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18.揺れる夜勤組

 受付にやってくるのは、山高帽にモーニングコートの若男。くるんとカーブした髭を撫でながら、懐中時計をチラチラ確認している。出自がいいのだろうか、所作が優雅だ。


「失礼。ホロトコ商会のヤコブ・アブラハムと申します。バードン・オンツキー様はいらっしゃいますか?」

「どうも初めまして。この宿の主人、バードン・オンツキーでございます」


 固い握手を交わすと、早速とばかりに黒革のアタッシュケースを受付台に載せた。

 パチンッと慣れた手付きで錠前を開けると、中から取り出したのは2枚の書類。見やすいようにと、台の上を滑らせて紙の向きを直してくれた。


「こちら秘密保持契約書でございます。冒険者崩れの話は他言無用でお願いしたいと、会長からの伝言も併せてお伝えいたします」

「なるほど、分かりました」


 自前のペンでサラサラと署名した。そもそも言い触らす気はなかったから、紙一枚にサインするぐらいなんの問題もない。

 しかし2枚目が気になる。


「ありがとうございます。では次に、商人組合への加入申込書でございます。細かな規則は集会の折に冊子としてお渡ししますが、大まかなものはこちらに記載がございます」

「組合。商業ギルドに対抗する組織を作るって、ホロトコが言ってましたけど、これですか?」

「仰る通りでございます。加入すると聞いていますが、違いましたか?」

「――――ちょっと待ってくださいね」


 以前、リンとの口約束で終わった組合の件。カリーニングに来て働いてほしいと言われたが、時間の都合上断らざるを得なかった。代わりとしてピルドを送り出したので、勝手に終わった話だと満足していた。

 後はリンがやってくれるんだろうなと。

 大雑把な記憶を思い起こすと、中小規模の商人が集まって、商業ギルドの圧力を跳ね除けよう、といった内容だった。

 それから年間の組合費が10万ワカチナ掛かるとか何とか……。

 記憶と書面を照らし合わせていると、1つだけ引っ掛かる項目があった。


「これはなんですか?」

「それはですね……」


 業種毎に一定の基準を作り、逸脱しないように求めるもの、らしい。

 法律とか数字とかが苦手なので、ポカンとした表情で頷くと、分かりやすく説明してくれた。


「宿を例にすると、各部屋の床面積やトイレの数、宿泊者名簿の備置などを遵守する義務。これらを組合として独自に定め、組合員は遵守する義務を負います」

「ほお」

「まだ組合の発足段階で、優先すべきは商業ギルドの支配から脱却することですから、ルールの策定は先の話でしょう。組合員になればオンツキー様もルール策定に参加できますから、意に沿わぬ義務に縛られる弊害は抑えられるでしょう」

「なるほど、分かりやすいです。ありがとうございます、サインしますね」


 ギルドからの襲撃が現実になった。

 商人組合がどれほどの盾になるのか未知数だが、仲間は多い方がいいだろう。

 マルブリーツェ卿という敵も、いつ動くか分からない。うかうかしていると、いつの間にか敵に囲まれていた、なんて洒落にもならない事態が舞い込むかもしれないし。


「ちなみに、この辺りで組合に入る人はいるんですか?」

「ええ。少ないながらも何人かは」

「そうですか」

「ありがとうございます。こちらは確かにお預かり致します。では冒険者崩れ共を引き取っても宜しいですか?」

「連れてきますね」


 リンに連絡済ませた後、冒険者崩れ達を地下へ案内しようと考えていた。せっかく牢屋があるのだから使ってみたかったのだ。

 魔物たちがちょっかいを掛けないようにしないとなー。そんなことをぽわぽわ考えながら受付に向かうと、何故かシャスキーが立っていた。家族を脅した人間たちを目の前にして険しい表情で佇んでいたのだ。

 修羅場か?復讐か?

