95.急降下の嘆願
作者生きてます。それから制作を止めたわけでもありません。という報告のつもりで書きました。
次話投稿日は未定ですが今月中には投稿する予定です。
設定の練り直しとか加筆修正とか並行しながらなので、期日を約束できなくてすんません。
「みんな緊張していると思うけど安心してくれ。魔界と言っても、その辺の道を歩くより危険は少ない。ただし、ツッパネ草の蔦には触らないように、腕が吹き飛ぶからな。質問ある人」
朝8:45、ほのぼの郷の門前で声をかけるバードン。若い男女が集まっており、その中において数名の冒険者や山高帽の男たち―リンの部下―はかなり目立つ。
疲れ果てて眠っていたバードンは、まだ起きたくないという体にムチを打ってなんとか起きた。毎日夜勤組が届けてくれるオンツキー家宛の新聞や信書を取りにポストを見ると、一枚の紙切れが入っており、それがケリー(スカーレット)のメモで、山高帽の男が来ているというものだった。約束の時間は9時である。来ているのに挨拶しないのもどうかと思ったバードンは、早々に身支度を済ませ受付へと向かった。
背筋をピンと立てた山高帽の男の姿が観葉植物の間からちらりと見える。夜勤組に挨拶を済ませ、彼の元へと歩み寄ると、ロケットペンダントを大事そうに指で撫でているところだった。こちらに気づいたネリフ・モナートは立ち上がりざまに帽子を胸に当て、いかにも紳士といった様子で挨拶をくれた。
どうやら7時半からここにいたらしく、何があってもいいように早めに来ていたらしい。いくらなんでも早すぎると思ったバードンだが、姉御―リンのことである―の命令ともなれば、絶対にミスなどあってはいけないのだから、当然だそうだ。
そういう割にはどことなく滲み出る、厳格さを感じる。リンの部下はその風体だけでなく、顔つきでもなんとなく分かるものだが、彼は役人のように思える。磨きたての靴に真っ白なシャツ、高級感のあるシルクの蝶ネクタイに、毎朝剃っているであろう髭やもみあげ。
性根が真面目で几帳面なのだろうネリフ・モナートを暫く待たせ、門前へとやって来た。
なんのトラブルもなく、全員が集まっていたらしいがそれが集合時刻の30分前。随分と早くに集まったようで、バードンが聞くまで彼は急かすこともしなかった。
あくびをする商人やリンの部下もいる中、いの一番にやって来たネリフ・モナートは気を付けのままバードンの話を注意深く聞いていた。
のんびりとした鳥のさえずりが広がり、穏やかな朝日も仕事前の準備をしている頃である。注意散漫な彼らを前に、俺が気をつければいいかと諦めてしまったバードンは、魔石が眠る採石場へと向かって行った。
ワカチナ連邦王国には魔界と認められる地域が4つ存在する。そのうち2つがマルブリーツェ州に存在している。マルブリーツェ州境に掛かる魔界、その端にあり生活可能な地域のやや手前にあるのが、ほのぼの郷である。
バードンは宿を横切り、手慣れた様子で進んでいく。ほのぼの郷周辺、ほんの数メートルの範囲は人の存在をどことなく醸し出す。バードンが時たま草刈りやら魔獣避けの為の魔法を設置したり薬剤散布をしたりしているからだ。そのでおかげか、商人達はかなりのんびりとしていた。
だがそこから先へ進むと一般人には言いしれない気配を感じるようで、商人たちはいつの間にか冴えた目で辺りをキョロキョロしだした。
「大丈夫大丈夫。襲ってこないから」
「えっ!?い、いるんですか?」
長袖長ズボンにつばの広い帽子を被った若男が声を出した。
「いる、いるけど絶対に来ない。ほらこの花、君が踏んでいるそれとか、こういった草花を魔物は嫌うんだ」
