第21話 目覚めるは竜の意思
眼前にまで迫る死。それに対して私が出来る事など、今更なかった。最早ここまで。そう思ったとき、黒い光線の向こうで爆炎が咲き、光線が僅かにズレる。これは、好機っ!
「グッ━━ガハッ」
咄嗟に身体を捻り、しかしジュッ、と。太もも付近に着弾する。見れば太ももの一部が焼け溶け、消滅していた。それは丁度我が身を瘴気から守る護符が入っている場所で……瞬間、身体の中に瘴気が入り込み、かき回してくる!
「ゲホッ……ゴボッ!? ゲホッガフッ……」
流石に結界無しで、それも肉体が損傷しているときに瘴気を吸ったのはマズかった。思わずむせて咳をつけば……喀血。唾液ではなく血がドボドボと出てくる。どうやら軽く内臓か、あるいは呼吸器系をやったらしい。口元に当てた手のひらにベッタリと血がついていた。
「己、忌々しい……」
この程度の瘴気にすらダメージを受けるとなると、あまり長くは持たないだろう。ならば、それまでに決着をつけねばならない。
そう決断した私がズキズキと痛む身体を起こし、邪神向けて跳躍しようとしたとき。私の手を掴む者がいた。思わず視線を向ければそこには怒っているらしい狐の少女。確か……はて、誰だったかな? 思い出せん。何故か、とても信頼していた気がするのだが。
「ヒイラギッ! お主はまた一人で━━ヒイラギ?」
「ん、どうかしたか。童」
「……お主、誰じゃ? ヒイラギではないな?」
「さて……私が誰かなど、どうでもいいだろう」
「っ!? 主は、一体……!?」
何やら酷く衝撃を受けた様子の少女を振り払い、私は駆ける。これ以上些事に時間を掛ける気にはなれなかったのだ。それに名前などどうでもいい。邪神を滅せればそれでいいっ! 私は、私達は、そういう存在なのだ!
一歩踏み込み加速、二歩踏み込んで最大速度。だが足りない。全く足りない。しかし羽がないのではこれが限界で、爪もないから攻撃力も低い……なれば、作ればいい。
「術式展開、因子……よし。魔力、足りない。なら削って━━」
もどかしい。以前なら訳なく展開出来た術式にこれ程時間を掛けねばならないとは。だが、完成はした。
ゴリッ、と。身体から何かが削れる感覚と共に、激しい熱が全身を駆け巡る。さぁ、来い。
━━竜化術式、起動。
最初に変化したのは背中から。ブチッ、という肉が裂ける音と共に、懐かしい感覚がバサリと広がる。見ずとも分かる。白竜の翼だ。
それが終われば今度は手からヒジまでが変化しだす。皮膚が白い鱗へと変貌し、爪はより長く鋭く硬質に変化。懐かしい白竜の爪だ。
このまま全身へ……そう思ったが竜化はそこで止まる。代わりに出てくる再びの血ヘド。どうやらこれ以上は肉体が持たないようだ。それどころか長時間の維持も出来まい。
「フンッ……充分だっ!」
邪神の欠片を始末するには充分だろう。私は踏み締めた地を蹴って宙へ飛び、バサリと翼を動かして邪神の欠片を睥睨する。困惑、いやそんな機能はヤツにない。直ぐ様迎撃の触手が向かってくるが……遅い。
「邪魔ァ!」
迎撃の触手を爪で切り裂き、あるいは弾いて急降下。狙うは本体ただ一つ……しかしあちらもそれは分かっているのだろう。容易く近づけさせてはくれない。
網を張る様に、壁を作る様に進路を妨害し、行き足が止まれば触手を横合いから薙ぎ払ってくる。力を溜める余力がないのか光線こそ撃って来ないが、それでもこちらが手詰まりなのに代わりはない。
━━ブレスが撃てれば削る事も……
いや、それは無い物ねだりか。そもこのおよそマトモとはいえない肉体で思考するだけの意思がある事自体奇跡なのだし、ワガママはよそう。私に出来るのは手元の手札で戦う事だけだ。
ならば、やる事は一つ。
━━突撃だ。
突撃、突撃あるのみ。例えこの身が朽ちようとも代わりはいくらでも居るのだ。ならば何を恐れようか? 今やるべきなのは刺し違えてでも邪神を次元の狭間まで追い返す事だ。いつの間にか居たもう一人も同意してくれよう。
そう私が決意し、被弾覚悟で急降下を仕掛けてようとしたとき、邪神に次々と攻撃が突き刺さる。鉛と炎の弾丸。見れば先ほどの少女と、中年の男が攻撃しているらしい。しかし……
「バカな、弾きやがった!?」
「これは、もしや効いておらんのか? えぇいっ、以前のよりも硬いという事かっ……!」
残念だが、威力不足というしかあるまい。中年の男のソレは魔力障壁に阻まれ、少女のソレは障壁こそ焼ききったものの邪神の魔法耐性の前で屈する他なく……多少ヤツの気を逸らすのがせいぜい。だが、それで充分だ。
「取った━━!」
迎撃の触手が男と少女にも割かれ、こちらへの圧が減ったのを好機とみた私は脇目も振らずに急降下する。狙うは本体ただ一つ!
