恋をするまで死ねない君とあと百年は一緒にいたい
ふんわり設定。最後はほのぼのハッピーエンドです。
世界の果てで、死ぬこともできないまま芋を育てている。
すくすく育つ緑の葉を這うアブラムシをどう焼いてやろうかと考えていると、「そんな物騒な顔をなさって」と長い黒髪を風になびかせた魔術師が淡々と言った。
「そんなに怖い顔をするくらいなら、殺さなくて良いのではないですか」
しゃがむ私の隣にそっと腰を下ろして、微笑を浮かべる。
「だってこの子たち、害虫よ。放っておいたら芋が弱るわ」
「それは芋側が対処すべきことですよ」
「芋側が対処」
反論しようとして、やめた。芋が育ったからといって、私たちには食べることもできないのだ。
「……はあ。早く死にたい」
私の体は、百十年ちょっと前から時を止めている。
他でもない、横の魔術師ーーマーリンに、肉体に時を止める魔術をかけさせたのだ。
それ以来私は老いもせず、食事もできない。ただただ無意味に、流れていく時を見守るだけの日々を送っている。
それを解く方法は、たった一つ。
もう百年魔術師以外の人間を見ていない私には、絶対に実現不可能なことだった。
「それなら早く恋をしなければ。まあここに人間は、私くらいしかいませんけどね」
「無理じゃない。まだこのアブラムシのほうが可能性あるわよ」
「やはり芋が気の毒ですね。殺虫剤でも作りましょうか」
呆れて白い目で見てやると、彼は楽しそうに笑った。
◇
自分で言うのも何なのだが、私はかつて傾国の美女だった。
ど田舎の農村の貧しい平民に生まれた私は、ちょっと信じられない程の美貌が祟って噂を聞きつけ視察に訪れた貴族に見初められた。
初めて連れてこられた王都、足を踏み入れた貴族社会。
卑しい、浅ましい、平民風情。罵倒のコーラスは「しかし美しい」の副音声を秘めて私の体に纏わりついた。
けれども所詮私は貧乏な平民風情。誰も食べない豪華な食事を食べることに夢中で、正直そんな罵倒はどうでもよかった。貴族の食べ物超美味しい。
幸か不幸かそんな私の態度は、あらゆる権力者の心を奪ったらしい。男を転がす才能があったのか、ちょっと可愛らしく振る舞うだけで、彼らは蔑むべき平民の私を女神のように扱った。
そのうち当時の国王まで籠絡した私は、故郷では考えられない日々を過ごした。
贅沢三昧、酒池肉林。
老いも若きも男も女も、ありとあらゆる人間全てが私に傅き愛を乞う。欲しいなと想像すらできなかったものが、微笑み一つで手に入るのだから人生チョロい。
「……よし、魔術師を呼ぼう」
艶やかな瑠璃色の長い髪を手で弄びながら良いことを思いついたつもりの私は、地獄に突き落とされることなんて想像もしていなかった。
◇
魔術師は、この世のあらゆる不可能を可能にするという。
とりあえず話題になっていた稀代の魔術師を呼んでみた。長い黒髪、黒い瞳。まあまあ整ってはいるが、地味な顔立ち。見たことがないのに見覚えがあるような。まあどこにでもいる顔だろう。
「死んだ人を蘇らせたり、私を不老不死にすることはできるかしら?」
マーリンと名乗る魔術師に、手短に用件を告げた。
彼はさして動揺も見せずに、「生命を操ることは、魔術ではできません」と答える。
「しかし、肉体の時を一時的に止めることはできます。うまくいけば不老不死と等しい時が生きられます」
「……つまり?」
「ジゼル様が心から望む願い、それを叶えるまで肉体の時を止めることが可能です。しかしこの願いは、理論上実現可能な願いでなければなりません」
魔術師は、さらりと長い黒髪を揺らした。荒唐無稽な願いはダメです。あなたが望む、実現可能な範囲の願い。
