説得(おおぜいでひとりをかこむとよい)
あのお守りを渡したって事は、ヨシエちゃんは実はお兄ちゃんの事が好きなのでしょうか。
うーん、でも安全のお守り代わりみたいな言い方でしたし。
なんて、のんきな事を考えられたのは最初の内だけでした。
「臭いが近くなった。どうやらあのホテルに泊まっているようだ」
お兄ちゃんの嗅覚で勇者さんを辿り、ついに宿を発見できました。
お兄ちゃん曰く、勇者さんは血のニオイが尋常でないらしく、辿るのはとても簡単だったそうです。
他の人狼よりも鼻が良くない私も、確かに勇者さんから漂う錆びた鉄のような臭さは気になってました。
「よほど多くのモンスターを殺してきたんでしょうね」
と長老さんが推測します。
あのちょっと頭がプッツンしてる戦士さんよりも、勇者さんの方が多くのモンスターを殺してるのでしょうか。
うーん、意外なような、意外じゃないような。
ちなみに戦士さんも僧侶さんもお饅頭のニオイでした。直前に食べていたのでしょうね。
ともあれ宿が特定された事で私は緊張し、ヨシエちゃんの恋愛事情を考える余裕は無くなってきました。
もし勇者さん達が襲ってきたらどうしましょう。
防御面はバグみたいなパワーアップを果たしたのですが、攻撃面は最弱モンスターのまま。
そのちぐはぐな力を、はたして使いこなせるかどうか不安で。
「受けて避けて蹴って受けて避けて蹴って……」
と、頭の中で戦闘シミュレーションを繰り返すも、そもそもの経験不足で相手の動きが想像できません。
今までの人生での一番戦闘らしい戦闘を思い出そうにも、怒ったウサギさんに追いかけられて転んで泣いた思い出しか浮かびませんでした。
というか実はさっきのは何かの間違いで、やっぱり最弱モンスターのままだったり……
そんな事を考えちゃって、少し寒気がしてきました。
あ……
大人たちは、件のホテルを目の前にし、「さあいよいよ乗り込むぞ」と意気込んでいます。
そんな意気込みに水を差すようで悪いんですけど……
「あ、あのぉ……」
宿に乗り込む前に、私は公園のトイレに行くことにしました。
―――――
「俺もついて行こうか」
というお兄ちゃんの過保護な申し出は断り、一人で公園へ行くことにしました。
「わかった。何かあったら音で分かるしな」
というお兄ちゃんのデリカシーの無い一言に、私は一番近い公園でなく、もっと遠くの公園に行くことを決意しました。
そう言えば今の私は、素早さのステータスもカンストしているのでした。
本気で走ったらどれくらいのスピードなんでしょう?
私は靴紐を結び直し、軽く息を吐き、ポーズを取り、頭の中で「よーいドン」と言うと共に走り出しました。
びゅうっという風切り音がし、みるみる内に目の前の景色が変わります。
自分でもビックリする程早いです。
通行人の人達に当たらないよう避けながら、しかし速度は落とさずに、我が物顔で道を駆け抜けます。
結果、歩いたら数十分は掛かる距離にある公園に、ものの数秒で到着する事が出来ました。
すごい。私すごい。
「はぁー、はぁー、ヒュー、はー、げほっごほっ、はぁぁぁ……ゲホゲホガホッ」
ただ、スタミナはパワーアップしていませんでした。
公園に着くなり激しい息切れと眩暈がして、ベンチに座り込みます。
このアンバランスなパワーアップに先行きの不安を感じつつ、俯いて深呼吸し、息を整えて。
ふと顔を上げ、正面向かい合っているベンチを見ました。
「てめぇ……しつこくここまで追って来やがったのかぁ!?」
そこには、本日二度目の見たくなかった顔が。
金色短髪。軽装鎧。目付き悪い。性格悪い。
勇者さんの仲間、戦士さんが座っていました。
「……あ……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「おぉい、なんか喋れよ」
「えっとぉ……さようなら」
私は逃げようと再びよーいドンのポーズをしましたが、戦士さんの「オイ待て」という声に引き止められました。
「別にもうナイフは投げねぇよ」
その言葉を信じて戦士さんの方を振り向いてみたら、やっぱり嘘でナイフを投げて来……る事は無く。
こちらを見て、じっと腰を降ろしたままでした。
「ムカツクけどよォ。正直お前に勝てる気がしねぇからな。クソチビ」
戦士さんが忌々しそうに呟きました。
どうやら本当に戦意はないようです。
「だいたい、いつの間にそのベンチに座ってたんだよ。クソチビ」
戦意はなくても、言葉の端々に悪意があります。
