第4話 変化した身体、現れる暴威
昭和、熱血、無精髭、ついでに勘まで鋭いらしいトレンチコートのオッサンこと石山警部から逃げ出した俺は、お巡りさん方と遭遇したスーパーからそれなりに離れた、寂れ気味な商店街の一角で朝食兼昼食を取っていた。
「うま、うま……」
最初は身体が変わった事――自転車に勝てる程度には改造されている事――もあって、どんな店に入ってどんな物をどれだけ食うか? 軽く悩んだのだが……結果からいえば唸り声を上げる空腹に任せて、食べ放題キャンペーン中の店に入って正解だった。何せ、安く空腹が満たせる。
「店長ー、おかわり」
「あいよー! 持ってけぇ!」
食べていたカレーライス(大盛り)を空にして積み上げ、既に店長が用意していた次のカレーライス(シーフード)を手に取る。チラリと見た空の皿は既に五皿に達し、これを食べきれば六皿になるが……まだ、入る。それも余裕で。
「店長ー」
「なんだぁ嬢ちゃん! やっと限界か!? そうなんだろ!? そうと言ってくれ!」
「? いえ、次はカツカレーが良いです。一番良いのを……この黒毛和牛のカツカレーを大盛りで」
「……アイヨー」
どこかすすけた様子の店長に次のカレーを注文し、俺は目の前のカレーを口に運び……瞬間、口の中で暴れ回る辛味! しかしそれだけでは終わらせないと言わんばかりに旨味が続き、その横では具材の甘味も確りと感じられる。
俺はグルメリポーターではないのでよく分からないし、上手く言葉にも出来ないが……充分以上に旨いカレーなのではないだろうか? なぜ客が私以外に数人しかいないのか理解しかねるところだ。それにこれだけ食べても二千円で済んでしまう! なんと良心的な店だろうか。採算が取れているのか不安になるぞ。
「はぁー、こんな事なら食べ放題の看板下ろすんだったぜ……」
「だから言ったじゃねぇか。流行が終わったときに下ろせって」
「ま、こっちは面白いモンが見れてるけどな」
「あー、酒が旨い。麻婆豆腐ないか?」
「カレー食ってろ」
「チクショウメェェェ!」
年齢も様々な客達と店長のやり取りを右から左に受け流しつつ、俺はカチャカチャとスプーンを進める。モグモグ、ムシャムシャ、あるいはゴクゴクと。……なるほど、これがカレーは飲み物という事か。
――我ながらホント、よく入るなぁ……
そんな事を頭の隅で考えているうちにも手と口は働き続け、気づけばもう間もなく六皿目も完食というところだった。まるでフードファイター。周りの客達が物珍しそうにチラチラ見てくるのも仕方あるまい。何せ小さな女の子が大人以上にモシャモシャ食ってるのだから……その違和感は凄まじいだろう。
そう、違和感。ある意味アタリだ。俺は普通ではないのだから。
――これも改造された影響、か?
