9.ダンジョンのジョン
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「バードンさんからお預かりした金の女性の像を解析していました。この道具は魔法を発現させるものではなく、魔力を視認できるようにしている物だという仮説を得ましたので、軽くですが僕の魔力を流したんです」
「それで爆発を?」
「はい。像に触れて閃光で目が眩んだのは憶えていますが、それから先は分かりません」
「それは研究者として正しい手順なのか?俺には好奇心でやってみましたと言ってるようにしか聞こえないんだが」
「――正しくない手順です。申し訳ありません」
「人に頼んでおいて言うのも何だが、お前一人前の研究者なんだろ?今回はたまたまお前しかこのフロアに居なかったからいいものを、無関係の人を大量に殺してたかもしれないんだぞ?」
俯いているが、これは看過できない。
「全身火傷に呼吸も弱く、脈も危うかった。要するに死んでたかもしれない。20歳だよな?死ぬには早いと思わないか?今回俺がいたからどうにか出来た。はっきり言ってこの宿であの状態のお前を回復させられるのは俺以外誰もいないんだ。別に恩を売りたい訳じゃない。お前が助かったのは運が良かっただけだと言いたいんだ」
「はい」
「人が死ぬのは一瞬だぞ。研究に熱が入るのも理解できるし、好奇心が暴走しそうな時もあるだろうが、二度とするな。次は本当に死ぬかもしれない」
「はい。申し訳ありませんでした」
目元を拭い頭を下げた。この惨状を見れば当然の反応だろう。廃墟同然なのだから。
「とりあえず客室を使ってくれ。ここは、ご覧の通りだ」
「あ、あの」
「クビにはしない。解析を任せたのは俺だし、怪我をしたのはお前だけだ。ただし次は無いからな」
「はい、申し訳ありませんでした」
「建物はどうにかできるから心配しないでいい。金の心配もいらない。俺は受付に行ってみんなに報告してくる。あ、服は、無いよな。サイズが合わないけどとりあえず俺の持ってくるから、空いてる部屋で待っててくれ。造成魔法で造っても1着だけじゃ不便だろ」
「あ、えーっといえ、どうにか」
「どうにもならんだろ。この件は終わりだ。今後気を付ければいいから、部屋に行って休んどけ。これ、服を造ったらこれで部屋に向かってくれ、木札はまた新しいやつを作る」
「はい」
マスターキー兼マスター転移道具の黒い木札を手渡した。悪気が無かった、当然だろう。若いうちはミスったらいい、それも結構。でも今回のはダメだ。
――ダメだ。
「ウネツ君」
「は、はい」
「ここは俺の家であって、大切な人の形見みたいなものでもある。壊しても直せるから構わないが、もっと大事に扱ってほしい。頼むな」
「はい、申し訳ありませんでした!」
予備のマスターキーは受付に置いてある。ここは転移でしか行き来出来ないようになっているから、アレを使うしかないか。
胸ポケットから取り出したのはチェーンであった。手首に嵌めるにはやや大きい程の円を描くチェーン。そこには様々な物が垂れ下がっている。
台座に嵌め込まれた赤い石、年季の入った懐中時計、埃一つない片眼鏡、灰色の粉が入った小瓶、芽がチェーンに絡みつく種子、菫色の靄の輪。
指を通してやると、それらが下に垂れ下がり窮屈そうにひしめき合う。
纏めて握りしめて魔力を流し転移を望めば、掌中で赤い石が煌めいた。
受付に転移すると予想通りの光景があった。冒険者や商人達が原因を知りたいと詰め寄っていたのだ。アゼルは胸ぐらを掴まれ、アーリマは胸ぐらを掴み、ユーリとミリスは周囲のお客と楽しく談笑している。ただのカオスだった。
ひとまず全員を落ち着かせ事情を説明した。
噂を流さずにいてやるから、十分安い宿泊代をもっと下げろと恫喝してくる者には平謝りする。「実際のところは何が?」と敏腕騎士気取りの陰謀論者には「説明した通りですよ」と繰り返し伝える。
混乱に当てられて血が騒いだ者にはアーリマをぶつける。
