第13話 お風呂場での苦労
狐の隠れ家でコハクに芋ジャージな服を剥がされ、無理矢理ヒラヒラした服に着替えさせられる事……暫く。
俺の着替えは終了していた。
「うむ。中々良いではないか。似合っておるぞ」
コハクが実にイイ笑顔で俺にサムズアップを送ってくるが、当の俺はそれに答える余力がない。見た目小学生で通るケモ幼女に服を━━興がノったのか下着も含めて━━剥がされ、全身を見られた挙げ句、屈辱的にもヒラヒラしたワンピースを着せられたのだ。……もう、俺の精神はボロボロだった。
「そう、ですか……」
辛うじてそう返した俺に、コハクは激しく頷いてくる。余程似合っているらしい。……彼女といるのは嫌いではないが、一緒にいればいるほど男として大事なモノが削れていく気がするのは気のせいだろうか? 気のせいであって欲しいな。
「ではわらわはこの服を洗濯する故、ヒイラギは風呂に入ると良い。丁度沸いておるはずじゃ」
「風呂」
風呂。それは日本人の心。家無し宿無し戸籍無しである俺も、なんだかんだ風呂には入っていた。今や町のジジババしか使っていない銭湯でな。あそこはコインランドリーを併設してるから洗濯にも便利だったし……うん、替えの服とか買ってないからね。待ち時間に浴衣を借りれたのは幸運だった。
とはいえ、多くの人がうろつく場所で落ち着いて入れたかと言えば微妙な話で……コハクの提案は渡りに船だ。が、一つ疑問がある。
「なぜお風呂に入るのに、私は着替えさられたのですか……?」
「ん……そうじゃな、理由は幾つかあるが……」
幾つかあるのか。
「一つにはおなごが真っ裸でうろつく訳にはいくまいという事。いくらこの家にわらわとお主しかいないとしてもな」
「それは、そうですが……」
「他にもあるにはあるが……まぁ、済んだ事であるし、良かろ。さぁ、風呂に入ってくると良い」
「……そうですね」
ふざけた理由ならともかく、至極全うな理由だったので大人しく従っておく。男だったときも、夏の風呂上がりですら最低限パンツは履いてたしな。それをTSした状態で真っ裸というのは確かにアレだ。
そんな事を思いつつ部屋を出て、風呂場へと案内してくれるらしいコハクに着いていく。長い廊下を歩き、曲がり、だいぶ進んだところで、ピタリとコハクが立ち止まる。……急に立ち止まられてモフモフ尻尾に顔をぶつけたのは内緒。
「ここじゃな。湯は沸いておるはずじゃが、温かったら言ってくれ。火を投げ込んで……どうかしたか?」
「いえ、なんでも。では、失礼します」
「うむ。ゆっくりとな」
尻尾をゆらゆらと揺らしながら、俺の破れた服と下着を持ってどこかへと歩いて行くコハクを見送り、俺は風呂場へと続く木の引き戸を開けてそそくさと中へ入る。
後ろ手に扉を閉めつつサッと視線を回せば……脱衣場の様だ。目につく物の大半が木製で、何とも気分が落ち着く良い造り。広さは大勢が利用する銭湯のそれに比べれば若干狭いが、個人宅である事を思えばかなり広い。
━━コハクには複数の姉がいたようだし、元は大家族だったのだろうか?
そんな事を思いながら着せられたワンピースをパッと脱ぎ、軽く畳んで木で編まれた篭の中へ。更に下着もさっさと脱いで同じ場所へ叩き込む。タオルは……持ち込まなくても良いだろう。まさかコハクが突入してくる訳でもあるまいし。
━━洗濯してくるって言ってたしな。こちらに構う暇はあるまい。
そう結論付けて、俺は風呂場に続く扉を開け放つ。一拍、暖かい湯気が入り込んできた。
「へぇ、これは……」
風呂場へと足を踏み入れ、後ろ手に扉を閉めつつ思うのは風呂場の予想外さだ。
確かに古い造りの家だし、脱衣場も個人宅と思えない程広かった。しかし風呂場の大きさや質はそれ以上。大きさは銭湯のそれと同じかそれ以上だし、質の方は知識がないからイマイチ分からないが……これは、ヒノキと大理石ではないか?