「これって、ハーブですよね。ホントにこれで」
「マジだって、ホントのホント。この紫のやつとか、その辺に生えてる雑草とか」
「ラベンダーにバジル、これはミントですか。動物対策にやや有効というのは聞いたことがありますが、魔物に……」
首を傾げて腕を組む男は、どうにも信用ならないようで、立ち止まってしまった。
魔界は魔物の巣窟であり、野生の動物も棲息する場所。お年寄りがふらっと入り野草を取ってくるほど生易しくない。冒険者がフル装備で挑む場所である。
怖気付いた若男のため一行の足が止まってしまった。恐怖というのはなかなか拭えない。バードンは小さなため息をつくと、どう説得しようかと頭を捻りだした。すると若男の後ろの人垣が何かを避けるように割れていく。最後尾にいたはずのネリフ・モナートが急ぎ足でやってきたのだ。
「どうしましたか?魔物ですか!?」
どうやら危険を察知して足を止めたと勘違いしたらしい。
「いや、それが……」
まあ若いからねとか俺の実績もだいぶ昔の事だから知らないかとか、彼のせいではないんだよとオブラートで包みつつ、この子ビビってるみたい、と伝えた。
回りくどく状況を明かしたのは若男のためである。リンだったら手が出るのは間違いなく、リンに心酔する部下ならそれに倣うだろうし、リンに怯えて従う者ならなおさら強硬手段に出ることが予想できたからだ。
「言ったよなあリッツマン、面倒をかけるんじゃねえとよ」
魔界は静かだ。風もあまり吹かず、時折鳥の鳴き声が聞こえるぐらいで、とても落ち着いた場所である。一般人には、それが逆に恐怖を与えてしまうのだが、今はネリフの声に怯えていた。怖気付いたリッツマンだけでなく、後ろに控える商人たちの顔色も随分と悪くなっていた。
「で、ですが」
「そんなに死にてえのか?それとも奴隷が望みか?」
口の悪い政治家のようで、彼の言葉には怒りなど皆無。ただ事実を述べているようだった。鉄のように冷たく真っすぐな言葉、というより脅しを聞いてバードンは割って入る。
「まあまあ、何もそこまで言わなくても」
「――バードンさん、申し訳ない。さあ行きましょう、コイツは大丈夫です、そうだな?」
リッツマンは拳を握りしめ首肯した。つばの広い帽子も相まって、俯いたままの顔から様子は窺えない。
この道の安全にかなりの自信があるバードンは、よしっと気合を入れると再び歩み始めた。
マフィアに目をつけられ無理矢理連れてこられた身としては、目の前の彼だけが頼りであった。元S級だと聞いていたがどうにも信用できない。頭の形が分かるほどピッタリとした水色の帽子に、黄ばんだ詰め襟のシャツ、サルのように毛がふさふさの茶色いズボンと、ギリギリ靴のように見える薄桃色の履物。理解不能の格好をしたこの男が元S級だから、防具や武器は持ってくるなと言われていた。
恐らく殺す気だ。親父が大商会の手先として働いていたからと、家族を目の敵にするこのマフィア共は、ここで俺を証拠ごと消すつもりなのだろう。
ハーブ如きが魔物避けとして機能する訳がない。そもそも動物に対しての有効性もかなり限られていると聞くし、そんなものが魔物に効くはずがない。それに冒険者の友達からそんな話を聞いたこともない。
妻子と共に殺されるか奴隷にされるか、俺はここに来るしかなかった。従うしかなかったが、むざむざ殺される気はない。なんとしても生き残らなければ。幼い息子が帰りを待っているのだから。
リッツマンが猜疑の目に闘志を燃やしている頃、バードンは後ろに続く商人たちを一瞥した。