大量に物を食える改造……というより、酷く燃費が悪いのだろう。自転車に勝てる程度の出力は身体のエネルギーを使いに使いまくったからこそ出来た芸当で、その反動がこれとすれば……まぁ、筋は通る。
車で例えるならその辺の軽自動車にF1か戦闘機のエンジンを載っけて、タンクもそれなりの大容量に載せ変えてる状態だ。……それもう軽自動車という名のナニカだな。間違ってないが。
「その上ニトロとか、アフターバーナーとか、そーゆーの付いてるかもだしなぁ」
そう小声でポツリと呟いて、自分で言っておきながらますますそんな気がしてくる。見た目は可愛らしいアルビノ少女なのに、パワーは怪獣レベル……そんな可能性も考えなければならないのだろう。
そう内心で覚悟を決めつつ、俺は六皿目を空にする。さぁ、次を寄越せと。
「店長、カツカレー下さい」
「アイヨー……ところで嬢ちゃん、ニトロかアフターバーナーとか……まだ食う気か? 加速するのか?」
「んー……」
サクリ、と。予想よりもジューシーなカツを口に頬張りながら、どこか絶望した様子の店長の言葉を聞く。どうやら先ほどの一人言を聞かれ、なにか勘違いされたらしい。人に聞かせるつもりはなかったのを聞かれ、更に勘違いされるとは……
――これは、流石に恥ずかしいな。
頬に少しだけ血が上るのを自覚しつつ、俺はチラリと積み重ねた空のカレー皿と自分の腹具合を確かめる。カレーは七皿目、空腹は既に収まっているし……まぁ、そろそろ切り上げ時だろう。もう一、二皿なら腹に入るが、無理して食うのは実際良くない。
既に二千円以上食べて元は充分に取ってるし、ここは退くのが賢明という物だろう。
「いえ、これで終わりにします」
辛口カレーを口に突っ込みながら、俺は店長にそう告げる。まだ入りますけど、今日はここまでにと。すると店長はやたらホッとした様子で後退り、厨房の中にあった椅子に座り込む。
燃え尽きたぜ、真っ白にな……そう言わんばかりの店長を視界から外し、カレーに向き直って思うのは改造された身体の事だ。
――これは、一度ちゃんと確認しておいた方が良いな。
カレーのかかったカツとライスを大口を開けてモグモグと頬張りつつ、思うのはそんな事。
燃費の悪さと大食い能力だけなら可愛い物だが、自転車に平然と勝利した辺り……もう少し調査が必要だろうと。具体的に、身体能力を測っておく必要がある。それも人目のつかない目立たない場所で、早急に。握手しようとして相手の骨をへし折ってからでは遅いのだ。……いや、流石にそこまでないと思うが、念の為というやつだな。
「そうなると、神社かなぁ……はむっ」
カレーを乗せたスプーンを口に突っ込んで、俺は次の行き先を決める。
別に何かあれば神社! という訳ではないし、そもそもケモミミ幼女から昼間は近づくなと釘を刺されているが……俺が思い描いたのは神社のある小山に生い茂る林の事だ。おぼろ気な記憶が確かなら、あそこであればその辺の裏路地よりも遥かに安全かつ、人目を気にせず身体測定に挑めるはず。ケモミミ幼女が近づくなといったのは境内の事だろうし、そこも大丈夫だろう。
そこまで一通り考え終わる頃にはカツは消え、カレーライスも後一口分。楽しい楽しい食事は終わり、会計のお時間の様だ。
「ごちそうさまでした。……店長、お会計お願いします」
「あ、あー……幾らだっけ?」
「食べ放題キャンペーンだから、二千円……ですよね?」
「あぁ、そうだな。うん」
日頃の疲れでも出たのだろうか? それとも真っ白に燃え尽きていたせいか? なんとも要領を得ない店長を急かす様になりながら、俺は二千円ピッタリを店長に渡す。
「はい、マイドー」
「はい。美味しかったです。では」
「……あいよ。またのご来店お待ちしております」
店長とある種の定型文を交わし合った後、俺はワイワイガヤガヤと騒ぎだした他の客達の声をバックに店を出る。
向かう先は朝の稲荷神社……の、周りにある林だ。
俺はあれだけ食べたというのに未だに腹八分目らしいお腹に軽く恐怖しつつ、目的地へ向かってテクテクと歩いていく。途中で食い過ぎの腹痛に悩まされる事もなく、しかし手入れされてそうな公園で……あー、所謂お花つみを――そしてこういう事を経験する度に、意識が女の子のそれに侵食されているのを自覚――したり。そんなこんなで歩き続ける事、暫し。俺は稲荷神社がある小山の前まで来ていた。
「さて、と。境内に入るのは駄目だから……」
今朝の事を思い出しながらそう呟き、俺は小山に生い茂る林の中へと足を踏み入れる。勿論ケモミミ幼女の頼みを無視する訳にもいかないから、鳥居がある場所とは全く違うところからの侵入だ。
――ケモミミ幼女曰く、今日の昼間は神社に居てはいけないそうだが……まぁ、要するに境内に入らないで欲しいって事だろう?
