第5話 討ち果たす
俺が憎き仇敵━━少なくともコイツのせいで俺の日常は崩壊した━━と遭遇し、その忌々しい触手に拳を全力で叩き込み続けること数十発。
効果は……まるで見えない。電柱すら粉砕しうる打撃を受け続けても、忌々しい触手は大してダメージを負っていないのだ。とはいえ打ち込めば多少動きが鈍るのでゼロではないと思うが……カスダメなのだろう。畜生め。
「シッ! セッ! ━━ハァッ!」
だがそんな事は攻撃を止める理由にはならない。ワン、ツー放ってハイキック。動きを止めた触手に追加の打撃を更に放つ。拳で殴り、足で蹴り、ひたすらに打ち込み続ける。
効果は……やはり、見えない。
「くっ━━このぉ!」
このままでは触手が潰れるよりも、俺がバテるのが先だろう。だが仇敵を前に後退はあり得ない。撤退クソ食らえだ。
とはいえ、このままでは俺の敗北は決定している。何か、何か策を用意しなければならないが……
「えぇい、鬱陶しい! さっさと潰れて、消え失せろォォォ!」
そんな事を考える余力もない。今こそ好き勝手に乱打出来ているが、これを止めた瞬間反撃され、消し炭になってもおかしくないのだ。ゆっくり何かを考えている暇はない。
だが、このままでは━━いや、違うな。この程度は障害にならん。男の頃なら無理だったが、TSさせられた際に身体を弄くられたのはダテではない。この身体のパワーならやれる。やれるはずなんだ……!
「俺は、私は、今の俺なら!」
やれる。やってみせる。ここでコイツを打ち倒し、あの日の復讐の、元に戻る為の、狼煙とするのだ!
だから、さっさと━━
「ブッ潰れろォォォ!」
渾身の、大振りの一撃。何が何でも潰してやるという覚悟の一撃は━━失敗だった。何と今の今までロクに動かなかった触手がガラリと一転、反撃してきたのだ。
鋭く、素早い薙ぎ払い。大振りな動きをしていたせいで俺はそれを避けれない━━まさか、この瞬間を待っていたのか? 俺が冷静さを欠いて突撃する、この瞬間を!?
━━おのれ、触手の分際で……!
そう毒づく思考はホンの一瞬。しかしその一瞬で触手の薙ぎ払いは俺に到達する。
鈍痛! 横腹に衝撃が走る。
足が宙に浮き、触手が離れていく……いや、俺が飛ばされているのか━━? 一拍、背中に衝撃。
「グガッ、ハッ━━」
どうやら背後にあった木に叩きつけられたらしい。俺はあまりの衝撃に肺にあった空気を吐き出して、しかし上がってきた嗚咽は何とか噛み殺す。これ以上の無様はごめんだ。今でこそ少女の姿だが、中身は男なのだから。
━━俺にだって、男の、意地くらいある……!
俺は激突の際に表面が抉れた木に背中を預けつつ、体勢を立て直そうする。
が、触手の動きが早い。今までとは打って変わった機敏な動きで、触手の先端に何かのエネルギーを溜め込んでいた。……これは、遠距離攻撃の準備か。早く妨害せねば。
「ぐっ、ぅ……」
早く踏み込んで打撃を、奴のチャージを中断させねば。
そう思考は回るが、身体が全くついてこない。骨が折れた? いや違う。ダメージはそこまではない。ないんだ。だから、さっさと行けよ俺。行けっ! 行くんだ、行くんだよ! 俺! 動け……!
