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6.「ウーウー、キットクールッ! キーセツはシロークッ!」

 矢継ぎ早、エントリー三番がやってきた。

 強烈なビジュアルである。

 海藻みたいな長い黒髪をだらしなくたらし、顔は完全に隠れてしまっている。薄汚れた白いのレトロなワンピース姿で、おおげさな猫背のままトコトコ歩いてきた。


 肘からむき出しの腕は指の先まで白塗りされている。両手は獲物をとらえるわしの爪みたいにひらき、現世に対する怨念を表現している。

 司会者は身体をのけ反らせ、


「さあ、たいへんな方がお見えになられています。小野路町からお越しの三浦 敏子さんです。今日は職場のみなさんが応援にかけつけてくれました。カメラさん、観客席を映してあげてください!」


 と、手をさし出した。

 テレビ画面は観客席に切りかわった。

 これも黒髪をたらした不気味な白服の集団が、『小野路パン工房の元気印、三浦さんガンバレ!』の横に長い応援幕を持ち、手作り感あふれるうちわをふっていた。白服集団は能天気に、「イエーッ!」と叫んだ。


「小野路パン工房さんからのメンバーも貞子に扮しております。いやー、すごいインパクトですね!」


 司会者が言うと、三浦 敏子はマイクをひったくって、


「……ウーウー、キットクールッ! キットクールッ! キーセツはシロークッ!」


 と、がに股になって叫んだ。

 司会者はひきつった顔で、


「それでは、三浦さんに歌っていただきましょう。なんと、山崎 パコさんの歌、『呪い』!」


 バックバンドが陰気な曲を演奏しはじめた。

 どの奏者も顔色ひとつかえない。プロフェッショナルに徹した男たちだった。それともこのハプニングさえ、リハーサルどおりなのか。

 貞子あらため三浦 敏子が、顔にかぶさったゴワゴワの黒髪をかきわけ、口もとをさらした。マイクを手にし、


「コンコン、コンコン、釘をさ~す~。コンコン、コンコン、釘をさ~す~。畳が下から嘲笑ってるぅ……」


 と、すべての人を呪わんばかりに低音で歌った。合いの手に、ウウーッとうめき声をはさむ念の入れようである。


◆◆◆◆◆


「それで……うまくいったのか?」


 と、伊能はグラスを手にしたままふり返った。


「致命的な弱点を見つけたわ。これで彼を自殺させるよう仕向けることができるかもしれない」と、真純はバーテンダーがカウンターの向こうへ行くのを見はからって言った。「で、あたしが編み出したプランはこうよ――」


 広重の弱点を聞き出した真純は、驚くべき殺害方法を思いついた。それを伊能に説明した。


「……まさか、そんなテレビ番組が殺しの道具に使えるだと?」


「ところが、ある種の人間には効果絶大なそうなのよ。過去に、愛知学院大学や駒澤大学のセンセイが書いた心理学研究の論文が発表されたぐらいだから」


 真純が腕を抱いたまま、興奮さめやらぬ様子でまくしたてた。

 そこは地下のショットバーの片隅だった。薄暗い店内には物憂い紫煙がたちこめ、しずかなジャズが流れていた。バーテンは向こうでグラスを磨いている。


 伊能は話を聞いたあと、うなった。


「おれがそんな心理状態を与えられたところで、なんとも思わんがな。――そりゃそうだ。現に不特定多数の人間がテレビ番組を視聴する。なんらかの被害をうけるなら、テレビ局に苦情が殺到し、いまごろ番組は中止になってるはずだ」


「いやなら見るなってやつよ。苦手と感じる人はチャンネルをかえてしまえばすむからね」


「おまえの言ったとおり、逃げ場のないシチュエーションを作って、強制的に視聴させるにせよ、はたしてうまく自殺させることができるだろうか? 失敗すれば、真っ先におまえが疑われるぞ……」と、伊能は腕組みし、ボトルキープした棚を見ながら考えた。真純のプランに手落ちがあれば、まちがいなく手錠ワッパを掛けられる。「そもそも、この心理作用のメカニズムってなんだ? なんで広重はとくにその傾向が、ほかより強い?」


「これが共感性羞恥っていう心理を逆手にとったトラップなの」


「共感性羞恥?」



 共感性羞恥とは他人のミスや、ドキュメンタリーからドラマにいたるまで、テレビ番組などで恥ずかしいシーンを見てしまったとき、まるで我がことのような恥ずかしさを感じてしまう心理を指す。

 共感性羞恥は、失敗したり恥ずかしいと思うようなものを見た際に、自身が同様のことを体験してしまった場合とおなじ脳の部位が働くとされている。他人に自身を照らし合わせ、バツの悪い思いをしたり、その場から立ち去りたくなるようないたたまれなさを憶える特殊な心の揺れである。日本人の人口の一〇パーセントの割合で、この感覚を持つ人がいるとの報告もあるが、じっさいはもっと多いのではないかとも言われている。


 よく学園ドラマで、主人公が授業中に居眠りをしているシーンがある。

 つかつかと背後から歩み寄る教師。このあとのシチュエーションはいやでも先読みすることができ、共感性羞恥の持ち主は居心地の悪さを感じてしまう。そしてドラマのなかで主人公が叱責されると、視聴者までもが叱責を受けているような錯覚に陥るため、不快な気持ちになる。

 

 ほかにも芸人のコントがあまりにも寒かったり、根は真面目であろう人物が、無理して人を笑わせようと頑張っている姿を見たとき、あまりにも痛々しくて見るに耐えがたくなってしまう。まるで自身が、無理して芸を披露しているような感覚になり、いたたまれなくなるのだ。

 主演に演技力のないタレントを起用したドラマなどは最たるもので、棒読みのセリフや、学芸会と大差ない演技を見せられた日には背筋がゾワゾワすることまちがいなしである。


 広重は子供のころから、厳格な父にしつけられたことが、その後の人格形成に暗い影を落としていた。

 ささいなことで恥をかき、父から手ひどく教鞭でぶたれたことがトラウマとなり、以来、恥をかくことを極度に恐れているようだ。それは自身の行いのみならず、他人の恥でさえ眼にしようものなら、狂おしい共感を憶えてしまうのだという。


 だから素人のど自慢や、クイズ番組が視聴に耐えかねるのだと、真純に告白した。

 クイズ番組など、解答者が我先に早押しボタンを押して得意満面で答えたはいいが、それがまちがった解答をしたことに広重がいち早く気づいた場合、絶叫したい気分になってしまうのだという。よけいなお世話であり、致命的な精神的欠陥であった。

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