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政略結婚した上司が毎日「今日の奥さま」報告を求めてきて死ぬほどめんどくさいんですけど

作者: しののめ

 上司の呼び出しを受けた私が重厚な扉をコンコンと叩くと即座に、


「入れ」


という許可の声が聞こえ、私は「失礼します」と断りを入れて、上司の部屋に足を踏み入れた。仕事に必要な物以外は一切置かないことを徹底したその部屋は、至ってシンプルだ。

 その奥に座する青年は、いつも眉間にしわを寄せ険しい顔をした、泣く子も黙る鬼上司だ。彼は机に両肘をつき、組んだ両手の甲に顎を乗せた格好で、それはそれは重々しく一言、私にこう尋ねた。


「今日のナナミは、どうだった?」

「……」


 知るか! と叫びたくなるのを、大人の対応でぐっと堪える。そして私は今日も今日とて「今日の奥様」報告をさせられるのである。







 私、ミナ・ガーランドは26歳、既婚者だ。

 そんなに目立つタイプではないけれど、6ヶ月ほど前から、何やら面識のない人に話しかけられることが多くなって、その理由も知れている。

 みんな、最近結婚した私の上司……名家ランフォード家の実子、ただし五男……とその奥様に興味津々らしい。


 ちなみに上司の嫁のナナミ様は、私の友人でもある。

 地方の下級貴族のお嬢様なんだけど、実は養子だ。

 下級貴族の間では、身寄りのない子を養子として引き取るのが流行で、その行いにより「人道的な立派な貴族」という称号を手に入れるらしいけれど、実態はそれとは程遠い。引き取った養子は、大抵小間使い扱いか、修道女や僧侶にでもして家を追い出されるのが大半だ。

 ナナミ様も、結婚する将来なんて思い描いたこともなかったようで、


「都の貴族の嫁なんて、無作法な私には勤まりません」


と抵抗してはみたらしいけど、それを聞く養父母ではない。せめてもの救いは、


「まあ離婚するなら離婚すればいいじゃない? ここに戻ってこなくて修道院に行くのなら」


と微妙な逃げ道を残してくれたことだろうか。

 思いも寄らず強制的に始まった結婚生活に、本人は色々悩んでいるようだけど、友人という欲目なく客観的に見ても、彼女は貴族の嫁として、うまくやっているように思う。田舎暮らしが長い割には、貴族特有の遠回しな嫌味とかにも、のらりくらりと、上手に対処しているしね。

 あと、彼女について特筆すべき事は、もう一つ。


 とにかく、すごく……強い。


 心が強いとかふわっとした話ではなく、物理的な話だ。

 貴族の嫁として常に護衛がついている彼女だけど、身の守りの為にレイピアをいつも腰に帯びている。その腕前たるや護衛をして、


「この方は生まれてくる場所を間違ったんです。武人の家系に生まれていれば……なんともったいない!」


と言わしめるほどである。

 私も、流石に熊と戦ったら負けそうだけど、イノシシくらいには勝つんじゃないかと思う。

 なお、あの身のこなしは田舎暮らしが長いとか、そういう問題ではなくて、天性のものだろう。







 ちなみに上司は幼い頃、ナナミ様に会ったことがあるらしい。

 どうしてナナミ様がそれを思い出さないのかって? それは仕方のないことだと思う。

 幼い頃、体の弱かった上司は、事あるごとに熱を出して寝込んでいたらしい。そんなひ弱な息子をどうにかしたいと藁にも縋る思いだった上司の母親はとうとう怪しげな占い師に助けを求めてしまった。

 その占い師曰く、


「女装して過ごせば、良くなる」


らしい。

 ……確かに民間の迷信にそんなものもあるけどねえ。誰も信じないわ、そんなもん。……って普通ならそう思うでしょう? でも、その時の上司の母親は、もうやけっぱちだったんでしょうね。その言葉に素直に従って上司に女装させたらしい。

 ただ流石に女装して屋敷をうろつかれるのも体裁悪いと思ったのか、ついでに上司を療養地でしばらく過ごさせることに決め、そこがナナミ様のご実家付近だったそう。

 そこで上司曰く、劇的な出会いを果たしたというわけ。

 草葉の緑は瑞々しく、枝に止まって鳴く小鳥のさえずりは可憐、そして風もなく凪いだ湖面は澄み切っている。そんなロマンチックな湖畔で。


 後の上司は語る。そこで見かけたナナミ様はそれはもう、見惚れるほどの華麗な釣り竿さばきで、視線が釘付けになったのだと。


 あと、修道女って自給自足、殺生も魚までは可という食生活らしいから、ナナミ様は、


「修道女になっても、ちゃんとお役に立てるよう、しっかり技を磨かないと……!」


っていう前向きだから後ろ向きだから分からない理由で、技を研鑽し続けていたらしい。


 ちなみに、女装させられていたことは死んでも言いたくない上司は、私に代役を命じたので、ナナミ様にとってのあの夏の思い出のお友達は私ってことになっている。

 ……あんまり、そういうことを気にする方じゃないから、上司も正直に言えばいいのにね。







 さて、ナナミ様を娶りたいなって考えた上司は、何故か王様にそう報告したらしい。

 余談だけど、うちの王様は、歴代国王きっての切れ者と言われていて、賢王との呼び声も高い。

 部下についても、家柄だけでなく実力も重視し、だからこそ五男という本来みそっかすな立場なうちの上司をも重宝している。

 あと、すごく強くて、多分獅子くらいなら単独で仕留めてしまうのでは、と噂されている。その能力は、もちろん鍛え抜いたということもあるけれど、どちらかというと才能に依存しているものと思われる。

