第14話 侵食、顕在化
俺が女の子の苦労を一つ知った日から……ザッと三日が過ぎた。
その間俺がどこに居たかといえば、コハクに世話になっていたとしかいいようがない。いや、本当なら治療を受けて風呂に入った日の内に隠れ家からは出ようと思っていたのだが、コハクに引き止められたのだ。
曰く、怪我人を外に放り出すなど出来ぬ。行く宛も無い者ならなおさら……と。
コハクに世話になる前は公園やらで寝泊まりしていたのをうっかりゲロったのもマズかった。おかげでコハクが俺に対して……何というか、過保護になってしまったのだ。
怪我の手当てから始まって飯や着替え、果ては風呂の世話までしてくれる有り様……いや、有り難い話ではある。あるのだが……こうも世話をされては男として、いや、人として駄目になってしまいそうで恐ろしい。というか既に駄目になっている気がするのは……気のせいだと思いたいところだ。
「ふむ、もう完全に治っておるの」
「はい。コハクのおかげです」
「うむ。それほどでも……あるがの!」
満面のドヤ顔で胸を張りつつ、背後でパタパタと三本の豊かな尻尾を振り回すコハクを見ながら思う。果たして今の俺はコハク無しで生きていけるのか? と。……即答出来ない辺り、俺がこの三日間でいかに駄目になったかが分かろうというものだ。
コハクが居ることにすっかり慣れてしまった自分に苦笑しつつ、俺は怪我の治った腕をさする。地味にエグい矢傷を見せていた腕もこの三日で完治し、綺麗で白い肌を取り戻していた。つくづく人間ではないと自覚できる話だ。
「これ、そのように目をくすませるでない」
「……目、くすんでましたか?」
「くすんでおった。全く、何度言っても治りそうにはないの……」
家の縁側。そこから見える小さな日本庭園を眺めながら、コハクはやれやれと首を振る。この三日間で何度も言われた事だが、どうにも今の俺は常時ハイライトが落ちており、場合によってはそこから更に暗くなるとの事。そして、コハクはそんな目は嫌いらしい。
「特に意識してやってる訳ではないのですが……」
「じゃろうな。じゃからこそ問題じゃ。急いても仕方ない故追及はせぬがな」
「はぁ……?」
重々しく頷くコハクを脇目に、俺は何か激しい勘違いをされているのではと思わずにはいられない。少なくとも本来の性別は勘違いされているし、今の様に心当たりの無い問題を指摘される事も多いのだ。
━━いったいどんな勘違いをされているのやら。
訂正した方が良い気もするのだが、そうなると何をどう訂正すればいいのか? という新しい問題が増え、それを解決する為に勘違いを深く聞き出すか、一から十まで洗いざらい白状するかという話になり……そうなれば非常に面倒な上に、今の関係性にヒビが入ってしまいかねない。
そんな訳で結局俺はコハクの勘違いを放置している。そこまで大きな勘違いはされていまいと仮定して。
「さて、わらわは外に出てくる。ヒイラギは家で待っていてくれ」
俺が一人自分を納得させていると、コハクが唐突にそんな事を言い出す。この三日繰り返された言葉だ。
どうやら彼女は町の西側からする嫌な気配を頼りに、ゴブリンやスライム等の捜索を行っているらしい。そして見つけ次第駆除も。俺としては接近されると弱いコハクにそんな遊撃作戦をさせるというのは不安しかなく、着いて行きたかったのだが……怪我人を危険な目には晒せないと留守番を頼まれ、無理矢理同行しようとすれば術で煙にまかれていた。この三日間は。だが今日は違う。
「いや、もう怪我も治りましたし、手伝いますよ」
「むぅ、しかしの……」
「だいたいコハク、この三日間の成果特に無いじゃないですか。前衛は、必要でしょう?」
「むむむ……」
そう、コハクはこの三日間特に成果を出していないのだ。理由は慎重に慎重を重ねた為。どうやら彼女も自分が土壇場でテンパりやすく、接近されると弱い事は分かっていたらしい。だからこそ安全マージンを確保し、石橋を……なんなら鉄橋も叩いて渡っていた為に、怪しいところをロクに調べられなかったそうだ。
だが、俺という前衛が居れば無茶も効く。今コハクの脳内では俺を参加させるメリットと、自分の感情が天秤に乗っているはず……ここは、もう一押し。
「それに、私だって恩返しも出来ない奴だとは思われたくないんですよ。コハク?」
「む……そう、じゃな」
ふぅ、とため息にも似た息を吐き、コハクが俺に向き直る。しかしそのすんだ黒目は揺れており、モフモフのキツネミミも内心を表すかの様にピクピクとせわしない。迷いが無い訳ではない様だが……
「分かった。そこまで言うのなら手伝って貰うぞ。正直、手詰まりじゃったしな」
「任せて下さい」
「あぁ、頼りにしておる。……じゃがっ!」
