99.S級冒険者の実力
アイツは頭から足先といった具合に頑丈な部位が一定じゃない。胴体や頭に魔力を割くのはあり得ないから、下半身を狙うのが常道。関節、それから腱、そして内腿の動脈と……金的。
タマだけは絶対に触りたくないので、早めに動きを鈍らせてタコ殴りだな。
触れるだけで斬り裂く。それだけ細く、それでいて頑丈な空気を思い描きながら、サイクロプスの膝に狙いをつける。
動作補助をかけているため、疲れは感じない。
上空のカラスに気を取られているサイクロプス。
そして俺は暗殺者。気を散らせた敵に音もなく近づくのは容易い。
全力で駆けた。太い脚を前に地面へ膝をこすりつける。スライディングしながら、土気色の膝の皿へとナタを喰らわせる。勢いそのままに滑る体、立ち上がりざまにくるりと回転し、もう一方のナタを同じ傷口へと叩き込んだ。
どろりと赤い血が流れ出れ、うぎゃーと鈍臭い悲鳴を上げた。
このままの勢いで後ろへと回り込み、膝の裏へのナタを振るう。
分厚いゴムに打ち込んだような感覚だった。傷口には薄っすらと切れ目が入っているだけ、やはり頑丈だ。
更に追撃とナタを振ろうとしたその時、巨木のような脚がやおら移動して、俺の顔面を狙いすましていた。
膝を切られた右脚を持ち上げるのだから、流石にアホだ。
アーリマとサイクロプスの身長差は1.5倍程度。アーリマの顔がサイクロプスのみぞおち辺りにある。
つまり、そこまで脚を持ち上げているということは、逆脚がノーガードかつ全体重が乗っているということだ。
寧ろ好都合、サイクロプスの脚めがけて突進する。当然のように脚が顔面に近づいてくる、その瞬間に身を翻した。
全力疾走中の方向転換には減速がつきまとう。その減速は的を絞りやすくさせてしまうため命取りだ。
だから、着地した瞬間の片脚で横方向へ飛び、体を回転させることで、軽業師の曲芸の如く間一髪で避けきることができるのだ。
静かに固い地面を踏みしめる。それと同時に体重を前に掛け、音を捨てて突っ走る。のんびりするサイクロプスの軸脚は眼前だった。
バシュ!
右脚と同じように、スライディングしながらナタを入れ、2発目を同じ傷口に叩き込む。
先程と同じく悲鳴がこだまするが、斬れ味に違和感があった。だがどうでもいい、斬れ味なんざコイツの膝裏に聞いてやる!
カキーン
サイクロプスの皮膚に傷がつくどころか、ナタが折れてしまった。そして今の攻撃を鬱陶しく思ったのか、サイクロプスは腕を振り回し始めた。どうやら膝への攻撃は有効だったようで、腕を振るたびによたよたと重心がブレている。その反面、動きが読み辛い。
バギッ!
残ったナタを逆手に持ち、腕を庇ったつもりだったが、むしろ逆効果だったかもしれない。魔法を掛けたのは刃だ。身の部分はただのナタだから、サイクロプスの皮膚よりも柔らかい。ベコッと曲がったナタが腕に衝撃を齎した。馬鹿力に鉄の硬さが相まって、前腕が折れてしまったらしい。
しかも一撃が重い。随分吹っ飛ばされた上に、頭がくらくらする。
頼むぜゴブリン、俺一人じゃ絶対勝てねえ!
私が迷っている間にアーリマさんが……
一体どうしたらいいのだろう。とにかく魔法で攻撃力を高めて殴るしかない?いや、私も武器を作ったほうがいいのかもしれない。とにかく何かしないと。
また突っ込んでいった!?脚ばかり狙って……
動きを止めたいんだ。動きを止めさえすればバードンさんを救出できる。それに動けないなら一方的に攻撃をしてを倒せばいい。そこに特殊な魔法なんかいらない。急所を普通に攻撃すればいいんだ。
これであっているのかな、これが狙いで脚ばかりを狙っているのかな。
ダメだ、考えても埒が明かない。
『動作補助、部分強化、部分保護、焦熱』
やってやる!アーリマさんに気を取られている間に、脚にダメージを与えればいいんだ。大丈夫、まだ魔力は残っているから、絶対に勝てる!