「老舗の温泉旅館か何かか……?」
金も手間もかかるだろうによくやる……いや、あるいは昔から受け継がれてきた部屋なのかもしれない。そう思うのは年季の入った木や石の具合のせいか。
何にせよ、一般人に過ぎない俺がのんびり入るのは豪華過ぎる風呂だ。
━━まぁ、入るが。
ここのところ銭湯でサッと洗うだけで落ち着いて入った事がなかったし、これだけの品を使える機会などそうそうあるまい。家主からも許可を得ているのだから遠慮なく行こう。そう考えた俺は先ず髪と身体を洗おうと部屋を見回し……ふと疑問を持つ。
━━シャワーと洗剤はどこだ……?
前者はいい。古い家の様だから無いのも仕方なく、無いなら無いで風呂桶から水を取ればいいのだから。その為の手ごろな桶は見つけれた。
しかし後者はどういう事だ? プラスチックボトルが無いのはまだいいにしても、石鹸すら無いとは……
「どうしろというんだ……」
まさかこの程度の事でコハクに助けを求める訳にはいかない。だが洗わずに入る訳にもいかず、そも入らないというのもまたあり得ない。かといってこのまま立ち尽くしていても風邪をひくのがオチ。早く打開策を打たねばならないが……いったいどうしたものか。
「……いや、脱衣場にあるのか?」
どうだっただろう? 詳しく調べた訳ではないが……だからこそ可能性がある。うん。コハクな泣きつくのは脱衣場を調べてからでも遅くはあるまい。
そう考えて回り右をし、脱衣場へと向かう……その途中。脱衣場に人の気配を感じた。まさか。
「おぉ、ヒイラギ。すまぬ、丁度石鹸とタオルを取り替えておったのを忘れておった」
「は、はぁ。いや、それはいいのですが……なぜコハクはそんな薄手の服を着ているのです?」
「? 湯着じゃが? ハク姉が同性でも肌を見せ合うのに抵抗がある人もおるというから着てみたが……無い方が良いかの? それともヒイラギも必要か?」
「えぇ、まぁ。いえ、そうではなく」
なぜコハクが風呂場に乱入する気満々なのかを問いたいんだが? おかげで俺は既に目のやりどころに困っているのだ。いや、ホント。キツネミミでも見てればいいですかね……? コハクの湯着は着物の様ではあるが非常に薄手で、半ば透けているのだ。お願いだから湯気さんもっと頑張って。俺はTSしたとはいえ、中身は野郎なのだし。
「? 妙な奴じゃの。洗濯は後でも出来るからと、せっかく身体を洗ってやろうと思ったに」
「…………いえ、大丈夫です。コハクは気にせず洗濯に戻って大丈夫ですよ」
「いや、ここまで来て帰るのもアレじゃ。わらわが洗ってやろう。ついでにそのボサボサの髪も整えてしまおうか」
そうドヤ顔で言い放つコハクに、俺は思わず一歩退く。押しが強すぎると。スキンシップに飢えているのか、コハクはグイグイ来るのだ。別に嫌いではないが……今はその、なんだ、困る。
━━いっそTSしましたとゲロるか?
この場面で? 殺されるわ。というか頭の具合を心配されるだろう。気づくなら俺が混ざりモノだと分かったときに一緒に気づくだろうし。
結論。流れに身を任せてどうにかしろ。
「はぁ、降参です。お任せしますよ、コハク」
「うむ、任せるが良い!」
俺はコハクの湯着をなるべく見ない様にしつつ、内心で湯気さんにエールを送る。あれ絶対肌に張り付くから頑張って煩悩退散の手伝いを頼む、と。
「ほれ、ここに座ると良い。先ずはそのボサボサな髪から手入れして行こうぞ」
俺はその言葉に特に疑問を抱く事もなく、コハクが指示した小さな椅子に座る。
「長い髪の手入れの仕方はコン姉から教えて貰っておるからな。安心せよ」
「は、はぁ……?」
「先ずは軽くブラシを━━」
どうやらコハクは男の雑なソレではなく、女性として正しいやり方でやってくれるらしい。なんでも嫁入りしたという姉から教えて貰ったとかで丁寧にやってくれた。本当に、丁寧に……
「次に洗剤をつけずに湯を流す。シャワーがあると良いらしいが、この家はそこまで完備してないからの。まぁ、任せておくのじゃ」
「え? いや、はい。お任せします……」
え? シャンプー付けてガーで良くね? そんな事を言える訳もなく。俺は延々と湯に……それもゆっくりじっくりとシャワーの如き湯に打たれる事となる。どうやってるのか、どうせ術でも使ってるんだ。そんな事を考えていると……
「して、ここで洗剤よ。今日はコン姉から貰ったのを使おうぞ」
ようやくシャンプーらしい。しかしその歩みは野郎のそれを遥かに下回り、丁寧に丁寧を重ねて慎重にやってくれる。有り難い話ではあるし、気持ちも良いのだが……いかんせん、歩みが遅すぎる。有り体に言って飽きてきた。
「次はすすぎじゃな。コン姉は四、五分はやると良いと言っておったのじゃ」
「え……?」
ナニソレキイテナイ。いや、え? 五分? 正気か?そんなにお湯に打たれなければならないのか? それは滝に打たれるのと何が違うんだ……野郎だったときなんて秒だぞ秒。下手すりゃ十秒掛けなかったというのに、嘘だろ……?