やっと静かになった受付で従業員へと細かな事情を説明した。従業員全員が住み込みで働いている。つまり彼らの家だったのだ。私物は殆ど燃えてしまったか瓦礫に潰されているだろうと説明して、こちらで弁償すると伝えた。
アーリマやミリスは仕方ないと割り切っている様子だった。思い出の品とかあっただろうし、高価な物もあっただろう。だがそこは大人だった。
アゼルはかなり落ち込んでいた。貧乏な家だから高価な物はないのだが、兄弟や母から貰ったものばかりが部屋にあったと。申し訳ないと謝罪すると涙目になりながらも逆に謝ってくれた。何も悪くないのに。
スカーレットには魔石で、クーさんには宿へ帰ってきてから伝えた。2人ともあっけらかんとしたもので、金を出してくれるなら問題ないとの事。
タカダさんの元へ行き事の顛末を話した。『どうせ何もなかったんで、モーマンタイ』と言っていた。モーマンタイの意味が分からなかったので尋ねたら、問題ないという意味らしい。初めて聞いた、若者言葉だろう。
地下の家に戻り古い洋服を適当に見繕ってウネツ君へと手渡した。俺を見るや否や土下座して謝ってきた。異世界人がやる最大級の謝罪の意思表示だ。
「皆にもちゃんと謝るんだぞ?まあ、助かってよかったよ。命あっての物種だからな。ウネツ君の謝罪はちゃんと受け取ったから、もう謝らなくていい。今後もよろしく頼むな」
泣きながら謝っていた。
1つの失敗で命が消える、これは身に染みている。幾度も目撃したし俺自身が体験した。俺の場合は、俺の失敗で妻が死んだ。10年近く前の事だが未だに鮮明に覚えている。あの時こうしていればと何度も考えたが、これがいかに不毛な事か、悟ったのは最近だ。
死ねば終わり。転生というチャンスがあるかもしれないとも考えた。けれどそれは異世界人だけの特権だ。何故なら異世界に魔法がないからだ。そしてこの世界の転移者と転生人はチキュウという世界のニホンとい国から来たという。
つまりこの世界で生まれた俺は死んだら終わり。
失敗は激痛を齎すが同時に大事なものを教えてくれる。
俺が学んだのは、刈り尽くせない悪意の芽が無数にあるということ。そしてその悪意は決して光とは混ざらないどす黒い闇だということ。一部の隙も見せてはダメだと学んだ。
「おはようございます。まず、昨日の件で従業員専用フロアの修理が必要となりました。なので今から地下に行ってきます」
従業員控室では朝礼が行われていた。
黒のスリーピーススーツに蝶ネクタイ姿の従業員達は、店主であるバードンを前に整列し頷いている。
「えー、みんなも知っている通り地下には魔物が住んでいて、俺とアーリマ以外は立入禁止です。地下に行かないと改築とかが出来ないので俺は今日半日居ないものだと思ってください。それから修理ついでにリフォームもしようと思います」
「リフォームっすか?」
アーリマは新しい物好きだ。新しい魔法も道具も挑戦も目を輝かせる。その辺りは少年時代と変わっていない。
「うん。前に話したから知ってると思うけど、夜勤組には2人の道具工具研究者がいる。今回の爆発事故は俺がその研究者に頼んだ道具解析中に起きてしまった。まあ、頻繁に頼む訳ではないけど、この宿で使っている、放出魔力吸引圧縮注入器も夜勤組のスカーレットが作ってくれた。要するに彼らの研究はこの宿にも俺にも大変有益なので、研究室を作ります」
従業員達はふむふむと頷く。
「それに伴って、またこのような事故が起きないように研究室は爆発、毒、水害等が起きても被害が拡大しないように設計しました。なので、二度と研究や解析中に今回のような事は起きないと思います」
ミリスは律儀に手を挙げた。
「ミリスどうぞ。わざわざ手を挙げなくてもいいんだけどな」
「部屋を大きくしたりする事は可能でしょうか?」
「え?ああ、どこの部屋?」
「私達の部屋です。2人部屋にして欲しいと言ったのは私達ですが、出来ればこの際大きくして頂けるとありがたいです」