「サイクロプスに遭ってもビビるな」アーリマさんの声が頭の中で反響する。
「チェイヤー!!」
アーリマの攻撃で膝を負傷したサイクロプスは相変わらず腕を振っていた。棒のようにただ伸びる脚、そこへ小さな拳をぶつけたのだ。魔法で強化した小さな拳を。
ゴブリンの頭はサイクロプスのちょうど腰あたりにある。つまり彼女が狙いやすかったのは目の前にある膝であった。ゴブリンには見向きもしていなかったのだから、それは視覚外からやってきた強烈な一撃だったのだ。膝の横から掬い上げられ、宙に浮き上がったと思えばそこは地面。痛みが来る間もない一瞬であった。
ゴブリンはこれ幸いと、倒れ込んだ敵を殴り続けた。生物共通の急所であるはずの頭を。アーリマが叫んでいることに気がついているようだが、目の前に敵が最優先だった
チャンスを見逃すまいと殴り続けたのだ。
焦熱で継続的な熱の攻撃を与え続け、火傷を負わせる。頭部へのタコ殴り、焦熱でのダメージ。その間、当然魔力を消費している。
彼女が掛けた魔法は一回こっきりの使い捨てではなく、継続的な魔力消費に応じて効力を発揮する。
初戦闘という訳ではない。しかし託された戦いだったからこそ力が入ってしまったのだ。
無鉄砲に魔力を消費しすぎた。でもサイクロプスのこの暴れ具合、効き目があるんだ。だから問題ない、これで倒せたはず……
「いだい、いだい、いだいいいいい!!!」
これ以上の魔力消費を抑えるため為焦熱は解除した。だけど警戒は怠っていない。こいつが悶える度に地面が震える。その力を思えば油断など出来るはずもなかった。
もしもこのまま起き上がれば、今まで以上になりふり構わず攻撃してくるだろう。手負いの獣ほど恐いものはない、元パーティーメンバーが私を見て言っていた。たぶん私が暴れるとでも思ったのだろう、だけどあの程度は気にしない。寧ろ感謝しているぐらいだ。
こうして魔法を覚えられたのも、私が自分の体で受け止めたからこそ!
横たわるサイクロプスの上に飛び乗り、首の後ろを何度も殴った。強化した拳で全体重を乗せて何度も何度も。
脚を狙うのもいいが、こうして頸椎に損傷を与えれば体が動かなくなると元メンバーから聞いている。それが嘘じゃなければ、こいつはもう動けなくなるはずだ。
「い……」
「おいゴブリン!今すぐ下りろ!」
「いいいいだあああああいいいいいいいいいい」
アーリマの声が聞こえたその時、自分の下にいるサイクロプスが動き出したことに驚愕した。まさか、魔力のほとんどをつぎ込んだ打撃が効かないなんて。いや、もしかしたらアイツらに嘘をつかれていたのかも……
しまった、やってしまった。
飛び降りる間もなくサイクロプスの背をゴロゴロと転がり落ちていく。
初めて信用されたのに、初めて優しいヒトに出会えたのに、初めて恩を返せると思ったのに。
落下していく最中そんなことを考えていると、視界の端でこちらに走ってくるアーリマが目に映った。
「障壁を張れ!」
この高さなら落ちても死なないのに。何でアーリマさんはこちらに走ってきているのだろうか。僅かな時間が引き伸ばされる中ふと上空へと視線を向けた。背に乗っていた私を大きな目で捉えたかったのだろう。巨体を捩じっていた。そして視界の右側に映るのは土気色の太い腕……
腕がぶつかるから障壁を張れという事だったのか。身体能力が高くて、頑丈な体を持つサイクロプス。軽く振った腕でも、死ぬ。
『動、障壁!』
衝突音が聞こえ、次には背中から叩きつけられるような感覚があった。死んだと思った。
そう思った後、耳鳴りがしていることに気付く。地面の揺れが肌を伝って感じられる。そして背中の痛みがある。ヒリヒリと擦りむけ、じんわりと食い込む痛みが確かにある。
生きている。
瞼を開くと、そこには青空が広がっており眩しい太陽が沈む準備をし始めた頃だった。
「おーい、聞こえるかゴブリン!マジでやべえわこいつ。絶対に勝てねえ、今すぐに逃げろ!」
「ぐおおおおおおおおおおおおおお」
アーリマさんの声が聞こえたと思うと、地鳴りと共に鼓膜も大きく震える。
生きている!生きている!
