12.異世界人ユリカ・タカダ
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以前投稿した物を加筆修正したものです。
ミオ・タカダ→ユリカ・タカダに変更しています。似ている名前の人がいたので。
『改修終わりましたー!そんじゃ、明日からお願いします!』
『お、押忍!』
『ちなみに、手紙の方は……』
『お、おおおおおっす。かかかか、書きました』
『頂いても?』
ドアの隙間からしっかりと糊付けした手紙を差し出した。
『はい、では渡しておきますね。ところで魔法の方はどうです?魔法の事なら何時でも聞きたいです。ていうか聞かせてください』
ワイのボス、バードン・オンツキーさんは魔法ギークだ。この世界の魔法がどれぐらい発展しているのか知らんが、この人はめっちゃ魔法ラブみたいだ。知識が深く、教え方が上手いのでよく相談に乗ってもらっている。私がこの宿でこうして話せるのはバードンさんだけだ。
『そそそ、そもそも異世界とはなんですか?』
『ふーん、魔法書に書かれてないんですよね。そっち系の話』
『ど、どうしてです?』
『貴族だけが使うからですよ。学者自身が研究できないし、数年前までは中央の貴族しか異世界人召喚をしてはならないって法律もありましたから。本にする程の成果がないんでしょうね』
『そ、そうですか……』
『俺の私見でいいなら話しますけど、いいですか?』
『ぜ、ぜひ』
バードンさんが話してくれたのは、ざっくりというとパラレルワールドだった。
この世界では空間魔法というものがあり、その最上位は世界を作ることができるという。造成魔法と空間魔法の混成魔法で、バードンさんでも出来ないらしい。単純に魔力が無いからだそうだ。もし出来たとしても、この世界のような広さと自然と人をどうやって生み出すのか分からない。でも、パラレルワールド説を立証するためにはこの魔法が存在することを証明しなければならない。でないと、異世界という平行世界の存在が証明できないからだ。
『異世界の存在を証明しないと、異世界人と呼ばれる人間がこの世界のどこかの辺境から来たって思われて、研究も進まないでしょうからね』
異世界人とは言われているけど、実際はどこかの遠い国から来たと思っている人が多いようだ。まあ当然だと思う。「ワレワレハ宇宙人ダ」とか言われても田舎もんが調子に乗ってるだけだと思って、普通に通報するだろうし。
『あ、ありがとうございました。参考になりました』
『そうですか。おっと、それじゃあ行きますね。明日から頑張りましょう!』
『お、押忍』
この世界に来てもう7年。ここでの生活には随分と慣れた。
※※※
当時は25歳、生き遅れたニートで部屋に引き籠もり親のすねをかじっていた。両親は働き私はゲームや漫画に更ける。
このままじゃダメだと分かっていても、体は言うことを聞かない。
周りと違うからダメだ、普通とは違う生き方だからダメだ、常識的にダメだ、そんなくだらない理由を基にした刹那的な意識改革は、鈍重な体を動かす燃料には成り得なかった。
今思えば、足りなかったとつくづく思う。変わりたいんだ!という覚悟が。
母親の買ってきたコンビニスイーツを透明なスプーンから口へ運ぶ。滑らかな舌触りと卵の風味。上に乗った生クリームは甘さを抑えてあるようで、プリンの甘さを考えれば妥当。
家族仲は至って良好で、バイトを転々としていた時から何も言われなかった。期待していないのだろうと当時はバカな考えが支配していたけど、今となっては親のプライドだろうと思う。
ちんけな安っぽいものでは無く、崇高なプライド。
25歳の誕生日、ワイはいつものように料理をする。家に引きこもって出来ることは家事のみ。料理をしたり洗濯をしたり。どうせ食べるのだから、どうせ洗うのだからと言い訳していたが、本当は罪悪感からやっていた。
心情的に特別な料理を作れる訳もなく、いつも作るようなありきたりな料理をと考えていたけど、冷蔵庫には生食用の魚のブロックやステーキ肉。野菜室にはアボカドやかいわれ大根や大葉。これはワサビか。すりおろせってこと?
