scene.33 マリア=カラドリアはペンを受け取る
オーリーとリリィ
初めは驚いた。同時に2種類もの<終末の星屑>の鑑定が舞い込んできたのだから。
カラドリア家が集める究極の1。それが2つも同時に現れるだなんてなんと素晴らしいのかと。
それも、鑑定に持ち込んできた担い手は年端も行かぬ子供。なんと幸運なのかと。
『いやよ!アレはママから貰ったものだから誰にもあげないわ!!』
『そうですね。俺もお断りさせていただきます。あれは先祖代々受け継がれているものらしいので』
大丈夫、断られるのは想定済み。
でも首を縦に振らせるためのお金ならいくらでもある。
子供の相手など容易い……そのはずだった……
『平民だと思って買い叩けると思ったんだろうが残念だったな』
買い叩くですって……?
誰に口を聞いているのかわかっているのかしらこの男は!
私は希望の額を言いなさいと言ったのよ?
カラドリアが買い叩くような真似をするわけがないでしょう!
この私に対してなんて無礼な言葉遣い、女の方も男の方も礼儀がなっていない馬鹿な子供。
感情的な子供、頭の回らない子供の相手は時として疲れるもの……一度身辺調査をして相手の要求を見極めてから再度交渉をするまで。そう思ってその日は返した。
あれがまさかグリフィアの子供だとは思いもしなかったけれど、であれば私への態度にも納得ができるわね。とは言え……ラーガル王国では名家だか知らないけれど、カラドリアの前には子犬も同然ね。今頃ママかパパに怒られているのではないかしら?おーほほほ!
そんな事を考えながら見張りを何人もつけ、即座に間諜を潜り込ませた。
しかし、付け入る隙を探そうにも、女はドブ掃除で汚いし、男は家から出てこないしでどうしようもなかった。
でも、その後すぐに家庭教師を探していると言う情報が手に入り、私の一番のお気に入りであるマデリンを斡旋する事に決めた。
彼女はアルカイドの騎士爵だった女、そこらの冒険者が束になって掛った所で傷1つつけられないような完璧な強さと賢さを備えた才女。もちろん、冒険者ギルドお抱えの<目>のような怪物を前にすれば手も足も出ないけれど……それでも、マデリンを越える家庭教師など存在するはずがありませんからね。
思った通り、即座に採用の運びになって……
『で?なに?』
おほほほほ!私を見たあの男の顔ったらないわ。
驚きを隠せずに顔に表すだなんてなんとはしたない、いえいえ、グリフィアの子供などその程度ですわね。
『これはどうもお久しぶりです』
笑いをこらえるので必死でしたわ。
この程度の家に住まう人間であればどうという事はない。
馬鹿な子供は後回しにしてまずは奥方から篭絡すればいい、そう考えた私は間諜が集めた情報を元にありとあらゆる貢物を急ぎ集めさせた。厨房に居る人間からオーリー、リリィ、クラウディアの嗜好も聞きだし、彼らが好むものをひたすらに集め只管に貢ぎ、その傍らで少しずつ交渉を進める事にした。
<終末の星屑>が手に入るのであれば金など垂れ流すように使ってもいい。
パパもママも今は別の場所で情報を集めておりますし、お祖父様はお身体が優れぬ日が続いておりますからね。今の王都は私の庭、私が私の為に私がやりたいように全てが動く……退屈な庭……
だと言うのに…
『鎧を希望されるのであればカラドリア様はまずオーランドと2人で話し合いをなさってください。私はあの子が決めた事に従います。オーランドがそれを譲ると言えばそれでも構いません。ですがどうでしょうね……カラドリア様は鎧を諦められるような気がします、ふふふ』
子が子なら親も親ですわ。カラドリアを前になんたる不遜な物言い。カラドリアたる私が<終末の星屑>を諦めるはずがない、絶対に有り得ない!
クラウディアは交渉のテーブルにも着かなかった。
話があるのならオーランドに言え、と。
それから仕方なく始めた馬鹿な子供との交渉の日々は
『やだね、しっしっ!』
けれど、
『なんだマリア?お前また来たのか?大人しくしてろよマジで……』
どうして、
『うるせぇぞマリア!こっちは稽古中だ!』
ああ、
『マリアもいい加減諦めろよなー、鎧も短剣もやらねーって言ってんじゃん』
オーランドとの……オーリーとの交渉は楽しい。
今までこんなに楽しい交渉はした事がなかった。
理由は簡単にわかった。
だって、この男はただの一度も私から目を離さないから。
カラドリアなど知った事かと、いつだってマリアだけを見て話をしている。
マリアの後ろにある大きすぎるカラドリアなんて、一度たりとも見ようともしない。
接するうちに、会話をするうちにこの男がただの馬鹿な子供ではないとすぐにわかった。
そう……馬鹿ではないのに、カラドリア商会の事を正しく理解しているはずなのに、それでもいつも……
オーリーの目は私だけを見ている。
それが楽しくて、それが嬉しくて、だからずっと続くと思っていて……
『………もういいよマリア……いえ……カラドリア様……』
身体がぞわりとした。初めての感覚だった。
オーリーの態度が急変してしまった。どうして?どうして?
「な、なにがもうよいのですか?それに、マリアと呼んでくださって構わないのですよ?」
声が、震えてしまった。どうして?どうして?
『本日はお引取りくださいカラドリア様』
どうしてそんな目で私を見るのですか?
どうしてそのような事を仰るのですか?
どうして、私を見てくださらないのですか?
