表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

2.「恥をかくのが怖い」

「おれがのん気に事務所でふんぞり返ってばかりいたと思うか?」と、運転席の広重はステアリングをにぎったまま言った。「社畜のかがみとは、まさにおれのことだぞ。誰よりも遅くまで職場で居残って、裏で根まわししてることを、奴は知らんだけだ。トップのまま走り続けることがどれほどたいへんなことか。数字を稼ぐっていうのは、つまるところ人脈がモノをいうんだ。他社とひそかに情報交換して、持ちつ持たれつの関係を築く」


「伊能クンったら、あなたに嫉妬してばかりで、最近おかしくなっちゃってるのよ。……そうよね、広重さんだって、人知れず努力してるっていうのに、勝手に邪推しちゃって。このところ成績もいっぱいいっぱいなんじゃないかしら。むしろあなたたちって付き合い、長いんでしょ。たまには慰めてやったら? 総務部のあたしとしては、社員みんなの健康にも目を配りたいの。やさしいでしょ」


 真純はポルシェの助手席でタイトスカートから伸びた脚を組んで言った。


「男のジェラシーは見苦しい」


 広重は鼻をならし、片手で彼女のふとももの内側を撫でながら言った。

 青信号になったとたん、広重はアクセルをベタ踏みし、荒々しくスタートさせた。たちまち真純はシートにめり込むような重力を感じた。


「強い男ってすてき。――でも、ときおりやさしさを見せる男は、もっと魅力的だと思うの」


「そのやさしさを、君だけでなく、伊能にもめぐんでやれと?」


「十代のころからの仲なんでしょ。それとも社会に出たら、いっしょにグラスも交わさない敵になったわけ? 世知辛い世のなか」


 ステアリングを片手であやつりながら広重は、


「いいか――営業職はだまし合いだ。表面上、仲間同士で和気藹々(わきあいあい)とやってるつもりだが、一方であいつやこいつには負けたくないって思ってる。ほかの誰かが仕事でうまくいったとき、顔では称えてるが、腹んなかじゃ、くやしくって仕方がない。脱落していく奴は、それ見ろ、ざまあみやがれと内心、舌を出してるもんだ」


「男でもそんな足の引っ張りあいってあるのね。女の世界だけかと思ってた」


「営業の世界だけじゃない。プロ野球の選手だってそんなもんだろ。一軍のレギュラーで、ましてやスタメンで出場できるのは、ピッチャーをのぞいてたった八人。ベンチにいる控え選手は、いっそのことレギュラーの奴が怪我でもして、長期離脱してくれることを望んでる。レギュラーの奴が打席に立ったとき、三振したら、ドンマイドンマイと慰めてるが、腹んなかじゃ、ざまあみろ、成績が落ちればおれにチャンスがめぐってくる、と思ってるもんさ。――男ってなあ、いつの時代もエゴイストな生き物だと思うがね」


「つまり、あなたは変わってしまったと。伊能クンとはスタメンも張るつもりもないわけ」


「トップは譲れない。無人島の財宝を見つけたなら、おれはひとり占めする主義だ」


「……そのお宝、あたしにもわけてもらえないっかな?」


「真純……。おれの女になるなら、山分けしてやってもいいぞ」


「強い男って惹かれる。……ね、キスして」


 と、真純がねだった。舌なめずりした。

 すぐさま白いマシンを路肩にとめた。後続車がけたたましいクラクションで抗議したが、広重は意にも介さない。


 女の唇にむしゃぶりついた。

 ねじ切るように舌をからめ、噛みかけのガムをさし込んだ。唇を離すと、唾液が糸をひき、高速道路の常夜灯に照らされ、妖しげに光った。


「どうだ、まいったか?」と、広重。


「完璧すぎる男って、なんだか取り付く島もない。そんなあなたに苦手なものってないの?」


「苦手なもの? なんでいま、そんなことを聞く」


「意外と、かわいいウィークポイントがあるんじゃないかしら。ね、教えて。弱点を知ることで、あなたが、より豊かな人間に見えると思うの。特別な人にくらい、教えてくれたっていいのに」


「ごらんのように、れっきとした人間さ。吸血鬼にも致命的な弱点があるように。――死んだ親父は学校の先生で、しょっちゅう教鞭で叩くような恐怖の対象だったし、スキューバしてたころはホオジロザメに出くわしてからというもの、ちょっとしたトラウマになった。幸いにして腹を空かせてなかったらしく、ディナーにならず済んだが」


「それだけ?」


「あとつけ加えれば」と、ふいに神妙な面持ちで広重はうつむき、「恥をかくのが怖い。ガキのころ、ちょっとしたことで恥をかいて、親父にぶたれたことがある。怖いからこそ、おれは仕事に打ち込んで成績をあげている。強迫観念が、いまのおれを育てたようなもんだ」


「恥」


 と、真純は男の片手をスカートの内側にみちびきながら言った。

 広重は心ここにあらずの顔をしながら指を使った。


「恥でもいろんな種類の恥がある。大人になったいま、おれには特殊な羞恥心が芽生えた。この心理だけは克服できず、とくにその手(、、、)のテレビ番組は直視できない。そんなのが画面に映ったら、すぐさまチャンネルをかえる」


 真純がそれに食いついた。


「テレビ番組ですって? ね、具体的に教えて。教えてくれたら、ここから先に進ませてあげる」


「おやおや――パンティのなかへは通行許可証がいるのか」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