第18話 猛る怒気は誰のものか
目の前に雁首揃えてゾロゾロと、まるでゴキブリの如く湧いたゴブリンどもに腹の底からフツフツと煮えたぎる物が沸き上がってくる。怒りだ。激しい怒り。許してはならない。潰せ、今すぐ潰して塵と消せと!
━━そうだ。許してはならない。あの様なバケモノが、これ程の数ウジャウジャとひしめき合う現状を許してはならないのだ!
コハクと警部がまだこの大部屋に到着していない為、援護はない。
だがそれがどうしたというのか? 今は一刻も早くあの害虫を駆除すべきだ。捻り潰すべきなのだ。踏み込んで、地を蹴り、一飛びでゴブリンに迫る。突撃だ。
奴らの動きは、素早い。隊伍を崩す事なく武器をこちらに向けて来た。流石に本拠地を守る連中は精鋭という事か……関係ないが。
「シィッ━━ゼッ!」
刃物の壁の前まで迫り、直前でブレーキを掛けつつ刃物と刃物の隙間へ潜り込む。当然閉じられるそれを両手の甲で無理矢理押し開き━━痛み、無視。目の前のゴブリンに蹴りを叩き込む。
後方にいた味方を巻き込みながら吹き飛び、塵と消えていくゴブリン。乱れる隊列。しかし直ぐに修復されだした……させない。更に一歩踏み込み、群れの中へ。横合いにいたゴブリンを掴んで肉盾とし、前方から突き出された槍を凌ぐ。断末魔の声を上げて塵と消え始めた肉盾を相手側に投げつけて、更に前進。槍が再度突き出される前に槍持ちを殴り飛ばし、回し蹴りを入れ、横合いへと拳を入れ、振り向きながら裏拳を叩き込み……制圧する。
そうして出来上がるのは、空白地帯だ。隊列を変更したらしいゴブリン達がグルリと俺を取り囲み、一斉攻撃の機会を伺っている。今か、それとも今か。まだ先か━━手の甲から血が流れていく。ドロリドロリ、ポタリ。
「ヒイラギ!? くっ、あのバカ者ッ……!」
「チッ、援護するぞ!」
「言われずとも!」
俺が駆け抜けた道を二人も駆け抜け終わったのか、コハクから炎が、警部から弾丸の援護が届く。響き渡る大きな発砲音と共に退路を塞いでいたゴブリンが次々と焼かれ、俺を取り囲んでいたゴブリンが一匹、また一匹と倒れていった。流石はコハク。そして警部の射撃の腕も悪くないらしい。
「ヒイラギ! こっちじゃ!」
ダンッ、ダンッ、とリズムよく起こり続ける発砲音の中、コハクが俺を呼ぶ。一度退けと。
退く? この害虫どもを放置して? 一匹二匹ではなく、こんなにもウジャウジャといるのに? ━━冗談。
「まだ、やれる……!」
腹のそこからフツフツと沸き上がってくるのだ。許してはならないと。あの忌々しい邪神の関係者を許してはならないと! 煮えくり返る様な怒りが! ウジャウジャと雁首揃えた害虫を駆除しろと!
俺は沸き上がる怒りのままコハクの声を無視し、横から突き出された槍の刃先を避け、柄を掴んで折る。手元に残った槍の刃先付きの棒を、呆然としているゴブリン目掛けて投擲して刺殺。
「次ィ!」
次はどいつだと視線を回せば迫る剣を捉え、その腹を拳で打って落と━━失敗。軽く斬られた。だが武器を失い守りがガラ空きになったゴブリンへ払うように蹴り入れれば、俺の勝ち。
だが悦に浸る暇は無い。直ぐ様背後から迫る嫌な感覚に視線を向ければ複数の矢が飛んで来て━━回避、足りない。可能な限り直撃コースは避け、やむを得ない物は左手を盾にして受ける。一拍、被弾。腕に二、足に一、まだ動ける。
「ッ━━グゥッ」
鋭い痛みを無理矢理噛み殺し、手足の矢を引き抜きつつ視線を走らせれば……居た。空間の上、洞窟の上の方に弓持ちが複数。高台を取られているらしい。
━━当たり前か。地の利は向こうにある。
抜いた矢を捨て、そう納得する。幸いなのはまだ配置についていないのも居る事か。奇襲の甲斐はあったのだろう。とはいえ、その利点も時間が経てば経つほど失われていく。流れ出る血の様に、確実に。
ならば、今のうちに前進するしかない。身体が動く間に、忌々しい害虫を駆除するのだ! 一歩踏み込み、更にもう一歩。突き出される槍は避け、剣は腹を打って落とし、ガラ空きのゴブリンに蹴りを入れる。ほら、俺はまだやれる。まだ戦える! まだ役に立てるよ! だから、だから━━!