「私が願って叶わないことなど、この世にはないわ」
「実現可能な範囲内に限れば、確かにそうでしょうね」
知ったような口調で言う魔術師に、やや不快を覚えた。
そんな私の顰めた眉を見て彼が苦笑した。
「それではどうでしょう、恋に堕ちる事を願いにしては」
「恋?」
「はい。ジゼル様はもう、安易に人をお好きになることはないでしょう」
その通りだった。私は誰のことも好きになれない。私に夢中になる老若男女を見ては白けてたけど、一度は恋をしてみたいなあと思っていた。しかし無理なことだと悟っていた。
――良い考えかもしれない。
「……そうするわ」
「では、御心のままに。しかしこの魔法は取り消すことができません。願いが叶うまでは、あなたの体は永遠に時を止めます」
「問題ないわ」
彼が私に、神々しく光る金色の魔法をかけた。
それは遠い昔故郷で見た、風にそよぐ小麦畑と同じ色。懐かしくて目を閉じた。
そして私は、変わらぬ美貌と永遠の命を手に入れた。
◇
それから一年足らず。栄華を極めた私の身に、災難が降りかかる。
私を巡って、王と王弟とが血みどろの決闘を行い、互いに生死を彷徨う重傷を負った。寝耳に水の決闘だった。
元々彼らは、とても仲が悪かった。王弟は私を平民の毒婦と罵っていたくせに。兄のものが欲しかったのか。
そして私は、衆人の前で王弟の妻に胸を刺された。
最悪なことに魔術によって私の肌は傷一つつく事なく、代わりに私の胸を貫く筈だった短剣が折れてしまった。
私の肉体の時が止まっていることは、王にしか伝えていなかった。しかも事後承諾だ。
万人が欲する不老不死の願いを望むことは、神に近づく行為とされ禁忌となっていたし、不老不死になっちゃった、と報告しで『いくら稀代の魔術師マーリンでもそんなことは無理だろう』と王は半信半疑だった。食事を摂らない私を見て、ようやく理解してくれたけど。
混乱を防ぐため、神の祝福を授かったとか適当なことを、教会に証言してもらおうかなあと話し合っていた矢先の事だった。
王族の二人が、一人の女を巡って重傷を負った。
衝撃的なこのニュースと、短剣が折れた事実に人々は私を魔女だと思ったらしい。
王はその時意識不明で、私の無実を証言してもらえなかった。意識が戻ったところで、洗脳されたとか言われて信じてもらえなかっただろうけど。
それに私も、もうこの貴族の間で生きていくのがほとほと嫌になっていた。何を聞かれても黙っていた。
「魔女は魔性を持つという」
「人を誑かし我が国を破滅に追いやろうとしているのでは」
「平民風情が、高貴な方を次々たらしこむのはおかしいと思ったんだ」
投獄された。
元々貴人ではない私は、尊い方が入るような幽閉の塔には入れない。投獄先は石畳の地下牢だった。不衛生で、寒くて、何もない。毛布一枚、クッション一つすらないのだ。
「……しくじったわ」
私はここで、悠久の時を過ごす事になる。
安易に不老不死を望んだ事を後悔した。
「ジゼル様」
聞き覚えのある声がした、と思ったら、あの魔術師がいつの間にか牢の内側に立っていた。余裕の微笑がなんだか腹立たしい。
「……こんなところに来たら、あなたも魔女の仲間と思われるわよ」
「私を心配してくれるなど、ジゼル様は相変わらず優しいですね」
煽られている。私がいつお前に優しくしたというのだ。
イラついていると、彼は「さあ、ここから出ましょう」と私に手を差し伸べた。
「私にはここ以外に行くところなんかないわよ」
「これからは好きなところに住めますよ。海でも山でも、南国でも北国でも。あなたの故郷にだって」
この人何考えてるんだろ。
黒い瞳を訝しげに見つめると、何の感情も読み取れない瞳の奥で何かが微かに蠢いた気がした。
