憂鬱な私と、喫茶店の男の子
私の彼は、とても優しい。
そして、料理が、特にスイーツを作るのがとっても上手。
「おいしい!」
彼が作った新作のバナナケーキを頬張りながら私は身を震わせた。
バナナの香りと甘みが広がるしっとりどっしりとしたパウンドケーキの上に、こってりとしたクリームがのっている。
これを一緒に食べるとホロホロととけていくように優しい美味しさが口いっぱいに広がった。
彼の入れた紅茶をこくりと飲むと、ホッと息がつける。
「おそまつさまです。気に入ってもらえて良かった」
カウンター越しの彼は、ふわりと笑う。
この笑顔に私はいつも見とれてしまう。
混じり気のない、優しいばかりの笑顔。
私の事を大切にしてくれているのは、細められた瞳を見ればよく分かる。
周りが彼の事を私とは不釣り合い、などと言っていることは知っているけれど、私には意味が分からない。
彼は、住岡大成はとびきり素敵な人だ。
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私は自分の容姿が、いや、容姿を見て態度を変える人が苦手だった。
嫌な人ばかりでは無いし、この顔で良かった事もある。
けれど、本当に顔ばかりを見られるのは疲れるのだ。
私は別に社交的な性格では無いし、みんなと仲良くしたいほど積極的でもない。
けれどこの顔のせいで告白は絶えない。
それだけでなく男の人からつけられたり、しつこく迫られたり、どこかに連れてかれそうになった事もたくさんある。
仲のいい女の子友達もいるけれど、自分の好きな人を取られた、彼氏を取られた、と私が知らない場所で噂が広まって、殆どの女の子から一方的に嫌われたりしていた。
逆に仲良くなろうと近づいてくる子もいたけれど、私といるのがステータス、だなんて思う人と一緒にいて楽しいはずがない。
中学生の時の私は、その生活にちょっと疲れてしまっていた。
あれは学校の帰り道、嫌なことがあっていつもと違う道を歩いていた時だった。
下ばかり見つめて歩いていた私は道に迷ってしまい、心細さと悔しさに泣きたくなった。
そんな時だ、美しい木のトンネルを見つけたのは。
鉄でできたアーチ型の長い門に、鮮やかな緑の葉が無数に絡まっている。
吸い寄せられるように近くに行けば、「喫茶はなや」と書かれた小さな看板が目に入った。
私は道に迷っていた事も忘れて、ドキドキしながらトンネルをくぐった。
すると眼前にレトロな洋風の建物が顔を出す。
まるで物語のようだ、なんて思いながら私は恐る恐る店のドアを開いた。
カランカランと鈴の音が鳴って、優しい珈琲の香りが広がる。
「いらっしゃいませ」
少し高い男の子の声がして、私は体を強張らせた。
私は同年代の子たちが男女問わず苦手だった。
好意にしろ悪意にしろ、隠すそぶりもなく私を見るからだ。
けれど男の子は気にした風もなく優しく微笑んだ。
「お一人様ですか?」
「は、はい…!」
「こちらへどうぞ。今の季節は花が綺麗なので、窓際がおすすめです」
男の子は私に見惚れる事もなく、あくまでも店員として案内してくれる。
男の子のおすすめどおり、案内された席から見える庭は美しかった。
大きな木々が生い茂り、きちんと手入れされた色とりどりの花々。
僅かに空いた窓から、優しい風が流れ込む。
「こちらお冷やとメニューです。お決まりになったらお声がけください」
そっと可愛いガラスのコップとメニュー表を置いた男の子は、静かにカウンターに戻った。
ちょうど見えないくらいの位置にいってくれたのは、気を使ったからだろう。
私は不思議な気分になった。
私の知るあの年代の男の子たちは、もっとうるさいし、デリカシーが無いし、何より怖い。
店内には私しかお客さんがいないけれど、何故だか居心地の悪さは感じなかった。
私はメニュー表を見つめながら適当に目に入ったケーキのセットを頼む。
「……おいしい」
頼んだシフォンケーキを一口食べて、思わず声が出た。
人気のケーキ屋さんとはまた違う、手作り感のある優しい味だ。
「おいしい」
またぽつりと呟いて、ふぐふぐとケーキを食べる。
ポタリポタリと、テーブルが濡れていく。
気付いたら私は泣きながらケーキを食べていた。
何故だろう、分からない。
でもたまらなく悲しくて、安心していた。
ここは私の場所、大事な場所になる。
そんな予感がした。
「ありがとうございました」
お会計の時、男の子は赤くなった私の目を見て少し目を見張ったけれど、何も言わずに微笑んだ。
「これ、どうぞ」
「え?」
「今日はもうお店閉めちゃうので、よければ」
男の子はいたずらっぽく笑って、私にクッキーが入った袋を渡した。
「え、でもいいんですか?」
「もちろん」
「ありがとうございます…」
どこまでも優しい笑顔に少しだけドキドキしながら私は頭を下げた。
そしてふと、自分が道に迷っていたことを思い出す。
「あ、あの、実は私道に迷ってしまって…ここってどこなんで…しょう……」
言いながら情けなくなって、語尾が弱まっていく。
「えっと、どこに戻りたいんですか?」
男の子が目を丸くして尋ねるので、私は場所を告げる。
「うーん、見事に反対側を歩いてきたんですね。口で説明するの難しそうだし、案内しますよ」
「え、わ、悪いです! あの、ぜんぜん」
「大丈夫ですよ。さっきも言った通り、今日はもう閉めるので」
「そんな……」
「大丈夫大丈夫」
安心させるように男の子は私を外に促して、openと書かれた札をひっくり返してCloseに変えた。
時計を見れば時刻はまだ16時30分。なんとも中途半端な時間だ。
「あの、もしかして私のせいで閉めるんじゃ…」
困ったように男の子を見上げると、男の子は首を横に振った。
「違うんです。ここ、僕の両親が趣味で作ったお店で、かなり好き勝手に開け閉めしてるんですよ。今日はバイトの人も休みで、母も引っ込んでしまったので、いつ閉めるかは僕次第だったんです。お客様の後はたぶん誰も来ないと思うので、はなから閉める予定でした。うち、午前中からお昼時が一番混むんですよ」
「そ、そうなんですね」
「そうなんです」
趣味でお店作るってすごいなあ、本当に物語の中みたい、と思いつつ私は男の子に合わせて頷いた。
「えーと、こっちは道が入り組むので、ここから向かうと分かりやすいです」
男の子は道々に目印を教えてくれながら、私を案内してくれた。
男の子の教えてくれる目印は、なんだかとっても可愛くて面白い。
妖精の家みたいな真っ白で可愛い家から、のっぽの木の方向に。
河童伝説のある小さな川の向こうにある願いの叶う大きな石の方に真っ直ぐ。
そんな風に、ちょっとだけ言葉を添えて案内された道は、もうただの道ではなくなっていった。
男の子が教えてくれるだけで、そこは新しい物語になっていく。
男の子はきっと、私の容姿を見て親切をしてくれているわけではない。
きっと道に迷った人が私じゃなくても、こんな風に一緒に歩いてくれるだろう。
見覚えのある道に出た時に、私は寂しさを覚えた。
「あの、ここまでくれば大丈夫です。ありがとうございました!」
「良かった。気をつけてくださいね。もし良ければまたお越しください」
「はい!」
手を振って男の子の背を見送りながら、私は胸を押さえた。
もっと話をしていたかった。
もっと楽しい話を聞かせて欲しかった。
私は初めて感じた自分の感情に戸惑っていた。
男の子から貰ったクッキーは、やっぱりおいしくて、涙が出た。