10.アゼル・ボンタのお仕事
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「お疲れー!」
「お疲れさまですバードンさん」
タカダさんが作ってくれたランチを食べているとバードンさんがやってきた。今日は白パンとボルシチという真っ赤なスープだ。ちょっと酸味があってこれ一品でお腹が膨らむ。キャベツやニンジン、ジャガイモにトマトが丁寧に刻まれていて、歯触りもいい。本当に美味しいけれど、僕には複雑な味だ。もちろん文句はない、だって本当に旨いんだ。
でも家で食べる薄味のスープを食べたいな。たくさんの肉と野菜が乱雑に入り乱れていて、フーフーしながらじゃないと熱すぎて食べられなかったな。だからみんな、カチカチの黒パンから食べるんだ。スープが冷めるのを待つ間に、手で細かくちぎって咀嚼する。しっかりと何回も噛まないと飲み込めなかったな。ここのパンは柔らかくて、あまり食べた感じがしないんだ。
いやいや、文句じゃない文句じゃない。本当に美味しい、いつも美味しく頂いています、ありがとうございます……
「修理終わったぞ。いやー感想が楽しみだな。本当凄いから、絶対驚くぞ!」
「――えっ?ああ、早いですね」
「まあな」
「感想、ちゃんと報告しますね」
「おう!頼んだ!」
爆発があったのは昨日なのにもう改築したんだ。やっぱりダンジョンの力なのかな。
ダンジョン、攻略すれば2、3年は遊んで暮らせる金が入るって聞いたことがある。その代わりとても危険らしい。死ぬ可能性はもちろん、毒に侵されて重い後遺症が残ったり、死人となって人を襲ったり、精神が錯乱してしまったりと、ちゃんと死ねないと悲惨らしい。
そのダンジョンを攻略した上にこうして手懐けているバードンさん、とんでもない人なんだろうな。アーリマさんから聞いた話だと、昔はS級の冒険者だったらしい。A級の上だから強いってことは分かるけど、どんな感じなんだろう。冒険者に興味がないから、いまいちピンと来ないんだよなー。
それに、バードンさんて強そうじゃないし……
いやバカにしたわけじゃない。雇ってもらえて感謝してるし、とても優しい上司です、いつもご迷惑ばかりすみません……
「そういえば、ご家族とは連絡取ってるか?」
「はい、たまに連絡してます」
「そうか。アジャイル、あ、お父さんはどうしてる?」
「えーっと、いつも通りです」
「そうか」
アジャイル、僕の父だ。父とバードンさんは過去に因縁がある。
僕の姉が子供の頃、父がボコボコにやられて帰ってきたことがあったらしい。かなり酔っていたようで、その時口にしていたのがバードンさんの名前だったとか。
父は武具師だ。その名の通り武器防具を作れるけれど、まともに働いているのを見たことがない。家の隣にある小さな工房はいつも暗い。金属の音も火が爆ぜる明滅も一切ない。いっつも、お酒と甘ったるい香水の香りがするんだ。
仕事場というよりは、遊び場。あのダメ親父はとにかくフザケた奴で、穀潰しのダメ人間なのだ。姉が子供の頃から変わっていないと、呆れながら言っていた。
そんなクズな父でも腕っぷしはある。その父の全盛期にボコボコにしたのだ。姉はバードンという人物が気になって調べたらしい。当時はまだ無名、駆け出しの冒険者だったそうだ。でも界隈では有名で、お節介焼きの魔法バカだが喧嘩は最強、そういった噂が流れていたとか。
父をボコボコにしてくれた喧嘩最強のバードンさん。
姉からこの話を聞いていなかったら、僕はこの宿に来なかっただろう。
12歳の子供を雇ってくれる商人でまともな人間はいないと言われている。うちは貧乏だから僕が働こうとしたら母にきつく叱られた。子供を雇うのは悪人かただのバカだよ、騙されてこき使われて大けがでもしたいのか?ってね。
そうは言ってもうちは兄弟が多い。母一人が働いて、僕達は細々した仕事で小銭を稼ぐだけでは苦しい。父はクズだからあてにしていない。僕が早く大人になれればよかったんだけど、そんな魔法も無いから、バードンさんに頼んでみることにしたんだ。
