91.異物調査省大臣補イェリーナ・ペッシェ
遅くなり申した。申し訳ない。
いつもより分量多めです。
宿泊中の客は50名ほど。それも殆どが昔から通っている商人や冒険者達。暇になった宿の執務室でバードンは優雅に本を読んでいた。
すると、ドンドンと荒々しいノックが聞こえて飛び上がる。
「はい!」
ガチャリと開いた扉の先には気色ばんだユーリの姿があり、手には帳簿が握られていた。
ズカズカと入ってくると、机に広げられた本がパタリと閉じられ代わりに帳簿が開かれる。
「再来月の支払い大丈夫じゃないよね?」
バードンは一応目を通して見るが、赤い文字が並ぶだけではっきり言ってどこをどう見ればいいのか分からない。
「大丈夫じゃないかもしれないけど、前に話さなかったか?色々削るって」
「削ったよ。来月は乗り切れるけど、このままだと再来月は無理だよ。それなのに何で本なんか読んでるの?」
バードンが読んでいたのは宿の経営には全く関係のない魔法書。【魔法大全】である。
「い、いやー気になる魔法があってさ。ちょっと調べよーって」
「それ、お金になるの?ならないよね」
「お、おん」
「はあ。私が言ってた送迎のプランあったでしょ?」
「あー、輸送業者を巻き込んでってやつか」
「みんな新しい顧客見つけたみたいで、新規は無理だって」
「ふーん」
リンが言うにはギルドに加盟する大型商会の傘下に入っている。だから仕事はちゃんとあるのだろう。だが新規の契約を断るって事は、色々と制約があるのかもしれない。
「ふーんじゃなくて。いい案ないわけ?何もしなければお客さんがどんどん減っちゃうよ」
「うーん」
今泊まっているのは昔から贔屓にしてくれる、商人と冒険者。かれこれ8年ぐらい何も変えずに宿をやっているが、観光客や貴族、大商人と呼ばれる富豪がやってきたことは殆どない。つまり客層はずっと変わらずに着実に認知度を高めていったのだ。
要するにある界隈では知られる宿。口コミが広がり客数を伸ばしてきた宿であり、バードンが仕掛けた経営戦略によるものではない。言ってみれば運が良かったのだ。もちろん、コスパがいいというのは最大の魅力なのだが、それ自体は市場の相場を見ればいくらでも変えられる。つまり、コスパは市場において絶対的に優位ではないということなのだ。
現にバードンの宿ほのぼの郷は1つの事件で客が減っている。安さだけではない、ニーズに答えきれていない結果である。
という事を特に考えていないバードンは、お得意さんである商人と冒険者というワードを頭にぼんやりと浮かべ、一人で連想ゲームを始めだす。
商人、ケチ、せっかち、金が好き。
冒険者、バカ、貧乏、金が欲しい。
役に立たない言葉を浮かべ、首を傾げるバードン。どうやったら客が増えるかと、これでも考えているのだ。
「ねえ、昨日ホロトコさんと会ったんでしょ?何話したの?」
これ以上続けても無意味な連想を止め、昨夜のことを思い出す。
「ああ。あ!そういえば100人ぐらい泊まるんだった!」
「えっ!お客さん!なんで!?どうやったの!?」
「違う違う。タダで泊める」
「……えっ、なんで?」
「んー」
こちらに引き込めるなら話していい。リンは東側にこの計画が漏れる事態を危惧してそう言っていた。ユーリもいわばこちら側なのだが、もしうっかり誰かにこの計画を話してしまったらと考えると、すべてを明かすことはできない。
「まあ、リンがどうしてもって言うから。これは秘密にしてくれよ。他の客からクレームが来たら面倒だからな」
「言わないよ。それさみんなに話した?100名ってだいぶ多いけど、いつ来るの?準備は大丈夫なの?」
「落ち着けって。夜勤と入れ替わるタイミングで言うよ。それから日程は……あ」
「なに?」
「そういえば、ダンジョン調査があるんだった」
「初耳なんだけど」
昨夜は疲れ切って眠ってしまい、起きてからは指定移動という初耳の魔法で頭がいっぱいだった。ユーリに昨夜のことを聞かれなければ、思い出すのは明日になっていただろう。
「なんか、マルブリーツェ州の役人とかが来るってさ。それはちゃんと金が出る。日程は」
コンコン。
ユーリとは違い常識的なノックが聞こえ二人の視線は扉へと向く。
