File(1) お嬢様(ですわくちょう)
四天王への正式就任まで後三日。
私はスタミナ面の不安を解消すべく、早朝トレーニングを開始しました。
ご町内をジョギングするだけですけど。
「よーし、一時間くらい走ります!」
と意気込んでやってみたものの、一分で胸とお腹が痛くなりました。
その後も頑張ったのですが、十分経たずにぶっ倒れました。
「しょ、初日ですし、これくらいにしておきましょう……ぜえぜえ……ごほっ……ひゅぅー……げほっ」
足を引きずるようにして家へ帰ると、お庭でお兄ちゃんがトレーニングしていました。
魔王様配布の木人形相手に、組み手をしています。
お庭ではいつもドラゴンさんが寝ているのですが、お兄ちゃんのトレーニング中は気を遣って、道にはみ出しスペースを開けてくれています。
いつもはみ出ていますから……もっとはみ出し、と言った方が良いかもしれません。
そういえば、トレーニング用の人形は、相手の力量に合わせて動きを変えるらしいです。
以前クリスタルレインボーの発動条件調査で私が相手した時は、ただのお人形さんみたいに棒立ちでした。
あの時に比べて、お兄ちゃん相手ではびゅんびゅん動いてますね。
私もああいうトレーニングした方がいいんでしょうか……
でも痛そうだし……
とりあえず今日はやめておきましょう。うん。
なんて事を考えながら見ていると、お兄ちゃんがこちらに気付きました。
「おはようミィ。今日は早いんだな」
「おはようございます。お兄ちゃんこそ、いつもこんな早くからトレーニングしてるんですね」
私がそう聞くと、お兄ちゃんは、
「俺も強くならないといけないからな」
と、何故か言いにくそうに答えました。
「もう充分強いじゃないですか」
「……いや、全然さ」
苦笑いし、私の頭を軽くポンッと叩きました。
そんなお兄ちゃんの顔を見ていると、何故でしょうか。
私はふと、エルフのお守りの事を思い出しました。
「そう言えばお兄ちゃん、ヨシエちゃんからお守り貰ってましたよね」
「ああ。もう返したけどな」
「へえ、返したんですか」
………………えっ?
「えええっ! か、返しちゃったんですか!?」
まさかの返答に、私は驚いちゃいました。
「俺もミィも無事だったからな」
「えー……でも……うーん……」
あれは恋愛成就のお守りなのです。
好きな人に渡すと、両想いになれるという。
それをお兄ちゃんに渡したって事は、多分ヨシエちゃんは……
『いやー、やっぱそれは、その子はお兄ちゃんの事が好きなんだよ。絶対そうだよ。私には分かるねうん。あはは!』
って、自称恋愛経験豊富な僧侶さんも言ってましたし。
「お兄ちゃん、いつお守りを返したんですか」
「エルフの里から帰った翌日だ」
そう言えばあの後一度ヨシエちゃんと会った時、なんだか元気が無かったような……
「お、お兄ちゃん! 今すぐヨシエちゃんに謝って、あのお守りもう一度受け取って来てくださいぃ!」
私は珍しく、お兄ちゃんを叱りつけました。
「今からって……まだ朝飯前だぞ」
「いいから行くんです!」
「あ、ああ……」
普段弱気な私に怒られて、お兄ちゃんもたじたじになっているようです。
「分かった。ミィがお守りを必要としているからと言って……」
「違います! お兄ちゃんに必要なんです! 私がどうとか言っちゃダメですからね!」
お兄ちゃんは慌ててヨシエちゃんの家へと向かいました。
まったく、お兄ちゃんは鈍感さんですね!
