シスコンお兄ちゃんの恋人はまだいない
ここは人狼族の恐ろしいダンジョン。
その名も、わんわん洞窟……
「ほーらお兄さん、でっかいお肉あげるわよ!」
そう言ってソリョさんが、骨付きのお肉を手で振り振りしました。
お兄ちゃんはお肉を目で追いながら、
「ほう、くれるのか。では……」
と言って、手を伸ばします。
しかしお兄ちゃんがお肉をゲットする前に、ソリョさんは背中に隠してしまいました。
「待て! 待て、まだマテよお兄さん!」
「うむ……ま、待つのか?」
お兄ちゃんは困惑しつつも律儀に言う事を聞いて、直立不動で待ちました。
「よーしよしよしよし、偉いわよお兄さん!」
「うむ……? そうか……何が偉いんだ?」
「……何やってるんですか、お兄ちゃん」
そこで私はやっと二人にツッコミを入れました。
お兄ちゃん達は私の方へ顔を向けます。
「あら、ミィちゃんおひさー」
「ミィ。ソリョが肉をくれるとか待てとか言って、意味が分からない事ばかりやるんだ」
「遊ばれているんですよぉ、お兄ちゃん……」
「……遊び?」
首を捻るお兄ちゃん。
それ以上の説明は無意味だと思い、私はもう何も言わない事にしました。
「うーん。お兄さんは肉で釣ってもイヌっぽい反応してくれないから、遊んでてもつまんなーい」
「そうか、すまん。俺は犬では無く狼だからな」
「そうだ犬って言えばさ、私の実家がある村に犬を百匹近くも飼ってるお宅があってね。それが毎晩うるさ」
「うむ。その話はまた後で聞こう」
「あら、そう?」
お兄ちゃんが、ソリョさんの長無駄話を阻止しました。
普段オモチャにされているワリには、長話モード時ソリョさんの扱いにだけは慣れてきたようです。
「でもミィちゃんが来てくれて良かったー。今日はウラセが出張だし、狐くんもいないから暇だったの」
そう言ってソリョさんは、手に持っていたお肉をやっとお兄ちゃんにあげました。
お兄ちゃんはお肉を受け取り、骨ごとバリバリと食べます。
「ミィちゃんはお兄さんと違って、お菓子あげたら尻尾をガンガンに振ってくれるもんね!」
「えぅ!?」
なんか失礼な事を言っています。
それじゃあ、私が尻軽な駄犬みたいじゃないですか!
「わ、私そんなのしませんよぉ!」
「ほーらミィちゃん、チョコレートあげるわよ」
「えっくれるんですか! ……あっ」
私の尻尾がブンブン、耳がぴょこぴょこ動いちゃっています……
でも違うんですよこれは。人狼の生理現象であって、私の意思は関係ないのです!
「うぅぅぅ……」
「あははは。ミィちゃん可愛いなあ! よーしよしよしよしよし!」
ソリョさんは私を抱きしめ、喉の下を撫でます。
私は嫌がり抵抗しますが、それと同時に尻尾が勝手に動きだします。
ああ、私の数少ないチャームポイントであるはずの尻尾が、今だけは憎い……
「ところで何の用事で来たんだ、ミィ?」
「あっ、そ、そうでした!」
お兄ちゃんの言葉で我に返り、私はソリョさんの腕を払って脱出しました。
再び捕獲されないように、お兄ちゃんの背中に隠れます。
「お兄ちゃんがお弁当を持っていくのを忘れたから、届けに来たんですよ」
「ふむ……? ああ、そうか。今日は弁当を用意してくれていたんだったな」
「もう、お兄ちゃんすぐ忘れるんですからぁ!」
今日はパパのお仕事でお弁当が必要となったため、ママと私が早起きして作ったのです。
九割はママ作ですが……とにかく私も一緒に作りましたので。
パパのを作るついでに、私とお兄ちゃんのお昼の分も用意したのです。
そう言えば初めて勇者さんに遭遇した時も、今日と同じ理由でここに来ていました。
「へー。人狼のお弁当かー。ねえねえちょっと見せて見せて」
「見たいのか。ああ」
お兄ちゃんは、大きめのハンカチで包んでいるお弁当箱を、ソリョさんに見せました。
「いやいや、お兄さん。箱じゃなくて中身よ中身! 中身を見せて欲しいの!」
「ああ、それならそうと言ってくれ」
お兄ちゃんはお弁当箱の蓋を開けました。
肉肉肉の肉尽くし弁当。
ローストビーフ。ハンバーグ。メンチカツ。鶏のたたき。肉じゃが……のじゃが抜き。自家製ハム。
そして隅っこに卵焼きが入っています。