 厄介事は続けて来るものだなと辟易しつつも、わざとらしく笑顔で声をかけた。

 そこで聞かされたのは、悩ましい提案だった。

 朝には回収に来るから自分が面倒見るというのだ。

 夜中に叩き起こされて眠かったのもあり、思わず頷きそうだったが堪えた。シャスキーではどう考えても力不足だからだ。

 今でこそしおらしくしているが、さっきまでナイフをちらつかせていた男たちなのだ。

 自分よりも腹の出た商人には任せられない。


 しかし、その表情がやる気に満ちた明るいものだったので、このまま帰すのも素気無いと思った。

 だから、アーリマと一緒に空室で目を光らせてもらっている。


「この5名です」

「ふむ、ちょうど5名ですね。確かに引き受けました」

「宜しくお願いします」


 このまま帰って、後は眠るだけ。

 眠気を漏らすアーリマの横では、きりりとした表情のシャスキーが立っていた。元凶達を最後まで見送っている。眠くないのか?外は白み始めた頃で、こっちはまだ寝たりないというのに。


「シャスキーさん、お休みになっては?」

「いえ、荷物をまとめて帰ります」

「え?」


 実行犯は捕まえたが、商業ギルドは健在だ。依然として危険は残っている。

 何時までも居ていい、とは言えないが性急すぎる気がした。


「店を開けないと、お客様に迷惑が掛かりますから」

「はあ……」


 一体何があったんだろうか。リンに脅された?いや、だったらこんなに誇らしげな顔をしないだろう。

 まあ本人が大丈夫と言うんだからいいか。

 昨日の夜からの寝不足生活で、思考を停止した。そしてやっと眠れることに安堵したバードンだった。

 これから訪れる絶体絶命の危機が眠りを浅くするとも知らずに。



 ベッドで横になったと思えばユーリに叩き起こされ、代わり映えしない暇な通常営業に顔を出した。はっきり言ってやる事はない。お客さんが近頃減っている上に、従業員が優秀だからだ。

 ねみーっすねーと元気そうなアーリマを受付に立たせて、自分はこっそりとうたた寝をかまして、時刻は夜の9時。

 いつも通り夜勤組へと引き継ぎをした。


「じゃあ、よろしく頼む!」


 従業員控室で声を掛けると、夜勤組の2人は椅子に腰掛けながらも軽く頭を下げてくれた。


「……どうした?クーさん」


 唯一人、影の掛かった顔でこちらを見つめて微動だにしない。

 黒ずんだ雰囲気から鋭い眼光だけが突き刺さる。

 昨日の今日だ、きっと不機嫌なんだろう。

 かれこれ5年近く共に働いているから、珍しいとは思いつつも、危険だとは思わなかった。


「2人で話がしたい。時間をくれ」


 クーさんから話があるとは。

 今までにない珍事に少し面食らった。


「分かった。じゃあスカーレットとウネツ君はよろしく」


 異様な雰囲気を感じ取ったスカーレットとウネツは、少し躊躇いがちに立ち上がり受付へと去っていった。


「執務室でいいか?」

「……」


 真一文字に結んだ口は明らかに不快感を表している。その目は獲物を見つけた猛禽類のようで、ヒリヒリとした殺意が溢れている。

 それでも警戒を顔に出すことはしない。何故なら、こんな宿の為に5年も働いてくれたクーさんだから。

 仕事の事、先日の爆破事故、冒険者崩れの件。思い当たる事は多く、迷惑を掛けたのは間違いない。その怒りを顕にしているのだろうから、キチンと向き合うべきだ。

 だからこそ、店主はドンと構え従業員の話しやすい環境を作ろう!と考えて、敢えて多くは語らなかった。

 背中越しに伝わるヒリヒリした殺意。冒険者以来、こんな緊迫感はなかっただろう。ここまで怒らせてしまったのかと、猛省をしつつ我が身の不甲斐なさに落胆していた。


 木箱をソファに変えて、座るように促した。何時もなら、自慢の道具についてベラベラと喋るのだが、空気の読めないボンクラじゃない。魔法オタクを自重して神妙な顔持ちを作ってみせる。


 一向に座る様子はなかった。

 ただこちらに目を縫い止めて、視線で射抜こうとでもしているようだった。

 ならばこちらも座るまい。机を挟み、クーさんと向かい合った。


「さて、怒っているのは分かる。話を聞かせてくれ」

「……」

「クーさん、何とか言ってくれよ。俺も足らない所があるのは認める。でも、ちゃんと指摘してくれないと分からない程にバカなんだ。だから頼む」


 頭を下げた。魔法以外は点で駄目だと自認しているから、こういう場合はキチンとコミュニケーションを取る必要があると考えているのだ。

 この不満について、予想に予想を重ねて、一人暴走した挙げ句、従業員を置き去りにするのは最悪手だろう。まずは聞く。そして考えて改善する。簡単だが、今まで出来ていなかったのだから今が変わるチャンスだと強く思っていた。