長袖に長ズボンと水筒と袈裟懸けにしたカバンを持つ商人たち。軽めの登山をするかのような出で立ちである。信頼できる案内人がいるから大丈夫とでも言われたのかと思っていたが、中には完全武装した冒険者もちらほら見える。マフィアを信頼している者、つまり軽装の者が大多数のように見えるが、そうなると先程の怯えた表情の説明がつかない。脅しをかけられたリッツマンが怯えるのならまだしも、である。
リンが仕切っているのなら気にする必要もない。いつもならそうやって能天気でいられるのだが、今しがた自分が責任者になった事を思い出していた。余裕のないリンの代わりである、何がどうなっているのか、仔細を把握した方が良いのかなと思い、やや後ろで歩くネリフに歩調を合わせた。
「今日は現場の下見と商品の確認、それから値入までしたいって話だったよな?」
「ええその通りです。明日には互救会、ああ、同業の者を派遣して採石を始めます」
「そっか。いやー冒険者なんかいるから、予定が変わったのかと思ってさ」
「あの連中はブリンドル氏の専属護衛です。お気になさらず」
「ブリンドルさんか、存じ上げないな。それ以外の方は、俺を信用してくれてると思っていいのか?それとも、俺と同じで小さな商いをしている方々なのかな?」
「ええその認識で構いません」
暖簾に腕押しというか、糠に釘というか。目こそ合わせているのだが、まともに相手をしていないような受け答えだった。もしかしたら遠回しに尋ねたせいで真意が伝わっていないのかもと思い、直接的に疑問を投げかけてみる。
「えーとだな、魔界探索ともなれば普通はブリンドルさんのように冒険者を雇うだろう?いやそもそも来ないか。それにあの若い男の子、リッツマン君の反応を見る限り商人さんたちは俺を信用していないんだろう。まあ俺が逆の立場でもそうだろうな、現役冒険者ってわけでもないし。それなのにこうして付いてきている。どうやったのか教えてくれないか?何か困ってるなら俺に相談してほしいんだよ、リンは手一杯みたいだから」
ネリフ・モナートはうなじに手を当てを小さな深呼吸をした。歪んだ唇が話したくないとでも言うようで、バードンの疑念はますます深まってしまう。わざわざ引き出すほどの情報でないかもしれないが、リンに任された責任者なのだから、中途半端ではいられないと、ネリフの目を見返した。すると観念したかのように彼は口を開いた。
「ブリンドル氏はカリーニング州を囲む3州を股にかける大商人でして、ホロトコ会長に賛同する方でもあります。それ以外は東に尻尾を振り、故郷を売ろうとしたゴミ共です。バードンさん、貴方は我々の仕事に対してごく一般的な感想をお持ちの方だと聞いています。もっと詳細に話したほうが宜しいですか?」
「一応責任者だし、報告してもらった方が良いかな」
「――東の大商会傘下、商業ギルドへ加入した者たちには徹底的な弾圧をと会長からの命令がありました。親がその手の者で、何も知らずに働いていたその子息たちにはチャンスを与える意味でここへ連れてきたのです。彼らは我々に生かされているだけの者たち、リッツマンのように帰りたいと言うのならば家族諸共殺すか奴隷にするか、そういう手はずになっています」
「彼らの親は、チャンスを与えられなかった者たちは」
「ええ、殺りました。故郷を大切にし真面目に働く従業員に仕切らせています」
「軽装で冒険者の護衛がついていないのは、死んでもいいと思っているからか?」
「運良く死ねばいいと思っていますよ。会長の命令がなければ、俺が今すぐ殺してやるんですが」
聞いて後悔したバードン。リンとは親友であり家族である。何人も殺した大犯罪者であることも承知しているが、詳細を話すなと約束していた。彼女とは明確に相容れない部分があるからで、それを聞いて黙っていられるバードンではないからだ。