「ヒイラギ! 退けというとろうが! 聞こえんのか!?」
「駄目だ! 嬢ちゃん完全に頭に血が上ってやがる! ……クソッ、突入して支援するしかない。援護しろ!」
「くっ、帰ったら説教してやるのじゃ!」
背後からコハクと警部の声が響く。一度退けと。
コハクが言うのだ。悪い話ではないのだろう。だが許せない。バケモノがウジャウジャと雁首揃えて、我が物顔で歩き回っているのが! だから退けない。たとえコハクが正しくても退く事は━━いや、正しいのならここは退くべきでは? いや許せない。……何が? 何で? 俺はなぜここまでの怒りを━━?
「ッ! ヒイラギ!」
フッ、と。かがり火の明かりに影が差す。コハクの切羽詰まった声に疑問を覚えながら視線を上げれば……鉄塊、頭上。
「━━ッ!!」
咄嗟に後ろに跳ね飛べば、次の瞬間俺が先程まで居た場所に鉄塊が激突する。響く衝撃、巻き上がる土くれ。そこに居るのは……鬼だ。
「ガアァァ……」
体長二メートルを超え、三メートルに届こうかという巨体。盛り上がった筋肉と、それを被うゴツゴツとした緑の皮。何より凶悪かつ醜悪な気配はおぞましい。鬼、そういっても間違いではない敵がそこに居た。だが、あれもまたゴブリンなのだろう。差し詰めジェネラルか。よく見れば最初に号令を上げた個体のようだ。
そう俺が体勢を立て直しつつ思っていれば、あちらも鉄塊を動かす。どうやら鉄塊と見た物は巨大な大剣だったようだ。あまりに大き過ぎて刃物だと認識出来そうにないが。
「グガアァァァ!」
目に見える戦力さに愕然とする暇は、然程無かった。ジェネラルが地面に深々とめり込んだ大剣を引き抜き、それを肩に担ぐようにしながらこちらへと突っ込んで来たのだ。
受けるのは、無理。そんな事をすれば一撃でミンチだ。ならばと俺は斜め後ろへと二度飛び下がる。が、距離は広がらず、狙いも変わらない。
━━こうなると一か八か、直前で避けるしか……
そんな思考を本能的にしつつ更に一歩下がれば、ジェネラルの額に何かがブチ当たる。血飛沫は、出ない。だがジェネラルは何かを飛び散らせてヨタヨタと後退する。追撃するか。いや、誘いかも知れん。ならそれごと食い破れば━━
「ヒイラギ! このっ! お主という奴は!!」
「……コハク?」
肉を斬られても骨を断てばいい。そう意気込んで踏み込もうとした俺の左腕を、誰かが掴んだ。何だろうとそちらを見てみれば……コハクが居た。今にも泣きそうな、コハクが。
「何で、貴女が泣きそうになってるんですか。コハク」
「それは! ヒイラギが! ヒイラギがぁ!」
微かに、しかし目に涙を浮かべたコハクの言葉は要領を得ない。いったい俺がどうしたというのか。別に死んだ訳でもあるまいに……あぁ、見ればコハクの手が俺の血で汚れてしまっている。とはいえ少量だし、今すぐ拭えば取れるだろう。
そうボンヤリと考える俺の側でダンッ、ダンッ、と。大きな発砲音が連続して起こる。音の方を見てみれば、警部だ。拳銃を両手で構えて、更に発砲。しかしその表情は良くない。
「チッ、眉間に撃ち込んでも死なないとはな。奴ら肉体があるだけで生物の枠じゃないのか」
どうやら先程ジェネラルがよろめいたのは警部のおかげらしい。だが当人としては仕留めるつもりだった様で不満……というより怪訝そうだ。曰く、奴らは生物ではないと。当たり前だ。あんなおぞましいバケモノが生物であってたまるか。
「だが小さい方は撃ち込めば消える。受けれるダメージに限界があるのか?」
ジェネラルを撃っていた銃を横へ流し、直ぐ様高台の弓兵へと向けて発砲。その後弾が尽きたのかマガジンを排出し、懐から新たなマガジンを取り出して入れ替え、装填、コッキングと、手早くリロードを行う警部は疑問符を浮かべながらそう呟く。恐らく間違ってないだろう考えを。
「で、嬢ちゃんは頭は冷えたか?」
「……えぇ、まぁ。一応」
「そりゃ上々。アレらが仇なのかは知らんが、一人で突っ込むのはこれっきりにしろ。結果相棒泣かしてりゃ世話ないんだからな」
「分かって、ますよ」
胸元で泣きそうに……いや、既に涙を溢していたコハクを見れば嫌でも頭が冷える。腹の底から吹き出ていた出所不明の怒りの炎はスッカリ鎮火していた。
「コハク」
「グスッ……帰ったら、説教なのじゃ」
「……ごめんなさい。コハク」
