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20.ダンジョンとの契約

 ジョンがパチンと指を鳴らすと、1枚の羊皮紙が降ってきた。ふわりと浮かぶ羊皮紙を食い入るように眺めていると、ジョンは何かを待つように手を差し出している。

 握手?いや違うと思う。手の平が上を向いているし。

 すると、一本のつけペンが降ってきて見事にジョンの手へ収まった。


「担保は死印でいいかなー?」


 服従か死か。それを選ぶのは相手。そして嘘も危害も与えられない。恐ろしい魔法だが、契約を違えなければいい。


「死印ってどうすればいいんですか?やり方が分からなくて」

「さっすがユーリちゃん。いいよって言ってくれると思った!見てて」


 つけペンの先を自身の指へ突き刺すジョン。火の妖精だからか血は流れていない。ペンの先にも、血はついていない。

 羊皮紙にサラサラと何かを書くと、ペンは手から離れ浮かび上がった。ゆっくりとこちらへと向かってくるので、手で受け止めた。


「ボクの真似をして。痛くないからね!」


「ダ、ダメよ」


 立ち上がることも難しい状態で、ミリスさんが私を見つめている。


「他にも手があるはずよ。死印なんて……」


 ただ皆を助けたい。

 私一人が守られるのはもう終わったんだ。

 私は強くなると、誓ったんだ。



 恐る恐るだが、ペンを指先へ突き刺した。

 ジョンの言うとおり痛みはない。血はおろか傷すらない。

 不思議だなと思いつつ、羊皮紙を見つめる。羊皮紙はくるりと回転すると、そこには契約事項が書いてあった。

 それをひとつひとつ確認して一番下へ目を向ける。そこにはジョン・ダンと幼い字で書いてある。


「ボクはダンジョンだからー、ジョン・ダンなんだ!いいでしょー」

「うん、そうだね」


 そのままじゃんと思ったが、機嫌を損ねるといけないので黙っておいた。アゼルがよく「思ったことを口に出すのはよくないよ」と言うので、今回は踏みとどまれた。

 意気地なしのヘタレ小僧だけど、今日だけは感謝しておく。

 ジョン・ダンの署名の下にユーリ・オンツキーとサインした。何もついていないペンなのに黒いインクがムラなく羊皮紙に載る。


 羊皮紙がこれでいいかと互いに見えるよう表裏にひっくり返り、空中へと消えていった。その直後、朱に染まった文字がそれぞれの顔の前へと降ってきた。


 目の前にはジョン・ダンの文字。文字列が何なのかを認識すると、方向が変わり、グサッという音がしそうな勢いで心臓めがけて飛び込んできた。

 驚いて胸のあたりを見るが、ケガはない。痛みもない。

 不思議だ。


「痛くなかったでしょ?これで契約終わりー」

「あの、お父さんと」

「分かってるよー」


 ジョンの額には赤い角があり、その中で火が渦巻き始めた。全身を纏う火は大きく膨らみ一層周囲を照らす。熱さは感じない。目が眩むような明かりでも無い優しい火だ。

 ジョンは天井を眺め視線を彷徨わせる。時々焦点が合うとまたせわしなく視線が動きだす。


「アーリマ君強くなったね」


 ぼそっと呟くジョンの火は落ち着きを取り戻し、ほら!と天井を指さす。先を見てみるが、灰色の高い天井に変わった様子は無い。


 ん?

 何か黒い点みたいなものがあるような……。

 それがどんどん大きくなっている。


「ギャーーー!!」


 アーリマが降ってきたのだ。


「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!」

「大丈夫だもん!」


 ピタリと地面スレスレで止まった。いや鼻先が微妙に……。

 まあでもアーリマさんは生きているから、いいよね。たぶん。


「はー-い、次はこっちね。ピクちゃんよろしくー」


 今度はジョンとの間に小さな穴ができた。

 そこから顔を出したのはキツネのような動物?だった。ピンと立った三角の耳に、赤い目。4本の脚は真っ黒で、顎からお腹まで白く、全体的に赤褐色のふわふわの毛で覆われている。長い尻尾はふさふさで、途方もない愛くるしい。

