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8.ナイト・コート・エクスプロージョン

1/22


「おはようございます。先日は誠に申し訳ありませんでした」


 受付に来た男性は深々と頭を下げた。


「いえいえ、もう済んだことです。ところで、リンいやホロトコ商会からその後、連絡はありましたか?」


「ええ、頂きました。早速仕事を振られましてな」


「それはそれは、ご愁傷さまです」


「それが、今までに比べたら楽しいのなんの。ホロトコさんに出会えて良かった。それもほのぼの郷いや、オンツキーさんのお陰です」


「とんでもない。私は何もしてませんよ。お客様の幸運も商才のうちかと」


「いや、お上手ですな。では、これからクールメ商店の本店から視察とは名ばかりの叱責が待ってますので失礼致します」


「頑張ってください。では、お気をつけて。またのお越しをお待ちしております」


 バードンは笑顔で頭を下げ、男の背中を見送った。





 真後ろの時計を確認するとそろそろお昼時。腹の虫が優秀過ぎるので、一斉に鳴き始めた。

 人っ子一人いないエントランスホールを眺めながら、今日のメニューを妄想する。オークピッグのステーキ、山マグロのステーキ、ミノタウロスのステーキ、今日はステーキの気分だ。

 ぼーっと玄関に目を向けていると、金属と石がぶつかる音、そして小さな影が入り込んでくる。

 やって来たのは体高40センチ程の2匹の犬。とても静かに悠然と玄関をくぐる。口を開け舌を垂らしながら軽やかに。

 かなり珍しい魔物だ、人生で見たのは2回目か。

 忠実で、冷静。命令の実行にかけて右に出る魔物はいないだろう。

 希少な魔物、番犬ルカプホドフィである。

 焦茶の体毛はフワフワで艶があり、耳と尻尾と足先といった末端部分は落ち着いた黒のグラデーションで色づいている。

 番犬と聞くと粗野で荒々しいイメージだが、ものすごく愛くるしい。魔物だと言われなければ顎の下を撫ぜていただろう。


 番犬ルカプホドフィに目を奪われていると、ややあって、フルプレートのアーマーを着たおっさんが、ヘルムを携えやってきた。


「マルブリーツェ州領主、ソンボイユ・ヘヌート公爵閣下より、ほのぼの郷の検査をせよとのご下命があった。質問がなければ検査を開始する」


 ――もう来たのか。ここはリンとの打ち合わせ通りにすればいいだろう。落ち着けよ俺!


「はあ、それでわざわざ騎士様がお出ましですか。検査とは具体的に何をなさるのですか?お客様がいますので、荒事は勘弁して頂きたいのですが」


「検査は検査だ。仔細話す義務ない。では始める」


 5名の騎士が、客室へ続く廊下へと向かった。騎士はだいたいそうだが、素顔が見えないのでゴーレムでも見ている気分になる。感情もなく全員が同じ姿で秩序だった行進をする。もっと愛想よくすればいいのに、高圧的に見えるんだよな。


「店主バードン・オンツキー、話がしたい。向こうで話せるか」


 2匹と1人ポツンと受付前に残り、おっさん騎士は、観葉植物で囲まれた休憩所を指し示した。事情聴取を受けるのは想定済みだけど、このおっさん顔は想定外だ……

 対面に座ったおっさん騎士。歴戦の証なのか、凌辱の跡なのか人を恐怖させる傷がある。

 縦半分が無い右耳に、白く濁った右目、鼻は修復不可能な程折られたようで湾曲し潰れている。顔面の左側には火傷の跡があり、目のギラつきを引き立てている。


「元S級でも怖いか?」


 怖いに決まってんだろ!というのは失礼だろうか。こいつ分かってて聞いているんだから敢えて意表を突いた返答をしてやろうかしら。

 検査がややこしくなりそうだから、止めておく。


「すみません、ジロジロと見てしまって」


「大概は、すぐに目を逸らすのだが、冒険者を辞めても怖いもの見たさは変わらないのだな」


「いえ、そういうわけでは」


「まあいい、これがマルブリーツェ卿からの書状だ。本物か確認するがいい」


「では拝見します」


 おっさん騎士が、番犬ルカプホドフィの口元へ手を出す。すると筒状になった書状が口から吐き出された。体液的なものはもちろんない。空間魔法に似た特性を持っているからだ。