「親の罪が子供へ及ぶってのはどうなのかな」
「バードンさん、私は会長の部下です。あなたが責任者になったことは聞いていますが、我々の流儀に反すれば従う気はありませんので、ご承知おきください」
「お、押忍」
やんわりと指摘して彼らの処遇を見直してもらう作戦、そこで繰り出した1手目の言葉。すると盤面ごとひっくり返され引っ込んでろと、それこそやんわりと言われてしまい、彼ら流に「そうだね~」と言ってしまう始末。責任者としてやっていけるのか、軽い目眩を覚えながら採石場が目と鼻の先に見えたその時だった。
甲高い笛のような音が空気を震わせた。無風だった魔界の木々は暴風に薙ぎ倒されぬよう体をしならせ、地上の草本は細い体で受け流す。しかし人間は上空からの風圧に耐えきれず膝を屈し、目も開けられず、何が起きているのかすら把握できていなかった。
再び響く高音のどよめきの中、バードンだけはその正体を看破していた。水泳帽のような水色の物体が大きな庇で暴風のエネルギーと舞い上がる粉塵を防いでいたからだ。
「鳥人間、どっちだ!?」
蒼玉と月長石を塗り伸ばした鮮やかな翼、迸る雷光を彩った脚、そして獲物に食い込み逃さないであろう鉤爪。
弾けるように空気を震わせ、切り裂くように甲高い鳴き声が三度響き、数名が意識を消失した。耳から血を流す者を確認し、どうやら鼓膜やその奥をやられたらしいことを察したバードン。
明らかにこちらへと近づき降下し始めている。体はヒトのような様相であり、その顔は幼い子供であった。それが余計にバードンを混乱させた。
亜人か魔人か。
髪の毛の代わりに真っ青な羽毛が逆立ち、その目は鋭くこちらを捉えている。始めの鳴き声から数秒の出来事である、迷っている暇はないと臨戦態勢に入った。
『武器棒』
バードンは目の前で落下する白球を掴むと、和傘のように開きかけたその中へ腕を突っ込んだ。上空からの風圧が強すぎて全開にはならない武器庫から取り出したのは、パーティメンバーであるワパック・ゴルクの使う弓だった。
弓に自動で番えられた矢を引き絞る。狙いは上空、鳥人間へ。
『ばくはつ!』
ゆっくりと正確に発音したバードンは矢を手放した。弦が震えると、風を掻い潜るように軌道を描く。
上空にいた鳥人間は目を見開くと、全身を大きくうねらせ一層強い風を送り出した。そして万が一にも届かないであろう一本の矢を、念入りにも避けるため自らは上空へ舞い上がる。
バードンの放った矢は、格段に強まった風圧にもめげずまっすぐに進む。しかしそこにあるのは真っ青な空であり、目標は遥か上空へと昇っていた。
鳥人間は避けきった矢などには目もくれず、その射手を探していた。バードンがいた場所には和傘のような白い武器庫が横たわり、辺りでは呻き悶える人間たち。すると視界の下で高速で動く青い何かがあり、それが射手であると気づいたその時だった。
はるか下方、元々滞空していた場所で爆発が起きたのだ。上昇気流に少しだけよろめきながらも、大きく距離を取っていた鳥人間は無傷であった。そして、黒煙の晴れ間から見えた青い物体へと真っ逆さまに降下した。
バードンは爆発音を聞くと立ち止まり上空を眺めた。片手には錆びきった剣を持ち、やってくるであろう未確認生物を待ち受ける。
カサリと木の葉の擦れる音がしたその直後、爆発音に負けないほどの轟音が魔界に響き、地面を震わせた。鳥人間はバードンの両肩を狙いすまして急降下したが、分厚い障壁にぶつかったのだ。しかも突進の威力が障壁によって自らに跳ね返され、鉤爪が砕け、片足からは骨が突き出ている。
ピィイイーという鳴き声と共に、鳥人間が上空へ逃避せんとした瞬間をバードンは見逃さなかった。