冷凍室にはステーキの付け合せ用だろう、ミックスベジタブルがある。
作れということらしい。
その日の夕飯は豪華だった。いつもなら部屋に籠もって食べるご飯も今日だけは、主役がいなくてどうするの!と母親に引っ張り出された。
美味い!と頭を強打されたかのように父は繰り返し、母は味付けが上手よね、切り方がいいわと答える。
いつの間にか、冷蔵庫には誰かが近所のケーキ屋さんで買ってきたホールケーキが2つ重ねておいてあった。よりにもよって、同じ種類。何故打ち合わせをしなかったのだろうか。
口の中はとても甘く、チョコレートの苦味は感じない。フワフワのスポンジとパリパリのチョコ。口の中で溶け合う間に、フォークは次に運ぶケーキを切り分ける。
子供の頃からワイはこのケーキ。
ケーキを食べ終え、皿を流しへ運ぶ。予洗いして食洗機に放り込むだけなので、洗い物は楽だ。
そそくさと部屋へ戻ろうと足を向けると、母が座ってと告げる。父の表情も真剣だ。
ごめんなさい。その想いを胸に腰掛ける。
私が気にしているのは後悔しないか、それだけよ。
好きに生きたらいい。金は結構あるからな。そこは心配しなくていいんだ。
人と関わりたくないならそれでもいい。でも、人と関わらないと分からない事も、得られない事もあるのよ。
ゲームでの交流もいいし、ネットのコミュニティに入るのもいい。それだけでもやってみたらどうだ?顔を合わせるより楽だろう?
いつからか、人を避け出すようになった。中学生か高校生の頃だったと思う。明確な理由は分からないけど、自己分析では思春期と関係があるのでは?とか思っている。たぶん間違ってるけど。
いじめも無い、虐待も無い、失恋や、裏切りや、思い当たる事が無い。
少ないながらも友達らしき人はいた。それが真に友達と呼べるのか、当時から考えていたが未だに分からない。
学業成績は中の下、部活に入らずすぐに帰宅。友達らしき人からの誘いは殆ど断っていた。理由は単純で家が好きだから。
料理が趣味で、家に帰っては世界の料理を調べ、実際に作ったりしていた。それ以外にすることといえば、洗濯したり漫画やゲームをしたり。
いつしか学校に行かなくなり、空いた時間を料理やゲームや漫画や家事に費やした。
つまらない授業を受けるより、こっちのほうが楽しい。何が楽しいのか周囲の学生はいつも楽しそうにしている。友達らしき人からいつしか遊びにも誘われなくなり、もはや登校が苦痛になっていた。
それからだいぶ経ち、初めて父と母に諭された。2人とも言葉を選んでワイに気を使っている。傷付けないように、でも伝わるように。
当時は悔しかった。まともになれと言われているようで、ワイが社会不適合者だと明確に告げられたようで、答えに窮し黙ったまま部屋へと戻った。
その日ワイは、このイカれた世界に連れ出された。
背中が冷たく腰に痛みを感じ、眠気眼であたりを見渡した。
いつものこぢんまりとした部屋ではなく、ゴツゴツした石床に、ランタンを手に持つ軍服の男達が周囲取り囲んでいた。
「成功だ。丁重に部屋へご案内しろ。最近は異世界人に優しくしろとうるさいからな」
略章をつけた、目の前で腕組みをする軍人はワイを見ながらそう告げた。反り上がった制帽の天井部分には鳥のような徽章、その下には何かの紋章が大きく主張する。眉までかかる庇は部屋の暗さと相まって、軍人の顔を隠している。
ワイの体は固まりされるがまま、ランタンを持つ軍人たちに脇を抱えられ、石造りの部屋からベッドと壁掛けのランタンがある部屋へと放り込まれた。
訪れた未知に思考が止まり、次に現れたのは荒い不安と寂しさだった。それらが体に変調を来したのは、部屋の鍵が締まる音を聞いてからだ。
恐る恐る、震える手で丸いドアノブを撚るが、開くはずもない。何度も繰り返し、ついには、強く体を打ち付け外へ飛び出そうと試みる。
ワイはびくりとも動かない扉を初めて恨んだ。
緊張と恐怖で吐き気が込み上げ生唾を飲み込む。いくら目を擦ろうとも溢れてくる涙で前が見えなくなる。ここはどこで、あの人達は誰?
