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101.不世出の願い

『おうッ!いい風だッ!』


『くっ、えげつねえ。みんな耐えろ!』


 転移してきた途端、場は騒然とした。

 耳栓越しに鼓膜を叩く甲高い鳴き声。空気の細かな震えが彼らの障壁を揺らすと、次に襲いかかったのは強烈な突風だった。土や石を浚い、弾丸のように飛来する風に彼らは動けずにいた。

 障壁は耐えるだろうか。

 途轍もない風圧に、誰もが一抹の不安を抱いていた。


『限界よ!どうにかしてっ!』


 パーティー同士の連携はなし。そのはずだったが、彼らは1つに固まっていた。強い風と広い魔界、頼れるのは目の前にいる冒険者だけだと、銘々が集まった結果であった。


『土壁!』


 冒険者達が作り出した障壁の前に、ぼこりと動きがあった。誰かが風防に壁を作ろうと考えたのだろう。しかし立ち上がりざまに、もろもろと崩れ去る。


『もう、ムリ……』


 目の前の障壁は、何重にも重なっていた。

 各員が出した障壁は風に圧されて重なり合い、1つとなって、もはや誰のものかも分からない。強烈な重みに、とうとう障壁もひしゃげ始める。


『地面に潜ろう!』


『地面!?』


 喧騒を掻い潜る、妙案が頭に響く。

 それが正解かどうかなんて、誰も気にしていない。


 目の前の障壁よりは、まま可能性がありそうだ。

 総意は決した。


『よーしッ!障壁は任せたぞお前らッ!』

『ちょっ、待て!お前は……』


 分厚い胸板、丸太のような太もも、樹齢数千年の木を切り出した様な男が叫ぶと、大盾を左腕に持ち変えた。

 皆が歯を食いしばり必死に耐える中、彼は不敵に笑う。


『剛拳・(スクラップ)


 冒険者たちの最後方へ回り込んだ彼は、地面を思い切り殴りつけた。

 すると拳のぶつかった表面が少しだけ凹み、サラサラと土埃が消えていく。


『ベルド、攻撃力が低いんだからでしゃばるなよ』


『すまんッ!ムリだった!』


『知ってた。僕がやるから、みんなよろしく〜』


 さあて、といいながら、大きなバックパックを下ろして中身を漁るのは、青白い顔に目元には濃い隈をこしらえた男。

 冒険者の中で唯一、防具を身に着けていない。

 厚手のジャケットを着込み、首元にはきっちりと絞められたネクタイ、藍色のズボンに茶色いブーツ。冒険者というより、魔界にやって来た学生といった風貌だ。


『レジナルド君、分かってるわよね?ちんたらするんじゃないわよ!?』


 金髪のエルフが発破をかける。それを気にした様子もなくバックパックから取り出したのは、光る魔石がくっついた金属のヘルメットと、金属製の一本の棒だった。


『掘削開始します!シャベル』


 ヘルメットを被り顎紐を縛る。そして金属製の棒を1振りするとシャベルに変化した。土木作業でよく見かけるあのシャベルである。


『シャベル……人力かよ。お前の役職って確か』

道工具士(ツーリスト)兼、工士(ピオーニア)。レジーに任せろ、この中じゃ一番速くて正確だ』


 急ぐ様子もなく一般的な速度で掘り進めるレジナルド。

 苛立つ冒険者たちの視線などどこ吹く風で、せっせと掘る。


 初めこそ風で吹き飛んでいく程、掘削する土の量は少なかった。しかし掘り進めるごとに穴は深まり、掬って投げる土の量も増えていく。遂にはシャベルに収まりきらない大きな土の塊を穴の横に掬い投げた。


 ぽっかりと空いた大穴。

 ヘルメットについた光源が照らしたのは、深さ1メートル弱、直径5メートル程の穴だった。


 レジナルドは中へ飛び込むと、更に深く掘り進めていく。ポンポン上へと放り投げられた土は、サラリと風に飛ばされる。そうするとまたもや巨大な土塊がドシンと落下した。おおよそ4メートル、シャベルを手にしてから15秒程度での出来事だ。


『支保工設置します。簡易トンネル用時限式耐荷道具、連番並行自動設置開始』


 呪文のように、道具名と設置方式を述べたレジナルドは、上着のポケットから1枚のカードを取り出す。縦5センチ横8センチの薄く頑丈そうな真っ白いカードを、穴の中心へひゅっと放った。