恋愛の機微に聡い私を、見習って欲しいトコロです。
一人になった所で、なんとなくトレーニング用の木人形に目が行きました。
―――――
「こ、これは一体、どうした事ですの?」
お庭がボロボロになっていました。
地面はエグれ、草木は倒れ、柵は壊れ。
私は半分冗談のつもりで、木人形に「アチョー!」と言いながらパンチしただけなのに。
その瞬間、木人形が物凄い速さで動きまわり、庭を破壊して回ったのです。
驚いた私はなんとか止めようと、木人形の動きに合わせて一緒に走り回ったのですが……
すぐに疲れて、その上転んじゃいました。
ただ幸か不幸か、私が倒れた事でトレーニング終了と判断され、木人形さんの動きも止まりました。
後には、悲惨な状態になったお庭が……
どうしよう。ママに怒られちゃいますよコレ……
ちなみに危険を察したドラゴンさんは、いち早く上空へと逃げ出していました。
そして騒動が済んだらさっと着陸し、その後すぐ二度寝を開始しています。
「ミィさん、ごきげんよう……この状況はなんですの?」
「あ、マリアンヌちゃんおはようございます……えっと、トレーニングでハシャギすぎちゃってぇ……えへへ」
私は誤魔化しつつ笑います。
質問してきた少女は、お友達のマリアンヌちゃんです。
私より一歳年上で、ヨシエちゃんと同い年。
綺麗な長い金髪をくるくる巻いて、豪華なお洋服を着ています。
見た目通り、お金持ち貴族のお嬢様です。
マリアンヌちゃんのお爺ちゃんは、この辺一帯に住む人狼族の中で一番偉いお方。
モンスターの混血化が進んでいる昨今では稀な、純血の人狼一家らしいです。
混じりっけなしです。
ゲーム中では、金目の物を奪うためにお屋敷に押し入ってくる勇者さんと対峙し、
「クッキー様とミィさんの仇ですわ!」
と言って戦います。
中ボスです。
フォローさんに続く仇シリーズです。
純血人狼という物々しい肩書で、攻撃魔法が得意な女の子です。
あと、いつも私に高級なお菓子をくれます。
いい狼です。
「トレーニング? さすが、四天王ともなると訓練も派手なようですわね」
「まあ、それほどでもぉ……」
ドラゴンさんが片目をパチリと開け、何か言いたげな視線で私を見ています。
とりあえず気付かないフリをしてやり過ごしましょう。
「ところでクッキー様は……今朝は、トレーニングをなされていないのかしら?」
「うん、今は用事で……あれ? 『今朝は』って、まるでお兄ちゃんが毎朝トレーニングしてる事知ってるような」
私がふと気付いた疑問を口にすると、マリアンヌちゃんは突如真っ赤になって慌て始めました。
「ち、違いますの! わたくしいつも偶然この時間に、朝のお散歩を嗜んでおりまして! 偶然! 偶然いつもクッキー様と雑談などを!」
「はぁ。そうだったんですね」
それなら、私にも声を掛けてくれれば良かったのに。
まあ、いつもは私まだ寝てるんですけど……
「……ごめんあそばせ、わたくしとした事が少々取り乱しましたわ。それに今日はミィさんにも用事がありますの」
「私に?」
マリアンヌちゃんから私への用事と言いますと……
いつものように、高級お菓子のおすそ分けでしょうか。
「お爺様がミィさんの四天王就任のお祝いに、人狼族総出の大きなパーティーを開こうと計画なされているのですが」
「パーティー!」
マリアンヌちゃんのお爺ちゃんが開くパーティー。
それはそれは盛大で、美味しいものや、楽しい催しや、美味しいものでいっぱいでしょう。
想像するだけでよだれ……いや、気持ちが楽しくなります。
「でも、ミィさんの四天王就任はとても急な事でしたので」
「そうですね、今週決まったばかりです」
「大規模なパーティーは準備に時間が掛かるので、開催は結構先になりますの」
本当は正式就任前に開きたい所ですが、とマリアンヌちゃんは言いました。
まあでも仕方ないですね。
ヴァンデ様のテキパキしすぎる超スピード人事で、軍に入って一ヶ月程度で四天王になっちゃいましたし。