「大丈夫。あなたの願いは、私が必ず叶えて差し上げます」
◇
魔術師に借りを作るのは嫌だったけれど、この汚いところで永遠を生きるのは何があっても無理だった。かといって王宮も同じくらい嫌だった。
魔術師の手を取り、牢を出た。行きたいところは無かったから、適当で良いと答えた。
「それでは世界の果てへでも行きましょうか」
そう冗談めかして彼が魔術で飛んだのは、海に囲まれた小さな島。なんにもないけど海はある、そんな感じの島だった。
「城でも要塞でもツリーハウスでも、お望みの家を作りますよ」
彼はそう言ったけれど、お尋ね者に目立つ住まいは必要ない。ツリーハウスは少し気になるが、あれは秘密基地だから良いのであって、居住には多分向かないのではなかろうか。
一人で住むには充分すぎる、小さな家を建ててもらった。
「良い家ですね」
「そうね。色々助けてくれてありがとう。後はもう一人で大丈夫よ」
「……一人?」
「ええ。あなたは王都に帰るでしょう?」
「……?ここに一緒におりますが?」
きょとん、と魔術師が目を丸くした。何を言っているんだ?と言いたげな顔だった。こっち側の表情だなそれは。
「一緒って、いつまで」
慄くと、彼はちょっと笑った。
「もちろん、あなたが亡くなるまで。それより私のことは、魔術師ではなくマーリンとお呼びください」
◇
聞いてみればマーリンは、私に魔術をかけた後すぐに自分にも魔術をかけたらしい。
きっと私を実験体にして、安全性を確かめたのだろう。しっかり者だ。腹立たしい。
「マーリンの願いは何なの?私のように到底叶いそうもない願いなの?」
「難しいですね。しかし時間はかかりそうですが、希望は見えてきました」
それ以上はいくら聞いても教えてくれなかった。海亀の産卵を見たいとか、そういう事だろうか。
「だからあなたのお側にいつもいられますよ」
そう言ってマーリンは笑うけれども、希望が見えたというのなら、彼はきっと私より先に死ぬのだろう。
◇
島生活に慣れてきて、暇を持て余し始めた頃から小さな畑を作ることにした。
「いつかジゼルの願いが叶ったとき、お腹が空いて困らないようにしておきましょう」
「無いだろうけど、マーリンの願いが叶うかもしれないしね」
「ええ。同時にお腹が空いてくるかもしれませんからね」
そう言って、とうの昔に忘れたはずの作物の育て方を、噛み締めるように思い出すのは楽しい気もした。
マーリンとの生活は思ったよりも楽しかった。
海で遊ぶのは初めてで。波に足を浸せば足の裏を流れる砂の感触は心地よかった。
さわさわと風に揺れる葉を見るときや、収穫した芋の可愛さを一緒に見るのはわくわくしたし、結局食べることはできずに土に返した悲しさも、二人で一緒に味わった。
かつて自慢だった長い髪は、邪魔になって顎のラインで切り落とした。マーリンは眩しそうに目を細めて、「ジゼルって感じがしますね」と微笑んだ。彼は私をジゼルと呼ぶけど、変な拘りで敬語は崩さない。
夜は星空を眺めて、海の音を聞いて、下手くそな絵を砂浜に書き、故郷の歌を歌ったりした。故郷に伝わる言い伝えの話もした。誤解で別れた恋人が、死んでしまった。けれども恋人は生まれ変わって、年上になってしまった主人公とまた新しく恋を始める。
まだ私たちのことを覚えてる人がいるかもしれないけど、百年経ったら世界を旅してみようかとも話した。
多分きっと、楽しいと思う。
◇
何年も、何十年も、時は過ぎてく。
私とマーリンの肉体はまだまだピカピカの若者だった。髪も一ミリだって伸びていない。
そんな私たちは、眠ることができた。眠れて良かった。ずっと起き続けるとか普通に辛い。