「はーい」
バードンの返事で扉が開くと、キリリとした表情のミリスが立っていた。
「どうした?」
「バードンさんにお客様です。異物調査省の大臣補ペッシェさんがいらしてます」
「大臣補ねー。ん?大臣補?確か、めっちゃ偉い人って言ってたような」
「NO.2 ですね。どうします?追い返しますか?」
「は?いやいやいや会うよ。直ぐに。えーと、ここに来てもらえるかな?」
「お通しします」
ミリスは一礼すると扉を閉めた。
「噂をすればだな。日程を知らせに来たんだ。俺、大丈夫か?」
バードンは立ち上がると、いつものスリーピーススーツ姿を娘に見せる。
「うん、いつも通り。後で日程教えてね」
娘の味気ない評価に苦笑いのバードンをよそにユーリは帳簿を閉じ扉へと向かったが、向こうから再びノックが聞こえた。
「どうぞ!」
開かれた扉からやってきたのはうら若き女性。
ブカブカの黄ばんだチュニックに膝丈のズボン。ボソボソしたレギンスが足元を隠し茶色の革靴はこれまた古い。
短い赤毛は艶を失い、水を掛けてあげたくなる程パサパサしている。
彼女は入るや否や目の前にいるユーリに深々とお辞儀をした。
「はじめまして。イェリーナ・ペッシェです。想像とは大分違って可愛らしいですね」
「えっ」
「ゴホンッ。そちらは娘のユーリです。俺がバードン・オンツキーです。はじめまして」
まさか父親と間違えられるとは思わないユーリは固まり、まさか娘を元S級冒険者だと思うとは想像しなかったバードンは流石に不安を覚える。
「……失礼しました。目が悪いもので」
「いえ、あ、今椅子をお持ちしますね」
バードンはユーリに目配せをしながら机を回り、隅っこにある木箱を取りに行く。
「仕事があるので、失礼します」
「あ、お待ち下さい。ユーリさんはここの財務担当者様ですね?」
「えーと、まあはい」
「では是非ともご一緒に。構いませんか?店主様」
木箱を小脇に抱えるバードンは、頷く。金が発生すると言っていたからその為だろうなと了承したのだ。
バードンは木箱を机の前に置くと自ら腰を下ろす。ペッシェは自分の椅子を持ってきてくれると思っていたから、目をパチクリさせながら、どうしたらいいのかとバードンに視線を向けていた。
すると木箱は膨らみ、4つの脚が生え、座面は木材の上にクッションが出来上がりお尻をいたわる。肘掛けと背凭れができるとバードン立ち上がり得意げに振り返りペッシェにどうぞと座るようう勧めた。
「これは造成魔法ですか?」
ズボンのポケットから取り出した、曇った片眼鏡を掛けると、まじまじとその椅子を観察する。肘掛けを触り、背凭れの木目を近くで見たり。そうしながらバードンに尋ねた。
「石鉄木の若枝を挿し木して作った箱です。大事なのは毎日自分の魔力を与えることです。そうすると、こうやって変身してくれるんです」
バードンがこの箱の秘密をべらべら話していると、ペッシェの顔が険しくなっていく。さっきと様子が違うなと思いつつもバードンは止まらない。
「この箱は12本の木を使用しました。挿し木ですから仕方ないですけどね。ただ、メリットもあって育てて1年半でこれになりますから、種から数年待つよりはいいですよ」
ますます苦い顔になったペッシェはついに口を開いた。
「店主様。この技術は特許を取っていませんね?」
「はい」
「何故ですか」
「いやー、面倒ですし。別に売る気もないんで。これは趣味ですよ」
「左様ですか。では、失礼します」
「どうぞどうぞ」
ペッシェはその椅子に腰掛け、どうも納得がいっていない様子。何か不満があるのかと流石のバードンも気になる。
「あの、何か気に触りました」
「はい」
「えっ、はい?」
「気に触っています」
こういうのは大体「いえいえ」から会話が流れていくのに、まさかの肯定。マジで気に触っていたとは、聞いた本人が一番驚いていた。
「この技術は他大陸では作れません。何故なら石鉄木が無いからです。つまり、この国で特許を取れば店主様は利益を独占でき、更に造成魔法が苦手な人々にも利益を齎し、もっといえば、この州の一大産業になる可能性を持っているのです。ですが、それをなさっていない。今後もその予定が無さそうですから」
