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     ★     


 いつもより念入りに身だしなみを整える。

 冷たい水で丁寧に顔を洗い、いわゆる清潔感を手に入れる。

 いつも自然に任せていた髪の毛の寝癖も、今日ばかりは妹から借りたくしで抑えていく。

 ワイシャツの襟元に、学校指定のネクタイをビシッと結んで。

 社会の窓もしっかり閉じて。

 洗面台の鏡には、それなりに良い男が写っていた。


「よし! やるぞ、小石川秀太こいしかわしゅうた!」


 全力で気合を入れる。コンディションは決して悪くない。むしろ良好。今の自分ならやれる。絶対にやれる。子供の頃からの夢を叶えられる!


 僕は制服のブレザーに袖を通しながら、颯爽と居間に向かう。

 テーブルでは中学生の妹・小百合さゆりが朝食を食べていた。昨夜のお好み焼きの残りをレンジで温めたらしい。ソースの匂いがする。


「おはよう、おにい。えらく気合入れてるね」

「出陣の日だからな」

「あはは。そっかそっか。わたしの櫛、洗ってくれた?」

「当然!」


 そう答えて、妹の対面に座る。

 二日目のお好み焼きでは気力が失われてしまいそうなので、僕はコンビニのプライベートブランドのポテトチップスで朝からスタートダッシュを決めることにした。

 ガリガリ。欠片が服に残らないように気をつけないと。もう芋っぽい男ではいられないのだから。


 テレビでは星座占いのコーナーが始まっていた。


『本日の五位は乙女座のあなた! 今日のラッキーアイテムは……』

「おっ。桃色のハンカチだって。持ってる持ってる。おにぃも乙女座なんだし、わたしの二軍よびを持っていけば?」

「別にいいよ」

「そう言わずに。例のあれって初日が大切なんでしょ。可愛い子に速攻OKもらえるように、ラッキーでパワーアップしちゃいな」

「小百合、お前は本当に占いが好きだなあ」

「好みというより験担げんかつぎだもん」


 なるほど。そう言われると納得してしまう。

 ジンクスってバカにできないからね。

 僕はポテチのカスを喉に流し込んだ。ごちそうさまでした。ってきます。夢を叶えるために。



     ★     



 二月十七日の校舎はギラギラしていた。

 男女の欲望と思惑が絡み合う、独特で強烈な雰囲気は一年生・二年生の頃にも肌で感じてきた。

 だが、三年生とうじしゃともなると、肌に触れる空気の「圧」が段違いだ。少しでも気を抜いたら卒倒しそうになる。

 三階の教室まで階段を歩いただけで疲労感がすごい。


 これが約二週間に及ぶ『猶予期間せんそう』の初日なのか。

 いいぞ。逆に燃えてきた!


「おーいおーい」


 教室に入ろうとしたところで、背後から声をかけられる。

 全力で追いかけてきたのか、相手は「ぜえぜえ」と息を切らしていた。


「はあ、おはよう秀太。なんで今日はこんなに早いの?」


 灰色のダッフルコートで冷たい冬を押し退けてきた彼女の名前は、高井田もろみ。

 我が家の隣に住んでいる、いわゆる幼馴染というやつだ。


「なんでって。今日だからさ」

「例の? はあ……良いなあ。受験終わった組は。あたしはまだ試験を受けなきゃいけないのに」

「早く終わらせてきな」

「誰のせいだと思ってんのよ」


 もろみはキッと目を怒らせてくる。生まれた時からずっと僕と同じ学校だったから、進学先の大学も合わせたいらしい。

 それなら、僕と同じように秋の推薦入試で進路を決めてしまえば良かったのに、残念ながら彼女は成績不良で落ちてしまった。


 よって、彼女は通いなれた三年生の教室ではなく、北校舎あちらの自習室に向かう。

 南校舎こちらは『猶予期間』でうるさくなるからね。


「……ちなみに秀太は誰を誘うのか、もう決めたの?」

「もろみには教えない」

「ふーん。どうせ夜には話してくれるでしょ。いつもみたいに」

「それが吉報ならいいんだけどね」

「ま、せいぜい頑張りなさいな」


 彼女に肩を叩かれる。柔和な微笑み。応援してくれている。

 僕が子供の頃から抱いてきた「夢」を。


「ああ。もちろんさ。僕は絶対に『プロム』に参加してみせる!」

「みんなの前で踊りたいのよね」

「そうだよ。たとえばこんな感じ!」


 互いに手を取り合い、ちょっとした振り付けを合わせる。本当にちょっとしたダンスだ。傍から見たら、稚拙すぎて笑われてしまうかもしれない。それでも楽しい。


 プロム。

 アメリカ発祥の学生ダンスパーティ。

 うちの学校では本場仕込みの本格的な『卒業記念プロム』が毎年催されており、三年生のカップルだけが参加を許されている。


 逆にいえば、独り身では会場にさえ入れない。

 ゆえに生徒たちは受験を終えた者からパートナー探しに奔走することになる。

 二月の自由登校日が『猶予期間』と呼ばれているのはそのためだ。当日参戦ではもう間に合わない。


 北校舎に向かう幼馴染を見送り、僕は三年三組じぶんの教室に足を踏み入れる。

 案の定、室内は校則に引っ掛からない程度のお洒落を試みた男女でいっぱいだ。ふふふ。相手にとって不足はない。

 なぜか、みんながこっちを見ているのが気になるけど。照れちゃうね。


 その中で一番初めに目が合ったのは……いつも笑窪が素敵な斉藤さん。元吹奏楽部で趣味は園芸。首にチョーカーを付けている。可愛い。


「よしっ! 斉藤さん! 君に決めた! 僕とプロムに行ってください!」

「えええっ!? 今の流れで私なの!?」

「よろしくお願いします!」


 僕は誠意をもって頭を下げる。右手だけはしっかり前に。

 はたして、彼女の反応は。


「待って待って! 待って。小石川くんだよね。えっと。さっき楽しそうにダンスしてた高井田さんはいいの?」

「あいつじゃダメなんだ。君でないと!」

「そうなんだ……ええとね、まず、いきなりすぎるし、あんまり話したこともないから、ちょっと考えさせてもらいたいなあって……」

「返事は明日でいいよ!」

「う、うん。そうさせてもらうね。ありがとう」

「良かったらLINEを交換しよう!」

「それも明日でいいかな……ごめんね?」

「うん!」


 よしよし。反応は悪くない。

 斉藤さんは一見すると大人しそうだけど、部活ではクラリネット隊をまとめていたリーダーだ。けっこう強めに指示を飛ばしていたところを見かけたことがある。

 きっとプロムのダンスの時も主張をしっかり示してくれるだろう。そのほうが僕も振り付けを合わせやすい。


 以前から少し気になっていた子を誘えてよかった。

 僕は満足して、窓際の机に向かう。

 自由登校なので正式な授業はない。先生が来て、生徒の自習を見守っていたり、映画を見せてくれたりする。


 一限目の映画は『バック・トゥ・ザ・フューチャー』。

 主人公マーティの両親が結ばれる、魅惑の深海ダンスパーティもプロムだ。

 きらびやかな衣装、ムーディな生演奏の音楽。仲睦まじげにペアでダンスする若者たち。

 僕にとっては「憧れ」の一つ。


 当日は斉藤さんと、ああやって楽しく過ごせたらいいなあ。

 妄想が膨らむ。もう他のことなんて頭に入ってこない。卒業式が待ち遠しい。


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