 すると、心を溶かしてくれたのかボソリと話してくれた。


「9年前だ。9年前の政変について」


 出し抜けの苦情だった。9年、そして政変。まったく予想外、空から槍でも降ってきたぐらいに予想が外れた。そしてなんの事やらさっぱりなのだ。


 クーさんの拳が唸りを上げ、震える呼吸が室内でこだまする。


「政変について何か思い当たることはないか?」


 9年前の政変といえば、リンが外で動いてくれてダンジョンから出ようと提案された頃だ。だが俺は頑なに断りこのダンジョンに籠もり続けている。

 だから、クーさんをを怒らせるような事は何も無いはずなのだ。それなのに決め打ちで自分に怒りを向けている。

 何故だ?


「9年前に政変があった事は知っているが、思い当たる節はない。そもそも、そういうのってお貴族様の話だろ?俺にもクーさんにも関係の無い話じゃないか」


「…………は止めろ」

「え?ごめんクーさん、聞こえない」


「その呼び方は止めろ!」


 メガネの奥は赤い血管が迸り、いつもの仏頂面の上には憤怒が張り付いていた。


「――スパワでいいか?スパワ、何を怒っている?本当に身に覚えがないんだ。話してくれれば協力出来るかもしれない、話してくれ」


 落ち着いて言葉を返す。クーさんの勘違いだと確信していたからだ。しかし、何をどう間違えて激昂しているのかが分からなければ、絡まった糸も解けない。だからこそ、丁寧に話を聞くしかないと、努めて冷静に傾聴する姿勢を見せる。


「もう遅い。何もかも遅いんだ!」


 バギッ!


 クーさんの拳がオンボロ机へと叩きつけられた。

 サッと抜いた後には、ポッカリと穴が空いており、刺々しい牙には赤い液体が付着していた。

 モーニングコートの袖がざっくりと裂け、細かな破片が突き刺さり、ポトリと血が滴っている。


 彼の目を見据える。

 こんなに深い憎悪と痛憤は何によって齎されたのだろうか。

 俺が?いやあり得ない。じゃあ誰が……。

 少なくともクーさんは、俺に対して明らかな敵意を持っている。宿の仕事、冒険者崩れの一件、これらは関係ないのだ。


 過去に起きた何かが、彼の中では大きな事件であり、俺が関わっていると。

 思い当たるのは、マルブリーツェ卿との因縁ぐらいで、そこにクーさんの影はない。


 固く握った彼の拳がほぐれることはなかった。


 俯き加減で執務室を出るクーさんの背中は、何故か悲嘆に暮れていた頃の自身と重なる。

 とても辛い、助けてやりたいと思わせる後ろ姿だった。


 呆然と机の穴ぼこを眺めていると、開いていたドアからアーリマがやって来た。


「ボス、大丈夫っすか?」

「聞こえてたか?」

「夜勤の2人以外は控室にいたっすからね、丸聞こえっすよ。子供はミリスが部屋に送りました。ユーリちゃん、心配してたっすよ」

「そうか、助かる」


「で、何だったんすか?俺も睨まれたっすよ。なんか昨日から感じ悪いっすね」

「――アーリマも?正直、何に怒っているのかさっぱりだ。9年前の事としか言わなかったし」

「9年?ここに籠もってた頃っすか?」

「政変があった時って言ってた。だから、アーリマ達がヌアクショットに行った頃だと思う」

「そうっすか。何が何だか分かんねっすけど、援護は任してください!」

「何かあった時には頼むよ。まあ、話し合いだけで済めばいいけど」


 軽く会話をした後アリーマは自室へと戻っていった。

 この机は、冒険者時代に手に入れた高価な木を使用した特注品。世界でもトップクラスに高硬度な硬塊木(ブロックウッド)を使った机だ。

 それを拳1つで貫いたクーさん。


「めっちゃ強いじゃん」


 机に空いた穴を見て独りごちる。


 皆目見当もつかないクーさんの怒りの根源。本人が言いたくないのなら仕方ない。しかしこれで気を揉むのも癪だ。宿の不満ならいざしらず、無関係の勘違いに巻き込まれるのは筋違いだし、そこまでお節介はしてやらない。