 サクリと突き刺さったカードは光りだし、穴を事細かに照らす。

 レジナルドは見慣れているのか、さっさと壁に向かいシャベルを突き立てた。


『後10秒で降りてきて良いですよ!』


 レジナルドは掘削開始25秒でそう言った。未だ壁を掘っている最中である。


『早っ!ほらカウントして!』

『おうッ!9、8、7、6、5』


 シャベルは進む。しかし先程までの勢いはなく、僅かに壁の表面を削った程度。掘ったばかりの大穴も、土が剥き出しの状態である。


『2、1後続から進めッ!』


 前線でベルドが叫ぶと、最後尾から障壁を切り上げ、続々と穴へと飛び込んでいく。そして最後に残ったベルドは風とタイマンを続けていた。


『フハハッ!やるなッ風ッ!』


 ジリジリと押し込まれるベルドは、風に押し込まれる形で、そのまま落下した。


『ベルド来ます!』

『衝撃に備えて!』


 ドシンと地響きがする着地で、冒険者達全員が穴の中へ収まった。ヒンヤリとした穴蔵に、皆はやや不安げだ。


『この壁崩れないわよね?』


 皆の不安を代弁したのは、エルフのウーシャン・ガンフだった。


『障壁と同じ原理で、浮遊魔力を押し固めています。ベルドさんが踏みつけているソレ、貸してくれますか?トンネルを貫通させますので』


 ベルドが足を浮かせると、白いカードの角が地中から少しだけ突き出していた。悪いッ!と言いながらそのカードを手渡すと、レジナルドはヘルメットの魔石へくっつけた。


『現場までの距離はどのぐらいか分かりますか?』


『精霊によると300メートルぐらい先よ』


『それなら……6分程度で到着します。準備していてください』


『――訳の分かんない役職の癖に、やるわねコイツ』


 飄々とシャベルを動かし、壁を掘り進める。掘ったばかりの土は、カードの光に晒されて空気のように消えていく。


 土は魔法の効果を受けにくい性質を持つのだが、レジナルドの土木知識の前では、些末な性質であった。


 地上でもやってのけたように、大きな土塊を掘り出すと、これまた光が当たり消えていく。

 この作業を淡々と繰り返すと、みるみるうちにトンネルの姿になってくる。


『あれどうやってるわけ?』

『工具道具製作庁で検定落ちした素材で作ったらしいですよ。どうやってるか?フッ、全く知りませんよ』

『はあ?アンタのパーティーでしょうが』

『理解できないから彼をメンバーに引き入れたんです。頼れますよ〜?家も建てられるし、トイレだって風呂だって作れる。もちろん罠だって』

『くっ、遠征に欲しいわね』

『あげません』

『彼女いるの?』

『ガンフさんじゃ無理ですよ。年齢が違いすぎる』

『はあ?誰が年増だよ!顔見ろよ!若えだろ!』


 レジナルド・クロッカーは思わぬところで味方に売られていた。そしてエルフという長命種族に狙われることになる。


 ※※※


 ピルドは走っていた。暴風で中々進めないことに焦燥していたが、それでも常人の速度を上回る程度には速かった。途中で大きな穴を見つけ、仲間達も無事に進めていることに少しの安堵を覚えていたが、それもすぐにかき消される。延々と吹く風の先で何が起きているのか。ここへ来てから吹き続けているが、一向に止む気配はない。

 そしてうっすら聞こえる絶叫。耳栓をビリビリと震わせ、鼓膜をビクリとさせる。

 S級のピルドであっても、これは危険で異常だと理解していた。

 この風が証明しているのは、止まらない攻撃の応酬がギルマスを襲っているということだ。

 どう耐えて、どう攻撃をしたらここまで彼女たちを怒らせるのだろうか。


 逸る気持ちを魔力に込めて、ギルマスの無事を願う。


 戦場はすぐそこだった。


 ※※※


 広く布陣したハルピュイアたちは、怒りを込めて絶叫した。


 邪魔者である人間へ。

 裏切りのハルピュイアへ。


 モートンは迷うことなく、メリィへと障壁を展開した。距離のある物体へ魔法を発動するのは、魔力と技術を伴う。それをしたモートンに、攻撃を凌ぎ切る魔力は残っていなかった。