「ああ!もちろん。それもついでにやろうと思ってたんだ。それとな、随分前にタカダさんがいい提案をしてくれたんだが、魔石の準備や魔力の問題で断念した設計があってな。それを今回は従業員全員の部屋に採用します!」
「それはどんな」
「まあまあ待ち給えよミリス君。それは出来てからのお楽しみにしよう!という訳で今日の日勤は俺無しでお願いします。ミリスが店主代理で対応してください。ミリス頼んでもいいか?」
「は、はい!もちろんです。お任せ下さい」
「よしっ!よろしく頼む。えー、もしも勤務中、手に負えないような事が起きた場合はアーリマが直接俺のところに来て下さい。地下の魔物がいる場所は連絡用魔石が使えないので。以上です、何か質問はありますか?」
全員が首を横に振った。よし久しぶりの朝礼だったけど、いい感じだ。
今日行った朝礼は、2ヶ月ぶりである。バードンが二日酔いで、今日はあんまり動けないかもという内容を告げた朝礼が最後だった。
なので、久しぶりに店主っぽい事をしたバードンは満足げなのだ。
執務室へと向かいいつも座っているボロ椅子に手を掛けた。
ダンジョン地下へ行くには一定の手順がある。
まずこのダンジョンの形見、赤い石を持っていること。次に執務室の椅子を引き、床板を2回踵で叩くこと。すると魔法陣が現れるのでそこで転移の意思を伝えること。
転移した先は何も無いだだっ広い空間であった。ひんやりとしており、静寂が支配する灰色の世界。なめらかな石材が仄かな明かりを纏い、転移した者の遠近感を奪う。
辺りを見渡すがどこにもいない。あんな容姿だったらすぐに見つかるはずだが、まさか俺が来たことを知らないとか?いやそれはない。アイツはダンジョン。アイツがこの建物そのものだから、とっくに気付いているはずだ。
「やぁーバードン君。久しぶりー」
明るい声色が何処からともなく聞こえてくる。
「久しぶり、ダンジョン」
やっと来たか。能天気でガキみたいな魔物だ。
「ダンジョンなんて愛嬌の無い呼び方はヤダなー。ジョンって呼んでって前に言ったよね?」
聞き覚えのある声が後ろから聞こえ振り向くと、そこには真っ赤な魔物がいた。
4枚の透明な翅、燃え盛り無風でもたなびく髪、額から突き出た2本の角は鉱石のような深紅を湛える。
背丈は1メートル程でとても華奢な魔物は、希少な亜人である妖精族のような風貌をしている。だが魔物だ。人間という括りには入らない。
「改築の依頼だ。大体の図面はできるから……」
「えーーーーつまんなーーい。いきなり仕事の話かよーーーー。いーーやーーだーー」
これが守護者。全盛期の俺達はコイツに負けたんだ。強いのは認めているが、こんな奴に負けたとは……
なんか認めたくない。もっと威厳を出してほしいものだ。
「他に用は無い。さっさと終わらせよう」
「ユーリちゃん元気?」
思わず顔を顰めてしまう。契約をしたから襲ってくる事はない。だが、魔物にユーリの名前を呼ばれると虫酸が走る。理性の無い化け物が家族の名前を呼ぶと、どうしても体が反応してしまう。
「えーなんで怒るのさー。ボクたちは契約し合った仲じゃーん。まーだ仲良くしてくれないの?ボク寂しいなー」
「――お前は魔物だからな。そう簡単な話じゃない」
「ふーん、それで?ユーリちゃんは?連れてこないの?」
「ユーリは来てないし、今後連れて来ることもない。仕事の話を始めても?」
「ダメー。他の皆は?会いに来てくれないの?」
「それぞれ分かれて生活してる。昔みたいにいつも一緒という訳じゃないし、簡単に会いに来れる距離じゃない」
「そっかー。昔みたいに一緒に暮らしたいねー。ジナキウちゃんに会いたいなー。アーリマ君は?ここで働いてるでしょー?」
「元気でやってる。なあ、いつまでこの話を続ければいいんだ?」
「つれないなー。バードン君がここに閉じ込めるから悪いんだよ!人も来ないし魔物達とも遊び尽くしたし、いい加減暇だよー」
「俺には関係無い。魔力は定期的に供給してるだろ、契約上それで問題ないはずだ」
「管理はー?ボクの管理!管理管理!暇だよ!管理出来てないんじゃない?」
