4.「イノ~セントなワ~ルドぉ!」
かばった腕をどけると、戸口にいた男が鉄の扉をしめるところだった。
烈しい勢いで扉がとじ、ついでガチャン!と閂が掛けられる音がこだました。
あわてて、扉にとりついた。
ドアノブをひねった。
ビクともしない。
「タチの悪いイタズラだ。真純、なに考えてやがる!」
と言って扉を叩いた。が、向こうから返事はない。
背後のテレビから大音量のキンコンカンコン……と、リズミカルな鐘の音が聞こえてきた。
盛大な拍手とともに、場ちがいなほどのどかな音楽がこだました。
なにごとかと、ふり向いた。
テレビからは手拍子とともに、
「MHKのど自慢! 今週は市内の薬師池公園、および円林寺に、大賀ハスの蓮田があることから、蓮や薬師池にちなんだ商品が多いことで知られる、東京町田市からお送りいたしまーす!」
と、聞こえた。
液晶画面にはどこかの公民館らしき舞台が映し出された。
大勢の人がつめかけた観客席の上段からステージをとらえたアングル。ステージの壁にはチープな装飾と垂れ幕がほどこされている。手作り感満載の地方色あふれる映像だった。
カメラが切りかわり、右から左にパンしながら、二列に勢ぞろいしたステージ上の一般人を映していく。
最年少は制服姿の中学生をはじめ、健康的な身体つきの女子高生、スーツ姿のサラリーマン、買い物途中みたいなエプロン姿の主婦から、なぜか海藻みたいな黒髪をたらし、白いワンピースを着た猫背の女、ばっちり和装で決めた老女、ジャケットをきた百歳近いであろう好々爺など、バリエーション豊かな面々だった。
どの顔も元気いっぱい得意満面の笑みを浮かべ、テレビカメラに向かって両手をふったりピースサインをしたり、「イエー!」と叫んだりしている。
いましがた、戸口から男が四角い物体を突きつけたのは拳銃ではない。テレビとDVDデッキを同時に再生するリモコンだったのだ。
「これはどういうことだ」思わずうしろによろめき、そしてはっとした様子で声をしぼり出した。「……まさか、これも真純の仕業か? しかしなぜ、のど自慢の映像なんだ。となると、さっきの男は?」
MHKのど自慢は、オープニングテーマにのせて、いま始まったばかりのようだ。
そのときになって、広重はハタと思い当たった。
「……あいつ、おれをハメやがったな。真純の仕業だ。あいつに弱みを洩らしたばっかりに……」
苦々しく顔をしかめ、あたりを見まわした。
テレビのボリュームは大音量に設定されていた。夜の屋上で陽気なBGMがたれ流される。
人のよさそうな番組司会者がマイクを手に、ゲストに招かれた演歌歌手を紹介した。大晦日の紅白歌合戦で見かける常連だ。
予選を勝ち抜いた選ばれし二〇組がふたたびカメラに映された。
壇上で会心の笑みで口を逆三角形にしている者がほとんどだが、緊張のあまり鉄筋を飲み込んだみたいにしゃちほこばり、腹話術師があつかう人形よろしくぎこちない微笑を張りつかせている者もいる。
司会者が滔々と口上をまくしたてたあと、やがてエントリー一番のサラリーマン風の男が前に呼ばれ、マイクを渡された。
四十すぎの頭の薄いメガネ男だった。
ピチピチのスーツを着ており、とくにズボンの丈はいささか短すぎた。ショッキング・ピンクの靴下が眼にもまぶしい。
「さて、一番の旭町からお越しの高橋 貢さん。遠距離恋愛中の彼女へ。君が好きな歌を届けたい。歌っていただくのは、ミセス・チルドレンの『イノセントなワールド』!」
バックバンドのギターがイントロを爪弾きだすと、やおらサラリーマンはメガネをはずして胸ポケットにしまい、目力をみなぎらせ、張り切って熱唱しはじめた。
「うわ」
と、広重は青ざめた顔でその画面に釘づけになった。
眼を引きはがしたくても、魅入られてしまったかのようにそらすことができない。
ただちに逃げ出さなくてすんでいるのは、まだ四十男が多少なりとも歌唱力があるからだろう。カラオケ店で披露すれば、そこそこ賛辞の拍手を浴びるレベルだった。
ところがサビの部分で男は失策をやらかした。
「イノ~セントなワ~ルドぉ!」
声が裏返り、まるで朱鷺の求愛みたいな奇声になった。しかもマイクをにぎる小指が勃起したようにおっ立っている。大口をあけた顔がアップに映されると、銀歯がずらりとならんだ口の奥がまる見えになった。
広重はげんなりした。
伴奏が入り二番を歌うところで、男が息継ぎをしたとたん、出鼻をくじくように、鐘がカン、コーンと無遠慮に鳴った。男はがっくりと肩を落とし、苦笑を洩らした。
司会者が労をねぎらい、男を上手の出場者の席に移動させた。はでなピンク色の靴下が網膜に焼きつくようだ。