父はあれ以来働けなくなって……とでも言って絶対に雇ってもらおうと思っていた。実際はピンピンしているけど、働いていないのは事実だ。お節介焼きという噂が本当なら、貧乏な僕を見捨てないはず。浅はかだけど、ちょっとは考えてこの宿へやってきたのだ。
最初は真剣に話を聞いてくれていたけど、法律があるから無理だと何度も断られた。それでも通い続けて、しつこく頼み込んだ。そして何度目かの朝、いつもの様に宿の玄関前でバードンさんを待っていたら僕に手招きをしてくれた。新品の仕事着を持って
父が働けなくて……とは結局言わずじまいだった。
ここへ来る前にも、母には内緒で職探しをしたことがある。大人の人はいつも忙しそうで、話の半分も聞く前に追い払うように手を振る。
何回かに一回は雇うと言ってくれた商人さんもいた。僕の身の上話なんて聞くこともなく即決だった。ウキウキで付いていくと、僕よりも汚い子供、僕の弟や妹ぐらいの子たちが薬草の選別をしているところだった。
やんちゃな弟を持つと自然と植物の知識が身に着くみたいで、何の薬草を何の目的で選別しているのかが分かった。ポーションという治療薬に使う葉の選別をしていたんだ。新葉は成分が薄くて弱性の治癒効果に役立つし、水気の多い肉厚の葉は最も栄養が行き届いている証拠で、ポーション作りに理想的な成分がたっぷり含まれいてる。ただし大きく青々しい葉は危険なんだ。寿命を終える前に差し掛かった葉で、蓄積された濃い成分をため込んでいるが故に、猛毒となる。
そういう葉の選別をしている訳だけど、素手で選り分けているところを見ると、何も教えられていないんだと思う。恐らく毒のせいだと思われる震えが出ている子が数人いた。
ここは絶対危険だとすぐに勘付いたから、僕は何とか逃げ帰ったけど、あの子たちは本当に気の毒だと思う。
大人は聞いてもくれない。雇ってくれるんだと思えば、奴隷のように扱き使うだけ。確かに母の言う通りだった。
でも、バードンさんは僕の話を聞いてくれた。しつこく何度も押し掛けたけど、怒ることはなかった。呆れていたけどね。そんな人にクズな父親を引き合いに出すのは卑怯だなと思った。
だから言わなかったんだ。
雇われた後に全部話して謝ったらバードンさんは笑っていた。
「家族の為だろ?謝るな。間違ってない」
と褒めてくれた。あの時は、その言葉が自信になったし嬉しかった。今思うと、やっぱり間違っていたと思う。僕を気遣って嘘をついてくれたんだと思うけど、注意してほしかったな。
いや、感謝してます、感謝してますよ。こうして何が良いことなのか考えられるぐらいに安心して働けているから、本当に感謝しています。ありがとうございます……
「本当に悪いな。爆発の件」
「い、いえ」
ウネツさんがやらかした件だ。僕が空いた部屋の掃除をしていた時だった。物凄い振動と音が鳴って、とてもびっくりした。ベッドの脚に小指をぶつけて蹲っていたなー。
「とりあえず修理はしたけど空っぽだからな。みんな買い物とかいつ行くんだろうか?金は前もって渡したいんだが、知ってる?」
「え?焼け残った服だとか私物を部屋まで送ってくれませんでしたか?僕はあまり買う必要がなさそうでしたけど」
「――え?そうなの?もう残ってないと思って調べてもいなかったな。ていうか部屋に送られた?」
「はい。全てではありませんけど、机の上に置かれていました。てっきり転送していただいたのかと……」
「俺ではないな」
こういう不思議現象がたまに起きる。お客様が無くしたという物が受付台の下から出てきたり、怖いお客様に殴られそうになった時には、その人の服が燃えたり。全部僕のせいになっちゃうから、その度に謝っているけど、これもダンジョンの仕業なんだろうか。援護のつもりか、困らせたいだけか。
バードンさんも明確には教えてくれないしなー。たぶん言いたくないんだろうな。
「ところで、13号室の件大丈夫でしたか?」
「えっ!?あ、ああ、それはもちろん。注意したら逃げて行ったよ」
アーリマさん曰く、キツめに注意したら逃げていったらしい。あんなに威張り散らしていたのに。一体どんな注意をすれば逃げるんだろうか。その技術が気になる。