しかし勇者さんはこの先のホテルにいるはずですが。
戦士さんは別行動中なのでしょうか。
とは言え戦う気が無いのはチャンスかもしれません。
ここで今説得すれば、すんなりと里から出て行ってくれるかも。
「す、すみません。ちょっと話を聞」
「なんだよクソチビ」
戦士さんが食い気味に応えてきたので、台詞の調子がずれてしまいました。
「えっとですね、実は」
「クソチビ」
「……あの」
「チビ」
「……私、チビじゃないです。身長百四十センチあります。これは同年代の人狼の女の子と比べても、特別低いわけじゃないのです」
本当は百三十六センチですが、四捨五入で百四十と言っても差し支えはないでしょう。ないですよね。
「へぇ。つーかお前何歳なんだよ、チビ?」
「チビじゃないです。十歳です。あと三ヶ月で十一歳です」
「十歳……? はぁぁ~……」
戦士さんは眉間にしわを寄せ、深いため息をつきました。
「俺ぁ十歳のガキに負けたのかァ……」
「えっと、あのぉ……」
戦士さんは真剣に落ち込んでいるようです。
見ていてなんだかちょっと可哀想になったので、「謝った方がいいんでしょうか?」と一瞬思いましたが、そもそも襲ってきたのは向こうの方なので、謝るのも違うかなと考え直します。
じゃあなんて言葉を掛けるべきなのか、考えた結果。
「……ご愁傷様です」
と言った後に、これもなんだか違うなあと思いましたが、もう言ってしまったものはしょうがないので、とりあえず目を逸らして「何も言ってませんけど?」風の雰囲気を出しました。
目を逸らした先に公衆トイレを見つけ、そもそもこの公園に来た理由を思い出します。
説得する前にとりあえず用を済ませようかと考えていると、トイレから一人の女性が出て来ました。
「あー! 超神速ワープ少女!」
戦士さんの次は、僧侶さんと本日二度目の邂逅をしてしまいました。
……っていうかワープ少女って何。
―――――
「いやー、やっぱそれは、その子はお兄ちゃんの事が好きなんだよ。絶対そうだよ。私には分かるねうん。あはは!」
「はぁ……ははは……」
気付いたら、僧侶さんと恋バナをしていました。
「なんでワープ少女がここにいるの! まさか追手!?」
私の姿を見た僧侶さんは、そう言って自分の身長ほどもある長い杖を構えます。
「クソ女、負けるからやめとけ」
戦士さんがつまらなそうな顔で制止しました。
「このクソチビは戦うつもりないみたいだしよォ」
その様子を見て、僧侶さんは意外そうな顔をしました。
「リベンジしないなんて、暴力大好きっ子なアンタにしては珍しいわね」
「別にもういいんだよぉコイツは。俺も、もうこのクソチビとだけは戦いたくねぇ」
「……ロリコン?」
「……殺すぞクソ女ぁ」
僧侶さんは杖を降ろしました。
とりあえず戦闘は避けられたようなのでホッとします。
そして勇者さんパーティーの三人中二人がいて、かつどちらも戦意が無い、今こそ説得のチャンスだと考えました。
「あ、あの。実はですね」
「ねえ君。一緒にいた背の高い男の人狼って、あなたの恋人? それともお兄さん?」
「え……お、お兄ちゃんですけど……」
「へ~。兄妹なのに髪の色が違うのは何故? 人狼の毛色って家族でも違うのが普通なの? お兄ちゃんは銀色? 灰色? ってカンジだったのに、あなたは茶色……赤? いやピンク? なんか奇抜な色だよね。あ、もし気にしてたらごめんね。でも可愛いよその色」
「あ……えっと……」
髪の色が違うのは、単にゲーム製作者がそこまで考えずに、適当にグラフィックを宛がっただけですが……もちろんそんな説明は出来ません。
「あ、ごめんね。私魔法とかモンスターの事考察するの好きでさ。あははは。もう困っちゃうよね~。髪の毛触っていい? わ~モンスターなのにサラサラ。髪伸ばしてるの? あ、『モンスターなのに』って失礼だったね、ごめんね。あ、この耳。まさに人狼ってカンジで私好きだな~。ところでさっきあなたと一緒にいた別の子だけど」
僧侶さんの絶え間ないトークに圧倒され、説得する機会を完全に逃してしまいました。
そして私はいつの間にか、ヨシエちゃんがお兄ちゃんに恋愛のお守りを渡した話などを引き出されて、僧侶さんの恋愛観について講義を受けていたのです。
「……おい、このクソチビはなんか言いたい事があんじゃねぇのかぁ?」
恋バナから人狼の生態、今人間社会で流行っているテレビ番組、(ここでトイレ休憩を挟み)、ドラゴンの炎、エルフ伝統芸能全裸ヌルヌル相撲、おいしい生クリームについて、と話がコロコロ変わり、天狗の鼻が何故長いかを語りだそうとした所で、傍観していた戦士さんが痺れを切らしたように口を開きました。
