5.「罠だ。おれを殺す気だな」
続いてエントリー二番がスタッフにみちびかれ、ステージ中央にやってきた。
司会者が手をさし出した。
「それでは町田市成瀬からお越しの立花 一恵さん。大腸ガンを患っており、余命一年と宣告されたお父さんのために、今回の大会にチャレンジされたそうです。いままで親不孝な娘でした。せめてこの歌で恩返ししたい。それでは歌っていただきましょう、西野カンナさんの『逢いたくて逢いたくて』!」
二番の女は五十代で、所帯やつれを化粧で厚く塗りこめ、お仕着せみたいな黄色いタンクトップを身につけ、厚底ブーツをはいていた。はきなれていないらしく、関節部に油のささっていないロボコップそこのけの歩き方だった。
のど自慢大会のMHKによる合否を決める審査員は、音楽番組プロデューサー、ディレクター、開催される都道府県にあるMHKの番組責任者などをふくむ四、五人で構成されている。それぞれの専門性に合わせた基準により、出場者の個性・鐘の数を判定し、合否をくだすという。彼らは舞台裏の別室でモニターテレビを通じて審査しており、鐘奏者は別室からの連絡をうけて『一つ・二つ・合格』の鐘を叩くのである。
広重は背筋があわ立つ思いをした。
黄色いタンクトップ姿の女は、父がガンを患い、背水の陣でこの歌合戦にのぞんでいる……。
審査員の心証をよくする補正が働けばいいのだが、番組はそこまで甘くないはずだ。この手の番組を極度に嫌う広重をもってして、それぐらいの知識はあった。勝てば官軍、負ければ賊軍とまではいかないが、鐘が一つの日には、こんなみじめなものはあるまい。病床の父にあわせる顔がないではないか……。
審査員をつとめるチーフプロデューサーは番組のコンセプトについて、「当企画は歌番組の体裁をとってはいるが、最終的に短編小説のごとき人間ドラマを重視する」と説明する。
歌番組という性格上、審査基準は当然、歌のうまさが高いウエイトを占めるが、年齢、パフォーマンス、バックボーン、人柄なども考慮されたうえで、バラエティ豊かな二〇組が予選を通過する。
そして本番では、歌唱力もさることながら、いかんなくエンターテイメント性を発揮した者が合格の鐘を連打させ、喜びをつかむことができるわけである。
ちなみに――出場者は事前にMHK受信料を払っているか否か質問され、未払いの場合は別テーブルに呼ばれ、支払い手続きをなかば強制的にさせられる地域もあるのだそうだ。
西野カンナの歌を歌う女は、深刻な顔をして、なんとサイドステップを踏みながら不器用なダンスをまじえ、歌い出したから驚いた。
しかも途中、歌詞をまちがえたのは致命的。グダグダの展開となった。
テレビに釘づけの広重はうめいて耳を押さえた。
痛々しいったらなかった。
広重はかさぶたを無理やりはがすように、視線をそらしてうしろをふり向いた。走って出口にとりついたが、やはり閂はかかったままだ。――つまり逃げ場を失ったも同然。
小走りし、屋上の柵から下をのぞき込んだ。
ここは六階建てのビルの最上階。外づけの非常階段はない。眼下の駐輪場の屋根とアスファルトがかすみ、絶望的な高さにめまいを憶えた。
「クソ……罠だ。おれを殺す気だな。そうはいくか」
広重はうろたえながら、もとのテレビの前に戻った。
ほかにどうしようもなかった。
テレビ画面は女が歌い終わり、残酷な死刑宣告のように鐘を一つ鳴らされた場面だった。
内股になり、おしっこを我慢するようなガクガクゆらすダンスは中途で打ち切られた。まるで生まれたての小鹿みたいな動きだった。
鐘の余韻がうつろに公民館に反響し、観客席で手拍子を打って応援する人たちからは、ああーっとため息まじりの失望の声が洩れた。
女は強制連行されるように上手の席にしりぞいた。
広重は全身に鳥肌がたち、叫びたい気持ちを強引にねじ伏せていた。