 ダンジョンにいるのだから魔物だと思うが、こんなにも可愛い子がいるのかと、顔が綻ぶ。


 だが、今は緊急時。緩んだ表情を正して気合を入れなおした。


「この子が治すんですか?」

「この子に治せない傷はないよー。ねえ、ピクちゃん」


 ピクちゃんと呼ばれた、キツネみたいな魔物は僅かに耳だけ反応させた。しかし顔を向けるでもなく無視を決め込み、バードンとミリスの前へ向かった。

 床に倒れる2人の傍でクンクンと匂いを嗅ぎ全身の様子を確かめている。


 すると、落ちてきたばかりのアーリマがその様子に気づき、駆け寄ってきた。


「ユーリちゃん!ミリスは、2人はどうしたんだ?」


 婚約者であるミリスの元へ駆け寄ろうとしたアーリマ。ピクちゃんの邪魔になってはイケナイと思い、全力で引き留めた。


「今すぐ治してもらうから大丈夫です」


 アーリマは横たわる2人の近くで動く魔物を訝し気に見つめている。


「治してもらうって一体何があったんだ?」

「話せば長くなりますけど、本当に治してくれますから大丈夫です」

「……治るのは分かってるよ。こいつはピクフォヴォスっていう魔物だ。医療用に使役される魔物で、こいつに治せない傷はないから絶対に治る。でも、なんでこいつがここにいるんだ」


 何時になく真剣な表情だ。いつもは優しくてニヤケた表情をしているから、怒っているように見える。


「それは」


 契約した事を言ったら怒られるんだろうな、お父さんもミリスさんもきっと怒るんだろうな。なんてバカな事をしたんだ!って。死印をついたなんて言ったらどうなるんだろう。

 覚悟はしていたけど、やっぱり怒られるのは嫌だ。だからといって逃げようもないんだけど。


 なんて言えばいいのだろうか。ワチャワチャと考えていると、アーリマさんは笑った。


「ユーリちゃんが助けてくれたんだな。ありがとう」


 そして、わしゃわしゃと頭を乱暴に撫でられた。


 たぶん、バレてるなー。アーリマさんも昔は強い冒険者だったし。

 でもいいんだよ。

 方法は間違えたかもしれない。知識があれば、死印なんて必要なかったかもしれない。

 でもすべきことをした。

 これは私にしかできない事なんだ。


 まあ、ついでに私の為だけの条件もつけたけど、お駄賃はもらっていいはずだ。


「ユーリ!アーリマさん!」


 倒れた2人に付きっきりだったアゼルは慌てた様子で叫んだ。


 ピクちゃんがバードンの腕を噛んだのだ。


 すると、変形しと血みどろだった腕が元通りになった。

 腹の傷を舐めればたちまち癒える。脚も目もケガを噛んだり舐めたりしながら、バードンを癒していくピクちゃん。

 急速に傷が治癒していくバードンの瞼がゆっくりと開いた。目を瞬き、辺りを見回している。


「あれ、クーさんは?ってミリス!?」


 隣で呼吸を荒くしているミリスに、魔物のピクフォヴォスがキスをしている。というか、これでもかと口元を舐め回している。

 さらに、アゼルが心配そうにこちらを見つめ、後ろの方ではウネツとスカーレットがダンジョンについて議論を交わし、何故かユーリがアーリマと手を繋ぎ、その隣にダンジョンのジョンがニコニコしながら立っている。