落ちている時に聞こえたあの魔法は、私を守るための魔法だったんだ。私を弾き飛ばして、障壁でサイクロプスの腕を遮ってくれたんだ。まだ戦える!逃げない、助けてもらったんだから、絶対に!
まだ痛む背中に活を入れ、うつ伏せに転がりながら起き上がると、絶望的な光景がそこにはあった。
全力で殴った頭の傷も火傷も無くなり、アーリマさんがつけたナタの傷はどこにも無い。一体……
「ゴブリン!ビビるなって言ったろ!さっさと逃げろ!あとミリスに、悪いって伝えといてくれ!」
アーリマさんは、どこから引っ張り出したのかククリナイフを握りしめている。
立つのもやっとという状態で、至る所から血が流れている。何とかしなくちゃ、私が時間を掛けすぎたせいで。
「邪魔すんなよ!脚手まといだ!さっさと逃げろ!」
「ぐうおおおおおおお!」
言葉にならない絶叫と共に、サイクロプスはアーリマに拳を叩きつける。それを躱そうと藻掻いていたが、折れた左腕に掠ってしまった。
「うっ、ぐうう」
桁違いの速さとパワー。先程までいた魔物と同じなんて、到底思えない。掠っただけでアーリマさんは吹き飛び、握っていたナイフを手放している。
このままでは、私も殺される。強者が醸し出す圧力に沸き起こる恐慌。逃げなければ殺られる、逃げなければ、2人とも死ぬ。
非力だった自分を変えたいと、そう言ったはずなのに、体が強張り逃げの口実ばかりが頭に浮かぶ。
「さっさと逃げろよ……」
アーリマは敵を視界に収める余裕すら無かった。ゴブリンが逃げられるように、囮になるためだけに立ち上がったのだ。
ゆらゆらとバランスを取り、なんとか顔を上げるが、それは戦おうという姿勢ではなかった。
「アーリマさん!」
ゴブリンの叫びも届かず、跳躍したサイクロプスは立ち尽くす男へと拳を振り下ろした。
ドゴオオン!
耳をつんざく轟音と、強烈な風で土煙が舞う。
死んだ、アーリマさんが。次は、私だ。ゴブリンがそう考えていると、再び轟音が鳴り響きサイクロプスが一直線に吹き飛んでいった。
まさかアーリマさんが?いや、あの傷でそれは……
じゃあ一体誰が。
「アーリマ、生きてる?」
「――ピルド?」
「生きてるね。回復魔法かけた方がいいかな?まだ耐えられそう?」
「大丈夫だ。それよりゴブリン、平気か?」
「うん、固まってるけどね。じゃあ、ちょいとシメてくるよ。俺の兄弟に手を出したノータリンをね」
「ああ……」
S級冒険者だ。ピルド・イバタカンサ、ワカチナ人ではない、ガピアザ王国で戦争孤児だったという、マルブリーツェで最も強い男。そして、全冒険者の中で最強と謳われるS級冒険者。
童顔の顔が怒りに歪み、拳には青白い閃光が迸っている。
アーリマの横にいたピルドが突然消えた。すると今度は、遠くに吹き飛んでいたサイクロプスが絶叫する。
何が起きているのか、目で追うが判然としない。辛うじて見えるのはサイクロプスの体についていく傷。
全身に青白い光が走ったと思えば、その後には黒い焦げが残り、巨体がくの字に曲がれば、鈍い音と共に頭が跳ね上がる。
サイクロプスが一方的にやられている。これがS級冒険者の実力なのか。
いやそれよりもアーリマさんを介抱しないと。
ゴブリンは軽症だった。落下した影響で背中に打撲を負っていたが、動くには問題がない。魔力は限界に達しており、治療してあげることもできない。だから、アーリマの側で呼吸があるか、心拍は続いているか、それを確認するしかなかった。
そして目の前の光景に脱帽するしかなかった。
役職は格闘士だと公言しているピルド。実際、ゴブリンも彼に憧れたことがある。己が身一つで敵を打ちのめす、そのファイトスタイルが格好いいと思ったからだ。しかし現実は雑用としてこき使われる日々。オールラウンダーに任命されてからは、特訓とは名ばかりのサンドバッグ。それでも地道に魔法を習得し、仲間たちの技を盗んでいった。