なんぞ厄介事があるような書き方だったし、大方面倒な客でも来るに違いない。であれば神社周りの林はセーフなはずだ。注意すべきはあまり神社に近づかない事か。
「となると……うん、この辺りなら問題無さそうだな」
雑木林を掻き分けて進む事暫し。右を見ても左を見ても木々しか見えなくなり、かといって神社に近いという訳でもないところで足を止めて、軽くストレッチ。
さて。
「やるか」
さぁやるぞと意気込んではみるが、ここでそんな大それた事をするつもりはない。ただ一つ、俺の現在の身体能力を確認出来ればいいのだ。
とはいえ、先程の大食いと昭和なオッサン警部との鬼ごっこでだいたい分かっている事だが、今の俺の身体能力はかなり高い。見た目中学生……なんならロリと言える様な見た目のくせして、フードファイター並みに食い、自転車に余裕で勝利するのだ。限界、あるいは底がどこなのかを知るのは中々手間だろう。だが、手っ取り早く知れる物もある。
という訳で、先ずは。
「シッ、セッ――!」
手前の木目掛けてちょっと力を込めてワン、ツー。以前なら木に傷すらつかず、むしろこちらが怪我をするところだが……
「お、おぉう。これは、また……」
予想通りというべきか。立派な木は僅か二発で表面が吹き飛び、肌色に近い木の中身が見えてしまっていた。吹き飛んだ深さは二、三センチ程か。にも関わらずこちらの拳は白いまま、無傷。
もし並の人間がこれをマトモに受けていれば……骨にヒビが入りかねない。場合によっては骨折すらあり得るだろう。
「ちょっとした超人だな。これは」
軽くやってこれだ。仮に本気を出せばニチアサヒーロー並みの身体能力が出てもおかしくない。なんなら今すぐ正義の味方を始める事すら出来る。強靭! 無敵! 最強! というやつだな。違うか。
――まぁ、大して嬉しくもないが。
TSした辺りで察してはいたが、これで俺が身体を弄くられているのが確定した。でなければロリ体型のクセしてこのパワーはあり得ない。
果たして弄くったのは何者なのか? いや、どうせ不定形野郎だろう。心情的には出来ればそれ以外の誰かであって欲しいが……どうせあんチクショウの仕業だ。どこぞの邪神よろしく遊び気分で弄くり回したに違いない。畜生絶対許さねぇ!
――機会さえ、機会さえあれば、思いっきりブン殴ってくれる……!
今のパワーでも電柱をへし折るくらいはやれそうなのだ。この上更に鍛えてやれば、筋肉モリモリマッチョマンなターミネーターじみたパワーを手に入れる事も夢ではないはず。
そうなれば、どうだ? 思う存分ブン殴れそうではないか。しかもやり方によってはあの不定形野郎にダメージを入れるのも夢ではないだろう……!
「――やれる、か?」
やれる、はずだ。このボディの性能は見た目以上に高い。燃費こそ悪いが……身体を鍛え、クソッタレを探し、復讐する。可能ならそのまま白き竜と我がマイボディの仇を取る――不可能とは、いえないだろう。
これは、努力してみる価値があるのではないか?
「仮にそうするときの不安点は……多いな」
仮にあの不定形野郎に復讐するとして、だ。その道筋には不安点が多い。
先ず不定形野郎に関しては居場所も正体も分からず、勝てるかも絶望的なら遭遇出来るかも不明。更にこの身体は誰に弄くられたかも分からず、果たして人間のままなのかすら怪しい。それこそ後数日でバケモノに変身してしまってもおかしくないのだ。仮に人間のままだとしても……
「TS、してるんだなぁ……」
そう、TSだ。TSしてるのだ! TSしてしまっているのだ! チクショウメェェェ!! なんだってTSなんだバァーカ! アンポンタン!
