむかつくんだ)


 食欲はなかったが、タッパの中の酢豚が減っていなければ、母親はきっと心配するだろう。

 彼は、炊飯器からご飯をよそり、背後にある簡易テーブルに置いた。

 そして、ようやく思い出したように、明かりのスイッチへ手を伸ばした。

 蛍光灯が瞬き、狭い台所を白く照らす。

 酢豚の肉がテカテカと光り、ピーマンや玉葱の合間からこちらを見つめ返した気がした。


——その肉は特別なんだ。


 男の声がよみがえる。

 男のつけていた赤茶のエプロンには、涙を浮かべたワニのイラストが白くプリントされていた。

 一見、ポップなタッチの絵柄だったが、よく見れば、ワニの口から飛び出していたのは、人の脚だった。


——そいつらはな、呼ぶんだよ。()()()()()をな。


 湊は頭をぶるっと震わせた。気を取り直して、テレビのリモコンを手に取る。

 二年前までは、テレビを見ながら食事をするなんて、考えられなかった。

 父親が絶対に許さなかったからだ。

 今は、一人で食事をとる時は、必ずテレビをつけている。


(別に、寂しいってわけじゃない。ただ、退屈だからだ)


 ちょうどニュースの時間だった。

 ここ最近は、隣の市で起きたバラバラ殺人事件ばかり取り上げられている。

 湊の学校でも、登下校に注意するようにと、朝礼で話があった。

 保護者あてのプリントも配られたが、彼は、学校の机の中に入れたままにしている。

 忙しい母親にわざわざ見せるほど、たいしたことが書かれているわけでもない。


 彼の暮らす市は、比較的治安の良い所だ。

 駅を境に風景が二分化していて、駅の北側は、便利なベッドタウンとして発展中だ。大型スーパーを中心に、マンションや住宅街が立ち並ぶ。

 南側は『海風と暮らすおしゃれな町』として、高級住宅街や、若者向けの雑貨屋やカフェが軒並み連ねている。

 雑誌などでも、特集を組まれることが増え、余所から越してくる人は格段に増えた。

 だからこそ、突然起きた凄惨な事件に、住民は怯えながらも、どこか浮き足立っているようだった。


 子どもたちも例外ではない。

 湊も「ミステリー小説だと、バラバラ殺人には、トリックがからんでいるんだ」と、友達に自分の『推理』を披露した。


「殺された人数を錯覚させたり、密室を完成させる鍵になったり、登場人物が入れ替わったり。バラバラになったパーツが、すごく重要なんだよ」


 得意げにそう話すと、一番の親友は素直に感心してくれた。そばで聞いていた女子は「死んだ人が可哀想だよ」と顔をしかめていたが。


(せっかくの『事件』なのにさ)


 漫画やアニメ、小説の主人公は、いつも『事件』に恵まれている。

 それは、活躍するチャンスに恵まれていると言い換えてもいい。


 湊の両親は、自分たちの離婚が子どもにとって『事件』にならないよう、できるかぎりの努力をしたようだった。

 ドラマで見るように、浮気相手がマンションに乗り込んできたり、両親が声を荒げてののしり合ったり、そう言った事は一切なかった。


 そもそも、どうして二人が離婚することになったのかも、彼はよく知らなかった。

 理由を尋ねたくても、出来なかった。両親の気遣いをむげにするような気がしたからだ。


「一ヶ月後、お父さんとお母さんは、別々に暮らします」


 そう告げられ、期日の前夜まで、湊の家族は普段通りに暮らした。

 次の日の夜、寝る時間になって、いつものハンガーに父親のスーツが掛かっていないのをみて、ようやく湊は「ああ、お父さんはもう帰ってこないんだな」と感じた。


 ハンガーはいつのまにか、母にしまわれていた。


 湊は、会いたい時に、父親に会いに行って良いことになっている。

 しかし、離婚する前から忙しそうにしていた父親に、自分に会う時間をとってもらうのは、なんとなく気が引けて、まだ二回ほどしか会っていない。


 面会の日、ゲーム好きの湊にプレゼントだと言って父親が渡したのは、ジグソーパズルだった。


(ゲームって、こういうのじゃないんだけどな)