「むー……術で再現するのも疲れるのぉ。わらわも専門ではないし、これはコン姉に頼んでシャワーをつけて貰うのもありじゃな」
知らねぇ。俺知らねぇ。こんな苦労知らねぇ……
「して、次にトリートメントじゃな。これもコン姉から貰っておるから心配せんでもいいぞ。確か毛先の方から━━」
まだあるのか!? あぁ、意識が遠退きそうだ……世の女性はこんな苦労を毎日しているとのかと思うと頭が下がる。真似したいとは微塵も思わんが。思わんが……今やってる、というかやられてるんだよなぁ。ワロス。ワロス……苦行やで、こんなの……
「━━ラギ。ヒイラギ? 大丈夫か?」
「ぇ、あ、はい。大丈夫です。終わりましたか?」
「うむ。終わったぞ。髪もまとめておいた。次は身体じゃな」
どうやら終わったらしいと一息つこうとすれば、コハクが更に恐ろしい事を言い出す。こんな調子で身体を現れては発狂してしまう。それはだけは断固として拒否だ!
「それは自分でやります」
「む、そうか? しかしな……」
「自分で、やりますから」
「そ、そうか。むぅ、ならばわらわもついでに入ってしまうか……」
背後でガサゴソとナニカを脱ぐ音を聞きつつ、俺はコハクから受け取ったタオルを使ってちゃっちゃと……しかしケチをつけられない様に出来るだけ丁寧に身体を洗う。もう滝行はごめんだ。
とはいえ五分だとか丁寧にだとかやってるコハクよりも早く終わってしまうのは当たり前であり、俺はそそくさとヒノキ風呂の中へと入る。
「ふぅー……」
疲れが、抜けていく。先ずは先ほどの精神的苦行の疲れが、続いてここ数日の疲れが溶けていった。そうしてとろけてみれば湯の心地好さと、何やら良い香りがしてくる。これが、ヒノキ風呂か……
「落ち着く……」
流石に高級品といわれるだけあって見た目も香りも良い。肌触りも中々で、湯の暖かさと合わせて非常に快適だ。ほぅ、と息を吐いて身体を湯に預けていればそれだけで癒されていく。あぁ疲れが溶けるぅ━━
「うむ、うむ。我が家の風呂は中々良いじゃろ?」
「えぇ、疲れが取れます」
「そうであろ、そうであろ」
いつの間にか入ってきて居たらしいコハクが、俺の隣で満足そうに頷くのを見つつ……いや、待て。なぜ隣に居る? それにコハク、それ湯着着てないよな? 何の為の湯着なんだ? ハク姉とやらの教えはどうなった? 今は見えてないが、些細な事で見えてしまうのではないか? ……えぇいっ、コハクのスキンシップへの押しが強すぎるっ!