 頭を撫でられると気持ち良さそうに目を細めた。可愛い、こういうところはただの犬だな。撫でられる犬の隣で寝そべっている、だらけ顔の犬も庇護欲をくすぐる。

 ペットか……と犬とユーリの3人暮らしを妄想していたのだが、机に置かれた書状の封蝋が目に入り一瞬で吹き飛んだ。


 ヘヌート家の紋章である。


『物体造成、ペーパーナイフ』


 バスケットボールよりもやや大きい白い球体が、頭上に現れる。基礎魔法『物体造成』の原型である。ここからイメージを基にあらゆる物体へと変化する。

 ポトリと落ちてきたのは、イメージ通りのペーパーナイフだ。銀一色の飾り気はないが、紙を切るという本質的機能があるので全く問題ない。

 チラッと目の前の騎士を見ると、やはり微妙な表情をしている。


「小さい頃から、造成は苦手で」


「あ、ああ。そうか」


 本当に苦手なのだ。物体造成だけ魔力の調節が上手くいかないし、造った物も歪んでいたり色違いだったり装飾がなかったり……

 恥を忍んでサービスでペーパーナイフを作ったのだから、お世辞ぐらいくれてもいいのに。


 ペーパーナイフを差し込み、封蝋を剥がす。書状の中には騎士の言った通りの言葉が並んでいた。具体性のない指示だ。

 ほのぼの郷の検査を許可する。指示に従わない場合は連行せよ。

 証拠を見つけ次第、俺を捕らえようって魂胆か。やはり騎士に連絡しなくてよかった……

 ミリス、ナイスッ!


「ありがとうございます。確認しました」


「うむ。それでは本題だが、勇者候補が失踪したのだが何か知らないか?ここに泊まった事は知っている」


 早速、剛速球をド真ん中に放り込んで来たか。

 ギラついた目は獲物を狙う魔物のようで、隣に寝そべる本物の魔物とは比べ物にならない鋭さがある。一般人なら挙動不審になるだろうな。やってもいない罪を告白するかも、それぐらいの迫力がある。だがしかし、俺だって何度も修羅場をくぐってきた。


「確かに泊まっていましたが、騒音で迷惑していたので注意したところ逃げましたよ。行方は分かりませんね」


「宿代は?」


「前払いして頂いたので、その点は問題ありません」


「――そうか」


 ここで勇者候補が死んだことを知っているのなら、この問答に意味はない。何故なら領主命令一つで俺を連行することが出来るからだ。たぶん、こちらの出方を見る為に聴取しているんだろう。この程度で怯むわけがない。


「それが理由で検査を?」


「いや、今の問いは個人的な理由からだ。気にしないでくれ」


「そうですか。分かりました」


 ――個人的?思わず首を傾げそうになった。どういうことだ?勇者候補殺害の罪を俺に擦り付ける、もしくは風評被害で店を潰すのが目的なはず。

 そしてこの検査はデマの基になる証拠を探させているんだろう。現場は封鎖しているので証拠のでっち上げは出来ない。つまりこれはマルブリ―ツェ卿指示の下進行している陰謀のはず。

 それを個人的な質問だと、そんな嘘つく必要があるのか?