 そう思ったが、湊は素直にお礼を言った。

 ファミリーレストランでの親子の貴重な食事は、二回とも、父の携帯電話に会社から呼び出しがあり、途中でお開きになった。

 その日、湊が予定よりだいぶ早く帰ってきたことで、彼の母親は顔をしかめ、ため息をついた。

 そのことが頭にあり、二回目の時は、父親が店を出て行った後も、彼はしばらく携帯型のゲーム機で時間をつぶす事にした。


(まあ今時、親の離婚なんて、珍しくもないしね)


 頭の中のもやもやを追い払うように、ニュースのボリュームを上げた。

 ニュースでは、被害者の身元が判明したことを繰り返し伝えている。


(すごいよなあ。まだ一部しか見つかってないのに)


 コップにお茶をついで、箸を手に取った。酢豚をつかんで口に運び、目線をニュースへと持って行く。


 その時だった。


 目の端を、小さな黒い影がよぎった。


 がたん。


 倒れた椅子が大きな音を立てたが、ほとんど気にならなかった。

 それよりも、今、自分の口から出てきたような小さな影はなんだ。

 気のせいではない。



 ()()()()()()()()()()()()



 彼がおびえる様子をあざ笑うように、宙を飛ぶ小さな黒い影は、二つとなった。

 小さな羽音をたて、湊の顔にまとわりつく。ふらふらと思いがけない方向に飛んでいき、なかなか捕まえられない。

 手をがむしゃらに振って、追い払おうとする。

 茶碗に腕が当たり、床にご飯がとびちった。


 確かに口からだ。

 口からハエが飛び出した。


——まずは、自分の身体にコバエがわく。


 あの男の言葉どおりじゃないか。そんなことはあるはずがないのに。


——食べた肉にわくんだ。それが胃から口を通って出てくる。それが第一段階だ。


 耳障りな羽音、予測できない動き。

 いらだちと恐怖から、彼は思わず言葉にならない叫び声をあげた。


(これは何だ。どうしてこんな目にあうんだ)


 その時、小さな振動音がした。


 リビングに放り出したままのスマートフォンからだ。

 湊は転がるようにして台所を飛び出し、スマートフォンに飛びついた。

 ディスプレイには、彼の友達の名前が表示されていた。


「もしもし」


 聞こえてきたのは、泣き声だった。


「どうしよう。あいつの言った通りだ。オレら、まずいよ」


 くぐもった親友の声は、携帯電話に耳を押しつけても聞き取りづらい。


「落ち付けって。なんだよ、どうしたんだよ」

「虫がでたんだ」


 気が遠くなった気がした。

「どこから」と聞いたが、聞かなくても、答えはわかっていた。


「口からだよ。オレの口から、コバエが出てきたんだ」


 トン、と座り込んだまま壁に寄りかかる。そうしてないと、自分の体が分裂してしまうようだった。

 頭、腕、体、脚。バラバラの肉片。


「晩飯食べようとしたら、口からハエが飛び出したんだ。母ちゃんは、オレの見間違いだって言うんだ。でも、確かにオレの口からでたんだ。あの肉からだよ。あの肉に虫がわいたんだ」

「泣くなよ」

「どうしよう。オレら、これからどうなるんだ」


 暗い部屋の中、湊はうずくまって、彼の友だちの泣き声を受け止めていた。

 夕日はとっくに沈み、濃紺の空が、黒々とした雲をぶらさげている。



——第二段階は、鬼ごっこさ。

——そいつらはな、呼ぶんだよ。残りの仲間をな。

——他のパーツがお前らめがけて集まってくるぞ。



「本当だったんだ。あれは人魚の肉だったんだ」


 この時からだ。

 少年が恐れながも望んでいた『事件』が、静かに、しかし急速に、彼の心と身体を蝕み始めたのだ。

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