「なのでわたくし、急ですが明日の晩、友人だけのささやかなパーティーを開きたいと考えておりますの」
「パーティー!」
マリアンヌちゃんが開くパーティー。
それはそれは盛大で、美味しいものがいっぱい……
「ご予定はよろしくて?」
「はい、空いてます! ありがとうございますぅ……えへへ」
「そうですの、よかったですわ。身内だけのパーティーなので、招待状は用意しておりませんの。ミィさんのお好きな方をお誘いになってよろしくてよ」
マリアンヌちゃんはそう言った後、可愛らしく頬を赤らめました。
「そ、それで……あの、もちろんクッキー様もお誘いに」
「クッキーさんがどうしたって?」
「ひぃ!?」
マリアンヌちゃんの背後から、急にヨシエちゃんが話しかけました。
いつの間に来てたのでしょうか。
「よ、ヨシエ……さん。ごきげんよう」
「ヨシエちゃん、おはようございます」
「うん、おはよう。ふふふっ」
ヨシエちゃんはなんだかご機嫌良さそうに微笑んでいます。
そう言えば、お兄ちゃんがヨシエちゃんの家に行ったはずですが。
きちんと会って謝ったのでしょうか。
「ヨシエちゃん、お兄ちゃんは」
「クッキーさん? それならアタシんちに来たついでに朝ごはん一緒に食べて、今は仕事場に向かったよ」
「朝ごはん!? ご一緒に!?」
マリアンヌちゃんがお嬢様らしからぬ大声をあげました。
「それで、ミィのママにその事を伝えようと」
「お、お待ちになって。クッキー様は朝からヨシエさんのお宅へと、何をされにいらっしゃったのかしら?」
「あ、それはですね。お守りゅぅぅぅ」
答えようとしたら、急にヨシエちゃんが私のほっぺをむぎゅっとつねりました。
「い、いひゃいれすぅぅ、よひえひゃんんん」
本当は別に痛くはなかったんですけど。
なんとなくノリで「痛いです」と抗議します。
「ミィ、余計な事は言わなくていいから」
ヨシエちゃんは私のほっぺから手を離しました。
そしてマリアンヌちゃんの方を向き、何故か勝ち誇ったような顔をします。
「これは、アタシとクッキーさんの問題だからね」
「……~!?」
あ、いけません。
険悪ムードになってきました。
この二人、普段は仲良いお友達なんですけど。
急に喧嘩を始める事があるんです。
何故でしょうか……
「ミィさん。クッキー様はヨシエさんのお宅で何をなさっていたのかしら?」
「えっとぉ……でも……よ、ヨシエちゃんが言うなって」
私がそう答えると、マリアンヌちゃんが指をパチンと鳴らしました。
草むらから、黒いスーツを着た男の人狼達が現れ、大きめのアタッシュケースを運んできます。
黒服さんの一人がケースを開けると、中には大量のお菓子が……
「わ、わぁぁぁ……」
私はつい目を輝かせます。
その隙に黒服の人達はケースを置いて、再び草むらの中に隠れて行きました。
「四天王就任のお祝いに差し上げようと思いまして。用意いたしておりましたの」
「ええっ、こんなにくれるんですかぁ!」
「もちろんですわ」
マリアンヌちゃんはニッコリと微笑みます。
「それで、クッキー様は、ヨシエさんのお宅で、何をなさっていたのかしら?」
笑顔から威圧が……
これは、お菓子が欲しいなら答えろと言う事でしょうか……ですよね……
「あ、えっと、それは……」
私はヨシエちゃんの顔をチラッと見ました。
ヨシエちゃんも笑顔です……が、「分かってるよねミィ?」ってオーラを感じます。
「ふーん、またそうやってミィを餌付けしようとして。お嬢様はやることが違うね」
「え、餌付けですって……ヨシエさん、相変わらずよろしくないお言葉遣いですことよ。おほほほ……」
「ふふふふふふ……」
「おーほっほっほっほ……」
二人が笑い合って牽制しています。
その間私は、この大量のお菓子を貰えるかどうかの心配をしていました。
ちなみにお庭をボロボロに壊した事について、私はママに怒られる事はありませんでした。
ママは、お庭を見た瞬間に、へなへなと倒れ込んじゃいましたので……