「許さないのじゃぁ……」
心配、してくれたのだろうか? だとしたら悪い事をした。俺は詫びを入れるつもりで軽くコハクの頭を撫でようとして……自分の両手から血が流れているのを見て止める。コハクの綺麗な小麦色の髪を、俺の血で汚すのも悪い。
結局俺はそれ以上何もせず、何も言わずにゴブリンどもに向き直った。頭の一つも下げれればいいのだが、これ以上長いこと敵に背を向けたくはない。そうして視線を向けて見れば、ゴブリンは相変わらず大軍。しかし警部に撃たれる事を警戒してか隊伍を組み、岩影に隠れ、ガッチリと守りに入っていた。実にやりづらい。だが、その代わりに軽い打ち合わせぐらいは出来そうだ。
「警部、弓兵の排除を頼めますか?」
「もうやってる。が、あぁも隠れられてはな……時間が掛かるぞ」
「抑えていてくれれば充分です。……コハク」
「……なんじゃ、ヒイラギ」
「援護を頼めますか?」
「…………」
俺がそう頼んだとき、コハクの瞳に明らかな動揺が走る。俺を止めようとしているのだろうか。だとしたらそれは無駄だろう。怒りは鎮火したし、無策で突っ込む気もないが、あれだけの脅威を見て見ぬ振りも出来ないのだ。
しかし、出来れば、コハクから制止の声は聞きたくない。少なからず、迷ってしまうから。
「━━分かった、のじゃ」
渋々、といった様子で頷くコハク。助かった……そう思っているとキツネミミをピンッと立てたコハクが「ただし!」と強く前置きして言葉を繋げる。
「少しでも危なくなれば下がるのじゃぞ? ……一人で、勝手にいくな」
「分かりました。……有り難う、コハク」
「ふん……」
ツーンとご機嫌斜めなコハクを背後に、俺は前へと踏み出す。もうヘマはしない。一切の反撃を許さず、叩き潰してやる。
「行きます」
そうポツリと宣言し、地を思いっきり蹴り飛ばす。一つ踏み込み、二つで飛び、ゴブリンどもへ一気に肉迫。もう一、二蹴りでお互いの射程範囲━━そこで炎が俺の横を駆け抜ける。狐火。コハクの援護だ。
飛翔する火の玉は真っ直ぐゴブリンどもへと向かい、避ける暇を与えず突き刺さった。着弾の衝撃で吹き飛ばし、炎で燃やし、焼き付くし、飛び散った火の粉に触れたゴブリンまでもが塵と消える。祟りを火の形にしたような苛烈さ。コハクも本気だ。なら、俺も。
「ッ━━」
短く息を吐き、一息でゴブリンの群れの中へと飛び込む。前衛は焼かれているし、コハクもいるから背後からの攻撃は無視していい。ならば、後は簡単だ。
「潰れて消えろッ……!」
コハクの炎で文字通り前衛が溶け、少なからず動揺が広がっていたゴブリンどもの後衛へと刈り取るような蹴りを入れる。潰れ、吹き飛び、仲間を巻き込んで塵と消えるゴブリン。それを見届けるのもそこそこに、俺は手短な奴へと手を伸ばして掴んで放り投げる。将棋倒し。混乱が広がった。チャンスだ。
「シィッ━━!」
一歩奥へと踏み込み、息を吐きつつ足を回して周囲のゴブリンをまとめてかかとで蹴り飛ばす。やったのは五匹程か。まだまだ休めない。
混乱からいち早く立ち直ったらしいゴブリンの攻撃を横っ飛びに避け、そこにいたゴブリンを掴んで投げつける。飛んで行き、突き出されていた槍に串刺しに。これで一つ。仲間を殺って混乱状態に戻ったゴブリンに肉迫して拳を降り下ろし、二つ。順調。しかし相手の総数に対して殲滅スピードが全く足りていない。もどかしい。
「ヒイラギ!」
「っ!」
どうやらもどかしさを覚えてる暇も無いらしい。コハクの声に周囲を警戒すれば、ゴブリンどもがジェネラルに道を譲っていた。数は三、武器はどれも重量のある大物で、マトモに当たれば即死だろう。正直、手に余る相手と数だ。
俺一人なら。
「弓兵はあらかたやった! 二匹受け持つ! 嬢ちゃん達は速攻で一匹落とせ!」
「了解しました! ……コハク!」
「うむ、行くぞ! ヒイラギ!」
「はい!」
こちらへと走りながら自動拳銃をリロードし、そう叫ぶ警部の考えに同意して俺はコハクと合流する。
ゴブリンどもも自分達では無理だと判断したのか、それとも巻き込まれたくないのか、大きく後退してジェネラルどもに場所を開けていた。
そうして出来上がる三対三の決闘場。あちらの様子を見るに……これに勝てば勝利も見えてくるだろう。
「では、行きます!」
戦いは、佳境を迎える。決着もそう遠くはない。