 考えることを止めた。


「お父さん!」


 よいしょと立ち上がると、ユーリが勢いよく飛び込んできた。完全回復したバードンならそれを受け止めるのは容易い。と思っていたが、予想以上のタックルに息が詰まった。

 もちろん、余裕ぶって必死に耐えた。


「えーっと、何がどうなってる?いや、クーさんはどうなった?」

「お父さん死にそうだったんだよ!」

「え?いやいや、アレぐらいじゃ死なないって言っただろ?でクーさんは?」

「お父さんはお医者さんじゃないでしょ!そんなの分かんないじゃん」

「いや、んーまあ、おん」


 なかなか離れようとしない娘に悪い気はしないのだが、スパワがどうなっているのか気になって、惚けている場合ではなかった。


「アーリマ、クーさんは?」

「強かったっすね。でも勝てない相手じゃないっすよ」

「違う違う。今どうしてる?追ってきてるか?」

「あーそういう事っすか。戦闘中にここに落とされたんで分かんないっすけど、控室で鉢合わせてエントランスでバチバチしてたんで、騎士を呼ばれたかもしれないっすね」

「従業員専用フロアから追ってきてたのか。お客さんに被害は無いよな?」

「遠巻きに見てるヤツはいたっすけど誰も近づいてこなかったっすよ。アホな冒険者が1人、喧嘩と勘違いして仲裁しようとしてたっすけど、追い払ったっす」

「追い払った?」

「大丈夫ですって。吹っ飛ばしただけっすから。アレぐらいじゃケガしないっすよ」

「――おん」


 客は騎士を呼ぶだろうか。もし誰も呼んでいなかったら皆を上に戻すことはできない。仮に今呼んだとして来るかどうかも怪しい。

 アイツら、マジで仕事しないからな。


「みんな聞いてくれ。ミリスは寝たままでいいぞ」


 ピクフォヴォスの治療が終わったミリスは、いつもより肌艶がよく元気そうに立ち上がった。


「バードンさん心配しましたよ。私は、いつにも増して元気なのでお構いなく」


 従業員全員が集まって来た。何故かダンジョンのジョンもその輪に入り、ピクフォヴォスのピクちゃんはユーリの足元で丸まっていた。


「さて、ダンジョン。皆を匿ってくれるのか?」

「いいよー--」


 いいよ、か。

 アーリマだと思いたいが、戦闘中に落とされたらしいから、違うよな。

 じゃあユーリが……。

 どんな契約をしたんだ。


 俺は一体何をしてるんだか。

 これじゃあ、俺が守られてるだけじゃないか。


 ため息をつき、深呼吸をする。

 この話は後にしよう。ひとまず、皆の安全が確保できたんだ。


「それなら、俺とアーリマ以外ここで待機していてくれ。すぐに片を付けるから安心してほしい」

「あのー」


 おずおずと手を上げたのはアゼルだった。どうぞと言って話すよう促す。


「お二人が強いのは分かっています。でも、バードンさんはボロボロでしたよね。それにアーリマさんも苦戦していそうですし」

「なーに言ってんだアゼル。こんぐらいかすり傷よ」


 戦闘中に脱ぎ捨てたであろうジャケットはともかく、真っ白なシャツは所々血で染まり、ウエストコートははだけ、焦げ跡が散見される。

 左肩も脱臼しているんだろう。

 右手で支えているのが何よりの証拠だ。


「アゼル、俺たち2人で戦う訳じゃない。助っ人を呼ぶことにしたんだ。というか地下に来る前からそうしようと思ってた」

「その人たちがいれば解決できるんですか?」

「間違いなく」

「そうですか……」


 やはり、12歳にこの状況は不安だろう。俺が死にかけたり、魔物が目の前にいたり、危険だと言われていたダンジョンの地下にいたり。全部が全部強烈で、思考が追いつかないんだろうな。


「大丈夫だ。最悪、貴族の知り合いに助けてもらえるよう掛け合っておくから、ここに閉じ込められる事はない。という事でみんなよろしく!」


 ポケットから連絡用魔石を取り出そうと思ったが、ユーリが抱き着いて取り出せない。こんなの、いつぶりだろうか。ずっと昔な気がする。


「ユーリ、ここで待っててくれ。後で、何があったか聞かせてくれな」

「……」

「ワパック、ジナキウ、リン、それから公爵様。な?負ける気がしないだろ?」

「お父さんは誰にも負けないと思ってたよ。さっきまでは」

「あー、すまん。あれは油断したんだ。次は絶対大丈夫だ」

「誓約できる?」

「もちろん。やるか?」

「いいよしなくて」


 ユーリはしゃがみ込んで、目を瞑るピクフォヴォスを抱き上げた。ピクフォヴォスは目を開き、何事かと確認したが、ユーリを見てまた目を閉じた。


「行ってくる」

「うん」


「ちゃんと帰ってきてね」



 ユーリの母親であるエイミは遠いどこかに行ってしまったと、まだ幼い頃に伝えた。過去を話すまでそう信じて生きてきたユーリにとって、帰ってきてという言葉は何よりも重い、最大のおねだりだ。