ワイの部屋が恋しい。ワイのベッドが恋しい。
ワイはベッド以外に何も無い部屋でへたり込んだ。
久しぶりに聞いた他人の生声は、冷え切った鉛のようで、異世界人というファンタジーな言葉が体の中に沈殿していく。
父と母に諭されたのはさっきの事。それなのに懐かしく感じる。
今すぐに会いたい。
呆然と座り込む私が地球ではない何処かに来たと理解したのは数日経ってからの事。
軍人達に部屋から出され、小さな広場に立たされる。土の地面と石で囲まれた場所。そこでワイは学生以来の空を見た。
私をここへ連れてきた軍人達の上官なのだろう。冷たい声の軍人が私の前に立っている。
その軍人は私へとカタコトの日本語で、硬化と言えと命令する。
言われるがまま硬化と言うと、目の前の軍人は左手で拳を作り、浅く引いた肘から素早くボディーブローを打ち込んだ。
ワイは力に押され崩折れた。その直後打たれた箇所から刺すような痛みを感じ、体の奥から鈍痛がやってくる。
痛みに身悶えするたびに鈍痛が広がり、呼吸するたびに右体側部にビリッとした痛みが走る。
土の上でのたうち回っていると『急速回復、魔力補助』の言葉が聞こえ、何故か痛みが徐々に和らいでいった。
「部屋に戻せ。ハズレだな」
今度は流暢な日本語でそう言って、何処かへと歩き去った。
私を連れ戻す軍人達は、魔法が使えない異世界人ているのか?だとか、魔物が州を跨いで出没しているだとか、隣の州で領主の妾が処刑されただとか、ワイの常識には馴染まない事を話していた。
それから数日、いつものように過ごした。
まず起きて、夢ではないのかと落胆する。昼時には軍人さんが、切り分けられたバゲット2つとじゃがいもを煮込んだミルクのスープを持ってくる。
素材の味をよく感じられる料理だ。
そして壁掛けランプが勝手に消えれば、ワイはベッドで泣きながら寝る。
そんな毎日が、軍人さん達の会話を反芻し理解する時間を作ってくれた。信じられないけど、漫画のような異世界に連れ込まれ、監禁されているんだと。
ある日軍人達と冷たい声の上官がやってきた。壁掛けランプのおかげでその顔が見える。
切れ長の目と薄い眉、高い鼻にシャープな顎。彼の瞳は地球を思い起こさせる色だ。
「オマエハ、コトバハナスカ?」
カタコトの日本語で語りかけてくる。これはわざとなのだろうか。私を笑わせようとしているのか?いつものように流暢に話せばいいのに。
「ハナセ、ナニ、デモイイ」
ワイは話した。彼らが何者でここは何処なのか聞かなければならないから。いくら話しかけても返事をしない軍人さんよりも都合が良い。
「こ、ここ、ここは何処ですか?」
「……私達の言葉だ。何故話せる」
「な、なな、何故ですか?意味が分かりません。日本語ではないのですか?」
「日本語?コレノコトカ?」
「は、はは、はい」
「これは異世界語だ。ふむ、異世界では日本語というのか。今お前が話しているのはワカチナ連邦王国の公用語ワカチナ語だ」
そんな訳はない。ワカチナ語なんて知らないし、ワイが話せるのは日本語と下手くそな英語だけだ。
だが、事実を伝えるよりも答えてもらわなければならないことがある。
「こ、ここ、ここは何処ですか?家に帰らせて欲しいんです。お願いします」
「無理だ。お前の元いた世界とここは一方通行でな、一生帰れない」
「う、うう、嘘です!何か方法が」
「無い。だがいい知らせがある。異世界人はお前だけでなく何人もいる。寂しいならそいつらと会わせてやってもいい」
「さ、ささ、寂しいわけではありません。帰りたいだけなんです」
「無理なものは無理だ」
「ど、どど、どうしてワイはここにいるんですか。どうして」