……いかん、軽く取り乱した。落ち着け、落ち着くんだ。俺。大丈夫。いつか戻れるさ。うん。
「……元に戻る、か」
正直、あまり期待出来ない話だ。少なくとも原因と思わしきドラゴンや不定形野郎がどちらも行方不明な上、どちらも話が出来るとは思えない。元に戻してくれと泣き喚いても殺されるのがオチだろう。
ならば自分で元に戻る努力が必要だが、整形手術でどうにかなるレベルではあるまい。自然、魔法や奇跡を頼る事になるが……
「そっちは特に、何も感じないしなぁ」
この肉体はパワフルかつ優秀だが、そちらの才能はサッパリ無いように思える。それに肉体を変える魔法というものがそうお手軽にホイホイ出来るとも思えないし……期待しない方が良いだろう。
恐ろしいのはそれでも良いか、なんか馴染んできたし、いっそより馴染む為に内心の一人称も変えてみようかなぁ――などと思ってしまう現在の精神性か。身体に引っ張られ過ぎでは?
「あまり、深く考えないほうが良さそうだ…………」
これ以上TSした現実を深く考えると発狂しそうだと無理やり割り切る俺。
今は別の事を考えよう……そう思いながら頭を痛め――悪寒。
「ッ――!?」
ゾクリと背筋に走った嫌な感覚のまま、咄嗟に視線を振ってみれば…………見えた。渦だ。黒い渦。
「なん、だ……あれは?」
いつの間に出現したのか、ドス黒い渦が地面に渦巻いていた。まるで地獄の底からわき上がってきたかの様なおぞましさを撒き散らしながら、グルグル、ドロドロ、目にしたくもない何かを撒き散らして……あぁ、このおぞましさ。覚えがある。
あの不定形野郎と、同じ気配だ。
「――存外、早く仕返しが出来そうだな」
俺はわき上がる高揚感のまま渦を睨み、戦闘体制に入る。蛇が出るか邪が出るか、クソッタレが出てくるか別の奴か。何にせよ、この背筋が震えるおぞましい気配からして、あの不定形野郎が絡んでいるのは間違いない。
もし仮に不定形野郎が出てくる様なら――あぁ、直ぐ様ブッ潰してやる。名乗りの時間すらくれてやるものか。
「――来た」
ドス黒い渦が渦巻き、俺が内心の八つ当たり気味な復讐心を抑えて。その結果ホンの数秒だけ沈黙が生まれ――ソイツは出てきた。
黒より黒く、しかし淀みきったヘドロの様に薄汚いナニカ。ゾッと背筋を走る恐気を噛み殺し、おぞましいナニカを見れば……どうやら触手の様だ。ドロドロと、しかしウネウネと、実に気持ち悪い。そして、俺はコイツに見覚えがある。そう、あのクソッタレの触手と目の前の触手はサイズこそ違うが、他の全てが一致していたのだ。忌々しいおぞましさも含めて。
確信した。あのナニカは、俺の日常を滅茶苦茶した原因、あの日現れたクソッタレだ!
「失せろ。このっ、畜生がぁぁぁ!」
人の人生を滅茶苦茶にしやがった仇敵を前に、我慢なんてしようがない。俺は怒声を上げながら、ナニカ目掛けて殴りかかる。力強く踏み込みつつ、一直線に。
勿論殴る為とはいえこんな奴に触れたくなどない。しかし、このクソッタレがこの世に在る事は尚許せなかった。だから。
「シィッ!」
相も変わらずウネウネと動くナニカを、俺は思いっきり殴り付けた。そのまま潰れてしまえと。
手応えは薄い。触手そのものもそれなりに強度がある様だが、それ以前に何かに阻まれた感覚がある……だが、殴れた。
「潰れろ。潰れて消えろォォォ!」
殴れるなら潰せるはずだ。潰したなら死ぬだろう。そして消えるだろう。
だから、さっさと死んでくれ。
俺は何度も拳を叩き込む。僅かに身動ぎする触手の事など知った事かと、さっさと潰れろと、何度も叩き込み続ける。何度も、何度も、何度も。あぁ、忌々しいクソッタレなナニカよ。さっさとくたばりやがれ……ッ!