「ええ、まあ」
「お金に興味は無いのですか?」
「いや、人並みにはありますよ」
「確かに特許申請は金がかかり面倒です。私も仕事で特許を取りに行きましたが、嫌になりましたよ」
「あの、なんかすみません」
「店主様は魔法がお好きなようですね。各年代の魔法書に薬草のサンプル。ああ、実験道具もありますね」
「ホント趣味なんですけどね」
「ちなみに、他にもこういった技術があるのですか?例えば他所で見たことがない魔法とか」
「まあ一応ありますけど」
「それも、申請は出していないのですか?」
「はい」
ペッシェはゆっくりと目を閉じ、大げさに頭を振った。
「もったいない。きっと大金持ちになってますよ。そして、この州も栄える。地位も名誉も金も手に入るんですよ。どうです?今から特許を取りに行き」
「ゴホンッ‼」
何やら魔法で盛り上がっているが、目的は別にあるはず。だからこそユーリは執務室の扉の前で立っていたのだ。
経営難の宿にとって、特許による収入はとても魅力的。しかし、それはバードン個人の収入であって、それに頼る経営ではそれこそ趣味になってしまう。
今大事なのは宿にとって大きなプラスとなる、調査団の来る日程と宿泊費である。
「特許に関しては私が取りに行きます。宿の契約も殆ど代理で私がしてますから。それで、調査団の件について伺いたいのですがよろしいですか?」
全く関係のない無い話を広げに広げた張本人のペッシェは、恥ずかしげもなく、大きく頷いた。
「まず魔物についてですが、魔物はいますか?」
「いますよ」
「調査団の安全は保障できますか?」
「うーん、それはアイツらに確認しないと何とも」
「なるほど。今回のダンジョン調査はダンジョンに関する全てを調べさせて頂きたいのです。全てというのは、ダンジョン内の魔物、構造、魔法の発生条件や魔法の被損傷の差異を外界と比較などです。ただし、相手方の同意が必要な調査もありまして、まずは店主様の許可を頂きたいのです」
「何でしょう」
「まず、従業員の方々に健康状態の検査や聞き取りを行いたいのが1つ。そして、ここに泊まる方々にも同様に検査と聞き取りを行いたいというのが2つ。最後に、ダンジョン内の魔物は話せるのであれば、魔物と話がしたいというのが3つ目です」
「本人の同意があればいいですよ。でもお客さんにはちょっと勘弁してほしいですね」
「検査と聞き取りにお付き合い頂ければ、協力金として1日1万ワカチナを差し上げます。1日といっても拘束時間は6時間程です」
「なるほど。じゃあ、ちゃんとダンジョン調査ですって説明してもらえますか?州の意向でウチにはウチには協力してもらってるみたいな感じで」
「ええもちろん。調査団と魔物はお話できると思いますか?」
「アイツから許可を貰えれば話は出来ると思いますよ。でも、会話になるかどうかは分かりません。人間を舐めてかかってきますから」
「それでも構いません。では、従業員さんとお客様の検査と聞き取り、魔物への聞き取りは同意して頂けますか?」
「はい。同意します。もし追加で何かしたいって時は本人に直接許可を取ってください。それと、しつこくお願いするのは無しで」
「分かりました。遵守致します」
そう言うと、ペッシェは右手の中指に嵌められた銀色のリングに触れた。すると、ゆっくりと淡い水色の光を帯びていき、手を返すとグニャリと捻れた渋みのある薄緑のアタッシュケースが顔を出す。スポンッという音が出そうな勢いでリングから飛び出すと長方形の元の姿に戻り、取っ手の部分が手に収まった。
机の上にケースを置き、カチャカチャと留め具を外すと、中から数枚の紙を取り出しバードンへと手渡す。
「これは同意書になります。よく読んでサインしてください」
バードンは紙を受け取り中身を確認する。さっき話していた事が難しい言葉で羅列されていて、最後にはソンボイユ・ヘヌートの記されていた。
さらさらと名前を記入し次の紙を見ると、今度は契約書と書かれ紙に目を移す。ざっと目を通すとそこには宿泊費や協力金の数字が並び、宿泊・宿泊に付随する役務、ダンジョンの調査へと協力を履行するなどと書かれといて、いわゆる契約書である。