 もちろん帰ってくるさ。

 そう言って抱きしめてやりたかった。


 しかし必要ない。

 何故なら帰ってくるから。

 後で、嫌がるぐらいに抱きしめてやればいいさ。


 その思いを胸に、敢えていつも通り振舞う。


「おう!」


 ピクフォヴォスを抱えた娘の背中が離れていった。確かに成長したと思う。

 それでも娘だ。

 ただの可愛い娘でしかない。


 さっさと終わらせよう。


 ユーリの元へ行こうとするジョンを呼び止めた。

 口を尖らせて不満気だったが、どうでもいい。


「調理場に行きたい」

「いってらっしゃー-い」

「木札は執務室にある。今は戻れないから協力してくれる」

「まあ、暇だったからいいけどさー。ボクは便利屋じゃないからねー。その辺分かってるかなー」

「もちろん分かってる。今度、うまい飯食わしてやるよ」

「ここの料理をたまに食べてるからいらなーい」

「は?なんでお前が食べてるんだ?いや、いい。後で聞かせてもらうとしてよろしく頼む」

「お礼期待しとくねー-。じゃあ、アーリマ君といってらっしゃーい」

「あ、今じゃなくて……」


 バードンの言葉を待たずアーリマと2人転移した。


 ミリスとアーリマはこの現状を共有し、お互いの気持ちを語り合い、抱き合う直前だった。

 物語でいう山場だったのだ。


 赤い絨毯の敷かれた短い廊下に転移した2人。


「俺、ちょっと待てって言ったんだよ……」

「うっす…………」


 バードンは項垂れるアーリマを申し訳なさそうに見つめていた。


『ヘルプミー』


 手に持った連絡用魔石へ告げると、黒い魔石が赤へと変化し明滅し始めた。

「ヘルプミー」とは異世界で使う救難信号だとエイミから聞いている。この連絡用魔石に合言葉を言うと、予め登録してある人物へと救助要請がいくようになっているのだ。

 三度続いた赤の明滅を確認し、ポケットへと滑り込ませた。


「アーリマはここで待っててくれ」


 短い廊下を進む。

 入った瞬間から感知の魔法が辺りに広がっていたから、早速念話を始める。

 当然だが、調理場へは入らず壁に向かって。


『タカダさん。今、上でクーさんが暴れてるんです。あ、クーさんてのは従業員です。なので、ここから出ないでください。もちろん、部屋へ戻るのもダメです。ここにいれば安全ですからお願いします』


『荒ぶっているのですか?』


『まあなんというか、昔の事で怒っているらしくて。俺も詳しくは分からないんです。イムリュエンとかリンにも恨みがあるようで』


『こ、こここ公爵様が?何かの間違いですっ!』


『俺もそうだと思います。だけど、詳しく聞いてないから反論のしようもなくて。とりあえず地下のダンジョンに全員避難させたから安全です。皆と顔を合わせるのは辛いかなと思ってタカダさんはここに残したんですが、地下に行きますか?』


『す、すす、すみません。心の準備が出来てないのでここで待機しておきます。それより、あの方も従業員ですか?ワイの同僚?』


『ああ、アーリマと言います。同僚ですよ』


『よ、よよよよよよ、よよ宜しく、おおお伝え下さい』


『分かりました、伝えておきます。ここは絶対安全ですから、俺が呼びに来るまでは待機しておいてください。では、行ってきます』


『行ってら!』


 タカダさんは時々変な言葉を使う。大草原不可避とかキボンヌとか。たぶん異世界語だと思うが、突然なんだよな。いつもはあんなに流暢に喋るのに、突然異世界語が割り込んでくる。

 たぶん癖なんだろう。

 会話の筋は分かるから問題はない。


「アーリマ、タカダさんがよろしくって」

「お、おっす。タカダさんて実在するんすね」

「当たり前だろ」

「見たことあるんすか?」

「――足元なら見た。間違いなく存在する」

「いたんだ」

「よしっ、行くぞ」

「うっす」


武器棒(ぶっきらぼう)

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