味革命(にがいすっぱいあまい)
「あ、ヨシエちゃん。おはようございます」
「……うん、おはよう」
お兄ちゃんの部屋から出ようとドアを開けると、外で、ヨシエちゃんが扉をノックする直前のポーズで固まっていました。
大雨もすっかりとあがり、気持ちの良い朝です。
昨夜、あんまり覚えてないんですけど、眠りにつく前に何か恥ずかしい事を言っちゃったような気がして。
何を言ってしまったのか確かめたくて、私は朝早くからお兄ちゃんの部屋に赴きました。
お兄ちゃんは笑ってごまかして、教えてくれませんでしたけど。
そうしてしばらく雑談した後、自分の部屋に戻ろうとドアを開けたら、ヨシエちゃんと顔を合わせたのです。
「ヨシエちゃんもお兄ちゃんに用ですか? 今部屋の中にいますけど」
「え、いや、うん。別に。ただ朝の挨拶を」
ふと、ヨシエちゃんが後ろ手に持っているモノに気付きました。
「あれ? それって昨日貰ったお守り」
「え、いや、うん。ああ。えっと……あはは、いつの間に持ってたんだろう。寝ぼけて持ってきちゃったかな」
痴漢店長さんから貰った、エルフの恋愛成就のお守りです。
店長さんの話では、このお守りを好きな人に渡すと、両想いになれるとか。
「そう言えばヨシエちゃんは、そのお守り誰かに渡すんですか?」
私は素朴な疑問を投げかけてみました。
「だ、誰に渡すとか……ア、アタシはそういうのは別に? 興味ないけど?」
この慌てた様子だと、きっとヨシエちゃんには誰か意中の男性がいるんですね。
お相手が誰かは分かりませんけど。
私はこういうの鋭いんですよ! むふー。
「そ、そう言うミィはどうするの?」
ヨシエちゃんは私に聞き返します。
「私は……うーん、私仲良い男の人って、お兄ちゃんくらいしかいないですし」
「クッキーさんに渡すの!?」
ヨシエちゃんが急に大声を出して、私はビクっとしてしまいました。
「ち、違うよ。今のは別に渡すような人がいないって意味で。兄妹で渡しても意味ないじゃないですか」
「あ、ああ……そうだね、うん……あはは。勘違いでびっくりして大声上げちゃった」
そんな朝の会話後、せっかく三人揃ったので少し早いけど朝食に行こうと、みんなで部屋を出ました。
―――――
エルフの里長の家。
なんて言葉の響きから、古くて物々しい家を想像してました。
「きっとお城みたいな洋館で、でっかい暖炉とか、高そうな壺とか像とか置いてあるよ」
「私はもっとこう……大きな一本の樹をくり抜いて住んでるみたいな、ファンタジーなカンジだと思います!」
使いの人に里長さんの家へと案内されている途中、私とヨシエちゃんはそんな楽しい予想を立てていました。
正解は、デザイナーズ住宅でした。
大部分がガラス張りで家の中が丸見えで、出入り口がたくさんあって。
二階には突き出たような広いバルコニーが家を囲むようにあって、屋根が球体なので麦わら帽子みたいな外見で。
家の中には吹き抜けの急な階段が多数。
とても建築費が高そうで、立派なお家だったのですが……
「……私、この里に来てからエルフのイメージが変わる事ばかりです」
「大丈夫。アタシもだから」
「ようこそエルフの里へ。私がエルフ族の長老で、この里の里長をやっている者です」
長老と言うには若い、三十代くらいの男の人が、そう挨拶してきました。
「こんな若作りしてますけど、ホントはもう百歳過ぎてるんですよ」
と、長老さんは私達の戸惑い顔を見て、苦笑しながら説明してくれました。
百歳と言われビックリしましたけど、エルフだと言う事を思い出して納得しました。
そう言えば前世のゲーム製作チーム内で、「エルフは見た目超若いに決まってんじゃん!」って話をしてましたし。
「ヴァンデから話は聞いています。クッキーさんと……ええと、失礼ですがミィさんはどちらですか?」
長老さんは私とヨシエちゃんの顔を交互に見て、そう聞いてきました。
私が名乗り出ると、長老さんは「失礼いたしました」と笑顔で謝った後に、話を続けました。
「魔王様並の破壊力を持つ必殺技をお使いになるとか」
そ、そんな大袈裟な話になってたんですか……!?