 やや沈黙が流れる。すると後方から金属音が複数近づいてきた。

 振り返ると5人の騎士が無言で、おっさん騎士を見つめている。恐らく念話だろう。検査は終わったのか?随分と早いな。


「ここは何階まであって、いくつ部屋がある?」


「ワンフロア100部屋で、5階までです」


 こちらを見つめる5人の騎士はあからさまに落ち込んだ。いや、何しに来たの?やる気あんのかコイツら。


「どうやら、1階の検査だけで音を上げたようだ。コイツらはまだ正式な騎士ではないのでな。また日を改めるとしよう」


 おっさん騎士は立ち上がり、寝そべる犬の口元へ書状を近付ける。すると餌を食べるかのようにガツガツとかぶりつき、全て飲み込んだ。

 拍子抜けだった。玄関に向かってい行く騎士たちは一体何をしに来たのか。本当に検査?てか検査って何の検査だよ。しかも1階だけ、今空いている部屋は50部屋ぐらいか。たったそれだけで終わった。客を追い出せとか、鍵を貸せだとかのムチャぶりもせずに……

 ただの検査を領主が命令するだろうか。普通は所管の役所から来そうなものだ。

 わけが分からん。


 去り際に強面騎士が振り返った。


「マイ・カガミ、もしくはマイリー・イメイダ、私の娘だ。些細な事でも構わない、何か情報があったら連絡してくれ。私の名はダストン・オルキス、マルブリーツェ州騎士団アールガウ支部の支部長だ」


 会釈をすると返答も待たずに帰っていった。娘探しか、気の毒に。協力してやりたいがどう考えても情報が少なすぎるだろ!ていうか苗字違うし。

 颯爽と帰っていった騎士に心の叫びは届かなかった。




 午後、大雨になった。今日は日差しが弱く雲が分厚い日だったから雨になるだろうと予想はしていた。ちらほらやってくるお客様は、薄い魔法障壁で雨を凌ぐ。


 光沢のある白の壁や床は見た目がよく、そして頑丈だ。騎士連中が鉄靴でやって来ても傷つかない。ただし、雨の日は滑りやすくなる。だから事前にマットを敷いておいた。カラスの魔物ガラヴァスネルガスの羽根を使った吸水マットだ。うちの玄関は広いからその大きさのマットとなるとかなりの出費だった。その分いい働きをしてくれる。

 マットの上で靴を押し付けなくても、普通に歩くだけで吸水してくれるのだ。しかし限界はある。この大雨だから服を濡らしてくる人も散見される。ぽたぽた垂れる雫も吸水するから、早々に限界が来てしまったようだ。


 乾いたモップを持ってきてエントランスホールの動線を拭き上げていく。天井は、浮遊魔力を取り込みながら、自分で光ってくれる光石という特殊な石で出来ている。この石、手を加えなければぼんやりと光る程度で物足りなさがある。うちのエントランスホールは広い上に天井まで距離があるから、光が床まで届かない。その為、玄関付近だけは濡れているのがどこなのか分かりづらい。

 玄関から受付まではまっすぐなストロークがある。床にカーペットを敷いているわけではなくランタンを設置しているだけの簡素なものだ。道は床に示さなくても光で区切れば把握できる。冒険者時代に洞窟で見た光石の光景を参考にした。

 エントランスホール両端の休憩スペース、その真ん中を突き抜けるようにランタンを設置したのだ。首の曲がった支柱から吊り下げるタイプのもので、光はガラスを通る際に透かし彫りの細工を避けながら進む。

 玄関はほぼ全部拭いたので、見えやすい中央の動線を拭き上げていく。ランタンの横から漏れる光は素直に明るい。床には花の影が浮かび上がり、しっかりと見ると我ながら美しい出来だと思う。

 魔界と市街地の間にある緩衝地帯は一面更地で土がむき出しになっている。それなのに白い床面の泥汚れが少ない。石畳を設置しておいたおかげだろう。

 街を抜け緩衝地帯を越えると金属の門扉がある。森林が広がる魔界でかなり目立つのだが、それこそがほのぼの郷の歓迎門である。一歩入るとやはり魔界、生い茂った植物、靴には土もつくだろう。ほのぼの郷を始めた当初は常に掃除が必要だった。

 しかしある日、灰色の石がエントランスホールに積み上げられていた。誰かのいたずらかと思ったが、犯人捜しよりもまずは片付けが優先だと、必死で外に運び出し1日を終えた。

 すると翌朝には、また石が積みあがっていたのだ。サイコロ状の石、誰がどんな目的で積んだのか知らないが迷惑には違いない。全て外に運び出したのはいいものの、どう処分しようか悩んだ。