『動』
単純な基礎魔法を片翼へとぶつけた。物体を動かすだけの魔法だが、天から地へと向かうそれは、強力な重力であり、鳥人間はバランスを失った。
『動』
地に伏せた鳥の両翼を魔法で抑えつけると、剣にも同じ魔法を掛けた。もろもろと錆が溢れていき、現れたのは鏡のような剣身。サッと振り下ろした刃は鳥人間のうなじでピタリと止まった。
「ばくはつ、これが分かったんなら言葉は分かるな?絶対に動くな。俺はお前を殺したくない、いいか?何もするな」
その言葉を聞くと、鳥人間は頷いた。ピクリと刃が動きを見せたが、辛うじて首は繋がっている。
「はあ、動いちゃだめ、オーケー?」
またもや鳥人間は頷く。
「――き、君は俺たちを食べに来たのか?それとも別の理由があるのか?答えてくれ」
「しゃべってもいい?」
「お、おん、いいよ」
「ミィと、おかあさんたちが、たすけて」
「――ん?えーっと、ん?俺たちを助けようとしたの?」
「ちがう!ミィと、おかあさんたちが、たすけて!おっきいめを、たべるの!」
バードンは言葉を失った。そして、助詞って大切だなと再認識しつつ、暗号を読み解こうと頭を捻る。
折れてしまった足からは血が流れ、体が僅かに震えている。痛みと殺されかけている恐怖からくるものだろう。しかし彼女の頭の羽毛にも血がついている。鮮血ではなく、ほんの少しだけ黒ずみだし乾燥した血痕。これは何の血だ?と思い、剣に気を払いつつ、横向きに顔を伏せる鳥人間を覗き込んだ。
「これは誰の血?君のじゃないね」
「おかあさんたちは、ち!ミィもち、ちがう!」
誰の血だ?人間を襲ったとか?それはないか、口元に血の跡はないし、魔界にいる人間は俺たちぐらい。もしも魔界から市街地へ出たとしたら、既に大騒ぎになって連絡が来そうなものだし、騎士だって応戦するはずで、無傷のまま逃げられないだろう。
この子のおかあさんたちが俺を助けようとした、これは違う!と言っていた。てことは、ミィとおかあさんたちをたすけて、か?
「君と君のお母さんたちを助けてってこと?」
「うん!たすけて!ミィとおかあさんたちおたすけて!」
「じゃあこれ、は」
母親と仲間の血。震えているのは、痛みと恐怖だけではない、自分の非力さに打ちのめされているのだろう。言葉も拙い幼い子供、何かが起きて逃されたのだと簡単に想像できる。
そして敵の正体は「大きい目」。
「目はいくつ?」
「ゆび、おもい」
「指が重い?ああ」
バードンは両翼を抑えつける『動』の魔法を解除した。すると鳥人間の翼がみるみるしぼみ、人間の腕のような形になった。そしてその右手が示したのは5であった。
「5?5つ目の魔物、か。本当に5なの?目、何個?」
巨大な5つ目の魔物など聞いたことがないバードンは、自分の目を指差しもう一度尋ねた。
すると鳥人間は人差し指だけを立てた。
「1?1個なんだね?」
「うん」
「分かった、助ける!その前に傷を治そうね。えーっと、あ!」
いつもと違う服装だと忘れ物をしやすい。ポケットのあちこちに魔法陣の描かれた紙を忍ばせているバードンは特にその危険が高い。そして見事に忘れた。
だがバードンが使う武器庫、武器棒には戦闘用に厳選された陣紙が入っている。それを思い出し一安心するも、少し離れた場所にある。
この幼子がどう感じるかではなく、バードン自身がこの子の側を離れたくなかった。絶望と恐怖に飲み込まれ、非力さに打ちのめされながらも必死で羽ばたいて来たであろうこの子の側から、片時も離れたくなかった。
「くっ、ごめんね、すぐに戻ってくるから待ってて。約束だから」