ゆっくりと頷いた後、コハクは大きな声で一区切りを打って俺を睨む。咎める様に。あるいは、どうかこれだけはと教え込む様に。
「無理は禁物じゃ。また怪我しては治した意味もないでな……よいか? 必ずじゃぞ? 無理も無茶も禁止じゃからな?」
絶対じゃぞ? と。余程不安なのか何度も念を押してくるコハク。そんな不安になる程の無茶はしてないと思うのだが……前回だって横腹を切り刻まれて、矢が何本か刺さっただけだし。痛かったけど、死ぬ程じゃない。
とはいえ、そこまで念押しされて無視する程芸人根性たくましい訳でもないし……ここは従っておこう。無闇に不安を煽る必要も無い。
「善処します」
「やはり、ヒイラギは留守番させたほうがよいか……?」
「えぇ……」
なぜだ。解せぬ。善処する以外にどうしろというのか。
とはいえ一度吐いた言葉を呑み込むつもりはないのか、コハクはそれ以上何も言わずに立ち上がる。どうやら出立のようだ。
「ではわらわは少し準備してくる。玄関で待っていてくれ……あぁ、ヒイラギも用意する物があるならしておくと良いぞ」
「了解です」
そう言ってコハクは尻尾をふわりと振りながら縁側を後にし、廊下へと消えていった。
さて、俺も準備をしないといけないが……何かあるだろうか? トイレに行っておくぐらいか?
「別にコハクみたいに護符を使う訳でもないからなぁ」
立ち上がって縁側から何気なく庭を見つつ、純粋なパワーファイターだからなぁと自身の能力を振り返る。何か固定の武器があるでもないので準備も何も無い。
そう思っているとふと目につくのは小さな池に映った自分の姿。その服装はコハクが用意した丈の長いヒラヒラのワンピースだ……いや、そうだな。
「この格好で戦うのは無理か」
殴る分には問題ないだろうが、蹴りと移動に支障が出る。ここは着替えるべきだろう。確かゴブリンと殺り合ったときに着ていた服が俺が使っている部屋にあるはず。破れたところもコハクが直してくれたらしいので、充分着れるはずだ。
そうと決まればと俺は自分が使っている部屋へと移動する。その道中思うのは、考えないようにしていた事。
━━スカートを着るのに抵抗感も違和感も無くなったっ……!
もう色んな意味で俺は駄目なのだろう。明らかに身体に引っ張られているのもそうだが、コハクの押しに負けてホイホイとスカートを着る様になってしまった。彼女と会話する機会が多いから長らく女性らしい口調でしか喋ってないし……一人称が『私』になる日も近いかも知れない。
そんな恐ろしい事を考えているうちに目的地へと到着した俺は、手早く着替えと準備を済ませる。コハクも準備が終わっているだろうし、急いだ方が良いだろう。
━━パーカーとズボンが新鮮な気がするのは気のせいだ。気のせい……
芋ジャージが新鮮とか意味が分からない。オシャレポイントがジップ部分を開け、マントみたくしている以外に無いところが気になるとかあり得ない。
良いじゃないか芋ジャージ。良いじゃないか通気性が確保されて。身体に引っ張られ過ぎだ俺……!
「来たか、ヒイラギ……どうしたのじゃ? そんな険しい顔をして」
「いえ、なんでも」
「? そうか? 悩みがあれば相談に乗るぞ?」
「大丈夫です。そういうのではないので」
「……そうか」
身体に引っ張られて男の心を喪失しつつありますーなんて言えるものかっ! それもコハクに! ましてやこれだけの関係性を築いていながら、今更っ……! 言えん、間違っても言えん……!
「ふむ……では、行くか?」
「はい。行きましょう」
俺は自身の胸中に蓋をして、コハクと共に家の外へ出る。鳥居の方へと向かうコハクの後に続きながら思うのは、これから相手取る敵の事だ。
別に怖じけづいた訳ではない。むしろその逆。同じ渦から出て来て以上、あの忌々しくおぞましい触手と何らかの関わりがあるだろうゴブリンども。ソイツらをブチのめせると思うと気が逸ってしかたないのだ。コハクへ言った恩返し、あるいは不安を取り除く為、そういう気持ちも嘘ではないが……この身体にふつふつと湧き上がる思いは、そういう物騒な、復讐ともいえる黒々とした物が多い様に思えた。
━━ざまぁミロだ。クソッタレめ。
俺とコハクが組んで動く以上、戦闘力に不安はない。あるとすれば奴らと遭遇出来るかだが……コハクもこの三日間で嫌な気配の場所をおおよそ絞り込んだ様だし、まず間違いなく遭遇出来るだろう。
そう考えていると不意にリン、と。綺麗な鈴の音がする。この音は、俺がこの場に来たときの音か……? しかしなぜ。そう思ってコハクの方を見てみれば……
「ふんっ……」
凄く嫌そうな顔をしていた。例えるなら台所のGを安全圏から見つけてしまった主婦の顔か。何にせよ、乙女がしていい顔ではないだろう。尻尾の毛も逆立っているし……まさか、ここに敵が!?