その努力が通用しなかった相手を、彼はぶちのめしていた。
彼を目で追うことはできないが、サイクロプスの疲弊具合と傷跡で何が起きているのか想像はできる。彼が拳を当てるたびに青白い閃光がサイクロプスの全身を駆け巡り、黒い煙をあげる。雷だ。ただのパンチではなく、自然現象を再現しそして操作する、一流の魔法士がみせるという、高難易度の魔法技術。
それだけじゃない。殴るたびにサイクロプスの肉体が窪み、骨がひしゃげる程の威力。半分といえども、魔力量に自身のある私が全力で殴ったとしても、あの威力は出せない。私の知らない魔法、いや殴り方?それとも才能なのか。
サイクロプスを眺めていると、突然目の前で風が吹いた。尖った耳とフードの中にある金属の輪が繋がっているので、いつもなら捲れることがない。だが戦いの中でいつもとは状況が違っていた。ふわっとフードが捲れたのだ。
大抵の場合、手や脚など見える部分で亜人だと分かっても、誰も攻撃はしてこない。慎ましく、隠れながら生きていると、意外とそういうものなのだ。だが顔を晒して、堂々と亜人だと宣言して回ると、ヒトは攻撃的になる。私の親がそうだったように。
だから私はフードを外さない。何があっても捲れないように細心の注意を払っていた。
それなのに、よりにもよってこの人の前で捲れてしまうなんて。
巻き起こった風はピルドが起こしたものだった。意図的ではない。ダッシュでアーリマの元へ行ったら風が起こっただけである。
するとゴブリンのフードが捲れたのだ。だからと言ってどうということもない。ピルドが師匠と仰ぐのは、異世界人や亜人、あまり知られていな魔人を仲間にする【ハズレボンビー】のリーダーなのだ。亜人差別主義者は全員死ねと思っている生粋の亜人保護論者だ。だから悪感情などあろうはずもない。
そう、悪感情などないのだ。むしろ逆だった。
ピルドはS級冒険者であり、その名は全国に轟いている。しかしマルブリーツェから出る機会は少なかった。本人がそれを望んだから、ギルドマスターであるリネスティ・モートンはそれを応援した。王都から名だたるパーティーの勧誘、有名貴族の指名依頼、他州領主の嫌がらせ、それら全ての外部圧力をギルマスのパワー、いやモートン自身の辣腕で跳ね除けたのだ。
そしてここは、亜人差別の酷いワカチナ中部のマルブリーツェ州。普通に生活する亜人は少ない。たまに見かけるのは奴隷くらいのものだろう。
ピルドはゴブリンを見たことがなかったのだ。勿論本で読んだことはあるし、図解や念写された写真なんかを見たことはある。だが、生で見るのと写真で見るのは違うものであって、ピルドは激しい胸の高鳴りを感じていたのだ。
S級の自分を見てもくれないヒトという種族を諦めていた。だからというわけではないが、目の前にいる緑色の小さな亜人にときめいたのだ。
ピルドの初恋であった。
ピルドを見て、やはり固まってしまったかと落胆していたゴブリン。仕方ないのだ、ここはそういう地域であり、私はそこで生きると決めたのだからと納得仕掛けていた。
ゴブリンが慌ててフードを被り直すと、ピルドは膝をついて顔を覗きこもうとしていた。
「ピルド・イバタカンサ、23才。S級冒険者です。イバタカンサというのは、生まれ故郷ガピアザの地名でして、ここでは馴染みがないですよね」
「は?はい。あ、私はゴブリンです」
「ええ、もちろん知っています。お名前は?」
「ゴブリンです」
「――はあ、それは麗しい名前ですね」
「種族名ですけど、はい」
「おいくつで?」
「25です。あの」
「彼女はいません」
「あ、はい。あの」
「今日は暇です」
「うう、ピルド、治療を、頼む」
「あ」