 たった一つの方法を除いて。


「お、おい!お前!モートン!これを消せ!お前が死ぬぞ!もう魔力は残っていないだろう!」


 メリィが障壁を叩くのを見て不敵に笑う。亜人は独特の眼を持っている。


 生物の動的魔力を見る眼だ。

 どの生物も持ち得ない特殊な眼だ。


 亜人が少ないマルブリーツェにいて、そのことをついぞ忘れていた。

 バードンを弟子にとって以来、あらゆる指導をしてこなかったのだから、忘れてしまうのも仕方なかった。

 良い亜人もいれば悪い亜人もいる。当然のことを何とか我が身に落とし込むため、亜人と戦うことは極力禁じてきた。

 何があっても話し合いで、そうでないと古くに刻まれた思考が跳ね起きて、力でねじ伏せようとするだろうから。


 そうして今日、新たな世代の価値観を見た。亜人、魔物、意志あるものを新鮮な眼で新鮮な興味で、知ろうとする純粋な子供たちを。


 昔々に教えられた「亜人は魔物の親戚」というのは大人たちが我が子を守るために作った物語だ。その大人達も親にそう教えられてきたのだろう。


 ではいつ変わるのだろうか。これを受け継ぐのか、捨てるのか。

 モートンにしてみれば、その答えは十数年前から決まっていた。


 愛弟子が、亜人を仲間に引き入れた頃から決まっていたのだ。


「うむ、仕方なし」


 出来るだけの事はした。

 やっと一人こちらについてきてくれる者が出た。もっと時間をかければ、もっと本気で向き合えば、彼女達は聞き入れてくれるかもしれない。

 共に手を取り、立ち向かう事に前向きになってくれるかもしれない。


 それは次代に託そうか。

 そう思えたのは、アイツが帰って来てくれたからだろう。


 ゴブリンを人の子のように扱う、アイツが戻ってくれたから。


 これは天が差配したとしか思えない、きっかけなのだ。


 躊躇いがちな老いぼれに、開明の光明となるきっかけをくれたのだ。


人間の礎(リベジオルス)


 ドン心臓が弛緩する。ギュッと心臓が収縮する。ドクンドクンと左胸が早鐘を打ち、体から血の気が引いていく。

 ハルピュイア達の眼がバケモノを見るかのように、黒く潤んでいる。


「――モートン、お前は一体……」


 メリィは、唖然として言葉を失っている。


 バケモノとはこんな感覚なのだろうか。

 冒険者になったばかりの時分に、散々痛めつけたあの亜人たちは、こんな気持ちだったのだろうか。

 いやそんなはずはない。なんの謂れもなく、ただ種族だけでバケモノののように扱われた彼らが、私のように安らかな気持ちであったはずはない。


 だが少しだけ近づけた、本当の意味で相手の気持ちになって考えられたかもしれない。


「なーに、ちと奥の手をな。それでじゃ、ワシの部下が近くまで来ておるんじゃ。この状況を見るとお前さんらを傷つけるやもしれん。もう止めんか?ワシが約束しよう、お前さんらの敵を必ず倒すと」


 ヒトの魔力は動的魔力と起源魔力に分類できる。

 動的魔力はヒトが使う魔力であり、一般的にカウントされる魔力量はこれを指す。休めば回復し、尽きれば疲労する魔力である。

 そして起源魔力とは特定の器官に備わり、一生解放されることのない魔力である。回復する動的魔力はこれを基に再生産され、ヒトが脳や内臓へ直接に魔法攻撃を受けないのは、起源魔力が保護しているからである。

 その魔力量は動的魔力の2倍といわれている。


 モートンは動的魔力がほぼ尽きており、あと数秒で障壁も消え空中にいることもできないという状態だった。しかし諦めきれなかったのだ。過去への贖罪と、子供たちが大きくなり、共に手を取り合うような未来を。