「こちらは調査団が宿泊する際の費用になります。ユーリさんも確認をお願いします」
もう1枚の紙をケースからユーリに手渡したペッシェは説明を始める。
「この宿での宿泊は一部屋につき一泊1,500ワカチナで、一部屋最大7人まで。1人1日1,000ワカチナの増額で朝夜の食事付き。今回、我々は40人規模で調査を行い、全員がこの宿に宿泊します。一部屋5人で使用し8部屋お借りしたいと考えています。最大調査日数は14日で短くなる事はありません。延長する際は再度店主様にご相談し再契約という流れになります。更に、今回はただの宿泊ではなく調査も兼ねておりますから、その協力金もお支払いいたします。よってその金額となりますが、よろしければサインを」
バードンはその金額に目を丸くする。協力金が532,000ワカチナで、宿泊費(食事付き)が728,000でしめて1,260,000ワカチナとなっている。
客足が遠のく前は月売上が3,000,000ワカチナぐらい。それも70部屋埋まった状態での話。たった8部屋で月売上の4割はかなりいい話なのだ。
「よーし、これで」
「協力金の内訳を伺ってもいいですか?」
バードンはこれでいいですよと上機嫌でサインしようとしたが、ユーリの待ったがかかる。
「協力金の内168,000ワカチナは8部屋お借りするに当たっての機会損失の補填です。残り364,000ワカチナは宿泊代と食事代の半額としています。ダンジョン調査の協力金に相場はないので、宿の売上の半額とさせて頂きました」
「それにしても支払いすぎだと思いますよ。何か意図があるんですか?」
あまりにも失礼な物言い。協力金を支払ってくれるのに、なにか裏があるのではないかと本人に尋ねるのだから、本来なら怒られても仕方がない。現にバードンは、なんちゅう事を言うんだと割って入ろうとしていたのだ。
「もちろんあります。この調査が一回きりならば確かに多いでしょう。なんせマルブリーツェは近年稀に見る財政難ですからね。ですが、一度調べただけで見識が深まるほど異物調査は甘くありません。次回も是非ご協力頂けるよう、誠意を表しているのがその金額です」
この人はかなり正直だなと、割って入ろうとした自分の意識をすぐさま切り替えたバードン。そうかそうかと大仰に頷きながら、契約書にサインした。
「分かりました。これでお願いし、ってもうサインしてるし」
「え、ああ、良いって言うと思ったから」
バードンがサインした書類を受け取ると、アタッシュケースにしまい、留め具をパチンと閉じた。
「では、日程についてですが、こちらとしては店主様のご意向に合わせたいと考えていますので、何時頃がよろしいでしょうか?」
「それなら、すぐに」
「ダメだよ。ホロトコさん達がいつ来るか分からないのに」
「他にもご予定が?」
「ええまあ」
バードンは暫し考える。リンと調査団合わせて140人。捌けない数ではないのだが、リンのところからは金が出ない。つまり、金欠のほのぼの郷はリン達がいつ来るのかによって対応を変えざるを得ないというわけなのだ。食事はどうするか、洗濯や風呂には水魔法を使うための魔石が必要になるから、その魔石代はどうしようかなどである。
「返事はいつ頃がいいですか?」
「恐縮ですが、出来れば今日中に頂きたいです」
「分かりました。ちょっと失礼します、」
バードンは引き出しから連絡用魔石を取り出すと、執務室から従業員控室へと移動する。
連絡する相手はもちろんリンである。
「なんだ」
「おいっす。例の話何だが、いつ頃になる?」
「もう出発した。明後日の夜には着く」
「えっ!?もう?」
「準備しとけ。他に用は?」
「飯とかどうするんだ?それと、今カツカツで魔石とか用意できないかもしれないんだ」
「あー、気にしなくていい。部屋だけ貸してくれれば後は勝手にやる。お前の指示に従えって言ってあるから、テキトウに指示してくれ」
「OK、それだけだじゃあな」
バードンは意気揚々と部屋へ戻ると、席へ付きペッシェへと問い掛けた。
「いつでもいいですよ。いつにしますか?」
久々に宿が人で賑わう様子を想像して、ワクワクするバードンであった。