 結局これを道の舗装に使ったのだ。当時9歳ぐらいのユーリとちまちまと敷設した。門を抜けてほのぼの郷の玄関までには汗水垂らして必死に作った石畳が敷いてある。

 誰のいたずらか、未だに犯人は見つかっていないが有効活用させてもらったので恨みはない。

 一通り濡れた床を拭き上げたので今度は休憩スペースが気になる。テーブルを布巾で拭いて、椅子と壁掛けランタンのゴミや埃も落としていく。

 まあこんなものでいいか。そこまで汚れていなかったな。


「おとーさーん!ホロトコさんから連絡来てるよ!」


 ユーリが受付台から叫んだ。お客様の前ではお父さんと呼ぶなと言ってあるのだが、口をついて出てしまうらしい。お客様が笑顔になっているので怒るに怒れない。

 苦笑いで会釈をしながら、受付の中に入り、台の下にある連絡用魔石を取って執務室へと向かった。


「リンどうした?」


「ユーリ、何かあったか?彼氏ができたとか」


「え!?かかか彼氏?いるのか?」


「てめえに聞いてんだよ」


「いや、それは、無いだろ。たぶん」


「いつもより元気だな。お前、ちゃんと話したのか?」


「もちろん!話してあの調子なんだ。大丈夫かな」


「私に聞くな」


「そう言うと思った。それでどうした?」


「ああ、ピルドが来た。とりあえずその報告だ。コイツ大丈夫なんだよな?なんか、ずっと私にくっついてるんだが?」


「ああ、コイツ?今も隣にいるのか?」


「いる。僕がお守りします!って息巻いてるぞ。お前変な事吹き込んでないよな?」


「なーんにも、変な事は言ってないぞ」


「――まあいいさ弾除けぐらいにはなるだろ。あと、商人ギルドが攻勢を掛けてきた。カリーニングの一次産業は悉く締め付けられてる。まあ、商裁所に仲裁依頼を出したからだろうな」


「あー、鉱石商人のオッサンも悲壮感を漂わせてたぞ。まあ喧嘩を売ったんだから報復は仕方ないよな。カリーニングだけが狙われてるんだろ?」


「いや、ヌアクショット州も一次産業を集中的にやられてる」


「それって、イムリュエンも組合に噛んでるって事か?」


「言わなかったか?あの公爵様直々に手を貸してくださるって言うから楽勝だと思ったんだよ。貴族も大したことねぇな」


「酷い言われようだ。それで、一次産業を締め付けられてるってヤバいのか?」


「――お前も一応商人だろ。勉強しろよ」


「す、すまん。教えてくれ」


「カリーニングはワカチナ南西の端っこにあって海に面してる。産業は海産物関係が殆どで、一次産業の漁業を締め上げられたら、カリーニングは干物になっちまう」


「ほう、なるほど。で、対処法はあるんだろ?」


「いや、組合が育つまでどうにもならん。ギルドの奴らを殺していいなら話は早いけどな。イムリュエンが噛んでるからあんまり派手に動けないのが鬱陶しい」


「組合が育つまでって、どのくらいかかる?」


「少なくとも、何処かに組合の支部を置けるまでだな。今の組合はただうるさいだけの蠅の集まりだ。それが政界や業界での発言力も金も集まれば、全州にある商人ギルドの目の前に組合の支部を置けるんだ。それでスタートラインに立てた事になる」