 そんな立派な王様だけど、当然、難点もいくつかある。英雄色を好むってのを地で行く方で、あちらこちらに数えきれないほどの子供がいるらしい。

 それはともかく。


「結婚は認めよう。ただし」


 上司の結婚を許可をする代わりに、王様は一つ、条件を出してきた。


「私は愛だの恋だのは一時の気の迷い、まやかしだと思っている。だが、それを信じたいと願う気持ちもある。だからお前には、私の考えが間違っていることを証明してほしい」


 そして出された条件は、


「浮気をしているフリをする」


ということだった。

 上司自ら結婚の打診をしたことは決して明かさず、また夜、帰宅しない日を定期的に作り、浮気をしているフリをしつつも、なお愛を貫き、相手にもそれを信じさせることができれば、上司の勝ちらしい。でも結婚自体はしてしまうわけだし、離婚したからって特にペナルティはないということで、まあ言うなれば、暇を持て余した王様の道楽ってことだろう。


 ……え? 家への報告はどうなのかって? 家はねえ。五男だから、半分くらいは、どうでも良かったんじゃない?

 あそこ、四男は突然「高等遊民になる!」って出奔して、六男は自分の部屋から出てこないらしい。そんなことになるよりは、適当に所帯を持って身を固めてくれた方がまだマシだってことかもね。

 一方でナナミ様の養い親はもちろん、王都の名家からの打診を喜びつつ、


「なにぶん田舎娘だからね、いつでも離婚してくれていいからね。戻ってきたら、元の予定どおり修道女にさせるだけだし」


ってことで、あっさりと結婚を承諾した。







 私から見ると二人は割と夫婦円満で、でも貴族の口さがないお嬢様たちの目には、田舎娘の嫁に満足せず旦那が夜遊びする冷めた夫婦と映るらしい。

 実際はどうか、なんて夫婦のことは傍から見ても分からないことが多いけれど。


「あ、釣れました」

「なんでだっ!?」


 ナナミ様と上司の声が青い空に吸い込まれる。

 ……先ほどからナナミ様は入れ食い状態。対する上司は目も当てられない結果だ。

 ここは夫婦の新居から少し離れた渓流で、二人は岩場に座ってそれぞれ釣り糸を垂らしている。もちろん、ナナミ様の釣り竿は、四ヶ月前、上司が釣具屋さんで三時間ほどかけて選んだものだ。

 このお出かけは奥様からの提案で、誘われた上司は、それはそれは上機嫌に、


「昼はランチボックスを持っていった方が良いのか? この間、うちの料理人が出したチーズタルトが美味しかったと言ってらしいから、それを作ろうか。……絶対に俺が作った方がうまい」


とかのたまいながら、厨房にこもっていたらしい。


 ……何でこの人は、コックと張り合うのかしらね。


 なまじ腕が良いせいでコックさんたちが


「旦那様から我々の仕事が奪われそうです、どうにかしてください!」


って私の方にまで苦情が来るんだけど、今朝、作りたてのチーズタルトを「少し作りすぎたから、お前たち夫婦にもお裾分けしよう」と分けてくれて、それが絶品だったから、やっぱり何も言えなかった。ごめんなさい。


 ……それはともかくとして、私は再び夫婦の様子を窺う。

 ちなみに澄んだせせらぎの音が耳に心地よいこの場所は、ヤマメのスポットで、初心者でも、運が良ければ特に工夫せずにそれなりに釣れる場所なのに、うちの上司と来たら。


(下手すぎる……)


 いまだに一匹も釣れないため、ナナミ様が「場所が悪いのかも」と釣り場を交換していたけれど……多分、そういう問題じゃないと思う。

 やがて見るに見かねたナナミ様が自分の釣竿を置いて、上司の傍らぴったり寄り添って腰を下ろす。そして何か穏やかに説明しながら、釣竿を隣からそっと支える。そして顔を見合わせるなり、二人で笑い合う。


 結婚して6ヶ月。

 その間、二人に何か劇的なことがあったわけでもないけれど、少しずつ気づいていくこと、分かりあっていくこともあるのだろう。

 だって、それが夫婦というものだし。


(あー、私も旦那といちゃつきたくなったなぁ)


 そう思いながら、私はナナミ様の護衛の元へと向かった。






おわり

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