「来るぞ。ヒイラギ」
「っ!」
もし敵なら俺がコハクの前に出る。そう決意して鳥居の方を中心に注意を払っていれば……来た。鳥居の脇寄りの方に波紋の様な物が見える。十中八九、あそこから来るのだろう。そう考えて睨み付けていると、人影が出て来た。
バケモノ、ではない。人だ。茶色のトレンチコートが特徴的な無精髭のオッサン。バカな、奴は……
「何をしに来た、石山の」
「おぉう、随分な挨拶だな。末っ子狐さんよ。信仰する神様にお詣りするのはそんなに悪い事か?」
「信仰心など欠片程度しかないクセによく言う……ふんっ、姉様の折檻は物足りなかったと見えるな」
「コンが妙に不機嫌だったのはお前のせいか……!」
間違いない。天敵、石山警部だ。なぜ奴がここに? ……いや、以前奴はここに招かれた事があると聞く。そのときに入り方を教えて貰ったのか……? 何にせよマズイ。このままコハクが追い返してくれると有り難いのだが……
「はぁ……まぁいい。緊急事態だからな」
「緊急事態?」
「あぁ。かなりマズイ事になってる。悪いんだがお前と幽姫……そこの白いのにも手伝って貰うぞ」
駄目っぽいね。これは。よく分からんが厄介事に巻き込まれそうだ……しかし、ユウキ?
「緊急事態のう……しかし、なんじゃ? そのユウキというのは?」
「ネットの住民が識別に付けた名前だよ。幽玄の幽に、お姫様の姫、それで幽姫だ。ネットの奴らが付けたにしては上等だからな。俺も知り合いから聞かされてからはこっちを使ってる」
「むぅ……」
なぜかむくれて膨れっ面を見せるコハクを横目にしつつ、思う。悪くないと。むしろ良い感じですらある。ネットで決めたのならもっと変な名前の可能性もあったはずだが……今回は厨二病患者でもいたのかな? 幽姫。良いじゃないか。それに名字ぽいし……そうだな。
「となると、今の私は幽姫柊ですか。それっぽいですね」
「……柊?」
「コハクがくれた名前ですよ。良いでしょう? それとも何か文句でも……?」
「むふー」
「あー、いや。仲が宜しい事で」
膨れっ面を一瞬でドヤ顔に変えて見せたコハクを見た後、警部を睨み付けてみればお手上げといわんばかりの対応を返される。なぜだ。
「さて、と。そんな仲良しな少女二人に頼みたい事があるんだが、良いか?」
「帰れ」
「人から押し付けられた厄介事は嫌いです」
塩対応とはまさにこの事。そういわんばかりの返しをされたというのに、警部は立ち去る気配も見せない……流石にタフだ。というか、ますます真剣な顔になっているような……?
「町が、境町が滅びかけてるって言ってもか?」
「……え?」
「それは、それはどういう事じゃ!」
境町。それは俺やコハクがいるこの町の事だ。それが滅びる? 何の冗談だ? 核ミサイルでも落ちてくると?
「三日前戦った鬼ども……識別名称ゴブリン。奴らが町のあちこちに出没してるんだよ。例の渦から這い出て来てな。死人こそ出てないが、重軽傷者多数。今はなんとか抑えているが……数で押しきられるのも時間の問題だ。事態は一刻を争うといっていい」
「バカな。そんな兆候はどこにもっ……!」
ギリッ、と。凄まじい歯ぎしりの音を立てるコハク。その横顔に浮かんでいるのは悔しさと、焦燥と、怒りと……もうごちゃ混ぜで、そんな今にも駆け出してしまいしそうな彼女の肩に手を置いて、俺は腹をくくる。ヤバイからといって逃げ出す程薄情ではないのだ。ならば、これしかあるまい。
「聞きましょう。私に頼みたい事とはなんですか?」
「……私達、じゃ。ヒイラギ。わらわも尽力しよう」
「感謝する。では、結論から言おう━━敵の本丸を落として欲しい」
警部の突飛な頼みを聞きつつ思う。あぁ、きっと日常は崩れたのだろう、と。これから始まるのは━━決戦だ。