ただ最悪なことに、一人暮らしを想定した小さな家には、ベッドが一つしか置けなかった。
嫌々、渋々、仕方なく、私と彼は寄り添って眠った。彼はそれ以上のことをしてこないので、ギリギリ妥協してあげた。
マーリンの体は熱い。ぽかぽかの湯たんぽのようだ。魔術師の体は、魔力が体の内側でぐつぐつと滾るらしい。なんか辛そう。
しかしマーリンは特段何ともなさそうに、やや眠そうに本を読んでいる。
その様子と熱い体温に、遠い遠い幸せだった昔のことを思い出した。
「……昔、行き倒れて高熱を出した子を助けたことがあるわ」
ボロボロで倒れていたその子をほっとけなくて家に連れて帰り、家族みんなで看病したのだ。
もう少しで全快しそう、というところで、私は王都へ連れて行かれてしまったのだけれど。
「どうしてるのかしら。元気かな」
懐かしくなって思わず頬を緩めると、少し間を置いてマーリンが口を開いた。
「彼はジゼルから見て、どんな子でしたか」
「ん〜……死にかけてた子って事しか覚えてないな……。あとは、なんか無口だった気がする」
「……そうですか」
何故か不服そうだ。眠いのかもしれないけど、私は眠くないからまだ話に付き合ってもらいたい。
「マーリンは?なんか思い出話はないの?ご両親の話とか」
「私は孤児です。心優しい方に拾われましたが、その方たちとは……離れまして、王都で魔術師となり、今に至ります」
「そうなのね……」
一瞬間を置いて、私も口を開いた。
今まで誰にも言わなかった、昔の話だ。
「私の家族もね、私が王都に行って一年後かな、亡くなったの。私を見初めた貴族が私の親にお金を投げて、これだけあれば娘を売るには充分だろって言った言葉に俯きながら頷いてた姿を見たのが最期」
それまで貧しいなりに愛されてきたと思っていたから、頷きがショックで一度も故郷に帰らなかった。
帰りたいと言っても、多分許されなかったけど。
「……多分あなたの両親は、痩せた土地で貧しく暮らすよりも、そのほうがあなたのためになると思ったんでしょう」
「そうかもしれないなって思った頃には、もう二人は死んでしまってたんだよね」
目を閉じても、もう両親の顔は浮かばない。忘れてしまった。
だからあの、死にかけていた子どもがせめて無事に育ってくれてたらいいなと思う。
「だから私とマーリンは、ひとりぼっち仲間」
「……ひとりぼっち同士が一緒に暮らしているのなら、それはもう家族なのでは」
驚いてマーリンの顔を見る。
彼はとても真剣な顔をしていた。ランプの灯に照らされて、黒い瞳がきらきらと輝いていた。
「私とあなたは、ひとりぼっちではなくて家族です」
「……そうかもね」
それだけ言って、私は眠い振りをした。
夜の帳の中、マーリンの寝息が聞こえ始める。その呼吸を聞きながら、私は祈ることをやめた神に祈った。
彼の魔術が、どうか早く解けてくれますように。
◇
そんな風に時は流れて。
一緒に過ごすようになってから、百年が過ぎた。
とりあえずアブラムシを見逃すことにして一週間。
やはりそろそろ殺らねばなと思って畑に向かうと、マーリンが何やら畑でごそごそとやっている。何だろうと訝しんで手元をみると、魔術で擬似の植物を作り、そこにアブラムシを移していた。
そういう手段があるのなら、先にやって欲しい。思わず唇を尖らせると、マーリンは苦笑した。
「解決策を考えて、思いつきました。アブラムシ、殺すのも忍びなかったんでしょう?ジゼルは優しいですからね」
「マーリンが変なことを言うからでしょう。……それにしてもマーリンは、何でもできるのねえ」
私のためなら何でもやってくれるしね。軽い気持ちで褒めると、彼はいきなり暗い顔をした。