「ああいう方の場合、なんと言えば引いてくれるんでしょうか。いくら謝っても聞いてくれないんですよね……」
きっと僕の背が小さいからナメているんだと思う。
ユーリは明るくて愛嬌を振りまくのが上手いから、大体は怒られずに済んでいるのに、僕の場合は怒られるんだよなー。
「うーん、そうだなー。引いてくれるというか、納得させる必要があるな。何故ダメなのか、何故この金額なのか、何故使えないのか、きちんと説明する。そして代わりの案を提示するんだ。その人が求める物は何か、それを見極めてな」
「お金を要求される時もあります。僕はよく、ああいう方に当たっちゃうんですよね」
「それはキッパリ断るんだ。もちろん、こちらが悪いのなら支払う必要があるかもしれない。でも最終手段だ。金を支払うってことは、俺達にはあなたを満足させる技術がありませんと言ってしまうようなものだしな」
「なるほど」
「もっと好きにやっていいんだぞ?うちは従業員が少ないから、店の為になると思うならどんどん挑戦してほしいな」
「――分かりました。やってみます」
「おう、よろしく頼むな」
執務室へと立ったバードンさん。もっと好きにしていいか。十分好きにやってると思うけどなー。まだまだ足りないんだろう。挑戦、積極的に試行錯誤してみるということかな……
仕事は難しいな。
お昼休憩の後はちょっと暇になる。人の出入りが激しくなるのは朝と夕方で、今の時間はあまりやることがない。
でも大入り後の仕事が未だにかなり残っている。シーツの洗濯と魔石の補充だ。
「ユーリ洗濯してくるから受付頼んでいい?」
「うん。じゃーねー」
ユーリは従業員というよりお手伝いさん。だからあまり仕事を頼んだりはしない。基本的にバードンさんが指示を出すから、ユーリはそれに従ってちょこちょこと動いてくれる。それも忙しい時だけで、ほとんどは受付か従業員控室で書き物をしている。外に出たらダメだと言われていて、家に籠もるとつまらないから仕方なくらしい。
毎日メモを取っているようで、冒険者や商人さんから仕入れた外の情報や耳よりな業界の小ネタを忘れないようにしているそうだ。
時々、僕に手を翳して魔法を放とうとするのは止めてほしい。
しゅーてぃんぐすたーとかふぁいあーぼーるとか危険な魔法じゃないのかな。ちゃんと発動したことはないからいいけど、本当に止めてほしい。前に注意したら大丈夫大丈夫、痛くないからとか言っていた。
全然信用していない。弟たちもユーリのように冒険者の真似事をすることがあって、僕はその被害にあったからだ。
しかもユーリのように「大丈夫!痛くないってば!」と変な前口上を述べていた。ウォーターボールという水玉の魔法だったから、あの時は全身がずぶ濡れになっただけだった。母にちゃんと叱られていたので、その後は魔法を試し打ちされることもなくなった。
今度魔法を試そうとしたらバードンさんに相談しよう。
僕は黒い木札を持って2階に向かった。この木札があればこの宿内すべての場所に転移できるし、すべての部屋を開けることができる。唯一行けないのは、タカダさんがいる調理場ぐらいだと思う。
タカダさんてどんな人なんだろうか。異世界人だとは聞いているけど、顔を見たことがない。
異世界人で性格がいい人に会ったことがないから、想像できないんだよなー。バードンさんが「超一流の料理人だよ、あの人は」と言ってたぐらいだから、精神面もちゃんとしてるんだろうなー。
そんな事を考えながらも手は動かす。
ひとまず101号室から手を付けることにした。
布団の下にあるシーツを引き剥がし、ベッドに張り付くシーツも回収する。それからマットレスに張り付くベッドパッドも取り外す。
にここからが密かな楽しみで、こいつらをまとめて床に放ると、床から大きなカゴが出てきてキャッチしてくれる。この宿で魔法が得意なのはバードンさんだし、たぶん開発してくれたんだと思う。それか元々こういう魔法があったのか、よく分からないけど面白い。餌を食べる魚みたいだ。