救助の約束を取り付け緊張の糸が途切れたのか、鳥人間の子供は顔を歪め、目を強く擦りだした。胸が締め付けられるバードンだったが、剣を片手に走り出そうとした。
すると木々の合間を縫って走ってくる黒い何かの姿を見た。
「バードンさん!ご無事ですか?」
ネリフ・モナートが白い和傘を片手にバードンの元へと駆けてきたのだ。
「助かる!それ貸してくれ」
半ば強引に奪い取ると、開いた和傘のある箇所へ慎重に剣を乗せた。沼へ沈むように剣が姿を隠すと、今度は別の箇所で扇のように並べられた紙切れを引き抜いてネリフへと手渡すと、子供の側に膝を付き治癒の魔法を掛け始めた。
「宿へ帰るんだ、使い方分かるな?」
「えっ!?ええ分かりますが、バードンさんは?」
「俺はこの子の母親と仲間を助けに行く」
「我々を攻撃した亜人の仲間をですか?」
「まだ子供だ、傷つける気はなかった」
「いやしかし」
「止めろ!いいから帰れ、鼓膜が破れたやつらは病院に連れて行ってくれ」
「――お断りします。亜人より会長の命令を優先すべきです」
バードンは治癒魔法が下手である。それは自他ともに認めている。治せない訳ではなく、魔力を過剰に消費してしまうのだ。しかしその速度は早い。骨を継ぎ直し皮膚を修復し鉤爪を元の状態へと戻す、この作業を終えたバードンは、ネリフの言葉を聞き立ち上がった。
「いいや、アイツの命令よりもよっぽど大切だ。お前とこうして話す時間も惜しい、さっさと帰れ」
「――はあ、ったく帰らねえと言ってんだろうダボが。こっちは人間の命が掛かっているんだよ、亜人を優先する理由なんかあるはずがねえ」
「分かった、なら好きにしろ。俺は行く」
うつ伏せになって泣きじゃくる子供を抱きかかえると、バードンは取り残された商人たちの元へ駆け出そうとした。しかしネリフが眼前へ立ち塞がる。
「そいつは置いていきな、飛んで帰れるだろう」
「邪魔するな」
「断る」
バードンの腸は煮えくり返っていた。亜人差別程度なら黙って見過ごしていただろう。しかしこの緊急時にあってなお邪魔立てをするこの男に対して、完全にキレていた。
「ぶち殺されたいのか?」
「アンタに負けるほど弱くはねえ」
バードンはすすり泣く子供を降ろすと、顔を隠す手を握り目を覗き込んだ。
「場所、分かるか?お母さんの場所」
「あっち」
子供が指したのは魔界のさらに奥だった。そしてその方角こそ、バードンの妻エイミが殺されたあの場所に近いところであった。
険しい顔でその方角を見つめると、顔色を変えて子供に向き直る。
「分かった、必ず助けに行く。君は向こうに飛ぶんだ。向こうに行くと宿がある、大きな建物がある。そこで待っていてくれ、いいね?」
「うん」
「降りる時は優しく降りるんだ、風を弱くして。でないと人間が怪我をするから。それから鳴いちゃダメだ、分かったね?」
「うん」
「よし、翼を出してごらん。そのまま飛ぶんだ」
開いた両腕は、美しい翼へと形を変え、治ったばかりのその脚は軽やかに地面を蹴り上げた。先程までの暴風が嘘のように、木の葉すら揺れない優しい飛翔で、幼い子供はほのぼの郷を目指していった。
「殺り合う必要があるのか?このままお前も帰れよ」
「亜人贔屓、異世界人贔屓ってのは本当だったか。会長の事は尊敬しているし感謝もしているが、唯一理解できねえのが、アンタと同じそれだよ」
両袖からするりと流れ出たナイフを握り、バードンを睨みつけるネリフ。
「東側に踏みつけられている人間がいるんだよ、亜人の世話なんざしてる暇ねえだろうが!」
約10年、引きこもっていたこの年月は何を変えたのだろうか。何も変わっていない、寧ろ殺伐とした深い溝すら生んでいる今に、バードンは向き合った。