「道のりは遠そうだな」


「他人事じゃねぇぞ?お前も被害者予備軍なんだから手を貸せ」


「そんなこと言われてもな。ピルド送ったろ?」


「弾除けが1人増えたところで変わらないんだよ!まあいい、報告は以上だ。気を引き締めろよ、お前の所にちょっかいを掛けるかもしれないからな」


「あー、廃ダンジョンがどうとかだな。リンと俺の繋がりを巨大商会なら調べてるよな。なら、俺にもちょっかい掛けて力を削ぐのか、ありそうだ」


「魔法と戦闘なら頭が回るのに、なんで一次産業が分かんねえかな」


「得意不得意ってやつよ。了解!気を付けます」


「なんかあったら連絡しろ。あ、それとイムリュエンから伝言だ「吾輩は元気だ。バードンも体に気を付けるように。娘御にもよろしく伝えておいてくれ」だそうだ」


「プッ、いつも通りって感じだな。分かったありがとう!」


 正八面体だった石はゴロリと倒れ、ビキビキと音を立てて元の雑多な形へと戻った。


「商裁所ってなんだっけか……」


 名前だけは聞いた事がある。とりあえず裁判をするところだろう。元冒険者だから知らなくて当たり前なはず、だよな。

 商人なのに知らないとマズイ知識というのは色々ある。まず商人ギルド、それから所轄官庁、そして銀行だ。これの場所と大体何をしている所か知っておけばまずは大丈夫だろう。リンにそう言われてから8年ぐらい経った気がする。

 戦争、商人ギルドとの争いをそう表現したのだから、知識をつけないとやばいだろう。

 8年間、魔法研究に明け暮れていた自分に恥じ入りつつも書棚を漁る。

 机の横には植物や魔物、動物などの研究材料が瓶に詰められて並んだ、棚がある。一番上にはほとんど使わない材料や高価な物を置いてある。鑑賞用だ。2段目は魔法や魔物に関する書籍が並び、1冊だけ異色の本があった。背表紙は色褪せてはいるが抜き取ってみると意外と鮮やかで新品の様に見える。そして全然読んだ記憶がない。

 タイトルは「商売を始めよう!~必須知識基礎編~」という安直なものだ。


「商裁所っと、どこだー?おお、あった」


 パラパラとページを捲っていくと、1つの章として説明がなされているようだ。割と重要な知識なのだろう。そこにはこう書かれていた。


 まず、商裁所とは、商事裁判所のことである。その名の通り、商いを生業にする者やその取引人、はたまた商人、商店、商会同士のトラブルも一手に裁く所である。

 この国において、裁判所と名の付く組織はいくつかある。一般的に想像しやすいのは連邦王国裁判所、州の控訴裁判所と一審裁判所、の刑事事件を扱う裁判所や民事裁判所だろう。

 商事裁判所や民事裁判所、軍事裁判所は刑事裁判所とは区別され特別裁判所と呼ばれる。

 商売を始めるにあたって切っても切り離せない商事裁判所、通称、商裁所(しょうさいしょ)は商事に関して裁いてくれるのだが、利用する際はその費用を考慮しなければならない。

 商裁所にて紛争を解決したい場合、一般的には法律の専門家を雇い臨むことになる。ここで注意しておきたい制度がある。預託金という制度だ。

 この制度はやや強権的な制度であるが、お金さえ払えば確実に問題を解決してくれるというメリットがある。この国には商人や商会などが無数にありその紛争は絶えない。それを捌く商裁所は比較的少額であったり損害の少ない案件に関しては即日判決を下す場合が多い。この即日判決、実は上告した際に覆るというケースも少なくない。というのも訴えを提起した者でさえ見つけられなかった証拠が後に出てきた場合や、単純に裁判官のミスなどがある為に引き起こされる問題なのだ。

 これを解決するために、慎重な審理を求め、なおかつ相手側が裁判に応じない場合は提訴側の勝訴が約束されるという、一見すると提訴側に有利な制度になっている。ただし乱用を防ぐためにいくつかの規制がある。まず最低預託額が1億ワカチナであり、かつ当期純利益の5割を預託することになっている。つまり相当な金額の預託が必要であり、それさえ払えば徹底的な審理がなされ、確実に判決が出るというわけだ。

 因みにこの預託金、判決が出た時点で返還される。勝敗は関係がない。ただし、裁判を意図的に遅延させたり、相手へ意図して損害を負わせたり、証拠の隠滅や不当な非開示があった場合は預託金が没収される。

 大商会や大商人を相手にする場合には有効な制度だが、大量のキャッシュが必要になる為、財政状態と相談の上利用するといいだろう。


 要するに、金さえ払えばちゃんと裁判してくれるという事だろうか。裁判てそんな雑な感じだったのか?今更ながら驚きであった。

 これを使うと言っていたリン、軽く1億はキャッシュがあるという事か。いつの間にか大商人になったな……


 ドッッッガァァァーン!