「してるだろ。まあ、今回の爆発は申し訳ないがすぐに直る程度だ。いつもは宿の掃除をしてるしここ以外は定期的なチェックもしてる」
「それだけじゃダメじゃないかなー?ボクの機嫌を取るのもダンジョンを綺麗にするのも同義だと思うけどなー。だってほら、ボクがダンジョンじゃーん?」
「具体的に何をすればいい。人を送るのは論外だぞ」
「えーたまには送ってよー。牢屋もせっかく作ってあげたのに使わないじゃーん。まあいいや。とりあえず近況を聞かせてよ!ユーリちゃんは?さっき答えてくれなかったよね」
「はぁ、元気だ」
「ねえー、バードン君ちゃんと教えてよー。契約違反になっちゃうよ!ほら、他には?何か面白いことあった?」
「最近魔法に興味を持ち始めた。造成魔法が得意みたいだな。後は、まあ、10年前の事を話した」
「えっ!バードン君のお嫁さんの事も話したの?」
「ああ、ユーリの母親だからな」
「わーお。ユーリちゃんはなんて?」
「特に何も言ってなかったな。あれ以来、いつもより元気に過ごしてる」
「ふーん。変わってないね」
「変わってない?誰が?」
「ユーリちゃんだよ。昔ここに来た時もずーっと笑ってはしゃいでたでしょ?子供の感覚は敏感だからね。大人達がどんなに取り繕っても分かっちゃうんだよねー」
「雰囲気で察してたけど、無理してはしゃいでたってことか?で、今回もそうだと?」
「そーじゃないかなー。2歳のユーリちゃんはバードン君の前で泣いてた?ボクとパックの前ではよく泣き疲れて眠ってたよー」
「お前達のところで眠ってたのはそういうことだったのか。じゃあ、俺はどうしたら……いやなんでもない」
「どうしたらいいって?」
「いやいい。魔物に聞くことじゃない。そろそろ仕事の話しをしてもいいか?」
「聞いてくれてもいいのになー。まあ、ユーリちゃんの近況も聞けたし、いいよー!」
昨日夜なべして描いた設計指示書。従業員フロアは拡張して部屋数も増設した。雇い入れる予定の人数分と予備の分だ。それから実験室は耐爆・耐火用に頑丈な造りにしてもらう。万一事故が起きても換気装置が作動し、尚且つ水魔法によって早期の鎮火を図る設計だ。それから毒による汚染が起きた場合は即時隔離される仕様にした。毒は種類が多いから、拡散を防ぎ封じ込めが完了した時点で毒の特定と対応を開始すればいいだろう。そして耐水仕様はダンジョン内が水で溢れた際を想定した。単純な排水機構を導入しただけである。
ダンジョンの管理は俺が一任されている。ダンジョン個人の独断で内部の構造を変更することも可能だが、コイツは不干渉を貫いている。恐らく興味がないのだろう。つまり俺が指示しなければ火事が起きても避難誘導などしないし、排煙もしないわけだ。
しかもこうして絵に書いたり、どういう目的で動く装置か説明したりと、具体的に指示しなければ理解してくれない。
緊急時に研究室を隔離してくれと言っても「研究室ってどれ?」と理解されない可能性がある。
何故ならこの建物自体がダンジョンであり、その中に研究室など無いからだ。
感覚としては臓器を勝手に改名されているようなものらしい。
人間に置き換えると「研究室を隔離してくれ」と言われて、実際の意味するところは「大腸を閉塞させてくれ」だった的なことらしい。
これを聞いた時、俺はそんなグロいお願いをしていたのかと少し不安になったので聞いた事がある。部屋とか無くしても死んだりしないかと。
ダンジョン曰く、全く問題ないそうだ。地下にある最奥の間、ダンジョン本人がいる部屋さえ消えなければ他はどうでもいいらしい。
要するに、緊急時に頼んでも対応してくれない可能性があるから、逐一事前に設計して造り変えなければならないのだ。
ダンジョンの強みは自由に造り変える事が出来る点だ。もちろんダンジョン本人の協力が不可欠だが。そして大きな弱点もある。それは閉鎖空間であるという事だ。
今回の爆発で気付いたのは、緊急時の逃げ場がないという致命的な欠点だった。昔に契約をした俺、アーリマ、ユーリ以外は保護の対象外なので緊急時に自力での脱出が求められる。従業員に与えている木札は各自の部屋とお客様用転移陣を結ぶもので、それ以外には転移が出来ない。