いやまあ確かにゲーム中で浮いてるようなチート技ではあるんですが……
そう言えば、ヴァンデ様は「エルフの長老にツテがある」って言ってました。
どういうツテなのでしょうか。ちょっと気になる。
「ヴァンデは私の親戚なんですよ」
私が思った疑問に答えるように、長老さんが言いました。
え? この人もしかして人の心読めるんですか?
それとも、私が考えてる事がすぐ顔に出ちゃうだけ……多分それっぽいです。
「私はヴァンデの大叔父。つまり、私の妹が、ヴァンデの母方の祖母というわけです」
意外な繋がりにビックリです。
ヴァンデ様はエルフ、鬼、竜、人間のクォーターという複雑な設定です。
おばあ様がエルフというのは知っていたのですが……
エルフの里はゲーム未登場だったせいか、前世の記憶を辿っても出てこないような設定が多いです。デザイナーズハウスとか。
いや、おそらくは酔っ払っている内に適当に話してた設定なのかもしれませんが。
「ヴァンデのご家族はとりあえず各種族のお偉いさんだよね~」
なんて事は話してた気がします。
なるほど辻褄は合ってますが。
どうせならもっと詳細を詰めた設定を作ってて欲しかったです。前世の私達。
「というわけで、エルフの里は表向きは中立という立場なのですが、魔王軍とズブズブなのですよ。はっはっは」
長老さんが朗らかに笑いました。
それで良いのかどうかは疑問ですが、まあ私達としては都合が良いですね。うん。
「あの子……ヴァンデは、婿殿であるディーノ派と、サンイ派の派閥争いに巻き込まれて。まだ若いのに苦労して可哀想な話ですよ」
長老さんが苦い顔をしています。
「ねえミィ。ディーノとサンイって誰だっけ」
と、ヨシエちゃんが小声で私に尋ねてきましたので、私も小声になって説明します。
「ディーノ様はヴァンデ様のお父様で……」
ヴァンデ様のお父様、ディーノ様は竜と人間のハーフで、魔王軍のナンバーツーの実力者です。
私が所属する派閥を率いるお方ですね。
製作時間の都合により、ゲームには未登場なキャラなんですけど……
「竜と人間の子供なら名前はディーノだろ!」
という、和田さんの謎の主張で名前が決まりました。
元ネタは昔の漫画らしいのですが、私は分かりません。
一方のサンイ様は、ディーノ様の敵対派閥を率いるお方。
魔王軍のナンバースリーです。
「実力三位だからサンイでいいや」
と、適当に名前を付けられたお方ですが。
ディーノ様と同じく、ゲームストーリー中には未登場。
しかし実は、キャラクターのデータを作る所までは作業が終わっていました。
データを作り終えたのはいいけど、結局ストーリー中には出せなかったパターンです。
とは言っても、締め切り間近に慌てながら作った敵キャラでしたので、ヤケクソ気味に強さを盛られています。
とりあえずゲーム中に登場する魔法を全部使えたりします。
実際にストーリーで登場する最強敵キャラはヴァンデ様ですが、データ上での最強敵キャラはサンイ様なのです。
……そんな魔王城事情について、ゲーム云々の部分は省いて、ヨシエちゃんに説明しました。
私が小声で説明し終えると、長老さんのお話が再開しました。
「その二人の抗争に巻き込まれて、ヴァンデはあんな不愛想な顔になっちゃって。あの子が幼い頃はもっと活発でよく笑う、可愛い……」
長老さんがしみじみと言います。
あのいつも怖い顔のヴァンデ様が笑う……?
可愛い……?