こいつは本当に便利で、どの部屋であっても必ず表れるし、何処に投げてもキャッチしてくれる。流石にトイレの中とか廊下には出てこないけど。
結構大きなカゴで、ベージュの袋が交差した金属の骨組みに括り付けられているだけのもの。といっても、骨組みの下には自転車のタイヤみたいなコロコロが4つ付いていて、これを押しながら全室回ることができる。この中に各部屋からシーツやベッドパッドを回収していく。口を開けて出てきてくれるのは最初だけで、後は手押しなのがちょっと勿体ないよなー。
ベッド回りの清掃は簡単な作業の繰り返しだけど、部屋数が多いからけっこう大変だ。魔法が使えれば簡単なんだろうけど、もっと効率良くなるように僕も魔法を習おうかな。
20部屋分回収してカゴが満タンになったので、次は洗濯室へ向かう。お客様がいる場所ではなく、専用の洗濯室があって、そこが何階でこの宿のどこなのかは分からない。教わっていないわけではなく、バードンさんもよく知らないらしい。
ダンジョンというのは簡単に言うと異世界みたいなもので、俺たちが理解できない造りになっているんだ。と言っていた。あと、空間魔法がどうのとか転移を阻害しているのがどうのとか言っていたけど、一ミリも理解できなかったので覚えていない。たぶん魔法の理論に照らして分かりやすく説明してくれたんだと思う。僕には余計に難しかったな。
この洗濯場には浴槽みたいな、とても大きな貯水槽と船荷に使われるぐらいの樽がある。しかも熱湯に耐えられるように、どちらも石で出来ている。
今回は大量のシーツ類を洗濯しなきゃいけないので、大きな貯水槽にまとめて投げ入れた。それから壁に取り付けられた魔石に触れると、槽の下から水がゆっくりと盛り上がって、ちょうど半分ぐらいで止まってくれる。
僕は生活魔法ぐらいしか使えないし、この槽を満たすほどの魔力もない。こういう魔法と道具の活用はすごいと思う。それに、こんな大量の水を生み出せる魔力量もすごい。この宿のすべての魔石はバードンさんが補充しているらしいけど、ちょっと信じられない。S級冒険者になると、このぐらい普通なのかな。
さっさと2階に戻って、シーツとベッドパッドを取り外して洗濯場に戻ってを繰り返す。今度はワンフロア全室のシーツで一杯になった貯水槽を温める。熱湯で消毒するためだ。
槽の縁にある魔石は水を温めてくれる魔法が記録されていて、触れてから15分で沸騰する。それから大体1時間ぐらい経つとちょうどお湯が冷めて洗濯は完了となる。こっちの魔石も自動で止まってくれるので、とても楽なんだ。そして、また暇になる。
今洗濯しているから、3階のベッドは後にするとして……
ポケットに入っていた連絡用魔石がブルブルと震えた。僕は思わずため息をついてしまう。僕の母や兄弟が連絡してくるのは早朝か仕事が終わってから。緊急じゃない限り連絡しないようにと伝えてあるから、それを守ってくれている。
こういう連絡は大体が悪い知らせなんだ。ミリスさんだろうなー。
「お疲れ様です」
「お疲れー。アゼル君、今何してる?」
「2階のベッド周りを洗濯してます」
「あー、洗濯始めたら時間空くわよね?」
「えっ?あ、はい。ちょうど今洗濯中なので空いてますよ」
「良かったー!今、業者さんが来ててね、ユーリちゃんが見当たらないから代わりに対応してくれない?」
「はい、分かりました。あの、バードンさんは……」
「いつも通り部屋に籠っているわ。魔力補充と魔法研究じゃないかしら」
「――なるほど。分かりました、すぐ行きます」
「ごめんね、よろしく」
今日の連絡は悪いものじゃなかったな。それにしてもユーリは……
また冒険者さんと話し込んでいるに違いない。部屋に入るのは良くないよって何回も言ってるのに絶対聞かないな。子供の連れ去りとか増えてるってちゃんと言ったけど全然気にしてないや。年下を相手にしてる気分だけど、同い年なんだよなー。あんまり外の世界を見てないから甘ちゃんなんだろうか。
いや、別に嫌いとかそういうんじゃない。弟たちを相手にしているみたいで気が気でないだけで。