「ッこの、グウッ━━!」
邪神の迎撃を掻い潜るだけ。しかしそれでも一発、二発と被弾してしまう。右の羽を削られ、右足を強打され、左手で触手を引き裂き、その隙に頬を掠められる。蓄積されるダメージ。だが、その甲斐はあった。
━━貰った……!
眼前、邪神の本体。ここに結界を直接打ち込まれれば、いかに無尽蔵の耐久を誇る邪神といえど無傷ではすまない。そう確信している私は結界の式を展開した右手を引き絞り━━そして、一気に邪神へと突き込む!
『━━━ッ!!』
自身への脅威に気づいたのか、邪神が空間を震わせて悲鳴を上げ━━腹をボコリと蠢めかせる。何だ? 今更光線は間に合うまい。なれば悪足掻き……いや、これは!?
「━━なっ!」
なんという事か。邪神は新たな触手を生やし、それをこちらへ向けて来た! 通常の物より鋭く尖った、相手を突き殺す為の物を。回避は……いや、最早必要ないっ!
「ゴフッ……」
ズブリ、と。私の腹に触手が突き刺さる。意識が遠退く様な痛烈な痛みと、激しい異物感。そして溢れ出る血……致命傷だ。しかし、それは私だけではない。私の右手は確りと邪神の魔力障壁を貫通し、手に握り混んだ結界の欠片をヤツの腹に叩き込んでいた。あちらも、致命傷だ。
『━━! ━━━━!!』
その証拠にヤツは悲鳴を上げ、身体をボロボロと崩壊させ始めた。問題は叩き込んだ欠片で足りたかという事だが……崩壊の早さを見るにその心配もなさそうだ。
━━なんとか、追い返せたか。
あの崩壊は邪神の根元までは届くまい。だが、今こちらに来ている分は軒並み枯れさせれたはず……白竜の一族としての役目は、最低限果たせただろう。
「ぅ、グッ……」
私が満足感に浸っているうちにも邪神は崩壊を続け、ついに私を突き刺した触手も崩れ去る。
そして、ゴボリと血と臓物が溢れ出た。咄嗟に腹を抑えるが、どうにもならない。ビチャリビチャリと血が溢れ、ボトリと臓物の切れ身が血に落ちる。……もう、長くあるまい。現に竜化が解け、身体の性能が元に戻った。力が抜け、立っていられず、膝を屈する。
━━これで、終わりか。
無理に世界を渡り、消耗し、そのまま勝てる訳もない戦いに挑んで死んだ私が何の因果かまた邪神と戦い、今度はなんとか追い返せたが……今回こそ駄目だろう。
ビチャリ、ビチャリ、血が溢れる。命が、削れる。
「ゲホッ、コホッ……ゴフッ」
膝をつき、咳をすればボタボタと血が出て来た。どうやら臓物は思ったよりグチャグチャになっているらしい……そう思った次の瞬間、視界がぶれる。力が抜ける。視線が傾き、微かな痛みと共に身体は地面に横たわった。最早暇をついている余力もないらしい。
「ヒイラギ、ヒイラギ!」
「童、か……ゴフッゲホッ……」
「喋るでないっ! くっ、こんな、このバカ者が。なぜ、なぜお主が、こんな……」
なぜ、か。なぜだろうか? 私にもよく分からない。しかし邪神を許してならず、私の命はどうでもいい。邪神は並みの手段では傷一つ付かず、私にはあれしか手が無かった。ならば、こうなるのは道理だろう。刺し違えて死ぬのは、ただの道理だ。
それは、私と共にあるもう一人も同意してくれる事だ。自分の命より、邪神を討つ事こそ優先すべき事だと。しかし……
「気を確かに持て、今治す。大丈夫、大丈夫じゃ。治せるぞ。じゃから今暫し……ヒイラギ? ヒイラギ! 気を持ち続けよ! 手放すな! ヒイラギィ!」
あぁ、遠くから、少女の声がする。誰かを呼ぶ、悲痛な少女の声が。その声に酷く申し訳なさを感じるのは……なぜだろうか? 私と少女に関わりなど━━いや、そうか、これはもう一人が築いた物か。ならば……
「ヒイラギ? ヒイラギ、そんな、嘘じゃろう……? ヒイラギ。のう、返事をしてくれ、ヒイラギ。ヒイラギィ!!」
そうだ。私の役目は、これで終わったのだ。なら、これくらいは良いだろうさ。
「お主もか? お主もわらわを置いて先に逝くのか? ……許さぬ。許さぬぞヒイラギ。そのような勝手は! わらわが、わらわが!」
願わくば。この悲痛な声の少女に、優しく輝かしい魂を持つ少女に、救いの手があらんことを。白竜の、力を、持って……願い、を…………
「おい、嬢ちゃん……」
「石山の、後は任せる」
「分かった。なら、これを持ってけ。コンから渡されてた治癒の札と邪気払いの札だ。……何に取り憑かれたのか知らんが、境内までの抑えと止血の足しにはなるだろ」
「感謝する」
意識が、遠退く。掠れ、消えて。あぁ……私は、皆の、仇を━━
「死なせるものか。今少し、後少しじゃ。少し、じゃから……のう、ヒイラギ。頼むから、後生じゃから、わらわを━━」
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「置いていくな、ヒイラギ……」
━━コハ、ク……? 何で、泣いて…………私、は……? 駄目、意識、遠退い…………
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