Ep.7-3 乙女の貞操
「――ウィル・ダーリング。何をしている」
大きくはないが、厳しい声がその場に響いた。
問われたウィルは鍛えつつある体躯全体でリディアを庇い、自分の後ろに下がらせようとしていたが、その声にバイソンに向けていたのとは違った顔を向ける。
一方ウィルの腕を掴んで、彼を庇おうと前に出ようとしていたリディアだが、もう力比べでは敵わなくなっていた。
結局リディアは、おとなしくウィルの腕に庇われ二人分の防御膜を張り、備えていた。
けれど結果、カーシュにはウィルとバイソンが争っているという構図に見えてしまってもおかしくない。
「――カーシュ。ごめんなさい、ウィルは関係ないの」
ウィルが喧嘩をしていたのじゃない、とカーシュに訴える。
「そうじゃない。騒ぎになる前に沈めさせる、そう教えたな、ウィル」
ウィルが身を正す。
そうか、カーシュがウィルの指導者だったのか。
「くそ、はな……せっ、いてててて」
「口を開かせるな。指を動かせるな、その前に封じる。それが鉄則だ」
「イエス・サー!」
ウィルがリディアを掴んだまま、声だけ張り上げる。
あれ? やっぱり、これ流行ってるの?
「――お久しぶりです、うちの馬鹿が未熟で失礼しました」
ウィルには非常に厳しい眼差し、そしてリディアにはわずかに表情を緩めて挨拶をするカーシュ。
図書館都市に行く前に、目の回復状況を診にたびたび彼のもとに訪れていたが、帰ってきてからはまだ会っていなかった。
傷つけてしまった彼の目を、リディアは窺うように見つめ返す。
「そんなに、心配しないでください。もう影響はありませんから」
「――また後で、診させて」
そう言うと、カーシュはわずかに目元を緩ませた。殆ど表情に出さない彼だが、微笑んだのがわかる。
「い、いい加減。離せ……ぐ、うう」
カーシュはバイソン帝王を片膝で床に押し付けたまま、普通に会話をしている。バイソン帝王の取り巻きは慄いて、数歩どころかかなり遠くまで距離をおいている。
ここに来てようやく近辺に座る団員が騒ぎに振り向いているが、皆自分が食べる手を止めることはない。
揉め事は自分たちの手で解決が基本。ただし、自分の飯が被害にあったら全力でやり返してくるのが彼らだ。
リディアは見物されていることを気にしつつも、カーシュとの会話を続ける。
「あなたが、ウィルのチームの担当なのね。私も教わりたかったけれど……かなり厳しそう」
バイソンよりは実力をつけてもらえそうだけど、訓練にはついていけないだろうな。
カーシュはシルビスに潜入していた時から無表情。ここでもあまり表情に出すことはない。でも、やはりあちらにいたときとは違う。
慣れてくると、感情がわかるようになってきた。今は、微かに会話を楽しんでいるのだとわかる。
「そうですね。以前は不本意であなたを泣かしてしまったので、今度は俺自身が泣かしてみたいですが」
ちょ、それって微笑を浮かべながら言うこと?
「残念ですが、それを許されているのはあの人だけでしょう」
リディアは固まる。どこを、どう突っ込めば? いや否定すればいい?
「リディア、やめとけ。こいつすげー、ドS。ディアンは放置基本だろ。で、やるときは容赦ない。でもこの人は最初から最後まで容赦ない」
「ダーリング。団長と呼べと言ってるだろう」
カーシュの大きくはないが怒気が混じる声に、ウィルが小さく「イエス」と返事をする。それに小さく頷き返すとカーシュはこちらを見た。
「優しくしますよ。あなたも一度、受けてみますか?」
愛おしそうにリディアを見つめてくるけど、内容は超激ハードな訓練の誘い。
――ヤバい。やばすぎる。
この人、ウィルの言う通りSだ。ディックは、訓練に熱が入ると容赦がなくなる。でも、この人は楽しむタイプだ。しかも殺す一歩手前までの加減を知っている。
そして、いつの間にか体も心も服従させるように鍛え上げる。
「……やめておきます」
カーシュは楽しそうに喉の奥を鳴らして笑った。
「いつでも言ってください。でも、その際には団長の許可を」
リディアへの眼差しは、まるで姫に心酔している騎士のよう。でも違う。それに騙されてはいけない。
(そう、きっと、団長にね!! )
そう、それはディアンへの心酔だ。
自分にじゃない。
だからディアン先輩とはペアで見ないでね!
(それにその訓練、私には無理だから!)
リディアは、早々にそれに参加することを諦めた。
ウィルはそれに耐えたんだね、すごいよ、偉いよ。
リディアは同情と尊敬を混ぜた眼差しでウィルの背中をそっと見つめる。
子犬のように縋りついてきたけど、本気で癒されたかったのだろう。
「ところで、そのアイスノンはなんですか? そして足は――」
敏い彼が気づかないわけがない。
「ええと、ちょっと色々――」
「こいつですね」
這いつくばらせていたバイソンの首の根本を掴んで、カーシュは片手で軽々と空中に吊るす。体重、百キロはありそうな巨躯を、だ。
「なんだ、き、さま、離せ。離せ、おれは五年目の――」
「西方地域S特級魔法師、第五分隊隊長、特A任務班所属、カーシュ・コーエン」
テーブル周辺が静まる。
ここは軍隊ではないし、階級もないから階級章もない。相手がどのくらいの実力者かは魔力や気配、身のこなしで察する。それで相手が自分より上か下か、判断するのだ。それができない無能は、消えていくしかない。
そして、普通は名乗らないクラスや所属を告げたカーシュの能力と所属は、あまりにも飛び抜けていた。
特級魔法師は、魔法師の中でも更に魔法の能力が高い魔法師につけられる階級。
だが、師団の中では更にランクがある。S特級魔法師は、ディックやシリルと同じランクだ。
配属に関しては流動性があるから一定ではないけど、彼らと同じで団長を固める幹部と言えるだろう。
それをわざわざ告げたのは、明らかに相手の実力を察することができない無能なやつへの牽制。
「事情はわかりました。経緯はあとにしましょう。まずは二度と吠えなくさせるのが先決」
巨躯を吊るしたまま喉仏を押さえて、そのまま潰そうとしている。魔法の気配は一切なく、彼の握力のみの技。
バイソンは目を剥いて、顔を赤くして舌を伸ばし、ひくひくと痙攣しはじめた。
それ、殺しちゃうよ!