「お前達を召喚し、召し抱える事がこの国の法律で、貴族の義務だからだ」
「し、しし、召喚?それも魔法ですか?」
「『火』これも魔法だ。お前もやってみろ、普通の異世界人なら使えるはずだ」
「ひ、ひひ『火』」
「はぁ、やはりハズレだな。魔力が食われない上に魔法すら出来ない」
冷たい声の軍人さんは手のひらで揺らめく火に息を吹きかけ消火すると、私へと告げた。
「タダ飯食らいは我が軍に不要だ。だが、金にはなるな。来てもらって悪いが、これからお前は酷い人生を歩むだろう。私への恨みを糧にせいぜい生き延びるといい」
まともに人と会わずに過ごしてきたから、彼の表情が本物なのか作り物なのか分からない。
でも、軍人さんは、本当に申し訳ないという顔をしていたと思う。
そしてワイは25歳で奴隷となり、この世界は地球とは違うイカれた魔法の世界なのだと、はっきりと理解した。
奴隷生活の全てがワイを蝕んだ。と言いたいところだが、私を買ったのは隣州の領主。
オークションで買われた訳ではなく、奴隷宣告を受けた翌日には、執事然とした白髪の男性に連れられ屋敷に到着した。
客間というのも憚られる大きな部屋、そのソファーで、ぽつねんと1人取り残され、紅茶とクッキーを楽しんだ。
さながらイギリスを思わせる優雅なひと時を過ごし、部屋に入ってきた男性もまた、かの国の紳士のようだった。
エメラルドの瞳に、真ん中で分け切り揃えられた髪は丁寧に撫で付けてあり、鼻の下には茶色の髭が整えられ、気品を漂わせている。
ワイは奴隷という身分なので、一応立ち上がり礼をした。
この人が主人。ワイの人生はこの人次第。そう考えると緊張で汗が止まらなくなる。
「ああ、気を遣うことは無い。掛けてくれ」
手で礼を止めるよう伝えられ、私は紳士が腰掛けるのを見てソファーに座る。
手は既に、水に突っ込んだように濡れている。
「吾輩はここヌアクショット州の領主だ。イムリュエン・ジングウジ・ペレーゲという。私を呼ぶ時は公爵様もしくは閣下と呼ぶように」
「か、かか、かしこまりました」
「早速だが、奴隷として君をここで雇う事は出来ない。通常は隷属の鎖という魔法で君の自由を奪うのだが今回それをしない。現在我が州、というより身内の問題で今は時期がとても悪いのだ。したがって、君の働き口と住む場所を探そうと思うのだが、希望や得意な事はあるか?」
い、いきなり捨てられてしまった。身内の問題?軍人さんが言っていた妾が処刑されたという話だろうか?まさか、ここの事だとは思わなかった。
それにしても希望か。言うのはタダだけど本当にいいのかな。傲慢な奴めとか言われないかな。でも言わないと、言わないと、言わないと。
顔中にかいた汗を手で拭い、意を決して話す。
「あ、ああ、あの家に帰りたいです。もとの世界の家に」
「……ふむ」
公爵様はそう言って考え込んだ。ワイが思い描いていたものとは違った反応に、胸を撫で下ろす。そして風呂に入っていない体は、汗でビチョビチョだ。
「この世界に君のような異世界人は多い。この国にもそれなりに存在する。吾輩が知る限りでは50年程前から異世界人を召喚している」
唐突に歴史を振り返る紳士に、不安が滲むけど、何か帰れる手掛かりがあるかもしれない。
「その異世界人達が、今よりも粗略に扱われていた時代に最も研究されたのが、元の世界に帰る方法だった。だが、それは未だに結実していない。しかし、血の涙を流し郷里に胸を焦がし死んでいった君の同胞が残した研究は、今も受け継がれている。であるから、今は叶わずともいつの日か掴み取る事が出来るだろう」
この人は、優しく遠回しに無理だと言っているのだよね。