 背後から夕日が差し込む時刻。突然、轟音と地響きが執務室の空気を一変させた。


「はっ!?」


 なんだ今のは、まさか……マルブリ―ツェ卿の仕業か!?それとも商人ギルド?いやそれよりもユーリは、皆は。


「ユーリ!」


 受付へと走ると受付台の下に蹲っているユーリがいた。


「無事か?ケガは?」


「――大丈夫。それよりも今のは?」


「分からん、とりあえず調べてくる。もしかしたらお客さんが殺到するかもしれんから、日勤組は受付に呼び出してくれ。連絡がつかないようだったら俺に知らせてくれ……巻き込まれているかもしれんからな」


「わ、分かった」


「おっし、頼んだ!ユーリ、不審者がいたら必ず連絡しろ。いいな?」


「うん」


 さすがにビビるよな。マルブリ―ツェ卿の事を話したばかりでこれだから、当然だ。一体誰が何をしたんだ?

 不安そうにするユーリの頭を撫でると、黒い木札を使って各階へ転移していく。5階まで見て回ったがどこにも異常はない。あの爆発なら焦げた匂いやら飛び散った瓦礫やら粉塵やらが目に付くはずだが、至って普通のほのぼの郷だ。

 なるほどつまり、客室とは隔絶した場所で爆発が起きたって事か。まず考えられるのは調理場の事故!

 赤い木札を握って、その場から転移する。

 調理場へは専用の赤い木札を使用する必要があり、それを持つのは俺一人。何故ならタカダさんが極度の人見知りだからだ。

 転移したのは赤い絨毯の敷かれた短い廊下。その先には「ここより立入禁止」の看板がある。これは客に向けたものではない。そもそも赤い木札を客に渡すことはないからだ。

 従業員に向けたものなのだ。万が一誰かがここに転移することがあっても絶対に「ここより先へ進むな」と明示しておけば、日頃言いつけなくても済む。

 もし仮に進んでしまったら調理器具が飛来する可能性がある、それは予め共有してあるので、看板を見れば全てを察するだろう。

 そして俺もこの看板の先には進めない。ノールックで念話を繋げる必要があるのだ。なので俺が来たことを伝える為に壁をノックする。そして念話を繋げるために魔力を浮遊魔力へと指示を出すと、あった。タカダさんの指示を受けた浮遊魔力がこちらへと伸びてくるのだ。これを繋げれば……


『タカダさん!大丈夫ですか?さっきの爆発でケガとかしてませんか?』


 繋がったばかりの念話でケガが無いか確認する。


『お、押忍!』


『良かったです。今、爆発個所を調べてますので、確認が取れ次第またお知らせします』


『お、おなしゃす!』


 他に可能性がありそうな場所っていったら、従業員専用フロアか?でもこの時間は誰もいないはず。いや、夜勤組がいる。

 でも大丈夫、調理場も従業員フロアも一般人は絶対に入れない。専用の木札が無ければ入れないはず。くっ、いくらでも抜け道なら考えられるか。ついこの間、訳の分からない魔法で勇者候補が殺されたばかりだ。

 転移する場所をイメージして魔力を黒い木札に流せば……


 ――惨状だった。

 焦げた臭いに呼吸が苦しくなる。粉塵と煙が視界を遮る。熱が身を焼き、未だに崩れ落ちる宿が耳に痛い。何とかへばり付いていた天井も剥がれ落ち、燃え盛る炎が目の前の光景を焼き付けてくる。整然としたフロアはもうない。辛うじて見える赤い絨毯も焦げてしまい塵を被り見る影もない。全て壊された、作り上げた物を。こんな宿で働いてくれる従業員たちの家を。