この人は意外と抜けているのだろうか。でも、差別的な感じはないから、やはりアーリマさんと同じく先進的な考えの人なのかもしれない。憧れて良かった。とゴブリンは穏やかに喜んでいた。
ピルドは瀕死のアーリマを治療した。その際、ゴブリンに男の影はないかと質問攻めにしていたのは言うまでもない。
サイクロプスが地に伏せていた頃、地中では魔物たちが蠢いていた。
上空で旋回する三羽ガラス―ガラヴァスネルガス―がもたらした情報は、ダンジョンにいるボス―火の魔物ジョン―の元へ届けられ、そして地中にいる彼らに指示が下る。
「バードン君をアーリマ君の元へ届けてあげてー」
タラピグディア
体長30センチから35センチの地中に生息する魔物。
明暗だけを区別する程度の視力しかなく、触覚と聴覚に感覚を委ねている。
特に触覚は鋭敏で人が歩いているのを100メートル先からでも察知できる。また捕食対象である地中の虫の動く音を50メートル以内なら聞き分けられる。基本的に自身で掘った穴で生活しており、食事にありつける機会がそう多くないのであまり動かない。5本の爪は地中の岩盤をも削る事ができ、武器の材料としても多用されている。
ボスの命令を受けて彼らは地中を進んでいた。強烈な振動が伝わり気が狂いそうな中、主の命を果たそうと邁進していた。
「カアーカアー」
上から聞こえる仲間の声を受け、鋭く力強い爪で土をかき分け、一気に地上へ踊り出た。眩しい光が視界を奪う。だが、元より見えていないのだからさして気に留めない。
「ツイテコイ!」
ガラヴァスネルガスの指示に従い、人間を運ぶ。鼻先をあててどんな形状なのか確かめ、軽く爪を当てることでどの程度の重さなのかを察知する。
2人でイケるな。
4匹いたタラピグディアたちはお互いに同様の判断を下し、2匹は地中へと潜っていった。
この荷物は直方体の箱であり爪を掛ける場所があり、我らの爪の力にも耐えうるようだ。そして導かれた結論は、地中を掘る様に箱を掘る事で押し進めるというものだった。
2匹のタラピグディアは鋭利な爪に陽光を反射させ、掘った。ガキンガキンと何度も弾かれ、爪の根元に痛みが走る。だが諦めるわけにはいかない。これは我らが使命、主より頂いた勅命なのだから。
主への忠誠が彼らの掘削を加速させる。甲高い音が響くたびに、直方体の箱が前に進んでいるのを実感する。すると突然、背中の辺りに触れられた感覚があった。視界では捉えられない。匂いを嗅ぐと、そこにいたのは地中に潜ったはずの同志だった。どうやら代われという事らしい。まだ初めて数分だと首を振るが、同志の爪が我が爪へと優しく添えられて気付く。
爪は限界を迎えていたのだ。
己のふがいなさに恥じ入り、思わず顔を伏せる。同志はそっと我が肩に爪を乗せ頷いてくれた。微かに重みが変わった肩の感覚でその動きが浮かぶ。これ以上脚搔くのは、我が主への忠誠に関わるか……そうして我は地中へと潜った。
暗闇から煌々と光る明かりを目の当たりにすると体調が悪くなる。それは人間も動物も魔物も同じであろう。地中に潜った彼らは激しい吐き気に襲われ、命の次に大切な爪の痛みに耐えていた。同志が地上で戦っているのだ、ここで身悶えしている場合ではないだろう。だから、爪で我が身を斬り裂いた。
体はより強い痛みを優先して伝え、それ以外の感覚は鈍らせてしまう。
胸の辺りがずきずきと痛む。しかしこれでいいのだ。地上で使命を果たさんと忠義を尽くす彼らを前には、これしかできる事はないのだ。
それから数分が経過した。長い長い数分である。同志は大丈夫だろうか、それとも……
心配は尽きず、もう一人の同志と共に地上へと進み出る。やはり眩しい。ぶり返す吐き気は胸の痛みに負けてすぐに引っ込んでくれた。同志、同志よ!いったいどこへ行ったのだ!