「え、どうしたの」
「何でもはできませんね。結局あなたの願いを叶えられませんから」
「ええ……そのテンションこちら側が罪悪感なんですけど……」
好きになれないのはこちら側の問題なので……。若干申し訳なくなってくる。
「そのことではありません」
マーリンが、手元に咲く偽物の葉を見て思い詰めたような顔をした。
「あなたが望んだのは、不老不死ではなかったでしょう。あなたは、亡くなった両親に会いたかった。生き返らせることができないのなら、言い伝えのように生まれ変わった彼らに会いたいと、そう望んでいたのではないですか」
「……」
私も、マーリンの手元に咲く葉を見た。偽物のくせに、そよそよさらさら、楽しそうに揺れている。
「この百年……いえ、あなたに会った時から、いつか絶対にあなたの願いを叶えたいと思っていました。なのに私にできたのは時間稼ぎ。どんなに研究しても、命を操ることはまだ難しい。でも待っていてもらえればいつか必ず……」
「それは、違うよ」
出した声は震えていた。
「私は、お父さんとお母さんの本当の気持ちを知りたかっただけ。そして私が愛してるよってことを、知ってほしかっただけ」
私はずっと悔やんでいた。そして同時に怖かったし、憤りも感じていた。
本当は私が、邪魔だったんじゃないか。本当は私が大事だったんじゃないか。どちらにせよ私が両親を愛していることを、彼らはわかってくれていなかったんじゃないだろうか。
贅沢を味わうたびに、私に愛を囁く貴族達の内心の蔑みを見るたびに、私は自分の体に流れる彼らの愛が死んでいくような錯覚を覚えていた。
しかし私を捨てたのは彼らの方だ。そんな気持ちで彼らとの暮らしを忘れるように、自分自身を傷つけるように浴びるような贅を覚えた。そうして私を王都に連れた貴族たちを、愛さないことで復讐していたつもりになっていた。
意味なんて何もなかった。
そうしてこのザマだ。
生きているうちに手紙の一つでも、送ってあげればよかったのに。
「……ジゼルの両親は、ジゼルを愛していましたよ。ジゼルの愛も、きちんと伝わっていました」
「慰めなんていらないよ」
「慰めるための嘘ではないことは、あとで説明致しましょう。彼らがあなたのことをどんなに愛していたのかも、あなたがどんなに彼らを愛していたのかも、私が全部知っています」
びっくりしてマーリンを見ると、彼は真剣に私を見ていた。
嘘では無いことは、百年一緒にいれば嫌でもわかるようになる。魔術師は、死者の声も聞けるのだろうか。それともマーリンは、生前の両親を知っていたのだろうか。そういえば彼は時折私のことを、昔から知っていた人間かのように話すことがあった。
このまっすぐな瞳を、私はいつかどこかで見たことがあっただろうか。
両親と私を、同時に知る人間なんていただろうか。
「…………あ」
「思い出しましたか?」
情けなく笑う彼に、バカみたいにポカンとしてしまった。
ベッドに横たわりながら、辛そうな顔でこちらを見ていたシルエットが薄ぼんやりと思い出されて、今のマーリンに重なった。
「え、あの時の子?何で言ってくれなかったの?」
「王宮にいた時のあなたは別人のようで、思い出させるのは憚られました」
「いやいや。じゃあどうして一緒に暮らしてからも教えてくれなかったの?」
マーリンと暮らすようになってから、元気になりだした自覚はあった。
「だってジゼルは死にかけた子どもとしか覚えてなかったし……」
「は?」
彼の顔を見ると、彼は渋い顔をして驚くことを言った。
「現在進行形の初恋ですよ、かっこ悪いところは思い出させたくなかったんです……」
「は?」
私のことが好き?