1階のお客様用の転移陣に移動して受付に向かった。ミリスさんが受付か。アーリマさんは買物かな?まだお昼だしちょっと早いんじゃないかな。
「ごめんねアゼル君。アーリマも出てて他に人がいなかったのよ」
「買い物には早いんじゃないですか?」
「ああ、違うのよ。今は魔物避けと見回りをしてるの。バードンさんがあの状態だからね……」
「――なるほど」
魔石へ魔力補充するのは結構大変らしい。魔力が減るから疲れるというのもあるけど、単純作業を延々と続けるから気が滅入るらしい。そのストレスを緩和する為に魔法研究をしながら補充しているらしいけど、それはそれで問題なんだよなー。ただ魔力補充するよりも明らかに時間が掛かってるんだ。
正直なところ、バードンさんがいない方が緊張しないで済むからいいんだけど、こういう時はいてほしい。研究中のバードンさんは怖いんだよな。何も知らずにバードンさんを呼びに行ったら、真っ赤に充血した目で瞬きもせずに「魔法法則第3法を適用して」とか「浮遊魔力の1平方メートルあたりの」とかブツブツ呟いていて、魔石を両手に握りしめていたんだ。大人が壊れている姿を僕は初めて目の当たりにして、未だにバードンさんが恐ろしくなる時がある。
優しい人だし、怒ったところを見たこともないけど、そういう怖さじゃないんだ。なんというか、ゾっとしちゃうときがたまにあるんだ。そういう日は大体バードンさんが夜更かしした日で、目が真っ赤に充血している時。
とにかく、集中しているバードンさんは恐ろしいから呼びにも行けない。まあ、今日は忙しくないからいいんだけどね。
「観葉植物の所で座っているから、任せていい?」
「はい。行ってきます」
受付を空けることは出来ないし、ミリスさんは色々を仕事を任されているから忙しいのだ。今も顧客管理と備品管理の帳簿を前にしてにらめっこしている。
仕入れ関係は毎回ユーリが担当していたので、僕は初めて業者さんと会う。仕入れか、この宿で仕入れって言ったら食材か魔石ぐらいだよな。どっちの業者さんだろう。
どの人だろうかと顔を覗かせると、小休憩スペースの手前に座っている男の人が、魔石を手に取り眺めていた。机の横には黒革の背負カバンがあって、閉めるのもギリギリなぐらいに魔石が入っている。
あのカバンを背負ったらお尻まで隠れそうだな。
「すみません、お待たせしました」
頭がふいっと上がった。テカテカ光る髪を後ろに流したヘアスタイルで、一瞬の真顔がちょっとだけ怖かった。でもすぐに人の良い笑みが溢れて、わざわざ立ち上がってくれた。
「どうもどうも、初めまして。ユーリさんはお休みですか?」
「所用で席を外していまして、代わりに僕が承ります。あ、失礼しました。アゼル・ボンタと申します」
「お若いのにしっかりしていらっしゃる。私、ベンケン・シャスキーと申します。宜しくどうぞ」
恰幅がよく、飾らない服装だ。決して汚いわけではなく、小綺麗だし身だしなみも整えられている。
タプタプした顎がとても気になる。どんな感触なのだろう。
シャスキーさんの向かいに腰掛けると、机に置いてあった魔石に目が行く。変わった魔石だ。僕の手のひらよりも小さいけど、水が揺れるみたいに綺麗な色をしている。
「ご依頼の品でございます。確認をお願いしても宜しいですかな?」
「――はい」
確認て何を確認するんだろう。綺麗な魔石ですねとか言えばいいのかな。そういえば、何をしたらいいか聞いてこなかったな。あー、ミスった。今から聞きに行こうかな。
とりあえず机の上にある魔石を手にとって眺めていると、シャスキーさんが苦笑いしているのに気づいた。
「あの、品違いでしたか?いつもと同じ魔石をお持ちしたんですが……」
「あっ、えーと、いえ、なんというか。確認とは何を確認すればいいんでしょうか。すみません、上の者からは応対だけを言いつけられたものでして……」
「ああ!そういうことでしたか。ふう、肝を冷やしましたよ」
――肝を冷やす?要するにビビったという意味だよね。
そんなに大事な取引なんだ。それをユーリ一人で?それって結構な問題何じゃないの?