彼らは音と振動を頼りに前へと進む。上空で鼓舞するガラヴァスネルガスの声が近づいてくる。そこでふと気が付いた。この匂いは、血!?
まさか!思わず駆けだした。接地するたびに手に痛みが走る。そんなことはどうでもいいのだ、同志!お前はなんてことを……
辿り着いたのは血の匂いが濃い同志の背中だった。震える爪で同志の肩に触れる。
何故首を振るんだ!俺に代われ、お前は、そんな状態じゃあ無理だろうが!言葉を持たない我は心の中で目いっぱい叫んだ。だが、同志の決意は固い。肩に置かれた爪をそっと振りほどくと、再び前へと進みだす。
「アトスコシダゾ!モウメノマエダ!」
ならばいい。君と共に果てよう。彼は箱に爪を押し当て、硬い岩盤を掘り進めるように強く切り裂いた。無情にも弾かれてしまうが、それでいい。箱は前に進んでいる。2人よりも4人、大きく前へと進んでいる。体中で叫んだ。同志が倒れる前に、辿り着いてくれと。
「ヨシ、イイダロウ。ヨクヤッタゾ!」
最後に大きく前進した箱、そして終了の掛け声。やった、我らはやったのだぞ同志よ!
すると地面から小さな振動が伝わって来た。
なんだ?同志、よくやったな!我らの誇りだ!
同志、おいどこにいるんだ同志よ!
鼻先に何かがぶつかる。濃い血の匂いを漂わせているが、その中に同志の匂いがする。
同志……はっ、そんな嘘だと言ってくれ、同志ぃぃぃぃぃぃぃぃ。
彼の慟哭は、声なき声は誰にも届かない。
「サイショカラヨニンデヤレヨ」
「タシ、カニ」
「ケガ、カエッテ、ナオセ」
アーリマ達から少し離れた場所に、バードンが横たわっていた。それに気づくには十分な距離だった。
「あれ、ボスか!?」
「師匠!」
ピルドはバードンの元へ駆け寄り状態を観察する。まず目につくのは無色の箱だった。さざ波だったような細かな紋様は障壁に似ている。何故か外側に血がついている。少量の血、これは一体……いや気にする程でもないな。
それよりも、中にいるバードンの意識がない。その状態で魔力を供給し続ける事など出来るのかという疑問が残る。
魔法が一切通用しないこの箱では生きているかどうかも分からない。目視では呼吸をしている。しかしシャツには大きな血のシミが広がっており、その中心には木の枝が刺さっている。あの辺りには肝臓があったはず、一刻も早く取り除いて治療しなければならないだろう。そして箱の中には血だまりが出来ている。今も流れ続けている血はどうやら頭からのものらしい。
相当危険な状態だというのに、この箱が邪魔で手を出せない!
「ピルド!皆を連れて今すぐ逃げるんじゃ!」
上空から聞こえた声は、ギルドマスター、リネスティモートンのものだった。
「一体何を言って……」
翼の音が聞こえ、そちらに視線を移すと、空を覆うほどの怪鳥がこちらへと迫っていた。