驚いて目を見開くと、マーリンは逆にものすごく驚いたような顔をした。え、気づいてなかったの?みたいな顔だった。
「気づいてなかったんですか?」
「ぜ、全然気づかなかった」
「え……じゃあ何故私が、ここにいると思っていたんですか……?」
「確かに……何のためだろう……」
何となく、暫定不老不死仲間としての連帯感ゆえだと思っていた。
そうか。彼は私のことが好きなのか。
そう気づいた瞬間、何十年前からかたまに味わうむずむずぐらぐらとした妙な感覚が這いあがってきて、打ち消すために「わああああああ」と叫んだ。
マーリンが驚愕する。当然だと思う。
「ご、ごめん」
「なんですか今の」
「なんか、色々誤魔化したくなって」
それでも落ち着かなくて深呼吸したり空を見上げて「青いなあ」と思ってみた。憎い男の顔も思い出す。あいつ、結局一度もボコボコにできなかったな。
ダメだ、おさまらない。
私は「ちょっと海に顔を突っ込んでくる」と言って駆け出そうとした。冷やせば止まる。何度か試し済みだ。
「ちょっと落ち着いてください」
その私の腕を、マーリンが掴んだ。いつも熱いのに熱くない。私の体も熱いんだ。
「気持ちが迷惑だったら謝ります。しかしジゼルを困らせたいわけでもないし、押し付けるつもりでは、」
「わああああ」
聞こえないように大声を上げた。マーリンが途方に暮れた、傷ついたような顔をする。
いや違う。迷惑というわけじゃない。
「ちょ、ちょっと、マーリンの願いは何?何をしたらあなたは死ぬの?」
「……言いません」
しかしあなたが望むなら、あなたの前から消えます、とマーリンは辛そうな顔をした。
そうじゃない。離れたくはない。でも好きになるわけにはいかない。
頭がぐちゃぐちゃになって、なんだか力が抜けてきた。
考えがまとまらないまま、私の口から勝手にぽろぽろ言葉が漏れる。
「あなただけが私を助けてくれて、こんなにずっと一緒にいて、ずっと楽しく過ごしてたのに、好きにならないわけないじゃない」
久しぶりに涙が出てきた。
「だけどもしも私があなたに恋をしたら、あなたは一人ぼっちで生きていくことになるじゃない」
これは絶対、恋ではない。
「家族が死ぬのは辛いでしょう。そんな思いはさせたくない。だから私はマーリンを好きにはならない」
ちゃんと彼を看取りたかった。
だけどもう、限界だった。気が緩むと頭が沸騰しそうで、「ちょっと海に飛び込むから手どけて」と凄んだ。
しかしマーリンは微動だにせず、ただただ真っ赤になって俯いていた。
もう蹴飛ばすしかないな。覚悟を決めて構えると、マーリンがぼそぼそと口を開いた。
「時を止めるための私の願いは、あなたを看取ること、にしようと思っていたんです」
「ちょっとそれ後で聞くわ」
話は後で聞かせてほしい。なるべく聞き流すようにしていると、「ちゃんと聞いてください」と頬を両手で包まれた。
黒い宝石みたいな瞳が、私を強く見つめている。
そこに浮かぶ確かな熱を見つけて、私はひゅっと息を呑んだ。
「でも私はあなたがいつか死ぬことを、心から願うことはできなかった。だから、あなたが私に恋をすること、にしたんです」
「ええ……」
ぽかんとする私に、マーリンが真っ赤な顔で、物凄く幸せそうに笑う。
「なるべく一緒に死ねるよう、頑張りましょう」
その言葉が、私の耳に優しく届いた。
泣き笑いのようなみっともない顔で、鼻をすすりながら私は言った。
「……お腹がすいた」
「私もです」
久しぶりの空腹にへなへなと座り込んだ私たちは、茂る緑の葉を見て「まだ食べれないじゃん」「この葉っぱって食べられるでしょうか」「魔術でなんとかしてよ」と笑いあった。
ようやく私の願いは叶った。
◇
故郷で墓参りを済ませ、私たちはまた小さな家に戻ってきた。
相変わらず変わらない日々を過ごすけれど、時間は有限。大事に大事に、浮かぶ感情をありのままに味わっている。
「これから何をしようか」と彼が言って、私は「落ち着いたら旅もしたいけど、もう少し広い家を建てたいな」と言った。
子どもが五人くらい住める感じの。
固まる彼の頬が染まっていくのを、してやったりと笑い飛ばして。
「そしてゆっくりおじいちゃんとおばあちゃんになって、ヨボヨボシワシワの私を、マーリンが可愛いって言って、子どもと孫、合わせて二十人くらいに囲まれて二人で大往生して、死んだらあの世でお父さんとお母さんとマーリンと酒盛りしてどんちゃん騒ぐ」
「人生設計が雑すぎる」
それでもまあ、大体は叶うよ。
そう言って彼が私のお腹に手を当てた。
ここは、世界の果て。
風に吹かれる髪が肩を時折掠めるのを感じながら、私はそっと目を閉じた。