「え、そうなの? あ、わかった。急に遠吠えしたくなったんだ。さすが人狼だよね~」
「い、いえ、遠吠えじゃなくて……」
そこで私は、やっと二人に『戦闘になる前にこの里から出て行ってほしい』と伝えることができました。
「言われなくても、俺ぁそのつもりなんだけどよぉ」
戦士さんが意外な台詞を口にしました。
「そもそも、薬に頼るのは好きじゃねえしよぉ。それに……」
戦士さんは私を睨みつけました。
「このクソチビがいたんじゃ、退散するしかないだろォよ」
「……ロリコン?」
「……殺すぞクソ女ぁ」
そんな戦士さんの殺意は気にせず、僧侶さんは話を続けました。
「私もこのロリコンとほぼ同意見。秘薬自体は本当は欲しいんだけど、とりあえず今は無理そうだし。もう今日中に退散したいと思ってるの」
おや。好感触。説得はとんとん拍子で進みそうです。
私は安堵し、さっきまでの緊張が解けていくのを自分で感じました。
が、戦士さんと僧侶さん二人の顔が急に暗くなり、その安堵が早計であった事を悟ります。
「でも……ねえ、勇者様が」
「でも……なぁ、勇者のヤツがよぉ」
「で、でも……?」
「勇者様はどうしても秘薬が欲しいって言って……」
「……押し込み強盗する気です?」
「まあ、そういう事ね」
やはり、この二人が強盗をやる気でないとしても、結局はゲームシナリオ通りに話が進みそうです。
「あの勇者はよぉ、俺がこのクソチビみたいなモンスター苛めるのには文句言うくせに、自分は大量に殺したり、強盗したり。支離滅裂なんだよなぁ」
……酔っ払いがノリで作ったシナリオです。
確かに、勇者の行動に一貫性はありません。
ある時は勇者らしく優しい立派な行動をし、ある時は最低な犯罪者。
お決まりの『はい、いいえ』コマンドも加わり、更に無秩序になっています。
「まぁ、そんなアイツでも、一緒にいると色々と得があるから仲間になってんだけどなァ。生き返ったりとか」
「でもさすがに今回の勇者様の決定は、倫理的にも、人間とエルフ間の外交的にも、いけない事だと私は考えてるの」
僧侶さんは沈んだ顔で言います。
「俺は倫理とか政治とかどうでも良いんだけどなぁ。このクソチビがいるから今は無理だろっつってんのに、勇者は頑固でよぉ」
「勇者様の計画では実行は今日の夕暮れ後。それに備えて今はホテルで就眠中なの」
僧侶さんはため息をつきました。
「それで私達はこの公園で、強盗をやめてくださいと勇者様を説得する方法を……いや、もうなんならパーティーを抜けちゃおうかなって事を、二人で話し合ってたの」
「勇者は寝てるとは言え、妙に耳ざといからなぁ。こんな遠くの公園にまで足を運んだってワケだ」
「そうだったんですか……」
あの傍若無人な戦士さんさえも、どうすればいいのか分からないって顔をしています。
勇者さんってどんだけ困った人なんですか……まさに酔っ払い製作者達の分身なだけはあります。
しかし、この二人も勇者さんを説得する気があるというのは、僥倖かもしれません。
エルフの長老さんにこの二人を紹介し、みんなで説得すれば、酔っ払いの権化な勇者さんでもさすがに納得してくれるかも。
私はその事を二人に相談してみました。
「……なるほど。確かに長老さんと一緒なら説得できる可能性有りね。人間とエルフの戦争にも繋がりかねない事だって大人数から諭されると、勇者様だって引いてくれそう」
僧侶さんも戦士さんも、このアイデアに乗り気になってくれたようです。
「よし、じゃあさっそく勇者様の部屋に向けて出発だー! 目指せ、戦争回避!」
「別にいいじゃない。戦争になっちゃっても」
パキッという音がし、僧侶さんが急にバランスを崩し倒れました。
関節が一つ増えたかのように、僧侶さんの左ふとももが折れ曲がっています。
「痛っ……えっ……きゃ、きゃあああああっ!!」
倒れてから少し間を空けて、僧侶さんの悲鳴が響き渡りました。
「やっぱり人間って弱~い」
どこからともなく声がしました。
私と戦士さんは慌てて辺りを見回しましたが、攻撃して来るような人影はどこにも見当たらず……
「勇者の仲間と言っても、結局はただ生き返れるってだけの人間よね」
いました。
僧侶さんの影の中から、まるで水面に顔を出すイルカのように、スーッと現れてきました。
「こんにちは。また会ったねミィお姉ちゃん。私はずっと声だけは聞いてたけど。ふふっ」
「み、ミズノちゃん……?」