父と母の最後の言葉も、優しく遠回しに、でも思い遣りと真心を持って、ワイの好きなように自信を持って生きろと言っていたのか。
思わず重なる言葉の影に、より一層元の世界が恋しくなる。
「帰りたいという想いを聞けて良かった。希望は捨てずに生きなさい。自由を求めて生きなさい。君の人生は自由と希望の為にあるのだから」
どういう意味か分からないけど、ワイは帰る。必ず帰る。帰って何をするのか決めてないけど、とにかくお父さんとお母さんに会いたい。
「わ、わわ、ワイは料理をします。それなりに出来ます」
「ふむ、料理か」
顎に手を当て思案する公爵様。思い当たる節があるのか頷きワイを見る。
「吾輩の友人が娘と田舎に引き籠もっているんだが、最近宿を始めた。面倒見が良く、人を引き付け纏める力がある男だ。その反面大雑把で頑ななところが玉に瑕なのだが。その男の宿で働いてみないか?」
どんな人だろう?聞いた感じでは海賊船の船長?大工の棟梁みたいな人だけど、ワイはゴリゴリの帰宅部。ノリについていけないと思う。
そう思うと更に緊張し、長い髪の毛は風呂上りのように湿ってくる。
「あの男は失礼で気の利かないところもあるが、部を弁えて行動出来る。人の領分にむやみに手を出したりもしない。君の抱く不安はあの男に対して抱く必要の無いものだと思うがどうか?」
どうだろう?情報が多すぎて分からない。ただ、いい人そうだと思う。奴隷の希望を聞いてくれる、公爵様程の良い人が褒めるぐらいだから、お願いしようかな。いいよね?大丈夫だよね。
「お、おお、お願いします」
公爵様は執事さんに目配せをする。一礼し部屋を出た執事さんを目で追っていると公爵様は私をじっと見ていた。
「君の才能は言葉だろうか。この世界の言葉を話している自覚はあるか?」
軍人さんに言われた事だ。
「は、はは、はい」
「ふむ。異世界人は皆、個々人の願望や性格に即した才能が発現する。君の場合その流暢なワカチナ語が才能だと考えるが、君はどう思う?」
どう思うと言われても。確かに勉強もしていない言葉を初日から聞き取れていたのだから、才能なのかもしれない。
「そ、そそ、そうかもしれません」
「そうか。それを存分に活かしてバードン、ああ、宿の店主の名前だ。バードン・オンツキーの手助けをしてくれ。そして、こんな風に異世界から引っ張り出して、最後まで君の面倒を見てやれなくて申し訳無い」
公爵様は悪くないのに頭を下げた。公爵様も軍人さんも恨んでいないのに。軍人さんには確かにムカついたけど、恨んではいない。
どうせあの部屋から出なければいけなかったんだ。それが両親が死ぬ日なのか、私が覚悟を決めた日なのか分からないけど。
「と、とと、とんでもないです。ワイの為にありがとうございます。この恩は忘れません」
「……忘れて構わない。何にも囚われず自由に生きなさい。それと、一応風呂に入りなさい。汗を流すといい」
一人大雨に打たれたかのようなワイに気を使って、公爵様はそう言ってくれた。
風呂でさっぱりしたワイはほのぼの郷という海賊船の船長が経営する宿へと転移陣で送られた。
ワイが初めて見たのは豪華な1室。趣向の理解出来ない絵画に、大きなシャンデリア。ガラスのテーブルの上には果物の入ったボウルが置かれている。
寝室のベッドには天蓋がついており、王様が寝るならこんな感じのものだろう。
これは、シャワーだ。シャワーに洋式のトイレ。セパレートタイプのそれらは元の世界と同じもの。
部屋に閉じ込められていた時は、おまるにしていたワイ。この宿は先進的なのだろう。
公爵様から「転移陣の前で店主が待っているはずだ」と言われたけど、店主さんはどこにいるのだろう。遅刻かな?