 話す気があるのなら相談には乗るのだが、あんな態度じゃあムリだ。せめて少しぐらい、断片でもいいから教えてくれないと、どうしようもない。


 これ以上考えても埒が明かないと悟り、片付けは明日にしてさっさと眠ることにした。昼間にうたた寝していたが、まだ寝足りなかったからだ。


 帰って早々、部屋から飛び出して来たユーリ。心配でもしてくれてるのかと思ったら、ただのゴシップ収集だった。

 クーさんを悪人に仕立てるようで、あまり話したくなかったのだが、軽くあしらっても、結構な記者魂をみせてくるので、仕方なく話した。

 ふーんとだけ言うと、物足りなそうに部屋へと戻っていった。

 アイツ、一ミリも心配してなかったな。ユーリも心配してたって言ってたよな、アーリマ。あれは優しい嘘だったのか。




 クーさんの事も気掛かりだが、それよりも気にすべきことに意識を切り替える。

 爆発事故のあと、危機への備えが足りなかったことを自覚して宿内の構造を変更した。これ自体はとても良いアイデアだと自分でも思っている。


 しかし足りない。

 冒険者崩れが襲撃してきて、クーさんは人質に取られた。もし仮に、スカーレットやウネツ君だったら、魔石にあの合言葉を言えただろうか。

 そしてスカーレットがくれたブレスレットはとても良い刺激を与えてくれた。


 携帯用の防犯グッズという視点はあまりなかった。宿内、つまりダンジョンの改変ばかりに気を取られて、従業員への対応が疎かになっていた。

 買い物だって行くし、一人で作業することもある。彼らが無防備な時間はいくらでもあるのだ。

 この点も早急な対処が求められている。


 そして最大の敵は未だ動かず、虎視眈々と隙を窺っているのだ。


 自室の書棚へ向かう。整頓された大量の本の中から「現代魔法学概論」と書かれた緑色の分厚い本を引き抜いた。頻繁に読んでいるから小口の一部に黄ばみがあり、ホコリも被っていない。


 手元を照らす魔石スタンドに魔力を流し、パラパラと本をめくり熟読し始めた。独り言をつぶやきながら時々メモを取り考え込む。


 うんうんと唸りながら、防犯装置を自作できないか悩んでいた。個人でも携帯出来て、宿内でも活躍するような物だ。

 身動きが取れなった場合に備えて、自動で探知してくれるような警報にするか?それだと、危険の定義をしなければならない。その定義を広げれば日常に支障をきたすし、狭めれば警報が作動しない可能性もある。自動は難しいかもしれない。


 それなら半自動、半手動はどうだろうか。


 紙いっぱいに書いたメモから想像を膨らませ、あーでもないこーでもないと試行錯誤する。睡眠不足で、ふいに眠気が襲ってくるが、時たま立ち上がって部屋の中を徘徊することで、思案を続けた。

 そして夜は更けていった。


 ※※※


 ククルーザ・スパワはワカチナ連邦王国の軍人であった。

 この国で軍といえば連邦王国の軍を指し、そこに属する軍人は国家の行政機関に務める公務員である。つまり、連邦王国は常設の軍を持っているのだ。


 軍の機能は国防、内乱の鎮圧、魔界の抑制に大別される。


 ワカチナ連邦王国は三国と接し、うち1カ国とは敵対関係にある。その為軍備増強は未だに続いている。


 内乱とは各州の領主の反乱を想定している。元々、小規模国家の寄せ集めだった地域が連帯して出来た国家である為、州の権限を強く、国家の権限を限定している。よって、国家体制の転覆を図る事が容易な制度設計と言え、それに対抗する軍が必要なのである。


 魔界と呼ばれる未開拓地域には、様々な資源や生物の存在が少ないながらも確認されている。魔物が彷徨く森は当然、危険地帯である。その地域から邪な獣たちが進出して、騎士でも抑えきれない場合に動くのが軍である。


 これらの機能を持つ軍には秘密部隊が存在する。首都アイウン州の東に隣接するウルソンド州には表向きはただの士官学校であるウルソンド軍学校があり、実際は秘密部隊養成学校である。