「前回ユーリさんは、量が適正かどうか、それだけを確認なさってましたよ」
「量ですか。なるほど、このカバン一杯が発注量ということですね」
「ええその通りです」
それなら確認はOKだ。ギリギリカバンから溢れないぐらいの量が入っている。
魔石の下にかさ増しの小細工なんかしてないよね。一応お得意先なはずだし。
「はい、確認しました。問題ないです」
「ありがとうございます……」
「……」
「……」
「あの、サインとか必要ですか?僕で良ければ書きますけど」
「――い、いえいえ、そのなんと言いますか」
急に口ごもりだしたな。どうしたんだろう。
「あのー、責任者を呼んだほうがいいですか?そのほうが話しやすいようでしたら呼びますけど」
「いえいえ、んーちょっと言いにくいんですがね」
シャスキーさんは顔をずいっと突き出して小声で話し始めた。
「実は、ある噂を耳にしましてね」
「噂ですか」
「ええ、掛け金の支払いが滞っていると、ちらっと小耳に挟んだのですよ」
「なるほど」
「経営にお困りなのですか?」
「いやー、僕はその辺りには詳しくないので」
「肌感でもいいのですよ。例えば設備が古くなっているですとか、客入りが悪くなっているですとか」
そう言われてもなー。
客入りは確かに減った気がする。でも、大入り後の反動だと思うし、平均的な客数よりもやや安くない程度だ。数日で盛り返すと思う。僕も入って数ヶ月だから、たぶんとしか言えないけど。
お給料も変わらないし、設備はダンジョンが作っているから綺麗なままだし、いつも通りだと思うけどな……
「特に、思い当たるようなことはないですね」
「なるほど、そうですか。私共ホロトコ商会アールガウ支店としましては、何時でも助力致しますので。何かお困り事があれば何時でもお申し付けください」
「あ、りがとうございます」
これはセールストークだよね。僕に言われてもなー。なんか、なんというか、変な違和感があるんだよな。品違いだと思ってビビったり、僕にずーっと敬語だし、セールストークまで。僕も成長したってこと?貫禄が出てきたんだろうか。
「ではこれはお預かりしますね」
「ええお願いします。ああそれから、言い忘れておりました。今後はホロトコ商会の支店としてここに根を下ろしますので、商会への御用は私にお申し付けを」
「――はい、宜しくお願いします」
「では失礼致します」
とことこと小さな歩幅で帰っていったシャスキーさん。ホロトコ商会、か。僕が入る前から仲のいい商会らしいけど、アールガウにも支店ができたんだなー。
やっぱり気になるな。やけに礼儀正しいあの態度、なんか変だ。ユーリに聞いてみよう。
僕はある意味で良いセンサーを持っている。
女性にはよく可愛がられるし、男の人には結構ぞんざいな扱いを受けることが多い。商人さんともなると、かなりその傾向が強くなる。もちろん全員がそうというわけじゃない。バードンさんは典型的な例外だ。
だからこそ、シャスキーさんの態度が気になるんだ。もしかしたら僕は騙されたんじゃないだろうか。
シャスキーさんが帰ったあと、見た目に反してとても軽いカバンを背負って控室に行った。中身を全部出して、小細工がないかとか、偽物の魔石じゃないかを調べてみた。小細工はなかったけど、僕に魔石の鑑定をできるような技術はないから、真贋を見極めることはできなかった。
魔石は高いっていうし、ちょっと不安になってきた。ユーリはどこに行ったんだよ!