もし仮に、あの場にクーさんが居たとしたら脱出が出来ただろうか。爆発で木札が吹き飛んだ場合は探さなければならないし、木札が燃えて使えなくなったら?助けが来るまで待つしかない。黒い木札を増産できればいいのだが、魔力と金の問題で不可能。そもそも木札は俺が製造したもので、ダンジョンとは関係がない。
各客室の鍵の魔力、黒い木札2つの魔力、赤い木札の魔力、大浴場の魔石の魔力、これら全ての魔力は俺が1人で賄っている。何故なら魔石の特性上、魔力を使い切るまで一人分の魔力しか受け付けないからだ。あと半分入るから誰かに魔力を分けてもらうとかできないわけだ。
しかも転移に使う魔力は洒落にならない。一般人が転移しようと考えた場合、1回で魔力切れになる。いや出来ない可能性もある。転移はかなりコスパが悪いのだ。
なので、お客様専用の転移陣を予め設置して各部屋の転移陣と接続させることで省魔力化した。それでも大人数の転移である事は変わらないし1日200人ぐらいと考えると絶対に賄えない。その為、スカーレットの作った「放出魔力吸引圧縮注入器」をめちゃくちゃ稼働させている。
魔力が足りない、そういう場合は魔力を借りる必要がある。
従業員から魔力を借りると、どの魔石に誰の魔力をと記録する必要が出てくる。煩雑になるため行っていない。
であれば魔力を持っている生物、魔物を使えばいいのだ。魔物の魔力は種族毎に違う。つまり種族さえ同じなら紐づけの作業が不要なるのだ。
ただし魔物の側に魔石を置いても魔石は魔力を吸ってはくれない。魔石には注入する必要があるのだ。
その際に使うのが「放出魔力吸引圧縮注入器」である。
召喚士でもない俺が魔物を従わせることは出来ないし、ましてや死骸に命令することも出来ない。屍術士でもないから。まあそれっぽいことは出来るけど……
要するに「放出魔力吸引圧縮注入器」を使えば魔物の死骸から魔石へと魔力を注入することが出来るのだ。
とはいっても潤沢にストックがあるわけでもない。この道具は1基しかないし、俺も毎日魔石へ魔力を流しているわけじゃない。だから今は作れないのだ。
そしてあの木札は高級なのだ。木札に描かれた転移陣は魔石を砕いて作ったインクを用いている。魔石は冒険者時代に魔物達から奪い取った場所が採石場だったので、全く困っていない。無料で取り放題だから。
しかしあの木札がいいお値段なのだ。大量の魔力を保存した魔石インク、これに耐えられる素材は特殊な加工をした材質となる。そして簡単に壊れたりしないように硬い木を選んだ。価格は一本120万ワカチナ、簡単に手が出せない金額だ。
まあ特殊加工したり木材が良質だから仕方ないが、そもそも顧客が少ないから、業者の言い値になってるのだ。
という理由で木札はあまり作りたくない。
結局緊急時に脱出するには、あらかじめ避難計画を立てて、構造を変更しておく必要があるのだ。それについては設計指示書にも書いたが、避難用通路の設置をする。
従業員フロアに関しては宿とは別個の施設扱いなので、スロープを滑り降りれば玄関に着くようにした。調理場に関しては玄関に転移できるように赤い木札の仕様を変更するとともにスロープ降下仕様にした。
客室だけは避難用階段を設置した。こちらが階段なのは上り下りできるようにである。出来れば木札の魔力消費は控えてほしいので。
そして従業員それぞれの部屋にはシャワーと小さめの浴槽を備え付けた。これはお楽しみにと思って隠していた目玉だ。この世界でのシャワー普及率は低い。あのヘッドを大量生産できていないからだ。この世界でシャワーとされているのは、天井に四角く点が並んでいて、そこから太め水が出てくるタイプで、手で持って体のどこにでも当てられるタイプではない。
もちろん今回用意したのは手持ちタイプである。これはタカダさんが図面を作ってくれていたのでそのまま使いまわした。
かなり欲張ったが、とりあえずよろしく!