『━━!』
「ぁ……」
触手の咆哮。気の遠退く様なおぞましいソレは、攻撃の宣言だ。
間に合わない。
そう俺が歯噛みしたその瞬間。炎が走り、触手を焼いた。飛び散る火花。再び走る炎。よく見れば走っている炎は火の玉の様で、次々と触手に当たっては弾け、燃やしている。遠距離攻撃のチャージは、中断させられていた。
「えぇい、キリが無いわ!」
「ぇ、あ、貴女は……!?」
「ぬ? 誰かと思えば、お主か。全く、近寄るなと言うたであろうに……」
いったい誰が火の玉を飛ばしているのか? そんな疑問を感じつむ聞こえた声に振り向けば、いつの間にか先日のケモミミ幼女が俺の側まで来ていた。……宙に浮く不思議な火の玉を伴って。
「これは、その、狐さんが……?」
「ん、まぁ、そんなところじゃ」
口頭でケモミミ幼女と呼ぶのもあれだったので咄嗟に狐さんと呼べば、彼女は俺の言葉に曖昧な笑みを浮かべつつ……腕を一閃させ指先を不定形野郎へと向ける。
それが合図だったのか、彼女の横にあった火の玉が次々と触手目掛けてカッ飛んで行った。
『━━!?』
次々と着弾し、爆炎にも似た火花を散らす炎。それを見た俺は触手を焼いた火の玉がケモミミ幼女からの援護射撃である事を確信する。恐らく、飛んで行っている火の玉は狐火なのだろう。いささか以上に非現実的な光景だが……何にせよ、助かった。
「その、ありがとう。狐さん。それとごめんなさい。約束……破ってしまいましたよね?」
「あー、構わぬ。わらわの不手際でもあるからの。あまり気にするな」
狐火を操るファンタジーな……いや、妖しさが増したケモミミ幼女にお礼と謝罪を言いつつ、俺は体勢を立て直す。
そうして俺とケモミミ幼女が会話している間にも火の玉は次から次へと放たれており、触手を焼き焦がす。火力が足りないのか致命傷には至っていない様子だが、確実にダメージを与えている様だ……これは、ケモミミ幼女がファンタジーな存在だからか? いや、それなら私だってファンタジーだ。なら……物理攻撃には強いが、魔法的な攻撃には脆い?
━━それだな。
恐らくそれで間違いない。あの黒い触手は物理攻撃には強いが、魔法攻撃には脆いのだ。……思えば、白いドラゴンも物理攻撃は行わなかった。
となると、魔法攻撃を使えない俺は役立たずか。
「…………」
仇敵を前に役立たず。意図せずとはいえ約束まで破っておきながらの、この様。なんと面白くない現実か。
しかし事実だ。念の為に身体の感覚を再度確かめるが、その手の力は特に感じられず、俺が魔法的な何かを使えるとは思えない。ファンタジー式の超人は超人でも、その能力は魔法が使えない……所謂戦士系のソレなのだろう。
今出来る事があるとすれば……壁役か。といっても触手は完全に封殺されており、カウンターを狙える状況にはなさそうだが……一応、ケモミミ幼女よりも一歩前に立っておこう。いざというときの肉盾ぐらいにはなれる。
「ホント、一応だな……狐さんが全部片付けそうだし」
「いや、それはどうかの」
「え?」
「札が、尽きそうじゃ」
札が尽きる。それは、ニュアンスから察するに弾が無くなるという事だろうか?