「に、人間、何をした!さっきまでは魔力が……」


「隠し芸じゃよ。んで?聞き入れてくれんかの。何度も、何度でも言うぞ?ワシはお前さんらを傷つけたくないんじゃ。誰に怯える?それを教えてくれ」


「リュー、分かるだろう?この人間には勝てない。もう止めよう」


 メリィが援護に回ってくれた。元々傷つけるつもりはないが、当初よりも増えた魔力に、流石に驚いているようだ。


「しかし……」


「ワシは味方じゃ。お前さんらを殺してはおらんじゃろ?メリィが傷つけた分はワシのせいにせんでくれよ?」


「――お前ならば確かに勝てるかもしれない。だが、お前一人ではどうにもならない」


「仲間がおる」


「お前と同じぐらい強いと言えるか?」


「ああ、ワシよりも強い。保障しよう」


 ハルピュイア達は葛藤しているようだ。このざわめきは、僅かに見えた希望に縋りたい、そんな気持ちが現れている。


「あり得ない、ハッタリだ!」

「人間の言うとおり、誰も死んでいない」

「私達を殺さずに、何のメリットがある?」

「もしかしたら……」


「ワシはのぉ、子供達の未来が明るいものであってほしいと願っておる」


 揺れ動くハルピュイア達を目の前にして滞空できる魔法以外を解き、そして語りだした。


「お前さんらにとって過去は酷いものじゃった。ワシはお前さんらの敵じゃろう。でも今日な、ワシは見たんじゃ。高い壁を、あんなに高かった壁をいとも容易く壊してしまう子供達を」


 ハルピュイア達、そしてメリィはモートンの言葉に聞き入っていた。互いに敵であるはず、それなのにどうして殺さないのか。どうして障壁を解くのか、その答えがそこにあると感じていたからだ。


「まあなんじゃ、月並みじゃが子は宝。種族なんぞ関係なく宝じゃ。その宝がもっと輝けるならば、ワシらがすべきことは決まっておる」


「未来の為に一歩を踏み出さねばいかんじゃろう。その為に、この老いぼれの願いを叶えるために、打ち明けてくれんかのう」


 風は止み、また静かな魔界が戻ってきた。過去の怨嗟も敵への動揺も全てが失われ、肌寒い荒野にあるのは未来への渇望だった。

 種族の違いと過去を乗り越えて今すぐにと言うのではない。私達の子供達のためにというのだ。

 ハルピュイア達ももメリィも、それは望むところだった。


「リュー……」


「アンタがリーダーだ。決めてくれ。少なくとも私は、もう疲れた」


 夕暮れ時、赤い日差しがメリイの顔を照らす。影が差したその表情から、迷いが窺えた。

 血塗られた歴史であっても、ある日必ず転換点が訪れる。その影を晴らす光がどこかで必ず差し込んでくる。それが今であってほしいと、モートンは願っていた。


 その願い、再三の懇願が実を結んだのか、メリィの重い口が開いた。


「魔人についてどれだけ知っている?」


「知識だけじゃな」


「近いうちにここへやってくるだろう。私達はその先兵だ」


「もう違うのじゃろ?」


「そうでありたい。私はただ種族を守りたかった。その為なら魔人に与する、きっと」


「魔人さえ消えればワシらと争う必要はないんじゃな?」


「お前たち、いやヒトがこれ以上私達に関わらないなら、その通りだ」


「お前さんさんたちは何をしに来た?先兵っちゅうことは、魔界領域を広げるためかの」


「違う、魔力だ。異世界人のあの魔力、それを欲しがっている。だから探しに来たのだ」


「異世界人をか。ならばミィはなんじゃ。お前さんらは、ミィさえいれば帰ると言わんかったかの」


「ミィは……」


 ドンッと下から衝撃音が轟いた。障壁も探知魔法も切っていたモートンは、ハッとする。

 死んでいたはずのサイクロプスが、地面から跳ね上がり、こちらへと近づいていたのだ。


 それは衝撃から僅かな時間であり、思案に耽るモートンの挙動は明らかに遅れていた。


 間に合わない。


 ダメージを覚悟した瞬間、サイクロプスは空中で身を翻した。

 空を蹴って向きを変え、狙いを定めた先はハルピュイアたちだった。


『動』


 一手の遅れを、サイクロプス自ら返上させてくれた。ハルピュイアたちへ近づくための進路変更が、魔法を使う時間を捻出したのだ。


 サイクロプスは地面へと落ちる。

 最後っ屁だったのか?

 地面が割れ、そこに這いつくばる魔物に、一切の危機感を覚えなかった。


 しかし、ハルピュイア達は恐慌状態に陥っていた。たかがサイクロプス、どうしてそこまで怯えるのか……

 すると『動』の魔法に対して猛烈な反発を感じた。サイクロプスが抵抗しているのだ。

 全身には黒い傷がついており、満身創痍だと見える。それでもこの力、追い込まれた獣の力とはここまでか。


「くっ、やりおる」


 思わず漏らした言葉は、誰に対して掛けたものではなかったが、返答するようにメリィは叫んだ。


「ソイツはただの魔物じゃない!気をつけろ!」


「ぐがあああ゛あ゛あ゛、み、いぃは、どごだああ」


 骨の砕ける音、筋肉の断裂する音、その巨体から聞こえてくるが、サイクロプスはなおも抵抗し続ける。


「ミィじゃと?」


「モートン!話し合いなど考えるな!ガピアザで生まれたばかりの魔人だ!」


 震える手を握りしめ、震える声を隠すため大きな声で警告する彼女を見れば、その言葉が嘘でないと分かる。ハルピュイア達は恐れている、魔人という存在を。だがしかし、コイツが魔人だというのならば言わねばならないだろう。