お金ならいくらでも差し上げますから、理由だけでも教えてくれないですか?
「あ、あの……オーリー様?お顔をあげてくださいまし。お金ならいくらでも──」
どうして?わからない。どうして?オーリーの態度がかわったの?わからない。
わからないわからないわ!どうしてどうして?
『いいえ、カラドリア様。これまでの無礼、伏して謝罪いたします。ですがどうか、本日はお引取りくださいませ』
私がいけないの?私が何か言ったの?
わからない! わからないわ! わからないの!
私は何を言えばよかったの?
お金をあげる!いくらでもあげる!
お金じゃなければなにが?
何をすればいいの?どうすればいいの?
どうすれば………どうすればいいんでしたっけ……
何か……何かないの…?
こういう時は何をすれば……何か……
ああ……そうでしたわ…………
私には……カラドリアしかなかったのでした……
◇ ◇ ◇
「お嬢様」
「ほっといてくださいまし!!」
自室で泣いていると護衛の1人が声をかけてきた。うるさい……今は1人がいい。
「いえ、オーランド=グリフィアがペンを届けに参りました」
「へ?いい!行きます!い……す、すこしお待ちになってもらってください」
ペンを届けに来た!オーリーが筆をお持ちになってくださった!
泣いている場合ではありませんわ。顔を洗いお化粧をして服も着替えなくてはなりませんわ!
『ペンを届けに参る』『筆を持って行く』
商人の間で話し合いをしましょうと言う意味であり、お互いに納得できるように話し合おうという意味。
持ってきた筆で契約書にサインを書く気があり、自分は前向きであるという意思表現!
オーリーったら……すぐにお話をしに来てくれるなんて…まったく子供なんですから……おほほほほ!
『は?』
あれ……?私にお話があるのではないのですか……?
『いえ、母上よりペンを返すように仰せつかったので、それを届けに来たまでです。何かの手違いでしょうが、話は以上です』
違う違う違う!!
『お時間を取るような真似をしたことを謝罪致しますカラドリア様』
待って違う!
『では、いつか縁がありましたら』
行かないで……
何か……何か言わなければ……
「お、お待ち………ください」
振り絞るように出した言葉は、震えていました。
『はい、如何致しましたか?』
何とか引き止めたけれど……どうすれば……いいの?
いつも通り何か言ってくださいオーリー……
一言……なにか一言……
どうして何も仰ってくれないの?
そもそも……私は何と言って欲しいの…?
私は…どうしたいの?
私は……私は……
私は…
「マリアとは…………呼んでくださらないのですか?」
もう一度、私を見て欲しい。
もう一度だけでもいい。
本当はわかっていた。鎧も短剣も途中からどうでもよかった。
オーリーとリリィはどんな事があってもあれらを手放さない事はわかっていた。
毎日断られるのがわかっていたけど、それでもよかった。
もちろん本音を言うなら欲しい……
<終末の星屑>はカラドリアの宿願ですもの……
これを集め揃える事こそがカラドリアの存在理由ですもの……
でも……でも………
それでも…それよりも……
『いいえ……やはり、私とカラドリア様とでは住む世界が違ったようです。それと、出来れば鎧と短剣は諦めて頂けると幸いです』
いらない……そんなもの要らない……
要らないって言うのよマリア!
「よ、鎧……い……いら、いらないから!短剣もいらないから!!」
カラドリアじゃなくていい!
カラドリアなんて要らないから!
もう一度、
「い、いいから!もう1度……もう1度私の名前を呼びなさいよ!」
もう一度、マリアと呼んで欲しい。
鎧も短剣も要らない。
それを諦めたら名前を呼んでくれるの?
お金が要らないって言うのなら、何だったら受け取ってくれるの?
難しい……
お金……お金しか……わからない……
『では、商人らしく取引といきませんか?』
取引?
『ええ、私はカラドリア様の望むように名前を呼びます。カラドリア様が望む時に望むだけ名前を呼びましょう。その意味はわかりかねますが、カラドリア様の名前をいつでもお呼びします』
私は何をすればいいの?
いくらお金を払えばいいの?
お金……お金なら沢山あるわ!
『その代わり、鎧と短剣は諦めると一筆認めてください』
いいの?
お金は要らないの?
あまりにも不思議な取引で、それまで怖くて視線をあわせられなかったオーランド=グリフィアの顔をその時になってようやく見た。
オーリーは笑っていた。
何処か馬鹿にしたような顔で、私をみて笑っていた。
昨日までと同じような、面倒臭そうな、人を馬鹿にしたような……いつもの、どうしようもなく寂しそうな笑顔を見たときにようやく気付いた。
なんだ……お金なんて要らなかったんだ……
『邪魔をしないなら家に来るくらい好きにすればいい』
簡単だった。
カラドリアから一歩……たった一歩、外に出るだけでよかった。
最初から私とお金は違うものだったのに、私が勝手に勘違いしていただけだった。
『これはお金じゃない』とオーリーは言った。
その言葉の意味はまだ難しいけど……きっとまだ正しくは理解出来ていないけど………それでも、今の私にならわかる気がする。
<終末の星屑>は諦めきれないけど、今の私にはオーリーとの繋がりを断つほどの価値があるようには到底思えない。
知らなかった。彼の言っている事は本当だった…
世の中にはお金以外にも大切なものがあった……
『んじゃそういうことだから、ペンは確かに届けたからなマリア』
確かに受け取ったわオーリー
今までで一番素敵な取引でしたわ
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