「あらー……さすが人狼弁当ね。人間が食べたら病気になるわ……あ、でも赤茶色尽くしの中にある、この黄色い卵焼きがちょっとした可愛いアクセントね!」
「はい! その卵焼き、私が作ったんですよぉ!」
私はそう言って胸を張り、尻尾を振りました。
「そうか、ミィが。それは食うのが楽しみだ」
「まあ、ミィちゃん料理お上手なのね~」
「いやぁ~えっへへへへ……」
私は照れて頭をかきました。
普段褒められ慣れていないので、なんだかくすぐったい思いです。
「でもこうやってミィちゃんも、いずれは男のために料理するようになって、カレシ作って結婚して、家族から巣立っていくのね……」
ソリョさんは、悪戯っぽくお兄ちゃんの顔を見て言います。
「家族から……そう、お兄さんから巣立っていくのよ……しみじみね~」
「ぐふっ」
お兄ちゃんが、急に倒れました。
「ええっ!? ど、どうしたんですかお兄ちゃん!」
心配する私を見上げながら、お兄ちゃんは絞り出すように、
「駄目だ……俺は許さない……ミィは、巣立たない……!」
と言いました。
「な、何言ってるんですかお兄ちゃん!」
「お兄さんが許す許さないって問題じゃないでしょ」
ソリョさんが呆れ顔で言います。
どうもお兄ちゃんは、私に過保護すぎるのです。
「お兄さんもそろそろ妹離れして、恋人の一人でも作ったらどうなの? ボスキャラなんだし、人狼族の中にお嫁さん候補なんてたくさんいるでしょ」
ソリョさんが思いついたように言いました。
そういう話題が好きらしく「そうよそうしなさいよ!」と自分で自分に同意しています。
「だが……せめてミィが大人になるまで……」
「わ、私もう大人ですぅ!」
「いや、子供だ」
「あぅ……」
キッパリと言われ、私はそれ以上何も言い返せなくなりました。
「ミィちゃんが大人になるまでと言っても、別にその間に婚約狼探してても良いじゃない。そもそも出会ってすぐに結婚出来るわけもないんだし、お兄さんまだ十代だし」
「う、うむ……」
「あっ今『うむ』って言ったね! 言質取ったわよ!」
喜々とした表情で騒ぎ出すソリョさん。
お兄ちゃんは「しまった」という顔で汗を流しました。
「お兄さんはやっぱり年下が好きなの?」
「いや……どちらかと言えば、年上……」
「えー、いがーい」
私も意外でした。
そういえば私も、お兄ちゃんの口からこういうのを聞くのは初めてです。
「年上ならー……そうだ、ミィちゃんの職場にも色々オトナの女の人いるよね! その中から誰かを見繕って~」
「えぅっ!? わ、私の職場からですかぁ……?」
「そうよ、ミィちゃんが探してあげれば良いのよ~!」
「えええぇ!?」
私にまで飛び火してきました。
まだ男性と付き合ったことも無い私が、そんな親戚のお見合い相手を探すおばちゃんみたいな大仕事を……!?
無理ですよ無理!
人生経験が足りません!
「むぅ……とにかく今は仕事中だ。もう俺の事はいいだろう。ミィ、洞窟の外まで送ってやる」
「あっ、はい」
「あーちょっと待ってよお兄さーん!」
お兄ちゃんは誤魔化すようにして、急いでその場から離れました。
そして私も、魔王様のお城へと出勤したのでした。
◇
その日の夕方。
「ふぁふぇふぇ。ヨシエひゃん、ろうひたんれすか」
ここはマリアンヌちゃんのお店。いつものオーナー室です。
ヨシエちゃんが無言で、私の頬をびよーんと引っ張りました。
その目は、死んだお魚のように生気がありません。
「年上……年上……? と、年上の殿方よりも更に年上になるには、どうすれば良いんですのー!?」
マリアンヌちゃんは混乱した様子で、窓の外に向かって叫んでいます。
一体どうしてしまったのでしょうか。
私はただ、他愛のない世間話をしただけなのに。
今朝わんわん洞窟での、お兄ちゃんの様子を語っただけなのに……
「そうですわ! 今から年上に見えるメイク術を練習致しましょう!」
「そ、それでいいのかな……?」
「成せばなる、ですわ!」
なんだかよく分かりませんが。
マリアンヌちゃんのママにコーチを頼み、私達三人はお化粧の修行を始めました。
こうして、私のお化粧技術もレベルアップしたのでした。えへん。