うーん、想像出来ないです。
「おっと申し訳ない。無駄話はこれくらいにしましょうか」
長老さんはそう言って、目の前に置かれていた桐箱を開けました。
そして箱の中から壺を取り出し、
「これがエルフ族に伝わる、肉体強化の秘薬です」
―――――
『パパパパッパッパーン』
『クッキーは こうげきが 60あがって 310になった』
『クッキーは まほうこうげきが 20あがって 25になった』
『クッキーは ぼうぎょが 30あがって 120になった』
『クッキーは まほうぼうぎょが 20あがって 40になった』
『クッキーは すばやさが 40あがって 140になった』
『クッキーは クリティカルりつが 4%あがって 7%になった』
「……なんだ今の音は」
お兄ちゃんが壺の中の秘薬をヒシャクですくい、一口飲むと、部屋中に謎の音声が響き渡りました。
「秘薬を飲むと、どこからともなく声が鳴り響くのです。我々は秘薬の神様の声などと呼んでいます」
はい、完全にゲームのナレーションですよねコレ。
「とにかくおめでとうございます。秘薬により、個人の得意な部分を中心として、全体的に能力が向上したはずです」
「なるほど。さっきの神様の声によると、俺はこうげき……攻撃? が得意だったのか」
お兄ちゃんは、筋肉を確かめるように自分の二の腕を触りながら、
「だけど……本当に不味い薬だな……」
と、しかめっ面で呟きました。
「や、やっぱり不味いんですかぁ……?」
お兄ちゃんの呟きを聞いて、私は改めて秘薬の味に恐れを抱きました。
「さあどうぞ、ミィさんもお飲みください」
長老さんは秘薬が入ったヒシャクを、私の顔の前につき付けました。
古いトイレの中に古いチーズと古い納豆をばら撒いたような、凄まじい異臭が私の鼻を突き抜けます。
「え、えっと……私はその、ちょっと待……おえぇ」
「さあグイッと一気に」
「うっ……あ……はい……え……いや……無理……えぇぇぇ……うぷっ……」
「ゴクリ」
これは味の大革命。
雑草を編んで作った雑巾で牛乳と酢と魚介汁を拭いて、数日放置したものをミキサーにかけたような。
苦い。
酸っぱい。
妙に甘い。
一言で言うとただ不味い。
し、しかし我慢してなんとか飲み込みました。
『パパパパッパッパーン』
朦朧とした頭で私は思います。
ああ、これで念願のパワーアップ……
『ミィは こうげきが 1あがって 4になった』
「……うん?」
気のせいでしょうか。
なんか今ナレーションが無情な数値を……
『ミィは まほうこうげきが 1あがって 1になった』
「はあああああああ!?」
え?
なんですかこの微量な数値?
おかしくないですか?
雑魚モンスターは所詮は雑魚モンスターってことですか?
いやちょっと待ってください。ホント。待って。お願いします。
昨夜、お兄ちゃんの顔を見ながら、
「強くならないと」(キリッ)
って決意したばかりじゃないですか。
そんな……私が強くなることは根本的に不可能って事なんですか……?
「嘘ぉぉぉぉぉぉ………」
私は無情な現実と、薬の不味さに混乱し、思わず唸り声を上げながら頭を前後に激しく振りまくりました。
その急なヘッドバンギングで食道の中の苦いお薬がちょっと逆流して、更なる苦痛が……
踏んだり蹴ったりだ。
「お、おいミィ落ち着け。苦かったのか? 一度薬を吐いて……」
『ピンポンピンポンピンポン』
『ミィは ぼうぎょが 995あがって 999になった』
「どうせ私はぁぁぁぁ……」
『ピンポンピンポンピンポン』
『ミィは まほうぼうぎょが 997あがって 999になった』
「どうしようもない最弱モンスターでぇぇぇぇぇ……」
『ピンポンピンポンピンポン』
『ミィは すばやさが 996あがって 999になった』
「……うん?」
何か違和感があり、私はヘッドバンギングをやめました。
あれ? さっきナレーションが九百……何……?
周りを見渡すと、お兄ちゃんも、ヨシエちゃんも、長老さんも、その他エルフさん達も。
信じられないというような、驚き顔をしていました。
『ミィは クリティカルりつが 1%あがって 2%になった』