バイソンの足元から雫が滴り、尿臭が漂う。あ、ちょっと周囲が顔をしかめている。それも顰蹙かうからやめて。
「カーシュ、そこまでで……」
「いいえ。いつからこの毒虫が紛れ込んだのかわかりませんが。団長に知られる前に処分します」
赤毛の青年たちは呆然と固まったままだし、ウィルはリディアを後ろに下がらせたまま。
初っ端からこんなのをウィルに見せていいのかな。
と、思ったけどウィルは厳しい顔で、顔をそむけようともしない。
この半年で、彼から甘えの気配は消えている。
自分がどういうところにいるのか、今後どんなことをしていくのか、ちゃんと向き合い理解している顔だ。
(――でもこれ、食堂での喧嘩だけどね!)
しかも元凶は自分!
ちょっとどうしたらいいかと思っていたら、いきなり魔法の気配がしてその姿が消える。
カーシュさえも目を瞬き、そして手の中のものを落とした。
ぺちゃ、っと粘液質の音がして、食堂の床に着地したのはカエルだった。しかも大人の手のひらサイズ。そして泥水色というのか、微妙に茶と灰色がまじったテカる体表。
突然のことに、カエルは腹を見せ、ひっくりかえったまま手足をばたばたしてもがいている。
「――まったく。相変わらずここは、騒々しくて野蛮だね」
少しだけかすれた声は、声変わりの男子の特有なもの。美しい少年の微笑みに、こちらもつい笑顔になりそうだけど、やったこともセリフもかなり過激だ。
前はあちらも見上げて、こちらも見下ろす関係だったのに、今はかなり目線が近い。
「久々にリディアに見せる魔法がこんなので、残念だよ」
「アーベル!?」
見えない汚い何かを落とすかのように手をふって、邪気のない笑みでリディアににっこり笑ってきたアーベルにリディアは驚く。
「人体編成は禁止されているはずだが」
「いいや。人体の組成を変えたわけじゃなく、まるきり蛙にしたからね。それに、僕はここの人間じゃないから、ここのルールは通用しないよ」
わずかに眉を動かし不快を示したカーシュに、淡々とアーベルは返す。
カーシュも存在感ばっちりだけど、彼の場合は服の上からも揺るぎなさがわかる鋼のような体躯のせいもある。
反対にまだ出来上がっていない体つきの華奢な少年の姿をしながら、物怖じせず堂々と高等魔法を瞬時に行ったアーベル。放つ魔力は殆ど感じない。感じさせないからこそ、秘めているものが恐ろしい、そうここにいる皆に思わせる存在感。
「リディアの体を傷物にした外道は、踏み潰すのがふさわしいと思ったけれど――それをするのは、任せようかな。靴が汚れるし」
「傷物って人聞きが悪いから言わないで」
「具体的には何をされたの? それが言えないなら、その傷見せてよ」
「あ、それ俺も」
「見せない!」
アーベルがぐいぐいと詰めてくるし、ウィルも迫ってくるし。逃げ道を探そうとしたら、テーブルに座っている赤毛の青年と目があう。
あっけに取られているけれど、ちょっとどいてくれないかな。
表情を変えずに、やや迷惑そうにカーシュは請願詞の詠唱を始める。内容からすると、バイソン帝王を人間に戻すもの。リディアにはできない。
アーベルのかけた魔法はざっと見ても、リディアがわからない魔法術式がまざっている。リュミナス古語でもグロワールでもない。人間の知らないものだ。
それをカーシュは元にもどそうとするのだからすごい。とはいえ、アーベルのように一瞬とはいかないみたい。
段々とざわめきが大きくなる、入口を見たらディックがトレイを持って列に並んでいて、こちらを凝視している。奇妙な顔をして気にしてるみたいだけど、ご飯を優先したようだ。でも口がモゴモゴ動いている。
え。なに?
ディックが後ろを指差すから振り返ったら、その前にウィルが「あっ」と小さく叫んで転がる。
そして、いつの間にか周囲がぽっかり空いている。まるで、隕石が落ちてクレーターができた空間みたい。
皆がトレイをもって素早くいなくなっていた。新人君たちだけが、そこに座っている。
何事?
きょろきょろと周囲を見渡しながらも、ずり落ちたアイスノンをあて直す。溶けだして柔らかくなり、ちょうどよくお尻に収まり始めたぞ。
と、思っていたら、いきなりお尻に当てた手の上に大きな手のひらが重なった。
ひって思って飛びすさろうとしたら、後ろから肩を抱きしめられた、もといホールドされた。
「――なんの騒ぎだ」