「ミィはウチで預かっとる。貴様に食わせるものか」


「食わない、おれ、食わないぃぃぃ、ミィはあああ」


 遂にもたげた首、途方もない馬鹿力だ。

 特徴ともいえる1つ目は、生物の体を成していなかった。

 赤く血走った白目、真っ黒な黒目は墨を湛えた皿のようである。


 定まりもなくギョロギョロと動く眼球では、もはや誰を見てるのかも分からない。


「ミィ、うがあああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ども゛だぢ」


 バギっと一際大きな音がした。背中の骨が曲がるはずのない直角を作り、肉が段々の皺を作りながらも必死に体を起こしている。

 腕の骨も筋肉も使える状態じゃない、どこからこんな力が……


「ミィはあああ、どごに゛いるうぅううう゛」


「友達じゃと?どうなっておるんじゃメリィ」


「それはない!絶対にない!」


 真偽はともかく大人しくさせなければ、ハルピュイア達の恐慌ぶりは異常だ。綺麗な髪が逆立ち、バサバサと更に上空へと飛翔している。恐ろしさのあまり距離を取ったのだろう。


『空間支配、魔封』


 魔物は人間と違って、全ての魔力を生命維持に当てている。その中から特性と呼ばれる魔法的機能を発揮するための魔力を捻出する。すなわち、魔法は使えない。


 だが相手は魔人だ。


 魔人の勝手は分からないが、今はできる手を打つしかない。出来るだけ魔力量を削ぐため、相手の肉体へと直接魔法を行使し続ける。ヒトならば障壁でも防げるが、()()は魔法が使えない。それはつまり自分の魔力で抵抗し続ける必要があるのだ。その量たるや微々たるものだが、時間が経てば、果ては尽きるだろう。


「うがああああ!ミィ!あ゛あ゛あ゛あ゛どご」


 空間を支配するには明確な領域を設定する必要がある。陣、土に描く線、木々で作り出した区域何でもいい。ただし明確な領域が崩れれば、空間への支配は無効となる。

 つまり、魔法陣が破れれば、線が途切れれば、木が焼かれれば、空間は開け放たれるのだ。

 だから、サイクロプスを囲むのは障壁である。

 眠れる魔力を解放したモートン。その魔力を注ぎ込んだ障壁はまさに鉄壁だった。頭突き、蹴り、拳打、頑丈な肉体と比類なきパワーを持つサイクロプスがいくら暴れようと破れなかった。


 そして支配された空間は術者のみが魔法を使用できる。万が一魔法を使えた場合に備えて行使したが、その消費魔力は多い。長時間使用は避けたいと考えていたが、サイクロプスはボロボロになりながらも暴れ続ける。


「いい加減に止めんか!ミィに会いたいのじゃろ?」


「ぐぅっ、がああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」


 時々苦しそうにするサイクロプス、あれは何なのか。攻撃はしていない。怪我をして呻いているのか?いや、あの怪我で動けるのだ、もう痛みはないのではないか?では何がサイクロプスを苦しめているのか……


 血がべっとりとついた障壁内が静かになった。こちらは何もしていない。遂に諦めたのだろうか。

 血糊で障壁が赤くなり、中にいるサイクロプスが見えない。死んだ……?