ふと、扉の開く音が聞こえる。あんなところに扉なんてあったかな?扉の先が気になり足を踏み入れると、そこには巨大な調理場があった。
大中小の寸胴に、鉄打ちの片手鍋、フライパンや包丁やまな板が広い調理台の上に置かれている。
更にその奥には壁から張り出した台がある。その左側には蛇口があるけど撚る為のバルブがない。ボタンもないし、自動という訳でもない。これは蛇口ではないのだろうか。
広い台、たぶん調理台だ。蛇口よりも右側には続きがあって、10個ほどの窪みが整列している。対面すると窪みの向こうの空間が気になる。何かを置く場所?ここは調理場なのだから、もしかしたらコンロ的な物なのかもしれない。今のところ使えないけど。
とにかく広く、何人ものシェフがせわしなく働く様子が浮かぶ場所で、新品のように綺麗だ。
というか、ここ新品なのでは?
そう考えていると、ドタドタと外を早足で歩く音と声が聞こえる。
「ん~、どこだ?転移陣で送るって言うから待ってたのに。ていうかこの廊下何だよ。勝手に造ったなクソダンジョン!」
渋い声がどんどん近づいてくる。この人が店主だ!そう思うと急にに緊張してしまう。震えてきた手を調理台の上でギュッと握った。手近にあった包丁と共に。
カタカタと震える手が、包丁の刃を高速で調理台に叩きつけ、だだっ広い調理場に音がこだまする。
「ん?」
ピタッと止まった足音は、聞こえるはずの無い音に耳を傾ける。
カタカタカタカタカタカタカタ
(止まれー止まれー止まれー)
ワイは震える脚を支えるため調理台から手を動かせずにいた。だから、この震えよ止まれと必死に願った。
「誰だ?」
店主は見えない誰かに話している。
「誰か居るのか?物取りなら出てってくれ。うちには何もないぞー」
ん?
「人んちに勝手に入って止まれとは失礼なやつだ。一応俺は元S級冒険者だからな。痛い目見ないうちに帰ってくれ」
これ、ワイに言ってるのか?
そう考えると焦りで一層震えが強くなる。それに合わせて、音も大きくこだまする。
カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ
(物取りじゃない、タカダユリカです。異世界人です)
「え!タカダユリカ?ユリカ・タカダさん?あれ今どこにいます?姿が見えないんですけど」
店主はエスパーなのだろうか。いや、たぶん魔法で私の思考を読み取ってくれているんだろう。
一言も話してないのに読み取ってくれている。魔法は便利だな。
カタカタカタカタカタカタカタ
(はじめまして。そしてどこだか分かりません)
「ああ、どうも。どこか分からない?えっと、出来れば顔を見せて欲しいんですけど、出口とかありません?」
それはそうだ。ご挨拶で顔を見せないなんて失礼だ。さあ、行こう!
その思惑とは裏腹に震えが止まらず、足がつっかえ棒のように邪魔して動けない。
カタカタカタカタカタカタカタカタ
(顔を見せなきゃ失礼だ!行くんだ出口へ!動け!)
「……あー、タカダさん?無理しなくていいですよ?えーっと人見知りなんですね。では、俺はここから話しますね。その方がいいですか?」
カタカタカタカタ
(それはありがたいですけど、よろしくないのでは?)