 情報作戦を主に、要人暗殺、事件工作、国内監視等様々な任務を遂行する軍人達が養成されるエリート軍学校なのだ。


 歴史と秘密を積み上げてきた軍学校。その卒業生が在籍する秘密部隊は、A隊もしくはシャドースクワッドと呼ばれ、軍人であっても、ごく一部にしか知られない部隊である。


 その部隊に所属していたのが、ククルーザ・スパワその人であった。


 秘密部隊というだけあって、意図せず情報を漏らすことはあり得ない。全ては計略の中でしか、あり得ないことなのだ。

 どうやって秘密を保持し続けるのか。

 絶対の忠誠を部隊に捧げさせるのだ。その忠誠は言葉だけの軽いものではない。部隊と共に生き続けるという、全身全霊の忠誠だ。


 これが秘密部隊で、離隊者が出ない理由だ。


 忠誠は絶対。しかし破る者は現れる。であれば忠誠を遵守させるために仲間の一生を終わらせる必要がある。彼の誓いが嘘になってはいけないからだ。


 ククルーザ・スパワは、一人の女性の処遇を巡り、隊長の座を放り出した。そして部隊の席すらも放った。

 殺されると分かっていたから、ひたすらに逃げて、生き延びて、共に過ごせる安住の地を探していた。

 私が行くまで、待ってて。

 その言葉を胸に、生き延びた。


 しかし、ある時から追手の気配が消えた。

 秘密部隊は死ぬまで追ってくる。自身がその隊長だったのだから、この絶望的な予測には自信があった。

 だから不気味だった。

 しかし、もしかしたら他の任務に手を取られ、こちらが後回しになったのでは?

 連日追手をかわし続け、切った張ったを繰り返し、疲弊していた。正常な思考なら疑いを向け、一層の警戒で臨んだだろう。


 だが彼女と約束した時間が来ていた。


 これ幸いと、警戒を忘れ、一目でいいから彼女に会いたいと約束の場所ヌアクショット州へと向かったのだ。


 ※※※


 机をぶっ壊した後、クーさんは部屋に戻って戻らなかったらしい。


「バードンさん、クーちゃん今日も来てないけど何か聞いてる?」


 スカーレットが心配いそうに尋ねるのだが、こっちだって知らない。


「寝坊だと思うけど、もうちょっと待って来なかったら様子見てくるよ」

「――そう」

「どうした?」

「昨日のクーちゃんは、何だかとっても恐かったの。いつもなら優しいのに。昨日クーちゃんと話したんでしょ?何かあったの?」

「んー」


 返答に困った。隠したい訳ではないが、説明できるほど整理が付いていないからだ。


「いいわ。クーちゃんが2人で話したいって言ってたし、聞かれたくない内容なのよね」


 聞きたいと顔に書いてあるが、自重してくれている。


「すまん。どう説明したらいいのか分からないんだ。ちゃんと整理ができたら話すよ」

「はーい。行きましょウネツちゃん」


 敢えて明るく言葉を返し、入って間もないウネツを連れ、受付へと向かっていった。現在夜の9時。本来なら夜勤組始業の時間だが、クーさんは現れない。


 10分が過ぎ、20分が過ぎ、バードンは重い腰を上げた。

 寝坊でとやかく言うバードンではない。遅刻しても怒らないし、寝坊したなら始業時間と共に起こしに行く。それがこの宿のやり方であったのだが、今回ばかりは嫌な予感がしていた。


 昨日、ククルーザ・スパワが見せた静かな激しい怒りが要因だが、仮にも元S級なのだからそれに臆してしまうバードンではない。


 もっと何か、迷路のような言い表せない感覚が足を鈍らせていたのだ。


 それでも和解のためには話し合いが必要だ。執務室の真ん中に立ち従業員専用フロアへ転移した。


 以前よりも広い廊下に暗さのある赤い絨毯、そして増築した部屋が目に飛び込む。重い気分で歩きながら、クーさんの部屋の前に辿り着いた。


 2回ノックをするが中からは物音一つ聞こえない。

 出ていったのか?そう思いつつも、もう一度ノックをした。


「ミホ・ジングウジを知っているか?」


 扉の向こうからククルーザ・スパワの声が聞こえてきた。


「知っているよなバードン。お前もお前の昔のパーティーメンバーも全員が知っているはずの名だ」

「知っている、だが、何でその名前が」

「婚約者だった」


 言葉に詰まった。

 ミホ・ジングウジはヌアクショット州にて公開処刑された事を知っているからだ。


「バードン、お前は最低の人間だ。心底軽蔑する」

「待て、分かるように説明してくれ。俺が何をしたんだ?」


 混乱していた。裏切り者のミホ・ジングウジの婚約者が、怒りを向けているからだ。自分の妻はミホのせいで死んだ、そう言っても過言ではない。

 だから説明してほしかった。

 俺が一体何をしたんだ。寧ろ被害者だというのに。


 その言葉がククルーザ・スパワとの細い細い繋がりを断ち切ったのだった。

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