「おつかれい!」
不安が最高に高まったところで、ユーリが能天気にやってきた。
弁護士さんが小洒落た装いで持ちそうな、茶色い皮の手さげカバンを抱えて僕の目の前に座り込んだ。この後にすることといえば、紙を引っ張り出して、記憶をつけペンに載せて書き出すんだ。
また冒険者さん達と話し込んでいたんだと分かる。まあそうじゃないかと思っていたけど、この真剣な表情を見れば、間違いないな。
「おつかれ。ちょっといい?」
「後で」
にべもない。鉄は熱いうちに、記憶は新鮮なうちに。とにかく一言一句を逃すまいと紙に書きなぐっている。その頑張りは結構だけど、こっちは深刻なんだ。もしかしたら詐欺にあったかもしれないって言うのに。
「ベンケン・シャスキーさん知ってる?魔石を持ってきてくれたんだけど」
「――知ってる。後にしてくれない?」
「無理。あの人に騙されたんじゃないかと思うんだ。この魔石本物だと思う?」
カリッとペンが止まると、眉をへの字に曲げて顔を上げた。下唇を突き出し奇妙な顔で何かを考えている。まさか、冒険者との会話を思い出しているんじゃないよね。
「ユーリ?」
「それは無いと思うけど。何でそう思ったの?」
やっと聞く気になったようで、真剣な表情をこちらに向けてくれた。
「態度が変だったんだ。やけに丁寧だったし、商品が間違っていないかとビビってたし、それからこの宿は掛け支払いが滞ってるんじゃないかと疑っていた。そもそもあの人は商人なの?僕は仕入れ業者さんの顔なんか覚えてないから、そこから疑問だよ」
「そこまで疑うなら受け取らないでよ」
「――まあ、そうだけどさ」
「思ったらすぐ言わないと、アゼルは考えてから物を言うからいつも遅いんだよ」
「考えなしに口を滑らせるよりはいいだろ」
うっ、睨むなよ。これ以上怒らせると魔法を掛けてきそうだ。どうせ新技を習って試す相手を探していたところだろう。僕はごめんだ。
「うそ、ごめん。それで大丈夫かな」
「後で魔法の練習手伝って。そしたら本物か調べてあげる」
「はあ!?仕入れ関係はいつもユーリが対応してるんじゃないか。それを僕が代わってあげたんだよ?それなのに足元を見て強請るっての?」
「対応してあげてるだけで、本当はアンタ達の仕事でしょ?私はただのお手伝いだもん」
「はあ、分かったよ。あっ、ケガするような魔法は止めてね」
「大丈夫大丈夫。絶対痛くないから」
「――あ、そう」
ユーリはおもむろに立ち上がると、机の上に置かれた背負いカバンを片手で持ち上げた。それから納得したように鷹揚に頷くと、偉そうに腰かけた。腕を組みながらからかうように僕の顔を凝視している。
「なんだよ、取引しただろ?」
「まず、ベンケン・シャスキーさんは新顔の業者さんだよ。そしてこの辺りでは結構有名なクールメ商店の元経理さん」
「いやホロトコ商会だと言ってたよ。やっぱり嘘をついていた?」
「違うよ。今は本当にホロトコ商会の人だよ。ホロトコ商会アールガウ支店の店主さん。大出世だね」
「うん、それで?」
「元々、ウチの宿はホロトコ商会だけとしか魔石の売買はしてないの。その商会の会長さんがお父さんの友達だからよしみで取引してるんだって」
「でも?」
「でも?でももないよ。この魔石がもしも偽物だったらシャスキーさんの首が飛ぶんだから、この魔石は本物だよ。ホロトコ商会の会長と言えば、裏社会にも顔が効くやばい人なんだって。ここに泊まる商人さんから何回も聞かされたよ」
「えっ、バードンさんはそんな人とも繋がりがあるの?すごいね」
「別にすごくないよ。友達が大物になったってだけだし。それから丁寧なのは、あの人の性分らしいよ。果物がよく実る木にも敬語で話すぐらい商売に入れ込んでるんだって。子供だろうが奴隷だろうが、取引をしてくれるならおでこが擦り切れるぐらい頭を下げるので有名なんだって」
「掛け金の支払いは?」
「猶予してもらってるよ。やっぱり噂が広まるのは早いね。何て言ってた?」