 思い出を引き裂かれ、乗り越えた苦難を否定され、愛情に汚泥を掛けられた。言葉で言い募れず怒りに吐き気がする。

 何かしないと、どうにかしないと、どこを見ても火と瓦礫ばかりで足場がない。ヤバイ、危険だ、急がないと……

 焦りばかりが先行して視界が急激に狭くなる。

 煙!くっ、吸い過ぎた。


『障壁』


 落ち着け、まずは落ち着け。スカーレットはいない、クーさんとウネツ君が無事か確かめないと。違う!まずは伏せて空気を肺に入れないと。障壁で煙を防いだからまずは落ち着いて呼吸しないと。

 胸が膨らむたびに塵埃が侵入し、体が拒絶する。

 咳込んでばかりでまともに呼吸が……

 頭がぼーっと…………


「ピクちゃーん、助けてあげて」


 蜃気楼に炎が立ち昇り意識が薄れる中、小さな足が映り込んだ。そしてあの声は、ダンジョン。



 はっ!?意識を失って……

 火が止まっている。俺はどのくらい。

 立ち上がると、あの苦しさはどこかへ消えていた。意識もしっかりとしている。障壁は、消えている?消した覚えはないんだが。いやまずはクーさんとウネツ君の安否を。


「おーい!誰かいるか!おーーい!」


 多少の煙と瓦礫の埃が霞を作っているが幾分か見える。転移した場所から一番近い部屋、そこが爆心地のようだ。もはや部屋の体を成してない。隣室まで突貫工事をしたように一続きの空間があり、天井も大きく抉れている。


「ウネツ君!?生きてるか!?」


 返事がない。ん?あれは本棚か?焼け焦げているがそうだろう。微妙に浮き上がっているような……


『動』


 天井や壁材に使った石が乗っていて重い。何とか浮き上がらせて……ウネツ君!なのか?

 赤黒い人形がうつ伏せになっていた。丸い頭と背中は血も乾ききるほどの熱波で焦げている。あの黒いズボンは、宿の制服だ。ヤバイ、この火傷じゃ、俺の治癒魔法じゃ厳しいかもしれない。


「ウネツ君!ウネツ君?」


 顔の辺りに耳を近づけるとヒューヒューと小さな音が聞こえる。まだ呼吸はある。良かった気管は塞がっていない。だけど全身に火傷を負っている、触るのはまずいな。


 ウエストコートから黄ばんだ筒型の陣紙を1つ取り、広げて握りつぶす。

 すると、半径1メートルの青いドームが広がる。熱傷患者の皮膚に触れると予後に触るとプロに聞いている。だから『動』の魔法でウネツ・ワンの体が仰向けに浮き上がらせる。

 単純障壁、所謂1型障壁の応用で薄く前進にまとわりつかせて、絶対に皮膚に触れないようにする。治療者と患者双方のための措置だ。これもプロからの受け売り。次は呼吸の確認だが、さっき聞いたので心拍の確認をしよう。さっきの呼吸が死戦期呼吸の可能性があるからだ。


『動作補助』


 聴覚を最大限引き上げて……心臓は動いている。ヒューヒューという呼吸音も聞こえる。心停止すると独特の呼吸になるって聞いてたから、ちょっとビビったが大丈夫なんだよな?心臓動いているから、あー分からん、とりあえずやるしかない。いや待て、他に人はいないか?調べてないだろ!


『探知』


感覚が伸長していく。フロア全体に行き渡った感覚に人影はない。クーさんは外出中だったのか、良かった。よし、次はウネツ君の治療だ。


『身体組成』


 まずは体を組み直す。細かい構造なんて知らないから出来るところまで。皮膚に組成した皮膚をくっつける。大丈夫、造成魔法みたいなもんだ。やばいな、顔が黒焦げだ。これはどうしたらいいんだ、このまま貼り付けるとダメだよな……くそっ。いや皮膚が人体における障壁だって言ってたから、皮膚がないとまずいはずだ。とりあえず皮膚はくっつけておいて、あとは病院で治療してもらえばいい。あーーー駄目だ。ここからじゃ時間が掛かる。病院に連れていくにも、この爆発がマルブリ―ツェ卿や商人ギルドの仕業だったら確実に捕まるだろう。魔力を消費するからやりたくないがこうなったらやるしかない。