ダンジョンの手から火が迸り少しずつ膨れ上がっていく。不思議と紙の設計図は燃えなかった。
「ふむふむ。分かった!じゃあ作りまーす」
そう言ったダンジョンの角の中では火が渦巻き、体が熱く燃え盛った。手に持っていた紙は一瞬で灰と化す。周囲を煌々と照らす火だが、まっさらな空間はひんやりとしたままだった。
ダンジョンは腕組みしキョロキョロと視線を動かす。それに合わせて僅かな振動とゴゴゴという音が何処からか聞こえてくる。
少し経ってジョンは手を叩いた。
「よしっ!出来たよ。研究室はここと同じ作りで、物理的魔法的効果の影響が外へ出ないようにしたから。もちろん、緊急用の換気装置?も付けたよ。それと、調理場も使いやすくしたし、従業員のお部屋にもシャワーを付けた!あとは、避難用の通路?それも作ったよ。完璧だね」
「ありがとう。じゃあ俺は行く」
意外と早かったな。胸ポケットからチェーンを取り出し……
「待って待って!もう行っちゃうの?早くない?急ぎじゃないんでしょ?」
「急ぎではないが、用もないからな」
「パックも会いたがってるよー。今から連れてくるからさ、待っててよ」
「いや、上の仕事を抜けてきたんだ。戻らないといけない。じゃあな」
チェーンに垂れ下がる形見たちを掴むと、足元から転移陣が現れた。あ、そういえばいくつか聞かないといけないことがあるな。
「そういえば、あのスイートルームって何だ?6階の豪華な部屋だ」
「あー、あれは思い付きだよ。凄いでしょー?ボク才能あるのかな?」
「あの階はお前が管理してるんだろ?常時設置しておけないのか?あの部屋があればうちとしても商売の幅が広がって助かるんだが」
「うーん、いいけどさー大切に使うのが条件!思い付きで作ったけど、絶対に壊したり汚したりしないで!あと調理場も大切にしてよね!」
「調理場?もちろん大切に使ってるし、料理人は一流だから大丈夫だ。まあ、とりあえず6階も開放してくれるんだな?助かる。それとお前、爆発の時助けてくれたのか?」
「うん!助けたよ」
「――やはりか。お前が出てきたってこと死にかけてたのか」
「そーゆーこと!ありがとうは?」
「ウネツ君を治療しなかった理由は?彼もウチの従業員なんだけどな」
「契約外でしょ?それにダンジョンを壊したんだから、義理がないねー」
「そういうことだろうと思った。助かったよ、ありがとう」
「いつでも来てねー。それと、そのブレスレット懐かしいねバードン君。ボクが見た時はもうちょっと……」
バードンは言葉を最後まで聞くことなく、執務室へと転移した。
毎度ありがとうございます。
皆様の幸せを祈念しておきます。