「んー」
今になってあの時の行動が気遣いだったのだと分かった。言いにくそうにしていたのは、代金回収を急いでいると思われたくなかったかもしれない。噂が本当なら掛代金をすぐに支払えて言われてもおかしくないのに、シャスキーさんは何も言わなかった。小声で話してくれたのも他のお客様に聞かれないようにする為。それから言っていたなー、お困りごとがありましたら助力致しますって。本当にただのいい人だったのかもなー。
疑ってごめんなさい。でも生粋の商人さんだな、30歳以上離れてるような子供に何度も頭を下げて敬語を使うんだから。僕が店員じゃなかったら見向きもしなかっただろうな。
いや、商人さんが嫌いなわけじゃない。ただ人として接してくれるバードンさんとは、また違ったタイプの優しさだから気をつけないとな、と思っただけです。好きとまではいかないけど、全然嫌いじゃないです。
「んー?そのまま息を吸わないつもり?」
「えっ?ああ、なんだっけ」
「噂の件なんて言ってたの?」
「ああ!なんかあったら力を貸すから相談してくれってさ。バードンさんに伝えた方がいいね。てっきり騙されたと思ってたから、忘れてたよ」
「あーお父さんには伝えなくていいよ」
「なんで?」
「だって、お金の管理してるの私だもん」
「え?」
金庫を開けられるのはバードンさんとミリスさん、それから夜勤組だけだったはず。ユーリも開けられるのか。まあ、バードンさんの娘だし当然、なのか?当然じゃないよな。
「お金の管理って何?金庫にあるお金を数えるとか?」
「それもあるけど、毎日の収入とか月の支出とか、来月の予想収支とか、四半期後の目標利益とかをちゃんと記録してるんだよ」
「――――スゲえ」
「お父さんはこういうのやらないから私が代わりにね。商人さんに教えて貰いながら作ってるんだ。もちろんこの宿の情報は流してないよ」
「――はあ、遊んでるだけじゃないんだね」
「そりゃそうでしょ。この宿、結構ヤバいんだからね」
「潰れるの?」
「潰れないよ。でもこのままだといずれはそうなるかもね。だからミリスさんと協力して帳簿をつけてるの」
「ほう、なるほど。ていうかバードンさんに帳簿をつけるように言えばいいんじゃないの?」
「無理無理。好きなこと以外に頭が回らないんだもん。だから代わりに誰かがやらないとね」
「帳簿をつけてるってバードンさんに伝えた?支払いを止めてるのも」
「言ってないよ。そもそも問題はお父さんのどんぶり勘定なんだもん。お父さんに伝えたら今すぐに払ってくるとか言って大目にお金を渡すの目に浮かぶでしょ?」
「まあ、遅れた分上乗せしといたからとか言いそうだね」
「だから何も言ってないよ。お父さんはこの宿の維持管理とか魔力補充とか魔法関係のメンテナンスをさせとけばいいよ」
「んな雑な」
「いいじゃん、そっちが得意なんだし。私は数字が得意だし、お互いに得意な事をしてればいいんだよ」
「まあそうか」
「だから内緒にしててね」
「うん、分かった」
ユーリも意外としっかりしてるんだな。冒険者志望のやんちゃな雑人間だと思ってたけど、なんか商人みたいだ。それも腕利きの。数字が好きなら商人になればいいのに。冒険者はバードンさんが嫌がるからってわざわざ隠れて魔法練習する必要もなくなるだろうに。
それに僕も練習台にされずに済むだろうに。
頼むから商人を目指してくれ!
「これ書いたら魔法練習するから逃げんなよ!」
「に、逃げるわけないよ。あ、そういえば洗濯が残ってた!ちょっと行ってくる!」
「あっ待て!『加重』」
「ぐへっ」
やっぱり痛かった。ふざけやがって、むちゃくちゃだ。首がへし折れるかと思った。自分の体の上に、あの商人さん、ベンケン・シャスキーさんが降って来たかと思うぐらい重かった。
はあ、もう二度と魔法の練習に付き合うなんて言うのは止めよう。もっと考えてから慎重に発言しよう。特にユーリに対しては。
どうもー。