「ん、ヒイラギ大丈夫か? 顔がだいぶ赤いが……」
「え? あ、あぁ、少しのぼせたのかもしれません」
そりゃ赤いだろうよ! コハクは性格が性格で細かい事はあまり気にしない質の様だし、同性だと思ってるだろうからそうでもないだろうが、こっちは全く違うのだ。水面から出たコハクの白い肩を見るだけで、顔の体温が上がっているのが分かる。気恥ずかしいなんて話じゃない。
咄嗟にそれっぽい事を言ってはみたが……いや、もうこのまま押しきって上がってしまおう。
「すみません、私はもう上がりますね」
「そうか。まぁ、それが良かろう。無理に入る事はないしの……あぁ、着替えは篭に用意してある故、それを使うと良い」
「何からなにまで、有り難うございます。コハク」
「良い。言ったであろ? お主はわらわに取って恩人であると。……それだけでもないが」
「……コハク?」
「いや、何でもない。ほれ、のぼせ上がってしまう前に上がると良かろう。わらわもじきに上がる」
何やら意味深な事を言われた気がしたが……促された事もあって俺は風呂場から逃げ出すように脱衣場へと向かい、中へ入って扉を閉めつつ一息つく。疲れたのか癒されたのか分からんと。
━━あれで悪気とか一切無いからなぁ……
元大家族の影響か、それとも一人にされた時間のせいか、はたまた本人の気質か、コハクはスキンシップに躊躇いがない。飢えてすらいるだろう。その上パーソナルスペースもあまり持っていないようで距離も近いし……嫌いではないのだが、心臓に悪い。あぁも押されると息をするにも緊張するのだ。
━━思えば、コハクの戦闘スタイルも前のめりだな。
自分が近づかれるとテンパるが、そうでなければ一方的に叩きのめすのがコハクの戦闘スタイルだ。狐火の火炎弾で撃ちすえ、反撃を許さず、ひたすらに押し続けるスタイル……なるほど、性格か。
「悪い子ではないんだが……ん?」
果たして何を言おうとしたのか、俺の言葉はコハクが用意しただろう篭に入った服を見て止まる。
綺麗に畳まれたそれは、間違いなく女モノ。そして再びのスカートだ。そこそこ長いスカートと、柔らかそうな上着の組み合わせ……更に下着までついてきてる。総じて薄手で、恐らくこれで寝る事も考えられたソレ。間違っても男が着る物では無い。だが、だが俺は……だから、つまり。
「…………フッ」
ベキッ、と。ナニカがへし折れる音を幻聴した。それはいったい何だったのか? 最早考えるのすら億劫だ。
着てしまおう。
何、たかが服だ。女モノだスカートだといって、それで何かが変わる訳でもないさ。あぁ何も変わらない。着てしまおう。スカートだろうが何だろうが着てやるさ!
「━━ん? おぉ、ヒイラギ、よく似合っておるぞ。やはりお主はそういう……なんじゃ、落ち着いた清楚な格好が似合うのう」
「ははっ……いえ、コハクの巫女服姿も良かったですよ?」
「そうか? そういわれると悪い気はせんな」
風呂場から出て来て真っ先に俺の格好を褒めるコハクに礼を言いつつ、俺はナニカがガリガリと削れているのを自覚せずにはいられなかった。何せ今着ているのはどこぞのお嬢様かと言いたくなるような服装で、何ともオシャレな、しかし落ち着いたスタイルなのだ。これが似合っているのなら……いや、深く考えるのはやめよう。うん。
そうやって考えを叩き切り、俺は背後でコハクが着替えている音を聞きながら、自己暗示を掛ける。俺は男。身体美少女で清楚な格好が似合っても俺は男、と。
「……うん? ヒイラギ、お主髪は乾かしたかえ?」
「……ぇ、いえ、拭いただけですが」
俺が自己暗示を掛けている内に着替え終わったらしいコハクが、そう言って俺の白髪を触ってくる。ドライヤーなんて無かったから、ガーと置かれていたタオルで拭いたのだが……何か、マズったらしい。コハクが不満顔だ。
「せっかくハク姉の様な綺麗な白髪なのに、こうも傷んでおるのは……勿体無いの」
「こ、コハク? いったい何を……?」
「そこに座ると良い、ヒイラギ。お主に髪の乾かし方を教えてやるのじゃ……!」
怒気、いや違う。あれは覇気だ。コハクから凄まじい覇気を感じる。何が何でも目的を達成してやるという覚悟も……!
正直、面倒事の気配もするので逃げ出してしまいたかったが、水気で萎んでいたはずの尻尾の毛を一瞬で逆立てたコハクに気圧され、俺はあえなく脱衣場の椅子に座って髪の乾かし方を教わる事になった。
「良いか、先ず髪の毛を痛めぬ様に丁寧に水気を落とし━━」
丁寧に、丁寧に丁寧に丁寧丁寧丁寧……一言いうのなら、女の子って大変なんだなと、そう思わずにはいられなかった。
そして俺をTSさせてこの苦労を味あわせた奴に、必ずや引導を渡してくれるとも。
「熱風で乾かすにも直接当てては痛むからの。吹き下ろすようにするかタオルを当てて━━」
様々な思いを浮かべる俺を置き去りに、コハクの髪に対する指導は続く。それらは全て知らない知識であり……それを毎日しなければならないのかと思うと、ホント、大変だな…………女の子って。