 すると曇が晴れるように血が消えていく。

 一体何なのじゃ……

 思案の隙は与えられなかった。

 うつ伏せになるサイクロプスの体から、傷が消えていたのだ。

 サイクロプスに肉体を再生する特性はない。そしてあの障壁内で魔法は使えない。


 つまり魔人となり獲得した特性が、あの再生能力ということだ。


「厄介じゃの『検知』」


 ただでさえ頑丈なサイクロプスが、いくら攻撃しても回復するのだ。

 魔力が尽きない限り。

 ではその魔力、如何ほどのものか。検知の魔法を使い、間接的にではあるが、漏れ出る魔力から概算を見積もる。


「尽きかけておる」


 このまま行けば勝手に死ぬだろう。今の再生で使い果たしたか、アホめ。


 僅かに安堵していると、後方から向かってくる馴染みの魔力を検知した。途轍もない速さ、そして得意な単騎駆け。S級冒険者が近づいていたのだ。


 今ならば誤解も生まれないだろう。話し合いは済んだ。これからは亜人と共闘し、魔人を倒さねばならない。ヒトと亜人とで立ち向かうのだ……


 支配された空間、強固な障壁に抗う術はいくつかある。

 その一つが転移である。

 中位の空間魔法に位置づけられる転移は、空間を操作し複数地点を浮遊魔力が繋ぐ事で発現する。生物が認識する空間はこの世界の一面に過ぎず、この世界は多面的なのだ。人間の認識を超えた転移は障害物など意にも介さない。

 高く分厚い山であっても、深く広い海であっても、魔力を注ぎ込んだ不可侵の障壁であっても。


 モートンは、冒険者もとい人間と亜人のこれからを想起しながらも、油断は皆無だった。

 魔力の尽きかけた魔人を視界に捉え続けていたのだ。


 だがそれでも、想定外は起きる。


 ――サイクロプスはモートンの目の前に転移したのだ。


「くっ!転移じゃと!?」


 魔力は……尽きている。出し切った?何故だ、よもや自死を選んだというのか?そしてその目は、一体何を見ているのだ……


瞑目せよ(ディエペシリス)


 心のない冷たい声だった。この場に血が撒かれたようで、骨の髄から震撼する。

 禁忌の魔法、古代魔法の中でも忌み嫌われる悪の魔法。

 躊躇いも憂いも傲慢も狂喜もない。そこにあった魔法を唱えただけだと言わんばかりに、感情がない。

 敵へ向けるその大きな目、全く真っ黒な瞳は、ついぞこちらを見ることがなかった。ただぼんやりと地平線を眺めている。


 いかん!この魔法が亜人に向けられれば……


「怯えるな!体中に魔力を、生きる事だけを考えるんじゃ!」


 恐慌状態は変わらず、メリィが必死に宥めようとしている。こちらの声など届いてすらいない。

 このままではいけないと思った矢先、サイクロプスは落下した。滞空する魔法を知らないのか、それともその必要がないと考えたのか。どちらにしても時間を稼げた。

 奴隷のようなあの声、あの目。屈服し希望もない、心を縛られ自己への憐れみも愛情もない、あるのは無。先程までとは打って変わり話が通じるとは思えない。


 着地したと思えば、サイクロプスはすぐさま地面を蹴った。

 どんっ、と跳ねた先はやはりハルピュイアの群れ。

 執拗にハルピュイアたちを狙っているようだ。


 もしあの魔法が使われれば、彼女達は死ぬ。

 殺す気でかからねば。

 この魔人は間違いなく殺そうとしたのだ。容易くあの魔法を唱えた。ナイフを突きつけて交渉をしようという気概すらない。それすらもすっ飛ばして、命を刈ろうとしたのだ。

 友達という言葉が引っ掛かるが、致し方ない。


『加重障壁』


 障壁と動を組み合わせた沈む鉄壁。衝突した瞬間激しい抵抗があった。だが問題ない、このまま地面に叩き落とせる。

 魔力のないサイクロプスに手立てはないはずだ。肉体一つでこの動き、確かに強いが魔法なしで勝てるほどギルマスという立場は脆弱ではない。


 地面にめり込むまで魔法は解かん、そう考えていると、ふいに魔法が消えた。

 解いたわけでも、魔力切れが起きたわけでもない。

 消えた。


 この感覚は久しく味わっていなかった。遠い昔に、数回体験しただけだが記憶にこびりついている。浮遊魔力の支配を奪われ、魔法が言うことを効かなくなるあの現象。


 さすがに血の気が引いていく気がした。


 異世界人と戦った時、全く同じ現象が起きたからだ。生まれたばかりの魔人が、異世界人と同じ強さを持つなど絶句するしかなかった。


 ふわりと着地したサイクロプスは空の雲を眺めるように、戦場に似つかわしくない悠然さだった。その目は間違いなく、邪魔者の人間であるワシを捉えているのだろう。ボンヤリと虚ろな目が、少しだけ潤んでいた。


「君はただの人間?」


 先程までの野太い声ではなく、随分と落ち着きのある重厚な響きだった。本当に人が変わったように。


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