『治癒補助、人体再構築、脱還元』


 まずは体の持つ治癒能力をフル活用してもらうために魔法による補助を行う。次に人体の再構築をウネツ君自身の魔力にやってもらう。その為にこのドームを展開して、浮遊魔力への還元も止めた。問題ないはず。

 アイツが、ジナキウが言ってたのは……


「羊水です。このドームは拡散する動的魔力を保存します。患者を羊水に浸る赤子の様にするんです。ここで重要なのは動的魔力を浮遊魔力に還元させないようにすることです。次に欠損修復の魔法を行使する。身体は無意識下にある場合、他者による魔法を自動で弾こうとします。しかしこのドームが上手く機能していれば、患者本人の動的魔力に満ちているので弾かれる心配はありません。そして一番大事なのは造成魔法や組成の魔法で切り貼りするのは治療ではないという事です。それは……」


 あくまでも応急処置だから、本人の起源魔力が持つ身体構造の記憶に頼れと。

 人間の持つ魔力は2種類ある。生まれてから死ぬまで解放されず、操作することも出来ないと言われる起源魔力。そして、一般的に魔力と呼ばれる動的魔力。

 体の構造を全て把握しているのは、意識でも心でもない。身体保全を常に行っている起源魔力だ。

 その起源魔力が、羊水もとい動的魔力に満ちた状態で異常に気付けば修復に必要な機能を発揮する。身体構造の図面を開示してくれるはず。そうすれば治療者の魔法が発動して構築を開始する……そうだよなジナキウ。


 祈る様に見つめているとウネツの体から細かな気泡が噴き出し始めた。炭酸が体中に纏わりつき、傷んだ身体を再構築し始めたのだ。


 熱波により皮膚とくっついたズボンは剥離され、熱傷は脂肪組織から表皮に至るまで膨れ上がる様に再生していく。爆破時に強打した頭骨の陥没は元の位置へ戻り接ぎ直される。脳内で起きた出血は比較的少量だった。向上した治癒能力によって止血され血管へと再構築される。気管支、眼球の熱傷や衝撃による内臓の損傷も元の状態へと戻る。


 もしこれが敵の攻撃によるものならば、正直詰みだ。今使った魔法は魔力の消費がえげつない。魔力量に自信のある俺でも2/3は失った。ここから全力で戦うのは無理だし、こんな爆発を起こせる相手とやるのはキツすぎる。

 ウネツ君早く起きてくれ……


 燃えてしまった髪が生え終わると、浮かんでいるのは、出会った時と同じウネツ君だった。ゆっくり目を開け、パチパチを瞼を動かす。こちらを見て何事かと怪訝な表情をしたが、それよりも浮遊していることに気づき慌てふためいた。


「ウネツ君!ウネツ君!!落ち着け!」


「うっ、うう。ほお、はい。何が、何があったんですか?」


「まず、どこか痛いところは?もしくは感覚が無いとか、動かないとか違和感はないか?」


「えーっと、いえ、とてもいいです。かなり調子がいいです」


「あ、まずは降ろそう。それから自分で確認してくれ『解除』」


 ドームは中心に向かってゆっくりと収束していき、ウネツ・ワンの体も地面へとゆっくり着地する。


 立ち上がったウネツ君は、手を握ったり足を動かしたり動作を確認すると頷いた。そして深く頭を下げた。


「バ、バードンさん申し訳ありません、もしかしたら僕が……」


「待て、誰かに攻撃されたのか?侵入者がいた?」


「いえ、いません。」


「本当か!?間違いないか?こんな大爆発簡単に起こせないぞ」


「はい、間違いありません。今、思い出しました……」


 俯くウネツ君を見る限り、何か事故があったって事か。はあ。


「――何があったか話してくれ」

フッ、まずは寝るんだな。

ということで、寝ます。起きたら頑張ります。

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