「いえいえ、イムリュエンが保証してくれた人なので顔が見えなくても構いません。事情があるんですよね」
カタカタカタカタカタカタカタ
(事情というかなんというか)
「とにかく気にしないでください。俺はこの宿、ほのぼの郷の店主バードン・オンツキーです。イムリュエンから聞いていると思いますが、タカダさんにはこの宿のお客さんに出す料理を作って欲しいんです。素材は、近くに市場がありますからそこで買って欲しいんですが、大丈夫ですか?」
カタカタカタカタカタカタカタ
(そ、そそ、外に出るんですね。も、もも、もちろん)
「……あー、やっぱりこの辺に詳しい俺が行った方がいいですね。買い出しは俺がやりますから、タカダさんは調理をお願いします。調理場はまだ作ってないので、もう少しお待ち頂きたい」
カタカタカタカタカタカタカタ
(え?ここに調理場があるんですけど)
「え?」
カタ
(え?)
「そこに調理場があるんですか?調理器具とか、魔法用の魔石とかもですか?」
カタカタカタカタカタカタカタ
(調理器具はたくさん種類があります。魔石?石は特に見当たりません)
「んー、勝手に作ったのか。まあいいか、手間が省けたし。魔石は調理用の魔法を使う時に便利なんですよ。後で設置しときますから、あ、使い方か。使い方も分かるように紙に書いておきますね」
カタカタカタカタ
(ありがとうございます)
「それと、タカダさんの部屋は従業員専用フロアにありまして、ここから部屋へ転移出来るようにしますから。それも使い方は紙に書いておきます。何か質問はありますか?」
カタカタカタカタカタカタカタカタ
(ここで働いてもいいのでしょうか?)
「え?もちろん。むしろお願いします」
カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ
(ワイ、長い間人と話してなくて、しかもあがり症で緊張すると止められないんです)
「なるほど。困ったな。料理人は何人か雇うつもりだっんですけど、どうしましょうか。まあ、新しい調理場を作ってもいいか。構いませんよ、ここはタカダさん専用ということで」
カタカタカタカタ
(すみません)
「気にしないでください。あー、あれが入り口かな?入り口の方に赤い木札を置いておきますから、それは無くさずに持っていて下さいね。その木札で部屋とここを行き来できるようにしますから」
カタカタカタカタ
(分かりました)
「では、これから宜しくお願いします」
カタカタカタカタカタカタカタ
(よ、よよ、よろしくお願いします)
という出会いからユリカ・タカダ(32)はここ、ほのぼの郷で働き始めた。
彼女の才能はコミュニケーションである。万物と意思疎通できる才能は、意思を持たない物や意味のない音にまで影響を与える。
ユリカ・タカダは引き籠もりだがもともとコミュニケーションが苦手という訳ではない。寧ろ、会話に混じり交流したいのだが、そのタイミングや間のとり方が下手なのだ。
現在では、長く人と会話して来なかった弊害で、リハビリが必要な程に会話が下手くそになってしまった。
学生時代はあまり話さないが一応話せた。吃ることも緊張で震えたり汗をかいたりすることも無かった。
しかし、家に帰る事が至福だった為、深く交流することもなく、あれよあれよという間に周囲から孤立し、あれこれ深く考える性格も相まって自分を閉ざしてしまった。
人間の成長で重要な時期に心を閉ざしたユリカ・タカダが、心理学の概念が無いこの世界でそれらを克服するのは無謀かもしれない。
しかし、ずっと恵まれてきた彼女はこの世界でも恵まれている。お節介な宿の店主の下で働らいているのだから。その店主はこの世界でも指折りの魔法オタクであり、その技量もトップクラスなのだから。
異常にあがり症のユリカ・タカダは今年も働く。元の世界へ帰れそうな魔法を時々バードンと語り、部屋で転移や召喚といった魔法について研究しつつ、好きな料理を仕事にして全力を注ぐ。
彼女は理解していないが、期せずして、引き籠もっていた家から脱出したのだ。だがこの脱出自体に意味は無い。
彼女は人生で初めて覚悟の奮闘を見せる。
落ちぶれた娘のままでは終わりたくない。娘を信頼し優しく支えようとした父と母に会う為に、何が何でも帰るのだという覚悟を持って。
漠然と恩恵を受け生きてきたタカダユリカはユリカ・タカダとして、イカれた世界から飛び出す為に奔走していた。




