第8話 誰かのため息と入学願書。
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今日も一人で鍛錬を続けている。
今までずっと、家の中に籠って、時々隠れて剣を振るくらいの怠惰な毎日を過ごしていたせいで、私は本当に基礎体力がない。
それにしても、時々、カイル様にいつものように話しかけようとしてしまうのは、なぜだろう。
今までだって、カイル様が長期の遠征に行くことなんて、何度も会ったのに。
なんだか味気ない。
「そんなときは、素振りをするのが一番よね!」
『味気ないのはなぜなのか、少し考えて?』
神様がうるさい。
そんなこと考えるまでもなく、毎日が味気ないのは、カイル様がいないからに決まっている。
鍛錬は、一人でするより二人でした方が楽しいのだから。
『もうやだ……。この救国の乙女鈍感すぎる』
なんだか失礼なことをつぶやいて、神様の気配は消えた。
それよりも、今日は騎士団の入団試験の願書を提出する日なのだ。
カイル様とお祖父様は、入団試験に参加することを許してくれた。
その条件が、私の髪と瞳の色を、魔法薬を使って茶色に染めることだった。
お母様ゆずりのピンクブロンドの髪の毛。お父様ゆずりの、スミレ色の瞳。
両方とも隠してしまうのは、少し残念な気がする。
そして、変えたとしてもアリアローゼの顔を知っている人間には、すぐに気がつかれてしまうかもしれない。
それに、名誉騎士団長であるお祖父さまやカイル様クラスの騎士団の人間には、こんな偽装、通用しないだろう。すぐに見破られるに決まっている。
――――時間稼ぎになるといいけど。
そう思いながら、魔法薬を使うと、ピンクがかった金と、スミレ色の華やかな色合いの代わりに、よく街中で見かける茶色の色彩が現れる。
一般的に、一度染めてしまえば、一カ月程度はその色が続く。
ローゼとして使うのは初めてだけれど、アリアローゼの時は、任務によっては魔法薬を使って髪と目の色を変えることがあった。
さっぱりとした飾り気のないドレスに袖を通した。
本当は、騎士服の方が動きやすいのだけれど。
そう思いながらも、この優しい鳥かごの中にいた十五年間で、すっかり着慣れてしまったドレス。
ここは、暖かくて安全で、大好きな人がいる私の大事な場所。
それでも、私はずっとここにいることは出来ない。
だって、大空に飛び立ちたい衝動を抑えることは出来ない。
――――それでも、大空で羽ばたきながら、その場所が全てだったころにも、もう戻れない。
優しい鳥かごの中が、自分の帰るべき場所なのだと、この十五年間で認識してしまったみたいだから。
「私は、弱くなってしまったのだろうか」
思わず、アリアローゼとしての自分がため息をつく。
でも、守るべき場所があることは、弱くなるということなのだろうか。
「……たぶん、それは違う」
私は、少しだけ首を振ると、入学願書を手に取り、屋敷の外へと出た。
茶色い髪の毛が、時々視界に映る。
私は足早に、騎士団へと向かった。
そこに再会が待っていることも知らずに。
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