そう思いながらケモミミ幼女の手元をよく見れば、彼女はお札の様な物を複数持っていた。その半数は複雑な文字や紋様が描かれているが、残りの半数は白紙だったり、あるいは焦げている。
そして、また一枚、俺の目の前で白紙のお札が増えた。文字や紋様が、消え失せたのだ。恐らく、これが……
「時間を、稼げば?」
「可能なら、頼む。巻き込んでおきながら、言えた事ではないし、お主に頼むのもおかしいのは承知しておるが━━「巻き込んだのは、むしろ私ですよ」……なに?」
不承不承。そう言わんばかりだったケモミミ幼女の顔は、俺の反論を聞いて驚きに染まる。そんなに意外だろうか? 俺が奴に恨みがあるのは。ここで戦おうとするのは。
まぁ、何にせよ、やることに代わりはない。踏み込んで、殴る。それだけだ。
「デリャァァァアア!」
雄叫びを上げて突撃。体勢を立て直しつつあった触手に肉迫し、先ずはストレートパンチを叩き込む。
当然、というべきか。効果は見えない。だが、それでも構わない。今必要なのは時間であり、触手の注意をこちらに逸らす事だ。
振り抜いた拳を戻しながら右足を高く振り抜いてハイキック。それを戻すついでにカカト落としを叩き込み、追撃でワン、ツー。続けて膝蹴りを入れて時間を作り、上からアームハンマーを振り下ろす。
殴って、殴って、蹴りを入れて、また殴って注意を引き━━そうして格闘を続ける事、暫し。背後から声が上がる。準備は終わったと。
「充分じゃ、下がれい!」
「っ……!」
その声に視線をやれば、ケモミミ幼女の横には少し大きめの炎が浮いていた。
どうやらチェックメイトらしい。そう思考しつつ、物足りなさを覚えて……瞬間。突如として触手が機敏な動きを見せる。
「マズッ!?」
「なっ!?」
驚愕からか、狐火を放たなかったケモミミ幼女の前に飛び出したのは━━咄嗟の判断。それこそ勘でしかないモノ。
だが、正解だった。
『━━!』
おぞましき、震える咆哮。
無理矢理チャージしたのか、触手の先端から黒い光が伸びて来た。恐らく白いドラゴンを落としたソレと同種のモノ。
マズイ。しかし避けてはケモミミ幼女に当たる。
やれるか? やるしかない。恩人見捨てる訳にはいかない。
眼前、黒い光。俺は両腕をクロスさせて盾にする。
「ぐっ、ぅ━━」
「な、何を……!?」
着弾の衝撃は、無かった。代わりにあったのはガリッ、と。何かが削れていく感覚。続くのは鈍い痛みと熱。ガリガリと、ゴリゴリと、痛みと共に何かが削れていく。
一分か、十分か、それとも数秒か。視界を黒に呑まれ、鈍く、しかしガリガリとヤスリで削られるかの様な━━継続する嫌な痛みに耐え、やがて腕の感覚が遠くなり始めた頃。視界が元に戻る。どうやら、耐えきったらしい。
「くっ、かはっ……」
「っ━━! この、貴様ぁ! よくもわらわの民を!」
胸を押す様に息を吐き、強引に呼吸を整える。
無防備な瞬間。
それを補うかのようにケモミミ幼女が吠え、炎の弾丸が黒い触手を焼く。叩きつけ、火花を散らし、焼き溶かす。激情の炎。その激しさは今までよりも一段上で、光線の反動か動きが鈍っていた触手をこれでもかと焼いていく。そして。
『━━━━!?』
崩壊が、始まった。限界が来たらしい奴の身体がボロボロと、砂が崩れ落ちる様に壊れ始めたのだ。そのスピードは決して早くないが、しかし確実に触手を壊していく。ボロボロと、ボロボロと。
狐火に焼かれながら崩壊していく触手。その無残な姿を見ても哀れみの情は感じない。むしろ達成感があった。俺は、ケモミミ幼女の手を借りたとはいえ、遂に憎い仇敵に痛手を与えたのだ、と。
『━━!!』
「くたばれ、クソッタレ」
「滅せよ。外道が」
罵倒か、それとも呪いの言葉か、崩壊しながらも低い叫び声を上げる黒い触手に罵声を叩き付ける。以外にも、というべきか、ケモミミ幼女も俺の言葉に同調する声を上げ、半ば以上に崩壊した黒い触手を睨み付けていた。余程迷惑していたのか、あるいは怨みでもあるのか。なんにせよ、それもこれで多少なり晴れるだろう。
ボロボロ、ボロボロと崩れる忌々しいナニカの黒い触手。俺と彼女は、その無残な姿を暫く見つめていた。